ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

また、ひとりごと

2017-01-11 14:35:07 | 日記
お正月休みが終わって、またいつものように静かな日常に戻った。

子どもたち二人が帰ってしまって寂しさもあるが、連日リクエストの料理作りに少々疲れが出ていたので、ほっとしているというのも正直な気持ちだ。

お正月中はバタバタとしてゆっくりと年賀状を読んでいる暇もなかったので、今また頂いた年賀状を出して読んでいた。

最近はネットの普及などによって年賀状のやり取りを減らしていく傾向があるそうだが、我が家の年賀状も最盛期の半分以下になった。

今、私が年賀状の交換をしているのは学生時代の友人が数名と会社員時代の同僚が数名、それから子供たちが小さかった頃に知り合ったママ友が数名ほどだが、この中で実際に会って話をする人は学生時代の友人が一人か二人だ。
それも年に一度会えば良い方で実際はほとんど会うことはなく、ゆいいつ年賀状だけで繋がっている。

年賀状に書かれた近況報告を読み、なつかしく思い出したり、元気そうでよかったと思ったりしていた。

思えば友人と会う機会はすっかり減ったし、たまに電話で会話をする友人も今は一人だけになってしまった。

中学時代の同級生だった彼女はいま認知症のある実母の介護の真っただ中にいて、煮詰まった時にSOSの電話がくる。

私も認知症の実父と義母を見ているので、同じような境遇だと彼女も話しやすく思ってくれているのだろうと思う。

それにしてもある時から、私はみるみるうちに友人が少なくなったと思う。

しかし、私より若い50歳の妹(妹なので当たり前か)は、いつも「ライン」とやらで友人たちと連絡を取り合っている。
それも学生時代のライン、会社員時代のライン、習い事のラインなど知り合いによっていくつものグループがあるのだそうだ。

「おねえちゃんもやったら?」と言われるが、いつもいつもネットで連絡を取り合うというのがどーも面倒くさい。

第一、そんなに用事なんてないでしょう?と思うのは「年寄り」の考えだろうか。

少なくとも私と同じ年齢の同級生に聞いてみたところ、「ラインはやっていない」と言う人がほとんどで、やっていると答えた人も「用事のある時、年に1~2回しかラインは使わない」と言っていた。

みんなそれぞれ介護や仕事に忙しい世代なのか、はたまたスマホは使いこなせずガラケーで通話とメールができれば十分だと思っている世代なのか、たぶんその両方なのだろうけど、とにかく私の周りの知り合いたちはラインはもちろん、フェイスブックやツイッターなどもせず、年に一度の同窓会的集まりで会う程度か年賀状だけの付き合いになっている。

でも私はそれで十分満足している。

友人たちとの会話もたまにならば楽しいのだが、私が興味のある話題はほとんどすることはないしできない。

だから、今は年に一度だけ友人たちの集まりに参加して昔話や最近の楽しかったことなど他愛のないことで笑い合い、時々電話で介護で苦労している友人の話を聞くくらいが丁度よいと思う。

友達と会って話しても楽しくないと感じた頃、どんどん友人との付き合いが減りだした頃は寂しさもあったが、今は一人でもいいと思えるようになった。

本を読むことで自分の知らない世界を知ることができるし、興味のあることも本から知ることができる。

そして、これが私にとって最も重要なことだが、ブログを書くことによって自分自身と対話をすることができる。

「外側を見ずに自分の内側を見なさい。外に答えがあるのではなく、答えはいつも自分の内にある」

忘れてしまったが何かの本にこのような文章があり、深く感動したことがある。

外ばかりを見ていると他人と比較して自分のできないことを責めたり、また落ち込んだりしてしまう。

そして自分の中心からどんどん離れてしまう。

自分の中心つまり良心に沿って生きて行けば、すべてはなるようになっていく。

一人ひとりはすべて大いなるものの一部、だから安心して進めばいい。

「そうですね、そうしたいと思います」これを書きながら読んでいる自分がそう答えた。









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