2021年1月30日 NHK「おはよう日本」
愛媛県松山市沖合の興居島。
かんきつ栽培が盛んな島である。
かんきつ農家の石村さん(29)。
朝6時前 島の対岸にある松山市の自宅を出発。
向かったのはフェリー乗り場。
フェリーにも仲間の農家たち。
興居島では最近こうした通勤農家が増えている。
トラックに乗り換え農園まで5分で到着。
家から農園までにかかった時間は約35分である。
作業を終えて午後6時半ごろに帰宅する生活を週に6日繰り返している。
(かんきつ農家 石村さん)
「都会の通勤に比べたら全然 苦じゃないと思います。」
愛媛県出身の石村さん。
一昨年まで東京のIT企業に勤めていた。
(石村さん)
「電車通勤で家に帰るときは
日付が変わっていたりとか
ハードワークでしたね。
みかん農家 農業やっていたら融通が利くところもあるんじゃないか
というのがいいなと思いました。」
通勤農家のことを知ったのは2年前。
農業に就く人向けの研修で初めて耳にした。
石村さんは現在松山市内で妻と2人で暮らしている。
自宅から通えばフリーカメラマンの妻も仕事を問題なく続けられることも
判断の後押しになったという。
(石村さん)
「お互いの仕事に支障なくできているので
問題ないと思っています。」
(石村さんの妻)
「やっぱり私も仕事をしているので
お互いにとって良い選択肢。」
興居島と由良支部と釣島支部の通勤農家は13軒に増えている。
その7割が
通勤できなければ農業をやらなかったと答えているという。
(通勤農家 青井さん)
「島の中で生活していくのは
特に小さな子どもがいる世帯にとっては大変。
子どもたちの生活の環境を考えて
自分が通勤する方がいいかなと思った。」
興居島の通勤農家は比較的若く
単価の高いかんきつを栽培する人が多いため
産地の生産額も増えているという。
通勤歴6年の青井さん。
この動きに注目し
新たな挑戦を始めた。
(青井さん)
「ここの畑も2年前ぐらいから耕作ができなくなっているところですね。」
高齢化で条件のいい農園でも耕作放棄地になっている。
(青井さん)
「もったいないな
残念だなという気はしますね。
何とか再生できたらいいんですけど。」
こうした放棄された農園を集めて整備して
農業に興味がある人を島の外から募って就農してもらう法人を
来月にも作る予定である。
(青井さん)
「島にいる人だけでは限界があるので
島外から来てくれる方が増えるとその分だけの授業できる人が増えるのでありがたい。」
(農業経営学が専門の愛媛大学大学院農業研究科 山本和博准教授)
「どこに住もうが農業者が増えるわけですから
生産者数が増えるということにはなかなかならないんですけど
生産者数の減少を抑制する効果があります。
作付け面積の減少も抑制しているということになります。」
深刻な担い手不足。
島のかんきつ産業の活性化につながる今後の動きが注目される。
地元のJA関係者は
通勤の場合でも農作業の遅れなど生産面への影響はなく
高級かんきつの安定した収入が得られているという。
ただ通勤の場合は
ガソリン代など交通機関の運賃で年間30万円程度のコストがかかり
この通勤農業の定着には地域をあげた支援のあり方を考えることも今後求められる。
2021年1月28日 NHKBS1「国際報道2021」
1月27日に開かれた
ナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺ホロコーストの犠牲者を追悼する式典。
毎年ポーランドにあるアウシュビッツ強制収容所の跡地で開かれてきたが
今年は初めてオンラインでの開催となった。
アウシュビッツが解放されてから76年。
年々生還者が少なくなり
悲惨な歴史を伝えるのが難しくなっている。
そうしたなか注目されているのが
ホロコーストの現場から救い出された1本のスプーンである。
持ち主から聞き取ったエピソードとともに展示され
差別や憎悪が行き着く先に何があるのかを静かに語りかけている。
第二次世界大戦中 ナチスドイツに占領されたポーランド。
首都ワルシャワにあるホロコーストの悲劇を今に伝えるユダヤ人歴史博物館。
