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祝!昭和百年!200万PV達成!漫画史研究家・本間正幸監修【少年画報大全】(少年画報社・現在三刷)

【20世紀冒険活劇の少年世界】メトロポリス漫画総合研究所(since1997)から、昭和の映画、出版美術、音楽を!

祝!(^-^)九州新幹線全線運転再開

2016-04-27 14:59:38 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
今日の午後2時30分過ぎ、九州新幹線が13日ぶりに全線運転再開されたとのこと。

熊本県で震度7の地震が発生。
NHKのニュースを見ながら、Facebook、最近、久しぶりに更新を復活したTwitterでも確認。
同じく久々に更新を復活したgooブログでも、今回の地震は、何か記録を残しておくべきだと考え、急遽この記事を更新、公開することにしました。
過去の下書きを調べて見ると、昨年の3月11日に更新する予定だった書きかけの記事があったので、その記事を下敷きにしています。
日本は、昔から自然災害が大変多い国。
大変悲しいことですが、日本の国力が自然災害で弱まると、周辺諸国からの政治的な圧力と、国内の政情不安を政治的に煽る人達が毎回出て来ます。
こんなときこそ国内の食糧自給自足率を高める為、農業、漁業の国内の一次産業に力を入れ、日本国民が一致団結して、復興に協力すべき時だと私は考えています。
先ずは食糧の確保と、国防が大切なのです。




「川崎市の少年殺害事件と、3年B組金八先生」

今日は、3月11日。
2011年3月11日から4年の歳月が流れたのだ。
あの日から、私の生活スタイルも変わってしまった。
私だけの考えなのかも知れないが、戦後日本の急速な復興に比べると、東日本大震災の後の日本の復興は、あまり進んでいないように思えてしまう。
私の生活の基盤は、出版業と旅行業においていた。
出版業と旅行業、共に東日本大震災の影響を強く受け、産業構造そのものが大きく変わってしまった業界と言えるだろう。
被災地の現状を報道する新聞、テレビなどのマスコミの存在意義も大きく変わって来ている。
テレビは、2011年7月にアナログ放送から、デジタル放送に変わった際にスカパー!に加入。
2013年7月からは、それまでDVDを再生利用のみだったのを、最新のBlu-ray購入を機に映画、特撮、アニメ、ドラマなどの収集癖が再燃。
Twitterや、Facebookの普及に伴い、敢えて新聞も冬季オリンピックを機に朝刊だけでなく夕刊も定期購読することにした。






皆さん、大変ご無沙汰してます!(^-^)
SNS社会に対応する訓練の一環として、2009年3月に始めた私の旗艦ブログであるgooブログ。
昨年は、思うところあってTwitterに専念した為、ほぼ休眠状態だったにも関わらず、お陰様で100万PVを越えました!(⌒0⌒)/~~

昨年末よりTwitterからFacebookに主軸を移し、Twitterより何故か最初から妙に私と相性の良いブログも連動して復活させようとプロモーションを考えていた矢先、100万PVになっていたのです!
そのことを一人喜んでいたら、私の地元、横浜鶴見の隣町である川崎で、中学一年生の男の子が殺害される事件が発生!

ここ数日、横浜鶴見の不良少年だった私には、忌まわしい中学時代・公立最底辺となる高校時代の様々な出来事がオーバーラップ。
今回の事件に関しては、Twitterよりブログで意見を表明したいと思い、久々の更新となりました。

休眠状態だったアメブロ、はてなブログ、Yahoo!、ヤプログ、livedoorにも順次、同じ記事内容でアクセスを試みて復活させて行くつもりですので、皆さん、よろしくね!(^-^)


2月22(日)のアクセス数は、閲覧971PV/訪問者86IPで2131103ブログ中9785位。24(火)のアクセス数は、1580PV/161IPで4266位と、ブログ開始から毎日100~150IPの閲覧者が訪れ、常時一万位以内に入っていた頃の状態に復活!嬉しい限り。(^-^)
日々ブログを始める人が増える中、昭和時代をテーマに記事更新を続ける元横浜鶴見の不良少年のオジサンのブログで、100万PVは驚異的なのでは?
さて、川崎市で中学一年生の少年が殺害された事件。マスコミで話題となっているのだが・・・。

川崎と私が生まれ育った横浜鶴見は隣町同士。
共に京浜工業地帯で、街の雰囲気、住む人のライフスタイルなど、地元横浜では似通っている地域の為、鶴見は川崎の一部だとまで言われる始末。
特に地元、鶴見区民の間でも、矢向は川崎とされる程、密接な関係である。
私が鶴見駅に行く際に、普段利用しているバスの名前まで、川崎鶴見臨港バス!(^-^)

新藤兼人監督が、名作映画「原爆の子」を撮った次の作品が、横浜鶴見と川崎駅前周辺を舞台にした映画「どぶ」。この映画で描かれた川崎・鶴見の状況を見れば、今回の事件が発生しても、何ら不思議はないと判る筈。

私が中学時代を過ごした1979年~1981年の横浜鶴見や川崎の公立中学校は、校内暴力で荒れ狂い、新設校となる私の出身中学である上の宮中学以外、鶴見区内全ての中学校の卒業式には、制服及び私服の警察官が動員されていたのは、あまりにも有名な話。
現在、スカパー!のTBSチャンネル2で、「3年B組金八先生」第二シリーズが放送中だが、腐ったミカンの方程式の加藤優の一連のエピソードは、1980年当時の足立区の中学校を舞台にしているのだが、脚本家の小山内美江子さんは、横浜鶴見の女学校の出身で鶴見在住。(^-^)
息子さんもいるのだから、PTAの立場として、横浜鶴見の中学校の様子を脚本の中に取り入れたのかも知れないと私は勝手に考えている。
私の世代迄、川崎サレジオ高校の同級生殺害事件が語り継がれていた。
明治学院大学社会学部社会学科で、犯罪心理学、犯罪社会学を学び、元は横浜鶴見の不良少年だった私は、少年犯罪をテーマにテストで回答。
横浜鶴見の不良少年上がりで明治学院大学に通い、1980年代後半にサンフランシスコ郊外にホームステイしたのは、当時でも珍しかったような気がする。(^-^)

第七シリーズも、集中放送が始まったので、録画し始めたところ。

最近、「3年B組金八先生」のシリーズ全てを、Blu-rayに録画し、見直そうとしている所だ。
以下は、Blu-rayの録画状況と、私の作品に対するイメージのメモ。
データは、今風にWikipediaを参照。
私が横浜鶴見で不良少年時代を過ごした昭和の中学校と、35年の時を経た平成の中学校。
川崎・鶴見の非行少年、非行少女の問題は、家庭環境、学校の教師、地域性(宗教、政治、人種)など複合的かつ複雑に絡みあっている。
これから判明するであろう犯人の家庭環境、学校、地域性など、根深い社会問題を、どう解決していくのだろうか?
子供を川崎・鶴見の公立中学校で学ばせるには、未だにリスクが高過ぎる地域なのでは?
私の知る限り、非行少年、非行少女達の末路は皆・・・。
今はただ、被害者である少年の冥福を祈りたい。

因みに、私と同じように横浜鶴見で生まれ育った母方の従兄弟達、潮田中学と、寺尾中学に通った7歳上の従兄弟と、3歳上の従兄弟は、結婚して娘が生まれると、相模原市と、同じ横浜市でも都筑区へ転居。
娘達を中学から私立の女子校に通わせ、青山学院大学、立教大学へ進学させることに成功?している。(^-^)


記念すべき「第1シリーズ」
1979年10月26日~1980年3月28日は(Blu-rayに5倍録!)
全23話録画済み。
初放送当時、私は中学一年生。
15歳の母のエピソードは、つまらないので飛ばして見ていた。
鶴見区内にある他の中学では、良くあるエピソードだったからだ。

「第2シリーズ」1980年10月3日~1981年3月27日(5倍録)
全25話録画済み。
初放送時、中学二年生。(^-^)
腐ったミカンの方程式の荒谷二中の状況や、暴走族の集会の様子など、正に当時の鶴見区内の中学校の雰囲気、暴走族そのもの。
何処にも桜中学のような雰囲気の学校や、金八先生などいなかった。
「血みどろ」の名称は、当時の「みなごろし」のパロディだろう。(^-^)
懐かしい!

「第3シリーズ」1988年10月10日~12月26日(15倍録)
全12話録画済み。
初放送時は、既に中学校などに興味がなく、石黒賢さん演じる新米教師は、実在した嫌な教師を思い出させるので、ほとんど見なくなっていた。
何の思い入れもない。
初放送時、見ていたという同世代は、ほとんどいないのでは?


