ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

今どきの人

2019-12-20 17:22:29 | 日記

20代の後半になる長男は結婚はまだだが、長男の友人たちがぽつぽつ結婚し始めている。

話を聞くと、親戚や友人知人を招いて大々的に結婚披露宴をする人は、今、とても少ないそうだ。

大規模な披露宴をすると、お金がたくさんかかる上に招待客にも負担をかけてしまう。それならば互いの身内だけでこじんまりと式をあげて食事会をする方がいい。そして披露宴にかけるはずだったお金で、二人もしくは両親を連れて好きな所へ新婚旅行へ行く方がいいという考えだそうだ。

これは、私の周りでもよく聞く。

友人の娘さんは、花嫁衣裳は着たいというので衣装を着て神前で式を挙げてから、両家の親族だけで食事会を開いたそうだ。

披露宴にかけなかったお金は、将来二人がやりたい夢の為に貯金するそうだ。

また別の友人の息子さんは、両家でハワイへ行き、両家の親兄弟だけが見守る中で式をあげたそうだ。家族だけで親交を温めて、とても良かったそうだ。もちろん披露宴はしなかったという。

そして式に出席してもらわなかった友人たちには、飲み会的な軽い感じで報告をして祝ってもらったのだとか。

こうした流れを、私はとても好ましく思って聞いていた。

私が結婚した80年代は、会費制の結婚式が多くて合理的と言われた北海道でさえ、大勢のお客を招いてホテルで披露宴をするのが当たり前だと思われている時代だった。

その頃は、私も友人たちの結婚式には数知れず出席してきたし、自分の時も当然のようにそうしたのだったが、もう義理と人情の世界で近所のおばさんから私の知らない父の仕事の関係者まで(親が)披露宴に招待していた。

今思えばそういった方々には、たいへんな負担をかけてしまったと思う。

そして、今やこうした式典の縮小は結婚式だけではなく葬儀にも表れている。

やはり80年代に亡くなった母の葬儀の時は、広い会場に立派な祭壇を作り、多くの方に来て頂いた。

大勢の方に見送ってもらうことが最善と考えた父が、母に対する最期の愛情表現として大金をかけて執り行った葬儀だった。

しかし、当時は身内だけでする家族葬という考えがなくて、亡くなったら多くの方にお知らせして葬儀に来て頂くというのが一般的だったというのもある。

今は夫の職場の話を聞いても、家族葬が多くなっているようだ。

私の父や義父の時も家族葬にしたが、それほど親しい間柄でもないのに、義理でわざわざ来て頂く方に時間的、金銭的な負担をかけたくないというのが家族葬にした一番の理由だった。

家族葬は寂しいという声もあるが、親しい身内だけで静かに最期のお別れをするという葬儀本来の目的が達せられていて、私はとても良かったと思っている。

それにしても、イケイケドンドンだった80年代を生きてきた者として、あの頃と今を比べてみると、社会全体の勢いは無くなったが、若い人の結婚式のやり方にも表れているように慣習や物に囚われることが少なくなって、自分らしく、自分たちの好きなようにできる時代になってきたのではないかと思う。

それは、ストレスのない本来の姿なのだろうと思う。

息子や娘など若い人達を見ていると、節約できるところは節約をしている子が多い。無ければ買えばいい、いや特に必要ってわけでもないが買っておこうという時代を生きてきた私たちが、同じ年頃だった時には考えられなかったことだ。

ただし節約はしても自分がやりたいこと、好きな事にはお金をかけているし、友人が行きたい場所があるから一緒に行こうと言われても、そこが行きたくなければ普通に断ることができているのがすごいと思う。

だから自分も友人が行きたくないと言えば、「そうなの」という感じで納得して一人で行ったりしている。

双方が納得して自己主張できているというのは、本当にうらやましいくらいだ。

私もこうしておばさんになってからは、行きたくない事ややりたくない事はすこし断れるようになったが、若い頃はそれができず結構なストレスになっていた。

しかし、慣習や物に囚われる時代を過ごして来た私の同世代の人たちも、今の流れに徐々に乗り始めていると思う。

余計なストレスはためない。無理して人に合わせるくらいなら独りを楽しんだ方がいいとか・・・

これは多分、いやかなり良い傾向なのではないかと密かに思ったりしている。

 

 


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