2001年夏、戦後日本を代表する月刊少年雑誌『少年画報』を総覧する【少年画報大全】を監修する大役に、当時まだ駆け出しで無名、三十代前半の研究者だった私、本間正幸が大抜擢される一世一代の幸運を手に入れることが出来ました。
漫画史研究家の風雲児として、チャンスを生かし世に出ることが出来た私。(*´∀`)♪
以来、インタビューで御逢いできた先生方、特集を組ませていただいた先生方、少年時代からファンだった先生方、パーティー会場などで御会いして御挨拶させていただいた先生方に、ファンレター&感謝の気持ちを込めて毎年年賀状を送らせていただいております。
第2段は杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長から。
伝説のトキワ荘のメンバーであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしても有名なアニメーターの鈴木伸一さん。
初対面は1999年。
当時、私はマンガ喫茶メトロポリスを池袋で経営しており、鈴木館長はスタジオゼロを主宰していた。
手塚治虫文化賞のパーティー会場で挨拶をし、マツダ映画社が保存する貴重なアニメーションフィルムや、手塚先生の初期SF三部作として知られる【メトロポリス】についてなど、共通の話題で意気投合。
赤塚不二夫先生の企画展レセプション会場でお逢い出来たり。
それからは、毎年のように東京国際アニメフェア、手塚治虫文化賞で御一緒させてもらうようになり、杉並アニメーションミュージアムオープンの際には、レセプションパーティーへ呼ばれたほど。(*´∀`)♪
館長と私は、大の手塚ファン、そして【フクちゃん】の横山隆一先生のファンだけでなく、ウォルトディズニーの初期アニメーションや【正ちゃんの冒険】や雑誌『航空少年』の表紙などで知られる挿絵画家・樺島勝一さんのファン。
共通の作家さんが被っているのです。
さて、杉並アニメーションミュージアムでは、新年は1月5日からオープン。
毎週月曜日は休館日となります。
現在企画展は、【テレビアニメ放送50周年展Vol.3~アニメのお仕事エトセトラ~】が4/13まで入館無料で開催されています。
開館時間10:00~18:00*最終入館17:30
住所
〒167-0043
東京都杉並区上荻3-29-5 杉並会館3階
詳しくは
http://www.sam.or.jp/
にて確認を。
先ずは私が主宰するメトロポリス漫画総合研究所の名前の由来となった作品を手掛けている手塚治虫先生の版権を管理する手塚プロダクション資料室長・森晴路さんからの年賀状になります。
今から30年以上前、私の高校時代には、高田馬場セブンビル2Fに手塚プロダクションはありました。
当時の手塚プロさんは、ファンサービスとして土曜の午後に見学会を開いていました。
熱狂的な手塚ファンだった私は、資料室の存在に興味を持ち、初対面の森さんに無理を云って図々しくも資料室に入り浸るようになったのです。
掲載誌から切り抜いた作品をファイルした膨大な資料の山に、高価な復刻本であった虫の標本箱の数々。
今のようにマンガ喫茶などまだ何処にもない時代、開館から五年目となる現代マンガ図書館の利用料は高く、読めるのは市販され持っている本ばかり。
オープンから通い始めて五年、既に現代マンガ図書館では物足りなくなっていた私は、現代マンガ図書館の会員を早々と卒業し、手塚ファンの楽園を資料室の中に見出だし、果てしなき漫画収集、漫画史研究家への道を歩み出すことになるのですが、その話は又、日を改めまして。
2014年1月3日(金)午前10時より弥生美術館にて待望の【生誕110年 降臨!神業絵師 伊藤彦造という男】、竹久夢二美術館【夢二の子ども絵とすごろくー大正~昭和初期の小さなワンダーランドー】展が始まりました。
2月9日(日)14:00~弥生美術館のギャラリートークでは、伊藤彦造先生次女・伊藤布三子氏(日本舞踊家:立花志津彦)が参加されます
*河出書房新社より、展覧会にあわせて画集出版予定。
続いて姉妹館:竹久夢二美術館では午後3時より学芸員によるギャラリートーク。
二館併せて一般900円で御覧いただけます。
入館は午後4時半まで。
私が2002年から所属する日本出版美術研究会の会合も、この日にあるので当日は会場にいます。(*´∀`)♪
彦造先生の次女である伊藤布三子さんには、前回、2006年の弥生美術館での企画展の際に、【少年画報大全】監修者として初めて御挨拶させていただきました。
以来、毎年の私の年賀状の挨拶に対して、御返事までいただける嬉しさ。(*´∀`)♪
以下、毎年恒例となりましたアニメ史研究&漫画史研究家・本間正幸の2014年年賀状の紹介です。(*´∀`)♪
彦造傑作名画集より「初陣」『少年画報』昭和26年4月号。
郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404
株式会社パインウッドカンパニー
TEL:03-5939-6991
Facebook、Twitter、訪問者累計24万人達成のgooブログもよろしく!