スペシャル
初放送時、見た記憶がない。興味もなかった。
けれども、最近、自分の中学を思い出す際に、「金八先生」シリーズが一番近いことに気付き、見直そうと考え録画し始めた。
第1シリーズ、第2シリーズ放送終了後、
1「贈る言葉」1982年10月8日(5倍録済み)
2「イレ墨をした教え子」1983年10月7日(5倍録済み)
3「小さな嘘」1984年10月5日(5倍録済み)
4「イジメられっ子金八先生」1985年12月27日(5倍録済み)
5「先生の暴力・生徒の暴力」1986年12月26日(5倍録済み)
6「新・十五歳の母」1987年12月25日(5倍録済み)

「第3シリーズ」放送終了後、

7「」1989年3月29日(15倍録済み)
8「」1990年12月28日(15倍録済み)

「第4シリーズ」1995年10月12日~1996年3月28日全23話。

終了後、

9「」1998年4月2日()

「第5シリーズ」(15倍録)1999年10月14日~2000年3月30日全23話。
Blu-rayに録画したのは8話の後半のみ。

終了後、

10「」2001年4月5日(15倍録済み)

「第6シリーズ」(15倍録)2001年10月11日~2002年3月28日。全23話。
第1話~15話迄。

「第7シリーズ」(15倍録にて録画開始!(^-^))2004年10月15日~2005年3月25日。全22話。
第1話~

終了後

11「」2005年12月30日()

「第8シリーズ」2007年10月11日~2008年3月20日。全22話。

2011年3月27日に放送されたファイナルは、初放送時に途中から少し見た。
今度は3倍録したいなぁ。
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追悼・手塚プロダクション資料室長、森晴路さん

2016-04-15 01:36:59 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
昨日の夜9時前から、NHKのニュースに釘付けの状態に。

9時直前に関東方面でも地震が有り、NHKのニュース内でも騒いでいたのだが、その後の熊本地方の地震が頻発する状況に、Facebook、Twitterを併用しながら現在に至る。
すると、驚くべきニュースが続々と飛び込んで来た。

「ロックバンドCーCーB元メンバー 覚醒剤で再び逮捕」

キーボード担当の田口智治容疑者(55)が再び逮捕され、容疑を認める。田口容疑者は、昨年、覚醒剤を所持していたとして現行犯逮捕され、執行猶予付きの有罪判決が出ていた。

NHK元「歌のお兄さん」覚醒剤所持で逮捕。

覚醒剤を所持していたとしてNHKの番組「おかあさんといっしょ」で「歌のお兄さん」だった俳優の杉田光央容疑者(50)が現行犯逮捕されていた事が判明。杉田容疑者は同番組の9代目の「歌のお兄さん」として1999年から4年間出演していた。

そして、何より私が驚いたのが、Twitterで知った手塚プロの資料室長として知られる森晴路さんの訃報の知らせ。

手塚プロがまだ高田馬場のセブンビル2Fにあった頃、高校一年生だった私は、土曜日の午後の見学会の情報を入手。(多分、『週刊少年チャンピオン』誌上のニュース?)
資料室を見学した私は、森晴路さんに無理を言って、その後も何度も資料室に入り浸っていたのだ。

掲載作品毎にスクラップされた資料の壁。
鉄製の事務用の書類棚の中に、大切にしまわれた虫の標本箱の美しさ。
虫の標本箱の本を見せてもらう際に、手を洗ってから見せてもらったことを良く覚えている。

「少年画報大全」監修後、私は森晴路さんとの再会を果たしている。

私が森さんのお名前を知ったのは、小学生の頃に読んだ「手塚治虫の奇妙な世界」の巻末データから。
小学生の私にとって、少し読みづらい内容だった著者の石上三登志さんの本文の文章より、森晴路さんが関わった巻末のデータの方に私は夢中になったのだ。

森晴路さんの御冥福を心より御祈り致します。

以下の文章は、以前、下書きしていた

「もう一度見たい世界名作劇場全26作の歴史!」

を、下書きのままながら併せて公開します。

2009年3月「フイチンさん」で知られる上田トシコ先生を偲ぶ会のレポートを報告するために始めた私の旗艦SNSとなるgooブログが、皆さんの長年の変わらぬ支持のお陰で、遂に訪問者30万IP閲覧数100万PVを越え既に107万pvになっています。(^-^)
類は友を呼び、朱に交われば赤くなる。
全ては因果応報であり、自業自得。
努力した時間だけが夢を裏切らない!
継続は力なり。

さて、最近はすっかりFacebookにハマってしまい、Twitterだけでなくブログの更新も忘れておりました。(^-^)
気がつけば、今年も早くも九月。
過去に発表した記事の中から、ブログ本来の機能を生かし、データを追加したい物がありましたので、続篇を発表です。(^-^)

世界名作劇場のシリーズ紹介が、途中までだったので、再度紹介して行きます。

第1作「フランダースの犬」
原作
舞台:ベルギー フランダース地方


第2作「母をたずねて三千里」
原作
舞台:イタリア ジェノバほか


第3作「あらいぐまラスカル」
原作
舞台:アメリカ ウィスコンシン州


第4作「ペリーヌ物語」
原作
舞台:フランスほか


第5作「赤毛のアン」
原作
舞台:カナダ プリンスエドワード島


までは、ほぼリアルタイムで楽しんでいましたので、四年前にブログ記事としてその感想を発表。
そして、幸いにも、スカパー!などの再放送に恵まれ五作品共、Blu-rayに録画をコンプリート。
何時でも見直せる環境が整っています。(^-^)

なので、今回は、シリーズ第6作「トム・ソーヤーの冒険」から、シリーズ第26作の「こんにちは アン~Before Green Gables~」までを一挙に紹介します。(^-^)

第6作「トム・ソーヤーの冒険」
1980.1.6~12.28
原作マーク・トウェイン
舞台:アメリカ ミズーリ州
演出斎藤博
脚本宮崎晃、加藤盟、太田省吾ほか
OP「誰よりも遠くへ」ED「ぼくのミシシッピー」

第7作「家族ロビンソン漂流記 ふしぎな島のフローネ」
原作
舞台オーストラリア 無人島
OP「」ED「」


第8作「南の島のルーシー」
原作
舞台:オーストラリア アデレード
OP「」ED「」


第9作「アルプス物語 わたしのアンネット」
原作
舞台:スイス ロシニエール村
OP「」ED「」


第10作「牧場の少女カトリ」
原作
舞台:フィンランド
OP「」ED「」


第11作「小公女セーラ」
原作
舞台:イギリス ロンドン
OP「」ED「」


第12作「愛少女 ポリアンナ物語」
原作
舞台:アメリカ ボストン
OP「」ED「」


第13作「愛の若草物語」
原作
舞台:アメリカ マサチューセッツ州
OP「」ED「」


第14作「小公子セディ」
原作
舞台:イギリスほか
OP「」ED「」


第15作「ピーターパンの冒険」
原作
舞台:イギリス ネバーランド
OP「」ED「」


第16作「私のあしながおじさん」
原作
舞台:アメリカ ニュージャージー州
OP「」ED「」


第17作「トラップ一家物語」
原作
舞台:オーストリア ザルツブルク
OP「」ED「」


第18作「大草原の小さな天使 ブッシュベイビー」
原作
舞台:ケニア ナイロビほか
OP「」ED「」


第19作「若草物語 ナンとジョー先生」
原作
舞台:アメリカ マサチューセッツ州
OP「」ED「」


第20作「七つの海のティコ」
原作
舞台:世界の海
OP「」ED「」


第21作「ロミオの青い空」
原作
舞台:イタリアほか
OP「」ED「」


第22作「名犬ラッシー」
原作
舞台:イギリス ヨークシャー地方
OP「」ED「」


第23作「家なき子レミ」
原作
舞台:フランス パリほか
OP「」ED「」


第24作「レ・ミゼラブル 少女コゼット」
原作
舞台:フランス パリほか
OP「」ED「」


第25作「ポルフィの長い旅」
原作
舞台:ギリシャ イオニア地方ほか
OP「」ED「」


第26作「こんにちは アン ~Before Green Gables~」
原作
舞台:カナダ ノヴァスコシア州
OP「」ED「」
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熊本地方の地震に思うこと

2016-04-14 23:00:07 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
熊本県で震度7の地震が発生。
NHKのニュースを見ながら、Facebook、最近、久しぶりに更新を復活したTwitterでも確認。
同じく久々に更新を復活したgooブログでも、今回の地震は、何か記録を残しておくべきだと考え、急遽この記事を更新、公開することにしました。
過去の下書きを調べて見ると、昨年の3月11日に更新する予定だった書きかけの記事があったので、その記事を下敷きにしています。
日本は、昔から自然災害が大変多い国。
大変悲しいことですが、日本の国力が自然災害で弱まると、周辺諸国からの政治的な圧力と、国内の政情不安を政治的に煽る人達が毎回出て来ます。
こんなときこそ国内の食糧自給自足率を高める為、農業、漁業の国内の一次産業に力を入れ、日本国民が一致団結して、復興に協力すべき時だと私は考えています。
先ずは食糧の確保と、国防が大切なのです。




「川崎市の少年殺害事件と、3年B組金八先生」

今日は、3月11日。
2011年3月11日から4年の歳月が流れたのだ。
あの日から、私の生活スタイルも変わってしまった。
私だけの考えなのかも知れないが、戦後日本の急速な復興に比べると、東日本大震災の後の日本の復興は、あまり進んでいないように思えてしまう。
私の生活の基盤は、出版業と旅行業においていた。
出版業と旅行業、共に東日本大震災の影響を強く受け、産業構造そのものが大きく変わってしまった業界と言えるだろう。
被災地の現状を報道する新聞、テレビなどのマスコミの存在意義も大きく変わって来ている。
テレビは、2011年7月にアナログ放送から、デジタル放送に変わった際にスカパー!に加入。
2013年7月からは、それまでDVDを再生利用のみだったのを、最新のBlu-ray購入を機に映画、特撮、アニメ、ドラマなどの収集癖が再燃。
Twitterや、Facebookの普及に伴い、敢えて新聞も冬季オリンピックを機に朝刊だけでなく夕刊も定期購読することにした。






皆さん、大変ご無沙汰してます!(^-^)
SNS社会に対応する訓練の一環として、2009年3月に始めた私の旗艦ブログであるgooブログ。
昨年は、思うところあってTwitterに専念した為、ほぼ休眠状態だったにも関わらず、お陰様で100万PVを越えました!(⌒0⌒)/~~

昨年末よりTwitterからFacebookに主軸を移し、Twitterより何故か最初から妙に私と相性の良いブログも連動して復活させようとプロモーションを考えていた矢先、100万PVになっていたのです!
そのことを一人喜んでいたら、私の地元、横浜鶴見の隣町である川崎で、中学一年生の男の子が殺害される事件が発生!

