198万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)更新復活

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

赤塚不二夫先生からのサイン色紙!

2009-12-26 18:41:48 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
昨日は、クリスマス!でしたね。
子供の頃は、サンタさんから貰えるプレゼントをとても楽しみにしていたものです。

大人になってからは、あまりプレゼントを貰うことがなくなりましたが、私の人生において、両親や肉親以外から貰ったプレゼントとして、一番凄い物は、赤塚不二夫先生から貰ったプレゼントかも知れません。


(今日は、赤塚不二夫先生との思い出について、3月・8月に書いたブログの再編集版です。)

青梅に赤塚先生の記念館が出来た時、真知子さんが元講談社の名編集者であり、赤塚不二夫先生とはトキワ荘時代からの長い付き合いとなる丸山昭さんに招待券を送ってくれたので、私は、丸山さんと、『月刊少女クラブ』の編集者時代の後輩になる新井善久さん二人のお供、『水戸黄門』でいうところのうっかり八兵衛の役まわりとして、護国寺(講談社)のご隠居こと当時講談社社友会(OB会)の会長をつとめていた丸山昭さんと一緒に青梅の赤塚不二夫会館の見学をさせてもらいました。
当時、真知子さんは、2001年から毎年年賀状を送ってくれていました。
以前、社団法人日本漫画家協会の会報で赤塚不二夫先生への追悼文を発表したので、今日は赤塚先生に二度目に逢った時のことを中心にもっと詳しく話してみたいと思います。
TBSテレビの『おはようクジラ』という朝の情報番組の中継を、当時私が経営していた池袋の漫画喫茶メトロポリスから行うことになり、その前日赤塚先生のコメントのVTR撮影のため小林豊アナウンサーや撮影スタッフ達と一緒にフジオ・プロを訪ねました。
二度目となるフジオ・プロ2Fのリビングで赤塚先生や真知子さん、その時偶然来ていた元チーフアシスタントの安達勉先生(『タッチ』で知られる、あだち充先生の実兄)と助手の人に囲まれて、嬉しくなってつい
「赤塚先生!僕はたいした学歴はないけれど、いつの日にか漫画史の研究者になりたいんです。」
と少年の日からの夢を打ち明けてしまいました。
すると赤塚先生は、
「俺で良かったら応援するよ。うん。応援する。」
と言ってくれたのです。
当時から、今でも漫画の研究書を出したり、大学で教授や准教授、講師をしているのは、漫画家さんか、有名大学の大学院を出た人達がほとんどです。
私は、旅行会社の添乗員のアルバイトや、奨学金を貰い、働きながら明治学院大学の夜学で学んだので、一般の人達からすると正規の明学生の学歴ではなく、むしろ映画『華麗なるギャッツビー』が第一次世界大戦に参加し、勲章を貰った軍人の褒美として、エール大学の聴講生として通った学歴を、エール大学卒業と称したのと似たようなものに見えるのかも知れません。
安達勉先生は、
「弟に逢ったことはありますか?なければいつでも紹介しますよ。」
と言ってくれました。
真知子さんからは、
「貴方は、随分漫画に詳しいみたいだから、そのうち私達のほうが御世話になる時が来るかもしれないからその時は協力してね。」
と言われたのです。
当時の私は、まだ文筆業としての活動はなく、ズブの素人の漫画好きに過ぎなかったのですが、そんな私に対して、赤塚不二夫先生や真知子さん、安達勉先生はとても親切に接してくれたのです。
あの時の三人のやさしさにあふれた笑顔は、今も私の眼に鮮やかに焼き付いてます。

(赤塚先生!!僕は、2003年春に漫画史の研究者として社団法人日本漫画家協会の正会員になれたんですよ!)

安達勉先生が亡くなられたのは2004年6月18日。
真知子さんが亡くなられたのが2006年7月12日です。
昨年放映されたフジテレビのドラマ『古畑中学生』では、『おそ松くん』の雑誌や単行本などの資料協力を、杉並アニメーションミュージアムの追悼展では赤塚先生からいただいた色紙の展示協力をさせていただきました。
2010年3月17日からは、某国立博物館に赤塚先生の作品が常設展示されます。
その下働きの手伝いを私がしているのです。
3月の東京国際アニメフェアでは、鈴木伸一館長と、りえ子さんとフジオ・プロのスタッフと私の4人で追悼展示ブースを見学し、パーティ会場へも御一緒させてもらいました。
トキワ荘で赤塚先生と縁が深かった寺田ヒロオ先生の本が、講談社から『少年のころの「思い出漫画劇場」 寺田ヒロオの世界』として8月に発売され、『COM』(虫プロ商事)掲載のトキワ荘のエピソードの漫画も収録されています。
その講談社の本に、私も資料協力やまんが年表の作成など編集協力をさせて貰っているのです。
あだち充先生とは、石井いさみ先生の紹介で少年サンデー&少年マガジン50周年大同窓会のパーティの席上で初めてお逢いすることができました。
その際、赤塚先生の所で、安達勉先生と御会い出来た話を充先生に直接お話しすることも出来ました。

