箕面三中もと校長から〜教育関係者のつぶやき〜

2015年度から2018年度に大阪府の箕面三中の校長を務めました。おもに学校教育と子育てに関する情報をのせています。

マンホールの役割

2024年07月31日 06時15分00秒 | 教育・子育てあれこれ
最近はマンホールのフタは、自治体によって趣向を凝らしたデザインにすることがあります。



なかには、そのフタの写真を集めるマニアもいます。

さて、そのフタの下には下水道が通っているのです。

雨水を迅速に市街地から追い出し、建物・家屋を浸水被害から守るのは、下水道の大切な役割です。


ところが近年、線状降水帯が発生し、大雨による災害が激甚化・頻発化するようになってきました。


下水道の排水能力を超える大雨により、雨水が地上に留まり氾濫するようになっています。


いざという時の早めの避難や、差し迫った状況下での垂直避難の方法など、身の安全を守る行動について、社会全体で知識をもち認識を深めることが不可々です。


また、飲料水とレトルト食品のような食料を備蓄しておくことも、災害への備えとして必要になります。


個人でそれぞれできる災害対策はいま、必須になってきています。







教員になりたい人に向けて

2024年07月30日 10時02分00秒 | 教育・子育てあれこれ


鹿児島県の18歳の大学生が、6月2日の毎日新聞に次の投稿をしていました。


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教員になりたいけれど不安」


私の夢は先生になることだ。中学時代、私は数学が大の苦手だった。しかし恩師の授業をきっかけに、この教科を好きになることができた。


「学ぶ」ことの楽しさを教えてくれた。私も一人一人の生徒に寄り添い学ぶ楽しさ、努力することの大切さを教えられるような先生になりたい。


だが、日本の教員を取り巻く過酷さに不安を感じずにはいられない。「教員にはならない方がいい」。最近はこんな言葉をも耳にする。


先日の新聞によると、全国の小中学校教員の6~

7割が月に45時間を超えて残業をしているという。


仕事は適性や安定性、やりがいなどのバランスが重要だと大学で学んだ。


教師という職業がこれを保つことが困難なことは明らかだ。


恩師が陰でどれだけ大変な思いをしてきたかは計り知れない。私も彼のようになれるだろうか。不安は尽きないが、自分の熱意は確かなものとして信じ、人生と向き合っていきたい。

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しかし、一方で昨年度大阪府の学校現場で1年間小学校の初任者教員として奮闘し、1年をふりかえって書いた感想があります。


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私は、今年5年生の担任をしています。この1年間慣れないことが多く、大変だと感じることもありましたが、もうすぐ1年を終える今、自信をもって言えることは、「先生になってよかった。」です。


1年前、初任者研修の開講式を受けていた頃は、まだ自分のクラスの子どもたちと顔を合わせておらず、「初任で5年生か。いきなり高学年の子たちとうまくやっていけるかな。」と不安でいっぱいでした。


しかし、始業式で子どもたちと顔を合わせ、「先生!」と元気に呼んでくれる子どもたちを見て、先生になれた喜びと、「これからこの子たちのために全力で頑張ろう。」という強い気持ちがわいてきました。


だけど、子どもたちとの生活が始まると、思い描いていた通りにはうまくいかないことがたくさんありました。


5月の運動会や9月の宿泊学習の時には、学年主任の先生のクラスと自分のクラスの団結力の差を比べてしまい、とても落ち込みました。


それでも、「温かいクラスをつくりたい。」「もっとクラスの子たちに繋がってほしい。」という思いで学級づくりに励んだ結果、互いに励まし合ったり、尊重し合ったりする温かいクラスになったと思います。


また、「いつも私たちのために全力を尽くしてくれてありがとう。」「先生が失敗することもあるけど、みんなで支え合っていきましょう。」という言葉を伝えてくれる子どももいます。


クラスの子どもたちは、私の宝物です。子どもは先生のことをよく見ているし、たくさん助けてくれます。

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私の思いとしては、教員になりたい人は、不安もあるでしょうが、ぜひ教員になってほしいと願っています。



全国から花火師が集まる

2024年07月29日 11時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ
夏は花火大会のシーズンです。