ここ数日、横浜鶴見の不良少年だった私には、忌まわしい中学時代・公立最底辺となる高校時代の様々な出来事がオーバーラップ。
今回の事件に関しては、Twitterよりブログで意見を表明したいと思い、久々の更新となりました。

休眠状態だったアメブロ、はてなブログ、Yahoo!、ヤプログ、livedoorにも順次、同じ記事内容でアクセスを試みて復活させて行くつもりですので、皆さん、よろしくね!(^-^)


2月22(日)のアクセス数は、閲覧971PV/訪問者86IPで2131103ブログ中9785位。24(火)のアクセス数は、1580PV/161IPで4266位と、ブログ開始から毎日100~150IPの閲覧者が訪れ、常時一万位以内に入っていた頃の状態に復活!嬉しい限り。(^-^)
日々ブログを始める人が増える中、昭和時代をテーマに記事更新を続ける元横浜鶴見の不良少年のオジサンのブログで、100万PVは驚異的なのでは?
さて、川崎市で中学一年生の少年が殺害された事件。マスコミで話題となっているのだが・・・。

川崎と私が生まれ育った横浜鶴見は隣町同士。
共に京浜工業地帯で、街の雰囲気、住む人のライフスタイルなど、地元横浜では似通っている地域の為、鶴見は川崎の一部だとまで言われる始末。
特に地元、鶴見区民の間でも、矢向は川崎とされる程、密接な関係である。
私が鶴見駅に行く際に、普段利用しているバスの名前まで、川崎鶴見臨港バス!(^-^)

新藤兼人監督が、名作映画「原爆の子」を撮った次の作品が、横浜鶴見と川崎駅前周辺を舞台にした映画「どぶ」。この映画で描かれた川崎・鶴見の状況を見れば、今回の事件が発生しても、何ら不思議はないと判る筈。

私が中学時代を過ごした1979年~1981年の横浜鶴見や川崎の公立中学校は、校内暴力で荒れ狂い、新設校となる私の出身中学である上の宮中学以外、鶴見区内全ての中学校の卒業式には、制服及び私服の警察官が動員されていたのは、あまりにも有名な話。
現在、スカパー!のTBSチャンネル2で、「3年B組金八先生」第二シリーズが放送中だが、腐ったミカンの方程式の加藤優の一連のエピソードは、1980年当時の足立区の中学校を舞台にしているのだが、脚本家の小山内美江子さんは、横浜鶴見の女学校の出身で鶴見在住。(^-^)
息子さんもいるのだから、PTAの立場として、横浜鶴見の中学校の様子を脚本の中に取り入れたのかも知れないと私は勝手に考えている。
私の世代迄、川崎サレジオ高校の同級生殺害事件が語り継がれていた。
明治学院大学社会学部社会学科で、犯罪心理学、犯罪社会学を学び、元は横浜鶴見の不良少年だった私は、少年犯罪をテーマにテストで回答。
横浜鶴見の不良少年上がりで明治学院大学に通い、1980年代後半にサンフランシスコ郊外にホームステイしたのは、当時でも珍しかったような気がする。(^-^)

第七シリーズも、集中放送が始まったので、録画し始めたところ。

最近、「3年B組金八先生」のシリーズ全てを、Blu-rayに録画し、見直そうとしている所だ。
以下は、Blu-rayの録画状況と、私の作品に対するイメージのメモ。
データは、今風にWikipediaを参照。
私が横浜鶴見で不良少年時代を過ごした昭和の中学校と、35年の時を経た平成の中学校。
川崎・鶴見の非行少年、非行少女の問題は、家庭環境、学校の教師、地域性(宗教、政治、人種)など複合的かつ複雑に絡みあっている。
これから判明するであろう犯人の家庭環境、学校、地域性など、根深い社会問題を、どう解決していくのだろうか?
子供を川崎・鶴見の公立中学校で学ばせるには、未だにリスクが高過ぎる地域なのでは?
私の知る限り、非行少年、非行少女達の末路は皆・・・。
今はただ、被害者である少年の冥福を祈りたい。

因みに、私と同じように横浜鶴見で生まれ育った母方の従兄弟達、潮田中学と、寺尾中学に通った7歳上の従兄弟と、3歳上の従兄弟は、結婚して娘が生まれると、相模原市と、同じ横浜市でも都筑区へ転居。
娘達を中学から私立の女子校に通わせ、青山学院大学、立教大学へ進学させることに成功?している。(^-^)


記念すべき「第1シリーズ」
1979年10月26日~1980年3月28日は(Blu-rayに5倍録!)
全23話録画済み。
初放送当時、私は中学一年生。
15歳の母のエピソードは、つまらないので飛ばして見ていた。
鶴見区内にある他の中学では、良くあるエピソードだったからだ。

「第2シリーズ」1980年10月3日~1981年3月27日(5倍録)
全25話録画済み。
初放送時、中学二年生。(^-^)
腐ったミカンの方程式の荒谷二中の状況や、暴走族の集会の様子など、正に当時の鶴見区内の中学校の雰囲気、暴走族そのもの。
何処にも桜中学のような雰囲気の学校や、金八先生などいなかった。
「血みどろ」の名称は、当時の「みなごろし」のパロディだろう。(^-^)
懐かしい!

「第3シリーズ」1988年10月10日~12月26日(15倍録)
全12話録画済み。
初放送時は、既に中学校などに興味がなく、石黒賢さん演じる新米教師は、実在した嫌な教師を思い出させるので、ほとんど見なくなっていた。
何の思い入れもない。
初放送時、見ていたという同世代は、ほとんどいないのでは?


スペシャル
初放送時、見た記憶がない。興味もなかった。
けれども、最近、自分の中学を思い出す際に、「金八先生」シリーズが一番近いことに気付き、見直そうと考え録画し始めた。
第1シリーズ、第2シリーズ放送終了後、
1「贈る言葉」1982年10月8日(5倍録済み)
2「イレ墨をした教え子」1983年10月7日(5倍録済み)
3「小さな嘘」1984年10月5日(5倍録済み)
4「イジメられっ子金八先生」1985年12月27日(5倍録済み)
5「先生の暴力・生徒の暴力」1986年12月26日(5倍録済み)
6「新・十五歳の母」1987年12月25日(5倍録済み)

「第3シリーズ」放送終了後、

7「」1989年3月29日(15倍録済み)
8「」1990年12月28日(15倍録済み)

「第4シリーズ」1995年10月12日~1996年3月28日全23話。

終了後、

9「」1998年4月2日()

「第5シリーズ」(15倍録)1999年10月14日~2000年3月30日全23話。
Blu-rayに録画したのは8話の後半のみ。

終了後、

10「」2001年4月5日(15倍録済み)

「第6シリーズ」(15倍録)2001年10月11日~2002年3月28日。全23話。
第1話~15話迄。

「第7シリーズ」(15倍録にて録画開始!(^-^))2004年10月15日~2005年3月25日。全22話。
第1話~

終了後

11「」2005年12月30日()

「第8シリーズ」2007年10月11日~2008年3月20日。全22話。

2011年3月27日に放送されたファイナルは、初放送時に途中から少し見た。
今度は3倍録したいなぁ。
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「仮面の忍者 赤影」「サスケ」「カムイ外伝」、「忍法十番勝負」の時代

2016-04-13 23:05:10 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
現在、深夜アニメーションの「おそ松さん」に続き、スカパー!「時代劇専門チャンネル」にて、「仮面の忍者 赤影」と共に「サスケ」「カムイ外伝」の再放送が大好評を博している。(^-^)
「仮面の忍者 赤影」は、東映のテレビ特撮時代劇で、漫画家の横山光輝先生の原作。
「サスケ」と「カムイ外伝」は、漫画家の白土三平先生の原作で、エイケン製作のテレビアニメーション。

共に私が子供の頃、繰り返しテレビで再放送され続けた誰もが知る名作中の名作だ。

当時、秋田書店より発売された本に「忍法十番勝負」(昭和41年10月5日初版、昭和43年12月30日16版)という新書判の漫画の単行本が有り、当時、秋田書店に繋がりのある漫画家が10人、月刊の少年雑誌『冒険王』誌上にて連作をされた。
一番勝負(堀江卓)、二番勝負(藤子不二雄)、三番勝負(松本あきら)、四番勝負(古城武司)、五番勝負(桑田次郎)、六番勝負(一峰大二)、七番勝負(白土三平)、八番勝負(小沢さとる)、九番勝負(石森章太郎)、十番勝負(横山光輝)。
一冊で十人の作家の作風が楽しめるとあって、私はこの本が大のお気に入りだった。
私の世代では、横山光輝、白土三平の忍者漫画は知っていても、他の漫画家の忍者漫画は、リアルタイムでは知らない。
堀江卓、古城武司、一峰大二、小沢さとるは、当時、正直いって既に知らない漫画家になっていた。
後に桑田次郎先生、藤子不二雄先生、堀江卓先生に「少年画報大全」にて、インタビューをする運命で、松本あきらこと、松本零士先生や、桑田次郎先生、藤子不二雄先生に、何度も御逢いできることになると、当時の私に教えてあげたら、小学生の私は信じてくれるだろうか?(^-^)

横浜で生まれ育った私は、小学生の頃、「仮面の忍者 赤影」をプロデュースされた東映の名プロデューサー、平山亨プロデューサーを大泉学園にある撮影所まで訪ねている。(^-^)
そして、「サスケ」「カムイ外伝」をプロデュースしたエイケンの名プロデューサー、鷺巣政安プロデューサーが、私が経営する池袋の漫画喫茶メトロポリス(1997年9月~1999年9月)に、「宇宙少年ソラン」ファンの方と一緒に訪ねて来てくれたことがある。(^-^)
そして、東映の平山亨プロデューサーも、「悪魔くん」「河童の三平 妖怪大作戦」の本を作る為、来店されたのだ。
「仮面の忍者 赤影」で、青影役を演じた金子吉延さんは「河童の三平 妖怪大作戦」で、主役の河原三平を演じ、白影役を演じられた牧 冬吉さんは、甲羅の六兵衛を演じられている。
その関係で、金子吉延さんも、メトロポリスに来店され、「河童の三平 妖怪大作戦」を見直しながら、当時の思い出を語ってくれたのだ。