いまの私なら、きっと少しは赤塚先生や真知子さん、安達勉先生3人のお役に立つことも出来るのになぁ・・・

追伸
今日の画像は、赤塚不二夫先生からいただいたサイン色紙です。
こんなに素晴らしいサイン色紙を、当時無名の一ファンにすぎなかった私に、赤塚先生は描いて、応援してくれたのです。
知名度や肩書きなどで人を判断しない、誰にでも平等に接してくれる赤塚先生の心優しい人柄が偲ばれます。

『ー大アンケートによるー少年少女小説ベスト100』(1992年・文春文庫)

に赤塚先生の次のようなコメントが載っています。

「マイベスト3

赤塚不二夫(漫画家・55歳)
1.ロビンソン漂流記(ダニエル・デフォー)

2.宝島(ロバート・L・スティーブンスン)

3.ソロモンの洞窟(ヘンリー・R・ハガード)

少年少女小説だけでなく、夢中になった伝記ものがあります。
エジソンとか、野口英世とか。
ほとんどが子供の頃、勉強ができなかったり、貧乏だったり。
ああ、ボクと同じ境遇なんだなあ、よし、ボクも頑張ろう、なんて思って、はげみになったものです。」
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アンデルセン物語『マッチ売りの少女』

2009-12-26 06:09:20 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
私が店長をしているショッピングサイトがあります。

【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com

よろしくです。


さて、昨日はクリスマスでしたね!


子供の頃の私の心に、クリスマスのエピソードとして『フランダースの犬』と共に深く刻みつけられたお話があります。

『アンデルセン物語』は、子供の頃の私にとって、大好きなアニメでした。
「みにくいあひるのこ」や「なかよしはいつまでも」(原題は『好きなひと』) などは、今でも強く印象に残っております。

虫プロにより作られたこのアニメのシリーズは、キャンティとズッコの二人の狂言回しが物語の進行役で話を進めたり邪魔したり・・・。

キャラクターデザインは、政治漫画家として知られる牧野圭一先生。

私は、社団法人 日本漫画家協会のパーティーなどで理事をつとめる牧野圭一先生に御会いする度に

「私は、子供の頃『アンデルセン物語』が大好きだったんです!」

と繰り返し話をしているくらい、この作品がとても好きなのです。

さて、

『アンデルセン物語』

の中でも特に忘れられないのが

「マッチ売りの少女」

の話。


その中でミュージカルのように挿入されていたのが次の2曲です。


『白い雪』

作詞・作曲:宇野誠一郎
歌:ヤング・フレッシュ


ルルルー ルルルー
ルルルー ルルルー


寒い風 白い雪
フル フル フル フル
フル フル フル フル
フル・・・



『マッチのようにあたたかいお母さん』


作詞・作曲:宇野誠一郎
歌:増山江威子


なぜなぜ 雪は
白くてきれいなのに
なぜなぜ 雪は
死ぬほど 冷たいの
わたのように
暖かければいいのに
なぜなぜ 雪は冷たいの
悲しいの
死ぬほど でも お母さん

でも お母さんは
やさしくてきれいで
あったかい
マッチの火のように
あったかい
あったかい あったかい

「きれいだけど つめたい雪
きれいであったかいお母さん
きれいで あったかい
マッチ
あったかいマッチ・・・」

放映期間
昭和46年1月3日~12月26日 全52話
スタッフ
プロデューサー/岩崎正美
制作補/野崎欣広
原画デザイン/牧野圭一
作画設定/波多正美
美術監督/竹内俊英
撮影監督/原屋盾男
編集/屋形治敏
音楽/宇野誠一郎
音響監督/田代敦巳
効果/柏原 満

キャスト
キャンティ/増山江威子
ズッコ/山田康雄

第52話

「マッチ売りの少女」

脚本/雪室俊一
演出/杉山 卓


年上の友人でもあるイラストレーターの工藤稜先生と、電話の話の中で『アンデルセン物語』の話で盛り上がり、CDが発売されていると聞き、中学時代の親友だったM君の両親が経営するレコード屋さんで急いで取り寄せて貰い購入したのが

『みんなでうたおう!ミスター・アンデルセン+20』
発売元:株式会社ウルトラ・ウ゛ァイウ゛
製造:日本コロムビアミュージックエンタテインメント株式会社

2004.10.16

となる。

全43曲入りのこのCDは、私の最もお気に入りのCDとなっている。


DVDボックスも発売中のようなので、是非とも購入しなければと考えている今日この頃である。


『アンデルセン物語』は、クリスマスの翌日、いまから38年前の12月26日に放映された「マッチ売りの少女」のエピソードで終了となってしまう。

ラストシーンがとても印象に残る作品だった。

私が選ぶ、泣ける日本アニメは、子供の頃から、今に至るまで『フランダースの犬』と、『アンデルセン物語』の「マッチ売りの少女」が今もずっと変わることのないベスト2なのである。
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