8月には全国各地で花火大会が開催されます。

今年は花火大会を中止する地域もけっこうあるそうです。

暑すぎて熱中症の心配、また最近では太陽光パネルを取り付けている家屋に花火の燃えかすが付着することでの苦情が年々増えているからと聞きます。

とはいえ、花火大会は夏の風物詩です。

そのなかでも、秋田県大仙市の大曲(おおまがり)の花火が圧巻であると聞き及びます。

古くは江戸時代が起源で、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全を祈願する花火です。

今年は8月31日に開かれるそうです。

この花火が他と違うのは、全国から腕ききの花火師が集まってきて、技を競う点です。

千差万別、豪華絢爛な花火を見ることができるそうです。

若い世代に届く訴えのできる候補者とは

2024年07月28日 06時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ

政治家の多くは高齢で若い世代の共感を生みません。


「自分たちの候補」として親近感を抱く候補者がなかなか見つかりません。


だから、選挙の投票にも行かない人が多いのです。



目下のところ、若い世代の最も切実な関心事は、将来の不安が大きいこの日本でいかに収入を得て暮らしていくかだと思います。


「右肩下がりの社会でも成功して」という親の期待を背負い、受験勉強をして、まじめに学校生活を送り、就活を頑張ってきました。


この新自由主義(ネオリベラル)の社会で「将来、起業家になればいいのでは」「うまくいく、いかないは自己責任だ」というメッセージのシャワーを浴びてきました。


そんな世代にとって、選挙で候補者が唱える「格差是正だ、平等だ、少子化対策だ」という訴えは、目下の悩みとかけ離れています。


「ハー?」というのが正直な感想ではないでしょうか。


今の時代、若い世代に届く、SNSを駆使して、訴えることのできる若年の候補者に、若い世代は共感を覚えるでしょう。




少し輝くだけでたります

2024年07月27日 06時00分00秒 | 教育・子育てあれこれ
私の子どものころの日本は高度経済成長期でしたが、私は田舎に住んでいて家にあまり物がありませんでした。

ただ、父が学校の先生でしたので、本や図鑑などはたくさんありました。

しかし、大阪府と言っても、山間部での日々の暮らしは質素なもので、幼少の頃は洗濯機もなく、たらいと洗濯物をもった母に連れられ、家の前の小川で洗濯をしていました。

夏の夜には、クーラーなどもちろんないので、部屋に蚊帳を吊るし、戸は全開にして眠りにつきました。
ときには蚊帳の中で採ってきたホタルを放し、蛍の光を見ながら寝ました。
今とちがい、けっこう涼しかったのが思い出になっています。