「ある生還者がナチスの迫害から逃れる時に手にしていた銀のスプーンの複製です。」
ホロコーストを生き延びた人から寄贈された“銀のスプーン”。
新型ウィルスの感染拡大で生還者の体験を直接聞く機会が減るいま
“悲惨な過去を知る貴重な展示物“として注目されている。
(ユダヤ人歴史博物館 学芸員)
「このスプーンはとても価値のあるものです。
なぜなら“歴史の証人”だからです。
若い人たちがホロコーストの実態を知る貴重な機会になるはずです。」
銀のスプーンにはいったいどんな歴史があるのか。
寄贈したワルシャワに住む エルジビエタ・フィツォスカさん(79)。
エルジビエタさんがユダヤ人の家庭に生まれたのは1942年。
当時ポーランドではヒトラーひきいるナチスが
ユダヤ人を絶滅させる計画を進めていた。
生後間もないエルジビエタさんが両親とともに連れていかれたのは
ワルシャワにあるユダヤ人を隔離して住まわせるゲットーと呼ばれる居住区だった。
待ち受けていたのは
容赦ない暴力と厳しい飢え。
エルジビエタさんがいたゲットーでは月5、000人が死亡したと言われ
その多くは体力がない子どもたちだった。
(スプーンを寄贈したエルジビエタさん)
「私が生き延びられる確率は宝くじの1等当選と同じくらいでした。
大人たちは赤ん坊が泣き始めると
顔に枕を押しつけました。
もしナチスに気づかれたら皆殺しにされてしまうからです。」
さらにナチスは
ゲットーのユダヤ人を次々とアウシュビッツをはじめとする強制収容所へ移送し
ガス室での大量虐殺を進めていく。
救いの手が差し伸べられたのはそんなある日のことだった。
(スプーンを寄贈したエルジビエタさん)
「生後半年が過ぎたころ
私はゲットーから救出されました。
木の箱に入れて運び出されたそうです。
その時に一緒に入れられていたのが銀のスプーンです。」
エルジビエタさんがいたゲットーには
ポーランド人によるユダヤ人を救出するための地下組織“ジェゴタ”がひそかに潜入していた。
子どもたちだけなら助けられると考えたジェゴタのメンバーは
ユダヤ人の親たちを説得。
子どもたちを鎮静剤で眠らせると
銀のスプーンとともに木箱やスーツケースに隠してゲットーの外に運び出し
教会や修道院 ポーランド人の里親に託したのである。
なぜジェゴタは銀のスプーンをエルジビエタさんに持たせたのか。
(スプーンを寄贈したエルジビエタさん)
「このスプーンには私の愛称と生年月日が刻まれています。
これはゲットーに残らざるを得なかった両親と私をつなぐためのものだったのです。」
名前と生年月日が刻まれた銀のスプーン。
それはジェゴタのメンバーが
生き別れになったエルジビエタさんと両親が
いつか再会を果たせるようにと
願いを込めて持たせてくれたのである。
その後 各地の学校などで自らの体験を語り続けてきたエルジビエタさん。
将来この銀のスプーンが
自分の代わりに
次の世代に語り継いでくれると信じている。
(スプーンを寄贈したエルジビエタさん)
「おそらくは母は殺されてしまい
再会を果たすことはできませんでしたが
このスプーンには愛情が込められています。
このスプーンからは他者への思いやりを学ぶことができます。
憎しみが何を生むのか
学ぶことができるはずです。」
2021年1月27日 NHK「おはよう日本」
人生の節目 成人式。
新型コロナウィルスの影響で取りやめた自治体もあるなか
北九州市は感染対策を取って実施に踏み切った。
例年 新成人がド派手な衣装に身を包むことで知られているが
今年はド派手
かつ静かに行なわれた。
1月10日
派手な振袖に
銀色の羽織はかま。
北九州の成人式はド派手な新成人で知られている。
今年は密を避けるため2部制で行われるなどコロナの影響を色濃く受けた。
(新成人)
「コロナも不安だなと思いました。
マスクちゃんとしたり
写真撮るときも外さないようにしています。」
新成人のひとり上田さん(20)。
成人式を盛り上げるため毎年結成される地元のグループの今年のリーダーである。
グループでは代々 そろいの衣装を引き継ぐのが決まりである。
小物や着付けはレンタル着物店と打ち合わせる。
そのやりとりもすべてLINE.
