ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

道はわかれる

2023-04-21 16:53:39 | 日記

母方の先祖(曽祖父)は、北海道へ来て宿泊業を始めたのだけど、母から聞いた話によると、その昔はずいぶん繁盛したそうだ。

母が子どもの頃は、列車が駅に着くと大勢の従業員が提灯を持って、お客さんを出迎えに行き、毎日が大忙しだったとか。

そんな風に儲かっていたものだから、母は幼いころから「お嬢さま」として育てられ、雨の日は足が汚れるというので、従業員の背中におぶさって小学校まで行っていたという、信じられないお嬢さまぶりを聞かされていた。

借金の保証人になり逃げて来たことを考えれば、まさに奇跡の大逆転劇であり、めでたし、めでたしとなるはずだったが、栄華は永遠には続かないもので、曽祖父が亡くなって二代目の祖父の代になると宿はさびれ始める。

私が小学生だった時、夏休みに祖父の家に遊びに行くと、まだ従業員さんは二人くらいいたが、お客さんはそれほど居なかったように記憶している。

当時、嫁に来て仕方なく女将をやっていたような祖母は、いつも不機嫌そうだったし、祖父といえばなぜかいつも家に居なかった。

娘である私の母は、自分の両親よりまだ存命だった曽祖母の方が好きなんだなあと子どもながらに感じるほど、実母とはあまりうまく行っていなかった。

その後、母が大好きだった曽祖母が亡くなると商売は益々傾き、残っていた従業員も居なくなり、ついでに祖父も他所にできた女性の所に入り浸りで居なくなった。

三代目の叔父は、最初からサラリーマンの道を選んだので、結局二代で商売はおしまいとなったが、その後も嫁姑問題や祖父のことなど問題が多かった。

そして私はといえば、だんだんさびれていく祖父母の家を見るのはさびしかった。

ボーンという大きな音が鳴る、玄関ホールの大きな置き時計。

従兄弟たちとかくれんぼをした客室、先が見えないような長い廊下。

夕食の支度で忙しい厨房の匂い。

どれもこれも子どもの頃の懐かしい思い出だが、今、その場所はどこにも無い。

ところで曽祖父が出て来た故郷では、親戚になる一族が長く商売を続けている。

親戚と言っても、もう関わりは無いが、ホームページを見ると繁盛されているようですごいなあと思う。

最初は同じだったと思うが、この違いは何なのか。どこで道が別れてしまったのだろう。

それはきっと、それぞれ個人の生き方、考え方の違いなのだろうと思う。

「こういうことはいけないことだ」と、身をもって教えてくれたご先祖たちに、今朝も感謝のお線香をお供えした。

 

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