日本では、悲しいことに今まで漫画を原作とした特撮作品や、アニメーション作品について、総合的に研究する研究者が存在しなかった。
漫画の評論家達は、漫画のみ、特撮や、アニメーションの研究者達は特撮や、アニメーションのみ、そんな時代遅れの研究者ばかりが幅を利かせて来た。

私は、「ワイルド7」望月三起也先生の突然の訃報を知り、望月三起也先生全作品の見直しと、エイケンの幻のアニメーション企画「ケネディ騎士団(ナイツ)」の存在を思い出す。
「ケネディ騎士団(ナイツ)」を企画したエイケンの名プロデューサー、鷺巣政安さんの著書が、今週の金曜日、4/15に、ぶんか社より発売される。
望月三起也先生の師匠となる吉田竜夫先生と、吉田竜夫先生が設立したタツノコプロ作品の数々。
漫画を中心に、映画、音楽と、昭和時代を総合的に研究している私にとって、Twitter、ブログ、Facebookと、近年急速に発達を続けているSNSの存在により、本物と偽物、本当の人間関係、因果関係を見極めることが容易になったのが便利だ。
虫の知らせだろうか?先年(2015年4/7~6/16)、長らく見のがしていた望月三起也先生原作のテレビアニメーション「マシンハヤブサ」(全21話)が、スカパー!「東映チャンネル」で放送されていたものをBlu-rayに録画成功。
瑛太さん主演の映画「ワイルド7」は勿論、小野進也さん主演のテレビドラマ「ワイルド7」も、スカパー!で放送された物をBlu-rayにコンプリート済み。
主演された小野進也さんとは、昨年、知り合いのジャニーズのグループANHKのボーカルだった東真司監督の三軒茶屋のライブで正式に紹介してもらっており、Facebookでは、東真司監督共々私のFacebookfriendとして承認してもらっている。

ライフスタイルの変化により、映像の収集、保存が簡単になったことが有難い。
映像のアーカイブが格段に進化したのに比べて、マンガのアーカイブの進化はどうなっているのだろう?

2001年、私が監修させてもらった「少年画報大全」(少年画報社)にて、『少年画報』に連載された望月三起也先生の全作品のカラーページでの紹介と、インタビュー記事を載せさせてもらっている。
その前に、私が池袋でマンガ喫茶メトロポリスを経営していた際(1997~1999)、取材をしてもらったことをきっかけに、編集にほんのチョッピリ協力させてもらったマンガ情報誌に、『Comnavi』(全研本社)がある。

毎回、漫画家界の巨星達が自らを語るインタビューと、作品リスト&作品解説があり、松本零士、さいとう・たかを、ちばてつや、赤塚不二夫、望月三起也、石ノ森章太郎、小池一夫、永井豪、横山光輝、手塚治虫の昭和を代表する10人の天才漫画家の軌跡が紹介された。
それまでの記憶が頼りのマンガ評論家達の本がほとんど売れず、アーカイブとデータ、漫画家さん本人のインタビューを中心とした学術的な手法に、マンガ評論の世界も進化、発展する未来が私には簡単に予想出来た。

その時は、丁度テレビ東京の「TVチャンピオン少年マンガ王選手権」第四回に出場し、第五回、第六回は番組の製作ブレーンとして参加させてもらう。

さて、私が「少年画報大全」を監修してから以降のマンガ評論家達の書籍で、望月三起也先生作品をきちん読み込み、紹介出来ている本があるだろうか?

ファンの方たちが中心となって運営されている公式サイト「月刊望月三起也」が、マンガ評論家達の本より、望月三起也先生作品の本質を正しく伝えられており、大変参考になったので、ブックマークさせてもらっている。
今回、映像に比べ、マンガのアーカイブや、研究手法が、マンガ評論家達の手により、2001年以降すっかり退化してしまっていることを痛感し、再度、ブログ記事更新の必要性と、日本の漫画を中心に、アニメーション、特撮、映画、音楽を社会学視点から、総合的に研究する日本初の漫画総合研究所であるメトロポリス漫画総合研究所(since1997)を主宰する矜持から、ブログ記事更新を再開することを報告致します。

以下、今朝の記事を再録。


「ワイルド7」で知られる漫画家の望月三起也先生が、三日午前7時56分、肺線がんのため川崎市中原区の病院で死去されました。享年77歳。
横浜市出身。

葬儀・告別式は近親者で行うとのことで、喪主は妻の早苗さん。

しのぶ会を後日開くとのこと。

1938年生まれ。高校卒業後、会社勤めを経た後、吉田竜夫先生のタツノコプロでのアシスタント生活を経て、漫画家に。

1960年、「特ダネを追え」で、デビュー。

1964年『週刊少年キング』(少年画報社)に連載された「秘密探偵JA」がヒットとなり、一躍人気漫画家に。

代表作として知られる「ワイルド7」が『週刊少年キング』の看板作品として10年の長期連載となり、1972年に俳優の小野進也さん主演でテレビドラマ化。
2011年に俳優の瑛太さん主演で映画化もされた。

医者から余命半年を宣告されたとネット上のニュースで告白。

余命半年宣告のニュースに際し、ブログの復活を決意したばかりだと言うのに、まさかこんなに早く訃報のニュースを聞かされるとは。(涙)

医師からの余命半年宣告のニュースを知った私は、直ぐに望月三起也先生へ連絡。

いつもと変わらぬ明るくお元気そうな声に一安心したばかりだと言うのに。

望月三起也先生、素晴らしい作品の数々、本当に有り難うございました。
先生の素晴らしい作品のアーカイブは、ファンの皆さんの手で、後世に伝えられていくと思いますので、安心しておやすみください。

合掌。

漫画史研究家&映画史研究家

本間正幸
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国立MANGAミュージアムと「ワイルド7」望月三起也先生

2016-04-01 22:13:52 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道


今日よりブログの更新を再開致します。

皆さん、よろしくね!(^-^)

先週、「ワイルド7」で知られる望月三起也先生が、医者から余命半年を宣告されたとネット上のニュースで告白。
続く土曜日の読売新聞の夕刊で、国立「MANGAミュージアム」の記事が記載された。

2009年3月「フイチンさん」で知られる上田トシコ先生を偲ぶ会のレポートを報告するために始めた私の旗艦SNSとなるこのgooブログ。(^-^)

皆さんの長年の変わらぬ支持のお陰で、現在、驚異の訪問者32万IP閲覧数116万PVに。(^-^)

類は友を呼び、朱に交われば赤くなる。
全ては因果応報であり、自業自得。
努力した時間だけが夢を裏切らない!

継続は力なり。

さて、最近、私の居場所はFacebookとなり、Twitterも、ブログも、ほとんど更新しなくなっております。(^-^)

気がつけば、今年も春の御彼岸となり、横浜でも桜の開花宣言が発表されました。

気が付けば、かつて、私のこのブログに、根拠の無い誹謗中傷をして来たある意味業界の有名人(^-^)の方達は、因果応報、自業自得、元の木阿弥となられたようで、Twitterは凍結、ブログは閉鎖されているようです。
なので、私のネットストーカー対策は、これを持ちまして完全勝利宣言と共に、ブログ本来の機能を生かすため、ブログの更新を再開したいと思います。(^-^)

漫画史研究家&映画史研究家

本間正幸
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国立MANGAミュージアムと「ワイルド7」望月三起也先生

2016-03-22 21:25:04 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
先週、「ワイルド7」で知られる望月三起也先生が、医者から余命半年を宣告されたとネット上のニュースで告白。

続く土曜日の読売新聞の夕刊で、国立「MANGAミュージアム」の記事が記載された。

2009年3月「フイチンさん」で知られる上田トシコ先生を偲ぶ会のレポートを報告するために始めた私のこのgooブログ。(^-^)

2011年3月11日の東日本大震災を経て、私の価値観も変わり、周りの環境もすっかり変わってしまいましたが、その間も皆さんの変わらぬ支持のお陰で、現在、驚異の訪問者32万IP閲覧数116万PVに。(^-^)

類は友を呼び、朱に交われば赤くなる。
全ては因果応報であり、自業自得。
努力した時間だけが夢を裏切らない!

継続は力なり。

さて、最近、私の居場所はFacebookとなり、Twitterも、ブログも、ほとんど更新しなくなって随分になります。(^-^)

気がつけば、今年も春の御彼岸となり、横浜でも桜の開花宣言が発表されました。

かつて、私のこのブログに、根拠の無い誹謗中傷をして来たある意味業界の有名人(^-^)の方達は、因果応報、自業自得、元の木阿弥となられたようで、Twitterは凍結、ブログは閉鎖されているようです。
なので、私のネットストーカー対策は、これを持ちまして完全勝利宣言と共に、ブログ本来の機能を生かすため、ブログの更新を再開したいと思います。(^-^)

漫画史研究家&映画史研究家

本間正幸
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祝!訪問者30万IP閲覧数100万PV記念?

2015-08-27 07:21:29 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
2009年3月「フイチンさん」で知られる上田トシコ先生を偲ぶ会のレポートを報告するために始めた私の旗艦SNSとなるgooブログが、皆さんの長年の変わらぬ支持のお陰で、遂に訪問者30万IP閲覧数100万PVを達成しました。(^-^)
類は友を呼び、朱に交われば赤くなる。
全ては因果応報であり、自業自得。
努力した時間だけが夢を裏切らない!
継続は力なり。

さて、最近はすっかりFacebookにハマってしまい、Twitterだけでなくブログの更新も忘れておりました。(^-^)
気がつけば、今年も七夕が過ぎてしまいましたが、ブログ本来の機能を生かし、これからは、せめて月に一回くらいは、ブログの更新をしたいと思います。

今回は、6月10日に開催された「根本圭助君を励ます会」のレポートを報告したいと思います。(^-^)
東日本大震災以降、久しぶりに昭和時代を思い出させてくれる明るくて楽しい会に参加出来て、本当に嬉しかった。(^-^)
子供の頃、憧れた人々に逢えるというのは、人生において中々ありそうでないことなのでは?