『漫画の匠』http://www.manganotakumi.com
剣豪・伊藤一刀斎の末裔として知られる神業絵師・伊藤彦造(1904~2004)先生。
戦前の『少年倶楽部』にて、我が本間一族の本拠地となる庄内鶴岡出身で、武者絵を得意とする山口将吉郎先生、【正ちゃんの冒険】や『航空少年』の表紙でも活躍された樺島勝一先生と共に、日本中の熱血少年達に支持された日本を代表する神業絵師である。
伊藤彦造先生や、庄内藩の武士の末裔である山口将吉郎先生が描くサムライの絵に私が魅せられてしまうのは、関東武士集団発祥の際、小野姓横山党本間から始まり、佐渡の地頭を経て、庄内藩のサムライとして明治維新を迎えたサムライ一族の末裔として、先祖伝来の血筋の中に息ずく遺伝子、今から30年前に47歳で亡くなった父より私の子供時代から厳しく叩き込まれた武士道精神の影響が強くあるようです。
アニメ史研究&漫画史研究家として在野で活動を続ける私の年賀状に、伊藤彦造先生の絵の使用許諾のOKがいただけたこと、2001年に【少年画報大全】監修者として、当時、多忙を極めていた故・米澤嘉博さんの代役として大抜擢をしていただけた当時の編集担当部長、現在は少年画報社・社長であられる戸田利吉郎さんに心から感謝すると共に、出版不況である2014年現在も【少年画報大全】は2001年から増刷を続ける現役書籍であり、監修者である私・本間正幸は、第一線で活動を続ける現役バリバリの漫画史研究家であり続けられることを誇りに思います。
【少年画報大全】監修者である私は、『少年画報』で活躍された全ての作家さんたちの思いを、アニメ史&漫画史研究家として、日本の漫画やアニメ、映画を心から愛する読者の皆さんに、生涯正しく伝えていきたいと心から願っております。
2014年も引き続きお付き合いのほどよろしくね!(*´∀`)♪
【少年画報大全】監修
本間正幸
*戦後マッカーサーのGHQにより、絵師の身でありながら戦犯容疑をかけられ、米軍座間キャンプに収容された伊藤彦造先生と、日本一の大地主と云われたため標的とされ、農地改革のモデルケースとして三千ヘクタールに及ぶ広大な農地の殆んどを没収された庄内の我が本間一族の間に、不思議な因縁めいたものを感じるのは私だけ?
漫画史研究家の風雲児として、チャンスを生かし世に出ることが出来た私。(*´∀`)♪
以来、インタビューで御逢いできた先生方、特集を組ませていただいた先生方、少年時代からファンだった先生方、パーティー会場などで御会いして御挨拶させていただいた先生方に、ファンレター&感謝の気持ちを込めて毎年年賀状を送らせていただいております。
第2段は杉並アニメーションミュージアムの鈴木伸一館長から。
伝説のトキワ荘のメンバーであり、ラーメン大好き小池さんのモデルとしても有名なアニメーターの鈴木伸一さん。
初対面は1999年。
当時、私はマンガ喫茶メトロポリスを池袋で経営しており、鈴木館長はスタジオゼロを主宰していた。
手塚治虫文化賞のパーティー会場で挨拶をし、マツダ映画社が保存する貴重なアニメーションフィルムや、手塚先生の初期SF三部作として知られる【メトロポリス】についてなど、共通の話題で意気投合。
赤塚不二夫先生の企画展レセプション会場でお逢い出来たり。
それからは、毎年のように東京国際アニメフェア、手塚治虫文化賞で御一緒させてもらうようになり、杉並アニメーションミュージアムオープンの際には、レセプションパーティーへ呼ばれたほど。(*´∀`)♪
館長と私は、大の手塚ファン、そして【フクちゃん】の横山隆一先生のファンだけでなく、ウォルトディズニーの初期アニメーションや【正ちゃんの冒険】や雑誌『航空少年』の表紙などで知られる挿絵画家・樺島勝一さんのファン。
共通の作家さんが被っているのです。
さて、杉並アニメーションミュージアムでは、新年は1月5日からオープン。
毎週月曜日は休館日となります。
現在企画展は、【テレビアニメ放送50周年展Vol.3~アニメのお仕事エトセトラ~】が4/13まで入館無料で開催されています。
開館時間10:00~18:00*最終入館17:30
住所
〒167-0043
東京都杉並区上荻3-29-5 杉並会館3階
詳しくは
http://www.sam.or.jp/
にて確認を。
先ずは私が主宰するメトロポリス漫画総合研究所の名前の由来となった作品を手掛けている手塚治虫先生の版権を管理する手塚プロダクション資料室長・森晴路さんからの年賀状になります。
今から30年以上前、私の高校時代には、高田馬場セブンビル2Fに手塚プロダクションはありました。