ただ、私はそれを、「足りない」とは思いませんでした。


私には、ものがなくても、頭の中は自由で、可能性に満ちているように思えました。


わたしはそんな子ども時代を過ごせたことに、一片の後悔もありません。


私のように特別な能力がなくても、自分の存在を信じて、教職というほんとうに好きな道を歩み続ければ、人生がほんの少し輝くこともあります。


好きな道なら、くじけても、くじけても、立ち上がることができます。


私たちにとって大切なのは、どんなときも自分の光を信じることでしょう。


キラキラ、煌々と輝くのではない。

少し輝くだけで十分だと思います。








どこに住んでも、同じ教育を受ける

2024年07月26日 06時38分00秒 | 教育・子育てあれこれ

首都圏や関西圏、愛知県もですが、都市部の学習環境は、子どもを幼いころから学習塾に通わせ、保護者の受験への意識が高いようです。


その意識は子どもに浸透し、本人も受験に臨んで学習をすることを当然のように考えています。


地方出身の子とは経験に差があるのは確かで、近年その差はますます広がっているように思います。


右肩下りの日本の経済ですから、わが子には学力をつけて、将来困らない生活を送らせたい。


都市部ではこう考える親が多いので、受験はより厳しさを増しています。


一方で少子化のため、今でもすべての学部・学科をトータルして、定員の半分ほどしか集まらない(入学しない)大学がすでにあらわれています。


神戸市では募集停止をした女子大もあります。


とくに、旧態依然とした学部しかもたない大学には、人が集まりません。


そこで、女子大は共学化したり、いまの時代のニーズにあう学部やコースを新設して、学生を集めようとしています。


大学は経営が成り立たなく時代が、もうすぐそこにきています。


その一方で、都市部の有名大学には受験生が集中しているという歪さが顕在化しています。


地方と都市部の教育環境の違い、保護者・子どもの意識の違いが顕在化しているのです。


しかし、都市部に住んでも、地方に住んでも、同じように、義務教育、高等教育を同等に受けることができるのが、憲法や教育基本法が定めていることです。


子どもにゆずっていくもの

2024年07月25日 06時08分00秒 | 教育・子育てあれこれ
子どもたちよ  おまえたちは何を欲しがらないでも 凡てのものがお前たちに譲られるのです。  
太陽の廻るかぎり  譲られるものは 
絶えません  輝ける大都会も そっくり お前たちが譲り受けるのです。  
読みきれないほどの書物も  みんなお前たちの手に受け取るのです 幸福なる子どもたちよ  お前たちの手はまだ小さいけれど---。 
世のお父さん、お母さんたちは何一つ持ってゆかない。  
みんなお前たちに譲っていために いのちあるもの、よいもの、美しいものを、 一生懸命に造っています。 

(河井酔茗の詩集「花鎮抄」の詩 「ゆづりの葉」より)


 
この詩が発表されてから、すでに80年ほどの歳月が流れました。この詩集が出されたのは第二次世界大戦直後でした。

河井酔茗は、戦争で荒れ果てた国土を目の当たりにしながらも、なお世代から世代へ引き渡していけるものがあるのだよ、と戦後復興の困難に立ち向かう人々を勇気づけたのでした。 
 




その後、日本社会は、高度経済成長を成し遂げ、ばく大な富を生みだし、目を見張るような経済的・文化的発展を築き上げました。 


しかしいまや、その発展は風船がはじけるように終わり、気がつけば、人々は少子高齢化社会の進行に気づき、児童虐待や学力低下、不登校の問題、さらには不安定就労・貧困の問題など、地球温暖化など繁栄が引き潮に向かう不安を感じています。

明るさ・楽しさを競う高度消費社会の影の部分ばかりが目立つようになりました。

そのうえ、ここ数年、わが国は追い打ちをかけるような大規模な自然災害、感染症の拡大に見舞われています。 
 

そこで問いたいのです。いまいったい私たちはいま、子どもたちに何を引き継ぐことができるのでしょうか。

それは自分のまわりの自然やもの、さらにいのちに感謝し、人と人がつながりあい、かかわり合うことのすばらしさを子どもたちが引き継いでくれるということに尽きるのではないでしょうか。 
 

そのためには、人の幸せは経済の発展・拡大だけでは得られるものではないという当たり前のことを、誰もが今一度思い出す必要があるでしょう。

そして何よりもおとな自身が他者と豊かにかかわりあい、つながりあいながら生きていく人生のデザインを示し、毎日を楽しみながら過ごしていきたいものです。 
 

楽しみ・喜びだけでなく、苦しさ・つらさもすべて丸抱えで、家庭では親が、学校では教職員が子どもたちに語ります。

「こんなよいこと・うれしいことが今日あった」、「こんなしんどいこともあったけれど・・・、いまは考え直して、こう思っている」とありのままを語ったりします。

それを聞くと、子どもたちは自分の将来に夢を描き、希望をもつ(「生きていたら何かおもしろそうだ」と感じる)ことができると思うのです。なぜなら子どもは大人の生き方から学ぶからです。 


太陽や月のように人を照らし(月)、
鳥のように、飛んでいき歌い(鳥)、
花のように笑う(花)、
風のように流れていき(風)、
人に寄り添う。

そのような「花鳥風月」の生き方が、子どもたちに、はるか彼方の自分の将来を開くカギをゆずっていくことになるのです。

生きづらさを感じる子どもたちへ

2024年07月24日 08時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ

とくに中学生までは、場合によっては高校でも、子どもの集団の特徴はふつう同質的です。ですから内部では同調圧力が強くはたらきやすいのです。

 

自分だけちがうということが、集団の中で際立ちやすいのです。

 

そこで、「みんな」とちがっていることを理由に、排除しようとする言動がいじめにつながることもあります。

 

ですから、子どもには「みんなと同じでいたい」という思いが強くはたらき、他とちがっていることを、子どもは極度におそれるれるようになりやすいのです。

 

ところが、心の中では一方で、「わたしはあの子とはちがう。あんな子のようにはなりたくない」とも思うのです。

 

そのように10代は「自分がどういう人間になるのか」を考えるのに一生懸命になる時期です。

 

そのとき他人を見て、他人を否定することで、なりたい自分を探そうとします。

 