BS朝日にて、今夜7時から映画「夜霧よ今夜も有り難う」が放送される!(^-^)
先日発売された脚本家・石森史郎先生の最新刊「新宿伝説」の巻末に収録されたオススメ映画51選の中に紹介されている名画の一つだ。(^-^)
1967年、製作(配給)日活、タイトル「夜霧よ今夜も有難う」監督・江崎実生、脚本(共同)(野上龍雄・江崎実生)、主演・石原裕次郎浅丘ルリ子、備考・主題歌「夜霧よ今夜も有難う」、評価☆☆☆☆☆私のオススメ四位。
深夜2時30分からは、スカパー!TBSチャンネル2で「エイトマン」の放送もある!(^-^)
こちらもオススメだね!(^-^)
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藤山一郎 長崎の鐘(あたらしき付き)/クラシック歌謡

2015-08-09 19:05:12 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
藤山一郎 長崎の鐘(あたらしき付き)/クラシック歌謡


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【2009年8月4日ブログ記事再録】旅行最終日、広島にてその2 !

2015-08-06 23:34:32 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
平和公園
世界が平和でありますように・・・
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【2009年8月4日ブログ記事再録】旅行最終日、広島にて!

2015-08-06 23:32:16 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
原爆ドーム
世界が平和でありますように・・・
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緊急告知!今夜7時から映画「夜霧よ今夜も有り難う」

2015-05-18 18:47:11 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
BS朝日にて、今夜7時から映画「夜霧よ今夜も有り難う」が放送される!(^-^)
先日発売された脚本家・石森史郎先生の最新刊「新宿伝説」の巻末に収録されたオススメ映画51選の中に紹介されている名画の一つだ。(^-^)
1967年、製作(配給)日活、タイトル「夜霧よ今夜も有難う」監督・江崎実生、脚本(共同)(野上龍雄・江崎実生)、主演・石原裕次郎浅丘ルリ子、備考・主題歌「夜霧よ今夜も有難う」、評価☆☆☆☆☆私のオススメ四位。
深夜2時30分からは、スカパー!TBSチャンネル2で「エイトマン」の放送もある!(^-^)
こちらもオススメだね!(^-^)
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訃報!愛川欽也さん

2015-04-17 02:56:53 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
愛川欽也さんが亡くなられたようだ。
「いなかっぺ大将」のにゃんこ先生や、「ハクション大魔王」のそれからどしたの?オジサン。映画「トラック野郎」のやもめのジョナサンが印象深い。

合掌!
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追悼!辰巳ヨシヒロ先生。読売新聞マンガ50 年・劇画魂とは

2015-03-10 12:21:43 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
続いて2009年6月4日の記事の再録です。


6月2日から読売新聞朝刊でマンガ50年・劇画魂の連載記事が掲載されている。

6月2日(火)は劇画魂〓として(忘れられた男欧米が絶賛)
と題して劇画漂流を季刊紙である(まんだらけ)に12年間にわたり連載し、昨年末に青林工藝舎から出版した辰巳ヨシヒロ先生について。
辰巳ヨシヒロ先生は、今年の手塚治虫文化賞の受賞者である。

劇画漂流が何故まんだらけ出版ではなく青林工藝舎から出たのか?
その謎は、連載の仕掛け人である浅川満寛氏がまんだらけ編集部から、青林工藝舎へ移籍しているからだろう。
今回の画像は、私が所蔵する辰巳ヨシヒロ先生初期の単行本銃弾の街角である。扉に57-1の文字が見える。八興から日の丸まんが文庫としてB6上製128頁定価130円で発売された。
表紙は、辰巳先生ではなく、久呂田まさみ先生の絵である。

浅川氏と私は、2000年からの知り合いとなる。
浅川氏とは、いくつかのエピソードがあるのだが、それは又の機会に・・・
6月3日(水)劇画魂〓はさいとう・たかを先生。
(プロ根性 邪道を王道に)〓〓共に石田汗太記者。
6月4日(木)劇画魂〓は梶原一騎先生。(高度成長期の男の美学)
少年サンデー少年マガジン大同窓会のパーティー会場で御逢い出来た中城健先生と梶原一騎先生とのエピソードが紹介されている。
中城先生との対面やパーティーの様子については、3月18日の私のブログ少年サンデー少年マガジン50thにて紹介してあるので、興味のある方は御覧下さいね。
中城健先生は、昨年亡くなられた関谷ひさし先生のアシスタントをしていたことがあり、私が関谷ひさし先生を御訪ねした時、少年画報大全での中城健先生のインタビュー記事を見た関谷先生から
中城健は、元気かい?
と気遣われていたことが思い出される。

記事執筆は小梶勝男氏。

毎日新聞、読売新聞の記者が共に劇画についての記事を書いていることを考えると、4月18日の劇画誕生50年を祝う会の参加者は、正に少数精鋭だったといえるだろう。
漫画史にとって、劇画の登場は非常に重要な出来事なのに、最近の研究者は、エロ劇画は研究しても、純粋な劇画にはあまり興味を示さないから不思議である。私は、漫画史研究において、劇画の歴史には非常に興味あるが、エロについては、大勢いるエロ大好きの研究者達にまかせることにしたいと思う。
私は、エロや萌え系マンガを読んだり研究するよりも、生身の人間の綺麗でセクシーな女性と話しをする方が好きである。
エロマンガ系については、心からエロマンガを愛するオタクや研究者達には、あらゆる意味でとても敵わないのだ。

【漫画の匠】
http://www.manganotakumi.com
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川崎の少年事件と、スカパー!「3年B組金八先生」シリーズ放送に思うこと

2015-02-24 02:10:16 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
私のgooブログが、お陰様で100万PVを越え、昨日のアクセス数も、閲覧971PV/訪問者86IPで9785位/2131103ブログ中と、ブログ開始から毎日100~150IPの訪問者が訪れ、常時一万位以内に入っていた頃の状態に復活!嬉しい限り。(^-^)
母体となるブログ数が日々増える中、昭和時代をテーマに記事更新を続けるオジサンのブログで100万PVは、驚異的なのでは?

さて、川崎で中学一年生の少年の死体が発見されマスコミで話題となっている。

川崎と私が生まれ育った横浜鶴見は隣町同士。
共に京浜工業地帯で、街の雰囲気、住む人のライフスタイルなど、似通った所がある地域として昔から良く知られている。
新藤兼人監督が、名作映画「原爆の子」を撮った次の作品が、横浜鶴見と川崎駅前周辺を舞台にした映画「どぶ」。

私が中学時代を過ごした1979年~1981年の横浜鶴見や川崎の公立中学校は、校内暴力で荒れ狂い、新設校となる私の出身中学以外、鶴見区内全ての中学校の卒業式に、制服及び私服の警察官が動員されていたのは、あまりにも有名な話。
現在、スカパー!のTBSチャンネル2で、「3年B組金八先生」第二シリーズが放送中だが、腐ったミカンの方程式の加藤優の一連のエピソードは、1980年当時の足立区の中学校を舞台にしているのだが、脚本家の小山内美江子さんは、横浜鶴見の女学校の出身で鶴見在住。(^-^)
息子もいるのだから、PTAの立場として、横浜鶴見の中学校の様子を脚本の中に取り入れたのかも知れないと私は考えている。
私の世代迄、川崎サレジオ高校の同級生殺害事件が語り継がれていた。
第七シリーズも、昨日から放送が始まったので、録画し始めたところ。

最近、「3年B組金八先生」のシリーズ全てを、Blu-rayに録画し、見直そうとしている所だ。
以下は、Blu-rayの録画状況と、私の作品に対するイメージのメモ。

記念すべき第一シリーズ1979年10月26日~1980年3月28日は(5倍録)
全23話録画済み。
初放送当時、私は中学一年生。
15歳の母のエピソードは、つまらないので飛ばして見ていた。
鶴見区内にある他の中学では、良くあるエピソードだったからだ。

第二シリーズ
(5倍録)
全25話録画済み。
初放送時、中学二年生。(^-^)
腐ったミカンの方程式の荒谷二中の状況や、暴走族の集会の様子など、正に当時の鶴見区内の中学校の雰囲気、暴走族そのもの。
何処にも桜中学のような雰囲気の学校や、金八先生などいなかった。
「血みどろ」の名称は、当時の「みなごろし」のパロディだろう。(^-^)
懐かしい!

第三シリーズ(15倍録)
全12話録画済み。
初放送時は、既に中学校などに興味がなく、石黒賢さん演じる新米教師は、実在した嫌な教師を思い出させるので、ほとんど見なくなっていた。
何の思い入れもない。
初放送時、見ていたという同世代は、ほとんどいないのでは?


スペシャル
初放送時、見た記憶がない。興味もなかった。
けれども、最近、自分の中学を思い出す際に、「金八先生」シリーズが一番近いことに気付き、見直そうと考え録画し始めた。

「贈る言葉」(5倍録済み)
U+2161「イレ墨をした教え子」(5倍録済み)
け「小さな嘘」(5倍録済み)
U+2163「イジメられっ子金八先生」(5倍録済み)
U+2164「先生の暴力・生徒の暴力」(5倍録済み)
U+2165「新・十五歳の母」(5倍録済み)
U+2166「」(15倍録済み)
U+2167「」(15倍録済み)
U+2168「」()
U+2169「」(15倍録済み)

第5シリーズ(15倍録)
8話後半のみ。

第6シリーズ(15倍録)
第1話~15話迄。

第7シリーズ(15倍録にて録画開始!)