今年は異例づくめである。
(上田さん)
「わいわい人で密集して騒ぐんじゃなくて
グループで出来るだけ集まらんようにしたい。」
レンタル着物店。
200人近い顧客と連日LINEでやりとりが続く。
来店する客に書いてもらうのは
“不要な会話をしない”
“大声を出さない”など
感染対策に協力を求める誓約書である。
一方で今年ならではの心づかいも考えた。
衣装に合わせたマスクのプレゼントである。
(レンタル着物店「みやび」 店長)
「ことしだからラッキーだったと思ってもらえるよう。
コロナに負けないでいい1日を過ごしていただければなと。」
多くの人が静かに
そして熱い思いを込めて準備を進めた成人式。
上田さんも先輩から引き継いだ衣装で参加する。
例年通りド派手な新成人たちだが
例年ほどのにぎやかさはない。
上田さんは会場に母親を呼んでいた。
(上田さん)
「感謝とありがとう。
泣けるやろう。」
(上田さんの母親)
「やんちゃだったけどものすごく優しい子なので
この姿を見てじんとします。
本当に大人になったかなって。」
(上田さん)
「めちゃめちゃしてきたけど
この成人式で切り替えて
大人として頑張っていきたいですね。」
コロナ禍の成人式は新成人の心に刻まれる式となった。
2021年1月26日 NHK「国際報道2021」
東京の新大久保駅で線路に転落した男性を助けようとして
韓国人留学生と日本人のカメラマンが電車にはねられて死亡した事故から20年。
26歳で亡くなった韓国人のイ・スヒョンさんは
“日韓の友好の懸け橋になりたい”と日本に留学していた。
いま日韓関係は慰安婦問題をめぐる判決などで冷え込んでいるが
スヒョンさんの遺志は多くの留学生に引き継がれている。
事故が起きた駅では
26日
黙とうがささげられた。
2001年1月26日午後7時過ぎ
通勤客が多く行きかうなか男性がホームから転落。
スヒョンさんと日本人カメラマンは男性を助けようと線路に降り
電車にはねられて亡くなった。
事故から20年の節目を迎え行われた追悼式。
スヒョンさんの母親のシン・ユンチャンさん。
命日には毎日来日していたが
今年はかなわず
ビデオメッセージを寄せた。
(スヒョンさんの母 シン・ユンチャンさん)
「息子を失ってもう20年です。
温かい愛情をくださった皆様のおかげで悲しみを乗り越えられました。」
“日韓の友好のための仕事がしたい”という夢を持って来日したスヒョンさん。
当時通っていた都内の日本語学校でも
夢をかなえるため勉強に励む姿が印象的だったという。
(スヒョンさんを教えていた田中さん)
「好青年で精悍で
とにかく友だちが多かった。
事故翌年の日韓ワールドカップで日本語・韓国語・英語の通訳ボランティアをしたいと。
だからスヒョン君が生きていたらどう活躍していたかなって。」
命を懸けて見知らぬ人を助けようとしたスヒョンさんの行動に
日本や韓国からこれまでに2,000通の手紙や見舞金などが寄せられた。
事故の翌年
両親は息子と同じように“日本語を学ぶアジアの留学生を支援したい”と
見舞金で奨学金制度を作った。
現在は日本の支援者が引き継ぎボランティアで運営している。
これまでに奨学金を受け取った留学生は1,000人近くにのぼる。
その1人
一昨年来日したオ・スンフンさん(24)。
スヒョンさんと同じ日本語学校に通い始めて
スヒョンさんのことを詳しく知るようになり
感銘を受けたという。
(奨学金を受けた オ・スンフンさん)
「勇気ある行動で日韓両国に感動を与えたことは
後輩としてとても尊敬しています。」
日本のゲーム会社で働くことを目指しているオ・スンフンさん。
得意のイラストをSNSに投稿すると
日本人からも多くのコメントが寄せられ
励まされるという。
スヒョンさんの志を受け継ぎ
将来 日本と韓国をつなぐ仕事がしたいと考えている。
(奨学金を受けた オ・スンフンさん)
「日韓関係がどこまで悪くなるのか不安です。
関係が良くなってほしいので
私が懸け橋になれるならそれ以上うれしいことはありません。」
スヒョンさんの母親は毎年この日に事故現場を訪れてきたが
今年は新型コロナの影響で来日できず
プサン(釜山)にある墓の前で開かれた追悼式に出席した。
多くの韓国メディアがこれを取材して
なかにはこんな見出しを取った新聞もあった。
数多くの韓日両国の外交官ができなかったことを
スヒョンさんは1人で成し遂げた
韓国ではこのところスヒョンさんをしのぶ本が出版されたり
追悼碑が設置されるといった動きも出ているという。
2021年1月25日 NHK「おはよう日本」
独特の自然が育まれた鹿児島県の奄美は
今年 世界自然遺産の登録を目指している。
奄美の自然を長年追い続けてきた写真家は
登録の実現で貴重な自然がさらに守られることを期待している。
“生きた化石”と言われ特別天然記念物(国)のアマミノクロウサギ。
国の絶滅危惧種に指定されているアマミトゲネズミ。
亜熱帯の森に生きる動物たちの生態をとらえた数々の写真。
撮影したのは自然写真家の常田守さん。
40年以上 奄美の自然を見続け
これまでに撮影した写真は10万枚を超える。