当時の手塚プロさんは、ファンサービスとして土曜の午後に見学会を開いていました。
熱狂的な手塚ファンだった私は、資料室の存在に興味を持ち、初対面の森さんに無理を云って図々しくも資料室に入り浸るようになったのです。
掲載誌から切り抜いた作品をファイルした膨大な資料の山に、高価な復刻本であった虫の標本箱の数々。
今のようにマンガ喫茶などまだ何処にもない時代、開館から五年目となる現代マンガ図書館の利用料は高く、読めるのは市販され持っている本ばかり。
オープンから通い始めて五年、既に現代マンガ図書館では物足りなくなっていた私は、現代マンガ図書館の会員を早々と卒業し、手塚ファンの楽園を資料室の中に見出だし、果てしなき漫画収集、漫画史研究家への道を歩み出すことになるのですが、その話は又、日を改めまして。
2014年1月3日(金)午前10時より弥生美術館にて待望の【生誕110年 降臨!神業絵師 伊藤彦造という男】、竹久夢二美術館【夢二の子ども絵とすごろくー大正~昭和初期の小さなワンダーランドー】展が始まりました。
2月9日(日)14:00~弥生美術館のギャラリートークでは、伊藤彦造先生次女・伊藤布三子氏(日本舞踊家:立花志津彦)が参加されます
*河出書房新社より、展覧会にあわせて画集出版予定。
続いて姉妹館:竹久夢二美術館では午後3時より学芸員によるギャラリートーク。
二館併せて一般900円で御覧いただけます。
入館は午後4時半まで。
私が2002年から所属する日本出版美術研究会の会合も、この日にあるので当日は会場にいます。(*´∀`)♪
彦造先生の次女である伊藤布三子さんには、前回、2006年の弥生美術館での企画展の際に、【少年画報大全】監修者として初めて御挨拶させていただきました。
以来、毎年の私の年賀状の挨拶に対して、御返事までいただける嬉しさ。(*´∀`)♪
以下、毎年恒例となりましたアニメ史研究&漫画史研究家・本間正幸の2014年年賀状の紹介です。(*´∀`)♪
彦造傑作名画集より「初陣」『少年画報』昭和26年4月号。
郵便番号104-0044
東京都中央区明石町1-3-404
株式会社パインウッドカンパニー
TEL:03-5939-6991
Facebook、Twitter、訪問者累計24万人達成のgooブログもよろしく!
『漫画の匠』http://www.manganotakumi.com
剣豪・伊藤一刀斎の末裔として知られる神業絵師・伊藤彦造(1904~2004)先生。
戦前の『少年倶楽部』にて、我が本間一族の本拠地となる庄内鶴岡出身で、武者絵を得意とする山口将吉郎先生、【正ちゃんの冒険】や『航空少年』の表紙でも活躍された樺島勝一先生と共に、日本中の熱血少年達に支持された日本を代表する神業絵師である。
伊藤彦造先生や、庄内藩の武士の末裔である山口将吉郎先生が描くサムライの絵に私が魅せられてしまうのは、関東武士集団発祥の際、小野姓横山党本間から始まり、佐渡の地頭を経て、庄内藩のサムライとして明治維新を迎えたサムライ一族の末裔として、先祖伝来の血筋の中に息ずく遺伝子、今から30年前に47歳で亡くなった父より私の子供時代から厳しく叩き込まれた武士道精神の影響が強くあるようです。
アニメ史研究&漫画史研究家として在野で活動を続ける私の年賀状に、伊藤彦造先生の絵の使用許諾のOKがいただけたこと、2001年に【少年画報大全】監修者として、当時、多忙を極めていた故・米澤嘉博さんの代役として大抜擢をしていただけた当時の編集担当部長、現在は少年画報社・社長であられる戸田利吉郎さんに心から感謝すると共に、出版不況である2014年現在も【少年画報大全】は2001年から増刷を続ける現役書籍であり、監修者である私・本間正幸は、第一線で活動を続ける現役バリバリの漫画史研究家であり続けられることを誇りに思います。
【少年画報大全】監修者である私は、『少年画報』で活躍された全ての作家さんたちの思いを、アニメ史&漫画史研究家として、日本の漫画やアニメ、映画を心から愛する読者の皆さんに、生涯正しく伝えていきたいと心から願っております。
2014年も引き続きお付き合いのほどよろしくね!(*´∀`)♪
【少年画報大全】監修
本間正幸
*戦後マッカーサーのGHQにより、絵師の身でありながら戦犯容疑をかけられ、米軍座間キャンプに収容された伊藤彦造先生と、日本一の大地主と云われたため標的とされ、農地改革のモデルケースとして三千ヘクタールに及ぶ広大な農地の殆んどを没収された庄内の我が本間一族の間に、不思議な因縁めいたものを感じるのは私だけ?