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ゆめと心理と占いのはなし
Por donde, amor, he de ir?
 Rosalia de Castro

柏の無縁社会

2014-03-06 02:55:05 | 日記

何となく無縁社会という言葉が浮かんだ。

柏市の通り魔の目撃者は、警察やマスコミの予想通り(?)に容疑者となって逮捕された。逮捕前、マスコミに囲まれてやっていた目撃者としての証言は明らかにおかしかった。感情を抑え過ぎて、殺人を目撃したにしては冷静さが異様だった。同じく目撃者となったタクシー運転手は「今も足が震える」とか言って表に出てこないのに、彼はまるで誰かが転んだところを目撃したかのように無感情で話していた。

彼のやったことは許しがたいとしても、ぼくは彼もある意味で被害者であるような気もする。先天的な気質的障害もあったのかもしれないけど、基本的には、家庭とか、学校とかで、人を信頼したり、頼ったり頼られたりする機会がなかったんだと感じた。それは社会が悪いのか、彼が悪いのか・・・。

基本的に、社会はますます無縁社会になっているような気がする。コミュニケーションの手段が豊富になり便利になるにつれ、人はコミュニケーションをとろうとする相手を正確に選択し始めている。つまり、現実にはそこで一人であっても、携帯電話やタブレットで一緒にいて居心地のいい遠くの家族や友人などとつながっていることができる。だから現代は、50センチの距離にいる人を全く存在しないかのように無視しながら幸せな顔をして笑ったりすることが可能なのだ。新しい通信手段で世界が広がっていくような感じがする現代なのに、逆に、個人は自ら世界を狭め、タコツボに居心地の良さを感じているように感じる。

頓珍漢な話かもしれないけど、ある若い社会福祉士が「挨拶は、たとえ無視され続けても行っていくつもりです」って言っていたのを思い出す。日本語では、挨拶や二人称での呼びかけの言葉がつねに関係性を包含したものであるということで、知らない人への呼びかけがハードルの高いものになることがある。でも、この無縁社会を少しでも「有縁」にして、より多くの人が満足を感じられるようにしていくには、リアル社会で一人一人が挨拶からはじめるしかないというのも正論に聞こえてくる。実際にすでに社会と有縁な人たちは気づかないかもしれないけど、明らかに日本の社会は人々が知りあう、交流し合うきっかけを失い続けている。


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