第1話~

第八シリーズ

ファイナル2011年3月27日は、3倍録したい。
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【ライフ・イズ・ビューティフル】3.11に私が思うこと。

2014-03-29 06:43:57 | 2001年夏「少年画報大全」(少年画報社)監修者への道
ソチ五輪とパラリンピック、思うところあり、旗艦ブログであるgooと、Twitterのみの更新で、反響を私なりにリサーチ。
2011年3月11日のあの時、いつものように電話で話をしていた子供時代からの心の師匠である元東映プロデューサー・平山亨さんも、2011年4月からの長い闘病生活の末、昨年の夏に逝去。我が半生を振り返り、亡き父への思いと同じように無償の愛の人であり続けた恩人達のその恩に報いる方法を日々考えながら、喪に服しておりました。
月日は流れ、ややこしい人も、私の予想通り元の木阿弥に戻られたため、悪縁を無事断ち切ることに成功したと判断(*´∀`)♪

今日の画像は、2012年、2013年、2014年の3月11日其々の新聞の朝刊と、2013年3月25日月曜日の朝刊「ママ もうすぐ一年生だよ」「友達たくさんできるかな」*愛海ちゃん新一年生の記事が載った物と、2014年3月10日の夕刊「孤児2人 92歳の子育て」の記事。

NHKBSプレミアムで2014年3月11日の午後一時から放送された大好きな映画【スティング】と同じく、夜九時から放送されたオススメの映画【ライフ・イズ・ビューティフル】のパンフレットになります。
3.10は、1945年に東京大空襲があった日。
戦災孤児の問題を、ラジオドラマで菊田一夫さんが鋭く描き、大反響を呼んだことによる松竹での【鐘の鳴る丘】シリーズの映画化。
戦後の子供たちに夢を与え続けた『冒険活劇文庫』と『少年画報』、『少年』といった少年雑誌の役割について。
東北の復興支援やボランティアなど、色々な立場の人達が、其々の思いで日々過されていることと思われます。
漫画史研究家であり、映画、アニメ、音楽好きでもある今の私に出来ることといえば、震災前と変わらずに漫画やアニメ、映画の話をすること、名作漫画の紹介や復刻に協力するくらいの僅かなことだけ。

面倒な問題からは解放されたので、四月からは気分一新、携帯電話も最新の機種に変更して、ブログ開設五周年を記念して、週一を目標にブログ更新を再開していきたいと考えております。(*´∀`)♪

さて、その前に1つだけ哀しい報告があります。
上田トシコ先生の名作漫画【フイチンさん】の出版契約が、故・上田トシコ先生の代理人より更新はせず解除したい旨の書面が株式会社パインウッドカンパニーの社長宛に届きました。

2009年3月9日、私がgooでブログを始めたのは、そもそも上田トシコ先生を偲ぶ会の報告の為。

コミックパークからオンデマンドの形で復刊をした経緯などを含め、私が上田トシコ先生が描かれた名作漫画【フイチンさん】へ対する想いをそのままダイレクトに伝えるためにブログを始めたのですから、同じくブログにてその終りについても報告させていただきたいと思うのです。

昨年からは、電子書籍化もしており、その経緯なども逐一報告してきました。

少女マンガ史に残る不朽の名作でありながら、長らく絶版の憂き目にあっていたこの作品に対して、ネット上で評価している漫画評論家は殆んど無かった為、復刊の為に情熱を持って動く筈もなく、復刊しても然程話題にもならずにいましたので、漫画史研究家である自分自身の手で直接宣伝するために始めたのがブログだったのです。

その甲斐もあってか、徐々にネット上でも上田トシコ先生の【フイチンさん】に対する評価が高まり、コミックパークさんの好意的な協力体制の下、販売数も順調に伸びていきました。

昨年に電子書籍化。

これから、更なる発展を期待しておりましたが、上田トシコ先生の七回忌目前に出版契約更新解除の連絡がきたのです。

そのため、コミックパークにおけるオンデマンド、電子書籍の販売は、当初の契約期間である5年を持ちまして終了となります。

在野にいる数少ない漫画史研究家である私・本間正幸は、上田トシコ先生の代表作である【フイチンさん】全三巻の復刊を、僅か五年の歳月ではありますが、出版プロデュース出来たことをこれからも生涯変わらず誇りに思います。
そして、日々の想いの記録がネット上に残されているのは、平成に生きる漫画史研究家としての私の矜持として、これからも皆さんに読まれていくことでしょう。


また、2001年夏の【少年画報大全】監修以来、インタビューに御協力いただけた故・上田トシコ先生始め、特集記事などで御世話になった先生方、図版の使用許諾を快諾いただけた総勢約300人に及ぶ先生方、及びその御遺族、著作権継承者の方達の御厚意に感謝致します。

お陰様で【少年画報大全】(少年画報社)は、2001年夏の発売以来、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、読売新聞夕刊を始め、数多くのマスコミで話題となり、2980円という高額書籍ながら現在まで三刷りを重ねて現役、累計発行部数は一万部を越える21世紀の現代に、漫画史研究家を志す者には必読の書として不動の地位と、出版関係者及び漫画専門古書店さんからの高い評価を獲得し続けております。

1月末発売の『週刊女性』では、10頁に及ぶ70年代漫画、映画、音楽特集にて、漫画と映画を私・本間正幸が解説を担当。

2014年は、年賀状に記したようにこれまでのマンガ史に併せて映画史研究家としても、華々しく初陣を飾ることが出来たことを身に余る光栄だと思っております。
需要と供給のバランスを考え、今年は映画史に関するこれ迄の研究成果も逐一発表していきたいと考えております。
先ずは私の蔵書となる映画パンフレットから見るアニメ史と映画史のアーカイブ化を進めていきますね!(*´∀`)♪

漫画史研究家、アニメ史研究家、映画史研究家


本間正幸



一昨日の首都圏での大雪は、実に45年振りの記録的な大雪、27センチの積雪になる。
さて、昨日は弥生美術館で午後2時から行われる企画展【降臨!神業絵師 伊藤彦造という男】のギャラリートークに参加するため、いつもより早目にお家を出たのだが・・・。
自宅から駅までの川崎鶴見臨港バスは、チェーン装着。
普段に比べて圧倒的に交通量も少なく、晴天により予想より雪解けも早かった。
伊藤彦造先生次女である伊藤布三子(日本舞踏家:立花志津彦)さんの参加もあって、弥生美術館のギャラリートーク会場は大盛況。
私は、10分遅れで会場入り。
会場には、私と同じ日本出版美術研究会のメンバーで、今、大ブレイク中の大橋博之さんの姿も久し振りにあったので挨拶。
企画展に併せ、河出書房新社より発売中の【伊藤彦造 降臨!神業絵師】1800円税別の中で、編者として名前を連ねる学芸員の松本品子さんがギャラリートークの司会。
知る人ぞ知る三谷薫さんの姿も、勿論ある。
絵物語の大御所で、【白虎仮面】の作者である故・岡 友彦(歌川大雅)先生の著作権継承者である石田一王さんも、皆、研究会のメンバーだ。
午後3時10分からは、竹久夢二美術館のギャラリートークも始まり参加。
いつもに比べて参加者が少ない。
そう、最近、竹久夢二美術館のギャラリートークは、三回あるので、大雪で足場が悪く、都知事選もある今日を選んで参加しなくても大丈夫だからだ。
ギャラリートーク終了後、夢二カフェ港やで、伊藤布三子さんと研究会のメンバーで、いつもの情報交換会。
興味深い極秘情報と、会員の近況報告で盛り上がった。(*´∀`)♪
昨日は、大雪の影響が心配されるので、寄り道をあまりせず横浜の自宅へ。
都知事選の結果、舛添要一氏が圧勝。
午後八時には、当選確実のニュースが入る。
投票率は過去三番目に低い46.15%(前回より16.45%低くなる)。
深夜0時、98.64%の開票率の結果は

舛添要一氏65 元厚生労働相 2098985
宇都宮健児氏67元日弁連会長 977981
細川護煕氏 76 元首相 942309
田母神俊雄氏65元航空幕僚長 604472

過去の都知事たちを、青島氏を平均的な65点として基準値とし、私が点数をつけて上から目線で評価するとしたら、石原氏75点、猪瀬氏は25点の赤点、舛添氏の期待値は70点といったところだろう。

さて、佐村河内守氏の中の人が、新垣隆さんだった騒動について、私が思うことその2。

2月6日(木)発売の『週刊文春』(株式会社文藝春秋)2月13日号の

驚愕スクープ高橋大輔「ソチ五輪」使用曲も【NHKスペシャルが大絶賛「現代のベートーベン」全聾の作曲家・佐村河内守はペテン師だった!ゴーストライター懺悔実名告白】

「私は18年間、彼と普通に会話していました。彼の指示で『交響曲第一番HIROSHIMA』を作曲、大震災の被災地のための『レクイエム』も作りました」告白を決意した新垣隆氏

ノンフィクション作家・神山典夫(こうやま・のりお)1960年、埼玉県入間市生まれ。信州大学人文学部心理学科卒。
1996年、「ライオンの夢 コンデ・コマ=前田光世伝」で第3回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。「ピアノはともだち 奇跡のピアニスト 辻井伸行の秘密」(講談社)「みっくん、光のバイオリン」(佼成出版社)等、音楽に関する著書多数。

+本誌取材班


今回の騒動、TwitterやブログなどのSNSが発達した現代において、一億総評論家現象が顕著となり、本来部外者であるはずの匿名の第三者による無責任な憶測や批評が噴出するという面白いことが判った。

