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ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

旅の途中

2017-01-27 16:48:34 | 日記
先日25日は私の誕生日だったが、夫に某女性作家が書かれた本の題名をもじって「56歳、何がめでたいって気分だろう?」と失礼なことを言われた。
(おめでとうと言ってくれたので許してあげるが・・・)

とは言え、身体は若い頃のように疲れ知らずというわけにはいかなくなり、夫の言いたいことが「歳をとることはもう嬉しくないでしょ?」という意味合いだとしたら当たっていなくもない。

それでも今までなんとか事故や病気に遭うことなく、我ながらよくぞここまで生き延びたと思うと、ありがたい気持ちと嬉しさがこみ上げてくる。

ところで・・・それは48歳の時だった。

自分の身体はこの場所にいるのだけど、旅をしているという不思議な感覚を時々感じるようになった。

そして時期を同じくして、その頃に自分の過去生(かもしれない)映像を次々と見た。

それは今と同じく女性だったこともあるし男性だったこともあった。

男性だった頃、私は戦いの場で槍を持って人を傷つけ(もしかしたら殺して)自分も同じようにされた。

また修行の為だろうか、山の中をひたすら歩くという人生もあったし、女性になってマリア像に祈り続けた人生もあった。

また、たぶん自分が過ごした場所だと思うが、草がほとんど生えていない砂埃の舞う赤い土地を上空から見たこともあった。
頬を撫ぜる風、そして自分の頭につけた鳥の羽根の飾りが首筋にふれるのをはっきりと感じることができたのが映像を見ながら不思議だった。

ところで旅を続けているという感覚は、それから8年経った今もまだまったく変わっていない。

毎日同じような日常が過ぎているようだが、実は少しずつだがそれは変化している。

現在の肉体を持った今の「わたし」の人生という旅は、今この瞬間も続いていて、傍から見ると平凡な主婦の人生にしか見えないかもしれないが、わたし自身にとってはとてもワクワクした旅になっている。

そんなワクワクする旅をしていると気づいたのは、やはり大いなる存在(神とも言いますが)を心から信じるようになってからかもしれない。

こんな風に書くと何かあやしい宗教でもやっているんじゃないかと思われるかもしれないが、それはまったく違う。

むしろ宗教団体に入る事に対しては否定的な考えを持っている。

その理由は今ここでは書かないが、少しだけそういう場に足を踏み入れたことのある者として思う。

ところで、以前から自分の心が疲れたり落ち込んだりすると、どうしようもなく森の中を歩きたくなるのだが、これも地球という星に生まれて以来、ずっと自分のそばにあった自然が癒してくれるのを思い出すからなのかもしれない。

大いなるものはすべての中に存在している。ひとの胸の奥にも自然の中にも。

私は森林に入ると元気になるが、鎮守の森は特に元気になれる場所だと思う。



私の元気になれる場所のひとつ、相馬神社。年末に訪れた時の写真です。

これからもまだまだ「わたしの旅」は続いて行く予定だが、どの道を進んでどんな旅にしていきたいのか、自分の行く道は自分で選びつつ、これからもワクワクした気持ちで旅を続けたいと56歳を迎えて思うのでした。






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