ただし、ほんとうは人というものは他人から見えるのはほんの一部分・一面だけなのですが、それに気がつかないのです。

 

しかし、大学生にもなると、ようすがかわってきます。

学生がさまざまな地域からやってきて、いろいろな環境で過ごしてきた人が集まり、集団は多様性がふつうになってきます。

 

この段階になり、悩んでいた子は、同質性という呪縛からやっと解放されることになります。

 

以上の点から、「あの人とわたしはちがう」と決めつけることなく、幅広い見方ができるようになるのが10代の成長の課題です。

 

だれもが多かれ少なかれ生きづらさを抱える時期なので、狭い人の見方やものの見方でなく、幅広い見方を得ることで、次第に生きづらさを抜け出していけます。

 

とくに中学生の時期は、今いるここだけが人生のすべてだと思ってしまいがちです。

 

が、じつはそうではなくて、人生のほんの一部に過ぎないのです。

 

だから早まった行為に走るのではなく、その先に自分の人生はあり、生きる場所はあるのです。

 

生きづらさを感じる人は、あきらめるのではなく出口を探してほしいと願うのです。


水泳の授業は地域の水泳クラブに委ねる

2024年07月23日 06時23分00秒 | 教育・子育てあれこれ


いま、学校の水泳指導・水泳授業を民間の水泳クラブに委ねる取り組みが広がりつつあります。

学校にはプールがあるのが普通ですが、年数が経過し老朽化が進んでいます。


1980年代に建設した自治体が多く、大規模改修が必要な時期が迫っています。


市町村教育委員会が監理しますが、地方公共団体内のすべての小中学校のプールの修経費や水道代などに多額の費用がかります。


そこで、いま自治体によっては、水泳授業を水泳クラブに委託するケースが増えてきています。


水泳クラブに水泳指導を委託したほうが予算面で安くなります。


さらに、近年の尋常でない暑さの問題もあります。


学校の屋外プールを使った授業は熱中症の心配をしなければなりません。

リスクが高い日は、学校は授業を休止せざるをえないこともあります。


地域の水泳クラブの屋内プールを使うメリットが色づいてくるのです。



教員の負担軽減にもつながります。


学校のプールでは、教師はクラス全員の安全を気にかけるため指導に全力を集中できないのです。


とくに小学校の場合、児童の泳力を伸ばせていないという思いが教師にあります。


水泳クラブのインストラクターの協力を得ることで安全管理や成績・評価に傾注できます。


また、何よりも指導のノウハウを学ぶことができるというメリットがあります。



ただ、まだ学校のプール活用の水泳授業が多いのが実情です。


でも今後は、水泳授業が民間の水泳クラブに委託する自治体が、さらに増えてくるでしょう。









転職と天職

2024年07月22日 05時24分00秒 | 教育・子育てあれこれ
今の世の中、転職は当たり前の時代になりました。
一つの仕事を退職するまで勤めあげる価値観は忘れられたかのようです。

わたしは24年間中学校の英語教師として授業を担当し、学級担任を何度もしました。

その後、教頭、教育委員会の指導主事、校長を務めましたが、その36年間自分にとって教職は転職ではなく、天職だと思ってきました。

ただし、天職とは自分にピタリと当てはまる、天から舞い降りてくる仕事ではないのだと思います。

たまたま働くことになった学校で、たくさんの学びと喜びを授かることができました。

だから、教職は自分にとっての天職だと思うのです。



いい曲は時代をこえる

2024年07月20日 20時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ
昭和の曲に、『異邦人』というナンバーがありました。

オリジナルは久保田早紀さんが歌ったものです。

聴いて、その当時はあまり日本の曲には馴染みの少ないオリエンタルな曲調に惹かれました。

歌詞に合わせ、画像を貼りました。

たとえ、古い曲でも、時代を超えて引き継がれていきます。

下記のURLから、聞いてください。



自分から先に与えること

2024年07月20日 07時27分00秒 | 教育・子育てあれこれ

大阪府箕面市のいくつかの小学校の敷地内には、二宮金次郎の像が今も残っています。 

最近では、児童が勤労している姿は時代にあわないとか、歩きながら本を読む姿は歩きスマホのようだという理由で、校舎建て替え時に撤去するケースが全国的にはあるようです。