1980年代後半、明治学院大学社会学部社会学科で主にマスコミを専攻し、社会福祉についても基礎だけは学んだことがある私は、ここ数日間、テレビの報道、Twitter、新聞、掲載紙を確認することからこの騒動に接した。
偶然にも、ソチオリンピックに際し、2月のみ朝刊3670円+255円=3925円で読売新聞の夕刊も楽しむことが出来るとの地元販売店の折り込み広告から2月5日夜8時に申込みをし、遡って2月4日からの夕刊を届けてもらっていた。
夕刊も併せて購読するのは、実に24年振りになるかも知れない。
テレビとネットのみの報道で、物事を判断する風潮はいかがなものだろう。
新垣隆さんや、佐村河内守氏と直接の関わりがなければ、少なくとも、問題提起をした掲載紙、新聞での報道も併せて検討してから発言をするようにした方が良いのではないのかと私は考える。
以前から実際に新垣隆さんを知る人物からの発言は余りにも少なく、当初テレビで流された新垣隆さんの画像は、我らがマツダ映画社のホームページからのものだった。

心から音楽を愛し、人知れず無声映画伴奏楽団カラード・モノトーンのメンバーとしてひたむきに演奏を続けていた誠実で寡黙な彼の姿を知る私は、ゴーストライターと言うより、まるでアニメ【タイガーマスク】における伊達直人のような印象を彼に受けた。
表舞台で脚光と称賛を浴び続けていた佐村河内守氏が、本来、説明責任を果たすべき会見の場に姿を現さず、影武者であった新垣隆さんが全ての矢面に立ちマスコミから一身に詰問をされる姿。
新垣さんの風貌とは裏腹に、滅び行くサムライの姿、剣術の名人であることを周囲にはひた隠し、幼い子供の子育てと、認知症の母の面倒に愚痴一つ溢さずに暮らしている現代の【たそがれ清兵衛】の姿を彼に見出だしたのは私だけだろうか?
彼は会見で「出来ることなら、これからも、音楽の仲間と一緒に活動を続けたい。」と言った。

私は、彼と同じく無声映画を心から愛する仲間の一人として、彼のこれからの音楽活動も、出来る限り応援していきたいと心から思う。

以下の文章は、ある程度客観的な視点で、今回の騒動を個人のブログ記事として記録するものであり、一部内容に改訂を加えておくのもその為だと考えてもらいたい。
私のブログ記事は、原稿料が一切出ていないため、アイディアの草稿メモの記録に過ぎず、時間をかけてまで文章を整えることは普段殆んどしていない。
機会があれば記事内容が再録され、別の形でもっと公の場で公開されることも起こりうるから、草稿からどのように変化していくのか、その記録を残しておくのもブログならではの特性であり利点であると考えている。
今回の一連の騒動に関しては、私の予想を遥かに上回る事態に発展しており、新垣隆さんを直接知る無声映画関係者から彼を擁護する発言が、ネット上あまりにも少ないことにもいささか驚いている。
これは、無声映画にまで興味がある正統な映画史研究者の少なさを、如実に表している一種の悲劇であり、現実に起こっている事実なのだ。
無声映画鑑賞会にまで、足を運んでくるプロの映画史研究家は数少なく、上映会参加者の多くは殆んどはまだ学生か、素人、そして、ブログなどでの発言手段や読者、影響力を持たない高齢者となってしまう。
私が少しでも多く記録しておかなければ、『週刊文春』の記事では一切触れられていない新垣さんの無声映画や音楽にかけてきた大切な情熱の部分、関係者の証言記録が減ってしまう。
下手な文章でも、事実に即した証言記録は、後々重要な意味を持つようになると映画と漫画史研究家である私は考えている。
新垣さんの普段の人柄、人間性を知る上で、無声映画伴奏楽団カラード・モノトーンとしての活動は、【タイガーマスク】における伊達直人の部分、音楽に対する無償の愛の部分だと私は思うのだ。

本来は、「無声映画鑑賞会と、マンガ研究とアーカイブについて思うこと」と題して発表する予定だったブログ記事ですが、一昨日からの世間での話題とキーワードに併せて、社会学的視点による内容に急遽冒頭部分を付け加えて発表させてもらいたいと思いますので、そこんところよろしく。(*´∀`)♪

「現代のベートーベン」と異名をとる佐村河内守氏の存在については、一昨日の昼まで正直何も知らなかったし、興味もなかった。
一昨日の夜、2003年頃より旧知である無声映画ピアニストの柳下美恵さんのTwitter上での呟き「新垣隆さん」というキーワードが、今回の騒動に関して私の好奇心をそそる結果となるのだが・・・。
昨日の午後2時半頃より会見をした佐村河内守(50)氏の中の人だった新垣守(43)さんについて、私は2003年頃より直接面識があった。
午後のニュースなどで、新垣隆さんの画像提供元になっていたマツダ映画社のホームページ。
私が知る新垣隆さんの素顔は、無声映画伴奏楽団カラード・モノトーンのメンバーであり、年末恒例の紀伊國屋ホールでの無声映画鑑賞会を始め、江東区の古石場文化センターでの江東シネマフェスティバルなど、年に必ず数回は、舞台に立つ新垣隆さんの演奏を耳にしていたし、楽屋での新垣隆さんの素顔もマツダ映画社の上映会スタッフの立場で目撃しているのだ。
物静かで誠実な人柄。
見た目が少し老けて見えるので、見た目が少し若くみえる私より、最初は彼の方が年下だとは思わなかったし、10人いれば10人が私の方を年下だと思うことだろう。
その彼が、18年間、佐村河内守(50)氏の中の人としてゴーストライターに徹していたとは、まるで見抜けなかったし、そんな素振りさえ少しもみせることはなかった。
東京千代田区のホテルで行われた会見の冒頭で、「指示されるまま、『私も佐村河内さんの共犯者』です」と謝罪。
18年で20曲以上提供、報酬は700万円くらい。
一方、佐村河内氏の印税収入だけでも3500万円近いとテレビ側は報道。
楽曲の著作権を全て放棄し、フィギュアスケート冬季五輪、オリンピック代表で国民の期待を一身に背負って頑張る高橋大輔選手のことを考えて「高橋選手には、五輪で堂々と闘ってもらいたい」と、今回の衝撃の告白。
佐村河内守氏については、最初会った時から普通に会話しており、「耳不自由」装っていたと発言。
これに対し、佐村河内氏の代理人である折本和司弁護士は、横浜で午後6時過ぎ反論があると発表。
「現代のベートーベン」のこれからの「運命」は如何に!

追伸

尚、映画と漫画史研究家である私は、本来なら昨日は、東京・西新宿で開かれた「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんに感謝する「『ありがとう! やなせたかし先生95歳 おめでとう!』の会」(やなせスタジオ、フレーベル館主催)にファンとして最後のお別れをしたかったのですが・・・。
やなせたかし先生が社団法人日本漫画家協会理事長を務めていた2010年6月に、当時漫画史研究家として最年少であった正会員(2003年に入会)から、ネットストーカー退治に対する私の対応に対して、渡辺教子事務局長による理事会への一方的な報告、判断により自主退会の形を取らされました。
今回の騒動で、少からず面識のある新垣隆さんを知る者として、ファンとして、やなせたかし先生にお別れを告げるより、同じ無声映画を心から愛し活動を続け、直接面識の有る数少ない仲間の一人として、新垣隆さんの会見の様子、テレビの報道を見守ることの方が、人として大切なのではないかと考え、参加を見送りました。
私は、これからも無声映画を心から愛する仲間の一人として、新垣隆さんの才能と人柄を応援し、今までと何ら変わらず交流していきたいと考えています。

----- Original Message -----


----- Original Message -----
今夏は、スタジオジブリ宮崎駿監督の新作映画【風立ちぬ】公開と衝撃の引退発表、続いて11月23日(祝)には実に14年振りとなる高畑勲監督作品【かぐや姫の物語】が、全国ロードショーで公開。
テレビアニメ【鉄腕アトム】放送開始50年とテレビでの特番、国民的アニメ【サザエさん】放送開始45周年など、マスコミの報道についても、日本のアニメの歴史が話題となる機会が多かったような気がする。
【サザエさん】の作者・長谷川町子さんの師匠である田河水泡のらくろ館のある東京都江東区森下文化センターとの共催で、我等が無声映画鑑賞会でも待望の「夏休みレトロアニメ大会」が開催された。
漫画映画だけの特集上映は十数年ぶり、本邦初公開のスペシャル企画森下文化センター所蔵の「ノラクロ少尉」のデジタル化完成ともなれば、さぞや鑑賞会初参加となる漫画・アニメ研究者が殺到するかと思いきや、会場はいつもの御贔屓さんが大半で、逆に驚かされてしまった。
世界から注目を集める日本の漫画やアニメの実証的な歴史研究については、未だ黎明期のような有り様だ。
日本人の漫画史やアニメ史研究者については、大変残念なことに層が薄くレベルも低い。
紀伊國屋書店から発売された「日本アートアニメーション映画選集」全12巻の定価は30数万円と個人の研究者では中々手の出せない代物だったが、デジタル・ミームから発売の「日本アニメクラシックコレクション」DVD4巻セットなら個人でも充分購入可能な御値段。2007年発売時には、私も直ぐに購入させてもらった。
さて、熱心な会員の皆さまには、今回上映された「日本まんが短編集」に、どちらの商品にも収録されていない作品が含まれていたことにお気付きだと思う。
また、「マンガの足跡」では、ポパイやミッキー、ベティーやウサギのオズワルドなどの作品が、何時、どのような形で日本に紹介されていたのか大変興味を持った。
現在、日本漫画史や日本アニメ史の黎明期から興味を持ち、実物の資料にあたる実証的な研究者は驚くほど少ない。
あの有名な「タイガーマスク・伊達直人」現象が話題となった際、AMラジオに10分間生出演して、漫画原作とアニメの違いを解説出来たのは、在野にいる漫画史研究家である私だけだったのだから驚きだ。
【サザエさん】の漫画やアニメについても、現在発売中の雑誌『猫生活』(緑書房)にて、私の顔写真入りのインタビュー記事がカラーページに掲載されているので、是非、御一読の程を。
さて、フィルムからビデオを経てDVD、Blu-rayと、アニメ史を研究するための環境は著しく好転し、容易かつ手軽に作品を収集、保存、繰返し観ることすら出来るようになってきている。
しかし、無声映画時代の作品だけは、どうしても作品発表時の形態、フィルムで大画面、活弁付き、出来れば生伴奏で楽しみたいと思うのは贅沢なのだろうか。


