MELANCOLICO∠メランコリコ!

ゆめと心理と占いのはなし
Por donde, amor, he de ir?
 Rosalia de Castro

ジムは閉まっていた。

2016-09-20 01:25:33 | 日記

ジムのお風呂に入っていたら、失業中の顔なじみから声をかけられた。
「社長、ごぶさたしてます」

ぼくは社長じゃないけど、彼はいつも苗字かこの「社長」を使ってくる。振り向いて顔を見ると伏し目がちで視線を合わせてこない。「どうしたの?」って訊くと、「やらかしちゃいまして」って変な顔でこちらをちらりと見た。わざわざ電車乗り継いで某店の8時からのスタジオプログラムに出かけていったら、入口の階段のところに黄色い鎖が張られて、一瞬、怖くなって固まってしまったとのことだった。

ぼくと彼はあるスタジオプログラムで4年くらい前に知り合った。常連はマニアっぽいウェアになっていくなか、僕と彼はマニアっぽいウェアを着ない数少ない常連マニアで、孤立していたわけではないけど、なんとなく気心が通じた。

でも、7月に、そのプログラムの8月での終了が告知され、実際にそのプログラム名がない9月からのスケジュールが発表されると、僕も彼もあまりに急な展開に茫然自失した。8月もお盆のあたりから、ぼくは関西方面の店を行脚して噂で聞いた「凄いイントラさんたち」のスタジオを回っていたけど、彼も、同じ時期、就職活動を中断してそのプログラムがある都内の店を隅々まで回ったらしい。ぼくらのジムは会員になっているとチェーンの他店舗も自由に利用できる。そして、9月になって、新しいスケジュールでスタジオが動くようになって、ぼくはジムに行く回数が半分になり、彼は家にほぼ引きこもりになったというわけだ。

「家でゴロゴロしてたら曜日は分かっても、祝日とかが分からなくなるんですよね」と彼は言った。つまり、月曜日のつもりで、久しぶりにお気に入りのイントラさんがいる遠い店に出かけたけど、お店は休日営業で早じまいだったというわけだ。それで、最後の気力を振り絞って、同じ休日営業でも遅くまでお風呂に入れる地元の店に、久しぶりにやってきた。

5月に解雇されて、この夏を失業保険で生活した彼に、生活の一部になっていたジムの方針転換が追い打ちをかけた。偶然だけど、喪失感は二倍ではなく二乗となった感じなのかもしれない。フロイトの「悲哀とメランコリー」にあるように、不安定な状態でさらなる喪失を味わうと「喪の仕事」がスムーズにいかなくなることが多い。一つ一つは50を5で割るように簡単なものかもしれないけど、一つの割り算が終了しないうちに次の割り算がやってくると人は非力だ。それは葛藤があるなかで親しい人を亡くすような深刻なケースだけで起こるのではなく、大切なものの喪失に広くいえることのように思える。


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