しかし、のちの二宮尊徳の考えは、現代人が学ばせてもらう点がたくさんあると、わたしは考えています。

たとえば、社会のなかの人間関係は、与えることが出発点だという考え方は現代に通じる教えだと言えます。  

そのことをお風呂の湯にたとえて、わかりやすく説明できます。

自分の利益だけを考えて湯を手前にかき寄せても、脇をすり抜けて向こうへ流れていってしまいます。


でも利他の態度で相手のほうに押せば、湯はぐるっと回って自分のほうへ返ってきます。


相手に何かしてもらおうと期待するのではなく、自分から与えることが人間関係をよくするという教えです。


いまの社会での人間関係や企業経営、事業の展開にも十分通用すると思います。


しあわせのために子どもをもつ

2024年07月19日 06時37分00秒 | 教育・子育てあれこれ




政府のこども未来戦略は、人口減をくいとめなければ、経済大国という地位に大きな影響を与えることになるという点を強調します。


日本は、国民への支援が手厚いと言われるスウェーデン並みの予算を人口減・少子化への対策に充てています。


ところが、世論調査でそのことを評価する声は少ないのです。

それはなぜなのでしょうか。


スウェーデンで少子化対策の礎を築いた経済学者ミュルダールは次のように語っています。


「個人は国家へ服従するのではない。

自分の幸福のために子どもを持つべきである」


国の都合で人口をコントロールしようとして失敗したのが、ここ50年間の日本です。


為政者がジェンダーの課題をそのままにしておいて、旧態依然の仕組みが残った社会のなかで、若い世代は仕事と子育ての両立にの困難を感じたり、苦しんでいるのがいまの日本です。


その生きにくさに向き合わなければ、少子化対策の展望は開けないです。



石の上で

2024年07月18日 07時26分00秒 | 教育・子育てあれこれ
若い世代を中心に転職がふつうになってきています。

必ずしも労働環境がイヤで転職している人が多いのではありません。

スキルアップしたい、自分を高めることができる仕事をしたいという願いで、転職する人も多いと聞きます。

そのような意欲で転職されるなら、好ましいことです。

しかし、今の仕事がつらいから、苦しいからという理由で転職するのは思いとどまってもいいのでないかと、わたしは考えます。

苦しいから、つらいからと逃げ出してしまえば、それまでの努力が泡となり消えてしまいます。  


何があっても、これは自分の成長のために与えられた試練なのだと考え、辛抱することも必要かと考えます。


「石の上にも3年」という言葉があります。3年たつと見える景色が変わってきます。


自分のスキルが上がり、周囲の人たちとの関係もよくなることもあります。


3年たっても変わらないなら、転職すればいいと、わたしは思います。









そのままで光り輝く

2024年07月17日 06時32分00秒 | 教育・子育てあれこれ
人間が毎日生きて行く上で、悩みを感じたり、困難に出会ったりすることが、なんと多いことでしょうか。

人生は喜びよりも悩みや苦しみの方が多いのではないかと、わたしは今まで生きてきて思います。

もちろん仕事や私生活での楽しみや喜びもありました。

しかし、人は苦しいことやつらいことを楽しいことやうれしいことよりも、よく覚えているからかもしれません。


つまり、喜びは「点」であり、苦しみは「線」なのです。

喜びはひとときで過ぎますが、苦しみは尾を引くのです。


しかしながら、たとえ苦しみに満ちた世界の中でも、白い花は、赤い花は、黄色い花はそのままで光り輝きます。

日本の社会は、バブル崩壊後の1990年代から30年以上もの間、がんばっても報われない状態が続いています。


希望の前途が開けていると思われた、わたしの青年時代とは大きく異なっています。


しかも、人口減少期に入り、国の力が衰退傾向にあります。


いま、日本に住む多くの人は、夢や希望を持てずに苦しんでいます。


うまくいかず何度も挫折を感じ、闇に呑みこまれそうになっている人もいるでしょう。



そうであっても、人は自分の存在を否定する必要などありません。


私たちはそのままで、光り輝くことができます。

生きるのがつらく、苦しみが多い世界でも、自分の内にある光を信じていたら、闇に飲み込まれることはありません。

人間の苦しみは、相対的なものです。つまり人と比較することで、どうしてもつらくなってしまうのです。

人との比較をやめ、自分にとって唯一、ほかにない道を見つけることが、生きていくうえでとても重要だと思います。