「無声映画時代の作品だけは、やはりフィルムで活弁付き生伴奏で楽しみたいなぁ。」

漫画史&アニメ史研究家

本間正幸


上の文章は、無声映画鑑賞会の季刊である会誌『活狂』No.155通巻第187号、2014年1月1日号に掲載させて貰った私の原稿です。(*´∀`)♪


今日の画像は、左から1月24日(金)千代田区立日比谷図書文化館で開催された東京宝塚劇場 開場80周年カウントダウンイベントⅣ「わが青春のタカラヅカ」講師:高橋真琴(画家)の会場で講義終了後、希望者にサインを入れて販売された高橋真琴画業60周年記念画集【夢見る少女たち】(パイ インターナショナル発行・2013年12月15日)と、2001年から毎年いただいている年賀状の御返事。
右に文化庁主催のシンポジウム【マンガ研究とアーカイブ】で配布された資料、そして、基調講演をされた清水勲先生が主宰する日本漫画資料館が発行する『諷刺画研究』第59号、2014・1・20。
我が無声映画鑑賞会の季刊である機関紙『活狂』。
10ページ徹底特集・懐かしの70年代プレーバック!発表!「漫画」「映画」「歌謡曲」ベスト5の記事が掲載された『週刊女性』(主婦と生活社)第58巻第6号通巻2775号になります。(1957年3月22日第三種郵便物認可)2014年1月28日発行・発売(毎週火曜日発行・発売)
この記事の中で、「漫画」と「映画」について私のインタビューが4ページに渡り掲載され、「映画」では、私が師事している脚本家の石森史郎先生のインタビューも掲載、「歌謡曲」では、平成仮面ライダーでもお馴染み、イケメン俳優の半田健人さんのインタビューが2ページに渡り掲載されていますので、オススメです。(*´∀`)♪

2014年1月30日(木)、日暮里サニーホールでの今年最初の無声映画鑑賞会も、お陰様で会場ほぼ満員の大盛況ぶり。(*´∀`)♪
朝日新聞と、読売新聞でも紹介されていたとのことで、会場で新たに入会される会員も増え、受付の女性スタッフたちは対応にてんてこ舞い。
お中入りで売られるお煎にキャラメルも完売となり、中には買いそびれた人が出るほど。
無声映画研究とアーカイブの大切さを誰よりもいち早く唱え実践された我が師匠、松田春翠先生の偉業と、継承者である御遺族・マツダ映画社のスタッフの皆さん、そして松田春翠門下の姉弟子であり、日本を代表する活動弁士・澤登翠さんの努力と精進の日々に頭が下がる思いです。
澤登さんは昨年、文化庁映画賞映画功労部門でも賞を受賞されました。(*´∀`)♪

さて、2014年1月26日(日)午後1時から文化庁主催、政策研究大学院大学1A会議室で行われたマンガ研究とアーカイブのシンポジウムで私が感じたことは、映画研究とアーカイブに比べて漫画やアニメ関連については余りにも遅れている御粗末な現状報告だった。

開会の挨拶、石垣鉄也(文化庁文化部芸術文化課支援推進室室長)5分間
連続シンポジウムについて、夏目房之介10分間の発言内容については聴き逃したが、然程問題は無いだろう。
肝心の清水勲先生の講演「漫画研究とアーカイブ」40分間には間に合った。(*´∀`)♪

プレゼンテーション「マンガ収蔵の現状・事例報告」60分間

吉村和真氏、宮本大人(明治大学准教授)、表智之氏、佐々木果(まんが編集者/学習院大学大学院非常勤講師)

休憩(20分)

第2部

討議「マンガ・アーカイブの意義と課題」70分間

表智之、佐々木果、宮本大人、吉村和真

質疑応答、30分間予定が、50分間に。
フィルムと紙の違いなどはさておき、マンガ研究とアーカイブと題しておきながら、内容は国営マンガ喫茶構想の各店舗案内といったところだった。
川崎市市民ミュージアムは、大阪国際児童文学館の教訓を生かせず、やがては同じ様な末路を辿ることになりそうだ。
学習院大学大学院教授となった夏目房之介氏が川崎市市民ミュージアムのアーカイブに関わるようだが、彼は批評家や評論家の類いの自称、マンガ・コラムニストであり、漫画史研究やアーカイブにおいては、今まで何ら実績を残せていないのでは?
近年はメディアでの露出もまるで無くなり、彼の親派である伊藤剛氏風に云えば「ナツメ・イズ・デッド」状態。
尚、「テヅカ・イズ・デッド」を唱えた伊藤剛氏も、正に「イトウ・イズ・デッド」状態となり、皮肉にも手塚治虫先生の再評価は、今も続いている。(*´∀`)♪
期待の明治大学米澤嘉博マンガ記念館は、ロフトプラスワン規模のイベント開催に併せた企画展に、飲食のないマンガ喫茶機能をつけた程度の閲覧室だし、石子順造構想から進化のない現代マンガ図書館の凋落は、1978年オープン時の繁栄を知る私にとって、見るに忍びない悲惨な有り様だ。
一方、オープン当初、眉唾ものと見ていた京都国際マンガミュージアムのスタッフの皆さんによる誠実な努力の積み重ねには、感服し、敬意を評したい。
プレゼンテーションを担当した京都精華大学教授となる吉村和真氏とは、2001年ぐらいに面識があった。
ラジオやメディアでの発言など、興味深く、昨年は、朝日新聞社の手塚治虫文化賞の会場で声をかけられたが、ゆっくりと話す暇もなかった。
今回は、シンポジウム終了後、14年ぶりに名刺交換。
『活狂』を手渡し、昨年マツダ映画社から発見され、マスコミに対し未発表段階である街頭紙芝居末期の活字による詳細な作家及び作品リストの存在と、アーカイブについて伝えておいた。
京都国際マンガミュージアムについては、漫画史のアーカイブの第一人者であり、日本仏学史学会会長である清水勲先生がその蔵書を寄贈し、現役の研究顧問でいればこその繁栄だろう。
私が余り興味がなく、一般人と大して変わらない知識の昭和末期から平成の現在に至るマンガ作品など、初心者から学生、院生レベル迄の漫画研究の素人向けアーカイブについては、こちらの施設で全て用が足りるし、今後のマンガ研究とアーカイブ施設群の旗艦として存在価値が高まって行くことだろう。
そして、北九州市漫画ミュージアムの取り組みについては、大阪国際児童文学館、川崎市市民ミュージアム、現代マンガ図書館、米澤嘉博記念マンガミュージアムなどの施設の現状を反面教師として、地方の利点を生かし、誠実に頑張ってもらいたい。
北九州出身で、長らく東京在住だった故・関谷ひさし先生の原稿が、遺族の手によりこの地に寄贈されたのは象徴的な出来事であり、関東のマンガ研究とアーカイブの施設に、漫画史における関谷先生作品の偉大さを理解し評価できる研究者が不在だった悲劇を物語っている。
研究者の無知については、救いようがない。
周囲からの期待が最も大きかった明治大学関連の施設スタッフが、偉大なる先人である故・米澤嘉博氏、故・内記稔夫氏の遺志をつぐのに相応しい人材だったのかどうか私には甚だ疑問だが、継続は力なり。
頑張って盛りかえして貰いたいものだ。

無声映画時代のフィルムと、街頭紙芝居については日本有数のアーカイブ機能を持つ株式会社マツダ映画社の関連会社であるパインウッドカンパニーと業務提携し、昭和時代の漫画やアニメ、映画、音楽の収集、保存、発掘、研究、復刻、アーカイブ事業に専念し、映画やテレビ、雑誌の取材などマスコミ関係者や、実証的なプロの研究者や編集者、弥生美術館、竹久夢二美術館、逓信総合博物館、国立民俗歴史博物館など公的な専門美術館や博物館の学芸員向けとなる我がメトロポリス漫画総合研究所の意義や存在価値、需要については、これから益々高まっていくことだろう。

『週刊女性』のインタビュー記事掲載により、これからは昭和の少女マンガ史と無声映画時代から昭和迄の映画史についても、芸域を拡大してインタビューに応えます。(*´∀`)♪

さて、国営マンガ喫茶構想レベルから脱しきれていない明治大学の施設の存在意義と、10年後の未来はあるのか?

それは、神のみぞ知ることだ。

質疑応答の際、最初の質問者が清水勲先生であったことが面白く、マンガ研究とアーカイブの現状に対する危機意識の強さが感じられる。
その後は、自己アピール大会となり、参加者の危機意識の欠如、世間一般の期待とかけ離れたマンガ研究とアーカイブの現状に呆れるばかりであった。
完全なるアウェイの会場で、問題提起をしても無駄なこと。
議論するより引き続き実績を積み重ねることだけが、今のマンガ研究とアーカイブにとって大切なことだろう。
ギャラの出ない所で、相手の問題点を指摘しても、逆恨みされ、証拠隠滅、問題点を改善された後、こちらが悪者にされるだけ。

我がメトロポリス漫画総合研究所のマンガ研究とアーカイブ構想は、常に進化と発展を遂げているので、ネットなどでも随時情報公開していきたい。

漫画を中心にアニメや特撮、無声映画に街頭紙芝居、音楽、ラジオ、テレビに至るまで、昭和の大衆文化全般を、社会学視点で実証的に検証し続けますので、引続き乞う御期待の程。(*´∀`)♪
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