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リオパラリンピックで車いす陸上の王者めざす

2016-05-30 07:15:00 | 報道/ニュース

5月16日 おはよう日本


時速30km以上。
競技用車いすのこの疾走感に魅せられて
競技を始めた選手がいる。
佐藤友祈選手(26)。
初めて出場した2015年ドーハ車いす陸上世界選手権で金メダルを獲得。
一躍リオデジャネイロパラリンピックのメダル候補に浮上した。
(佐藤友祈選手)
「自己ベストをつくして
 あとから結果はついてくるかなと思ってはいたんですけど
 こういう最高の形で結果が出せたのですごくうれしく思います。」
佐藤選手は岡山をベースに企業チームの選手として活動している。
午後6時 仕事を終えた佐藤選手が競技場にやってきた。
脊髄の病気が原因で
胸から下がマヒしている佐藤選手。
左手も自由には動かせない。
そんな佐藤選手の強さの秘密はなめらかなフォームである。
選手の多くは漕いだ後腕を大きく振り上げる。
しかしこれだと腕が離れている間は力をかけることができない。
一方佐藤選手は腕を大きく振り上げない分
必要最低限の動きで力を効率よく伝えることができる。
例えて言うなら
蒸気機関車の車輪を回すクランク。
まわりからは“省エネ走法”と呼ばれている。
これで終盤までペースを落とさず記録を伸ばしてきた。
しかしそんな佐藤選手も5年前までは引きこもりの生活を送っていた。
脊髄の病気で歩けなくなったのは21歳のとき。
レスリングやサッカーに励んだこともあった佐藤選手に訪れた
突然の苦難だった。
(佐藤友祈選手)
「仕事も辞めないといけなかったし
 そんな環境でどうやって生きていくんだ、と。」
食べてテレビを見て寝る。
そんな生活を繰り返す毎日。
体重は25キロも増えた。
しかし4年前
何気なく見ていたテレビに佐藤選手の目はくぎ付けになる。
画面の中では
2012年のロンドンパラリンピックで車いすの選手たちが
大声援が鳴り響くトラックを疾走していた。
(佐藤友祈選手)
「ここ出たいっていう感じで
 次のパラリンピックに出たいと思って。」
以来 持ち前の体力を生かし猛練習に励んできた佐藤選手。
しかし金メダルには高い壁が立ちふさがっている。
アメリカのレイモンド・マーティン選手である。
佐藤選手が引きこもり生活から抜け出すきっかけとなったロンドンパラリンピックでは
初出場にして4つの金メダルを獲得。
くしくも憧れのヒーローが最大のライバルとなった。
「打倒マーティン」を目指して特訓が始まった。
持ちタイムでマーティン選手に及ばない佐藤選手は
障害の程度が軽い別のクラスの選手を仮想マーティンに見立て
そのスピードについていく練習を繰り返す。
ライバルを超えるトップスピードを身に付けることで
マーティンとの持ち込めれば勝機が広がると考えている。
(佐藤友祈選手)
「最高の舞台 ステージだと思っているので
 ベストな走りをした上で結果としてメダルが伴ってきたら
 僕としてはすごく満足いくかなというふうに思う。」


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