「これは夜のアカショウビン(リュウキュウアカショウビン)。
私に起こされて
こうやって大きなあくびするの。
こういったいろんなのが見られるのが奄美大島。」
世界遺産登録に向けて一昨年
IUCN(国際自然保護連合)の調査団が奄美を訪れたときには案内役もまかされた。
調査団にアピールしたのは
ここにしかない動植物である。
「これがアマミフユイチゴ。
固有種です。
奄美と徳之島しか生えない。」
植物だけでも奄美群島には分かっているだけで約50の固有種が存在する。
常田さんは
これまで地元では見向きもされてこなかった動植物にも保護の必要性を訴えてきた。
(自然写真家 常田守さん)
「動植物を含めて
ひと言でいえば多様性ですよね。
365日24時間どの時間もどの季節も面白い。」
森に通い続ける常田さんが心を痛めているのが盗掘被害である。
2020年5月に撮影したコゴメキノエラン(絶滅危惧種)。
希少さから採取や販売が禁止されているが
闇ルートで高額で取引されているという。
(常田さん)
「コゴメキノエランがなくなってますね。
後ろの方にもかろうじて残ってたんですけど
それすらもないですね。」
2021年1月に撮影に来た際には全て盗掘されていた。
なんとか盗掘をくい止めたい。
常田さんが期待するのは
世界自然遺産に登録されることで保護の網をかけることである。
しかし世界遺産への道は平坦ではなかった。
(平成30年5月 環境省の会見)
「世界遺産一覧表への記載
もしくは審議を延期することが適当。」
3年前IUCNは
推薦地が分断されるなど希少種の保護が十分でないと指摘し
登録の延期を勧告。
いわば“出直し”を求められた。
当時のNHKの取材に対して常田さんは
「奄美の自然がダメだってことではないので
また宿題をもらったなという感覚ですね。」
それから3年。
宿題をを出された形の奄美で常田さんは
未来を担う子どもたちに保護の必要性を学んでもらおうと
自らの知識を語り伝えてきた。
そして地域でも外来種の駆除が行われるなど
貴重な動植物を守ろうという動きが各地で高まってきている。
世界遺産への3年越しの再挑戦となる今年
常田さんは手ごたえを感じるとともに登録のその先も見据えている。
(自然写真家 常田守さん)
「最大の目的は自然を守ることであるので
世界自然遺産は通過点ではある。
日本の宝から世界の宝になるわけだから
ちゃんと段階を踏んで保護ということを念頭に置きながら
そうしないと観光も長く続かないだろうし
壊れやすい自然でもあるので
いつでも考えて行動してほしいですよね。」
2021年1月25日 NHK「おはよう日本」
ガチャガチャッとハンドルを回しておもちゃを取り出すカプセルトイ。
中にはいっているのは
なんと真珠。
今この国産の真珠が入ったカプセルトイが注目され
全国で売り上げを伸ばしている。
そこにはささやかな幸せが詰まっているようである。
カプセルの中にはいっているのは宇和海などでとれた国産真珠のアクセサリー。
いま全国の観光地や商店街に置かれ
女性を中心に人気を集めている。
1回1,000円ではずれはなく
必ず手に入る。
(客)
「ちゃんと認定書が入っている。」
「何万円もするのが普通だと思うので
1,000円と書いてあったので
なおさらちょっとやってみようかなと思ってやりました。」
愛媛県南部の宇和海沿岸。
真珠の生産量日本一を誇るが
不況や高齢化の影響で売り上げは最盛期の3割以下に落ち込んでいる。
真珠のカプセルトイを作っている宇和島市の真珠卸業者。
考案した専務の松本さん。
業界を元気づけるためには
高級路線だけではなく
より多くの人に真珠に触れてもらいたいと考えている。
「生産者自体も年々減少しているような状況なので
アコヤ真珠としての需要喚起につなげていければ。」
使われているのは“あまり玉”と呼ばれる真珠。
大きさや色のわずかな違いで市場に出回らなかったものである。
カプセルに入れる真珠のアクセサリーはひとつひとつ手作業で作る。
手に取ったひとに幸せになってもらいたい。
思いを込めて全国へ送り出す。
販売を開始して1年。
意外性に加え認定書がつく安心感もあって人気に火がつき
今では全国30か所以上に設置されている。
出荷数も月に1万個以上になるという。
(客)
「ネックレスかイヤリングか
どっちか当たればいいなと思っていたので
よかったです。」
ささやかな幸せをもたらしてくれる真珠のカプセルトイ。
このカプセルトイを気にかけるふたり組がいた。
東京からやってきた50代の夫婦である。
この日が誕生日の女性。
じつは結婚したときに夫からプレゼントされた真珠のネックレスをなくしてしまったという。
また買ってほしいとはこの20年間ずっと言えなかった。
「昨日の夜はこれなんだろうって言っていて
きょう来たら引きたい引きたいとかって
誕生日だからいいかと
それで引いています。」
「真珠普通に買えば高いじゃないですか。
すごくつやがあってすてきかな。」
忘れられないプレゼントになった。
1回1,000円の小さな宝石箱。
ちょっと高価なカプセルトイは
日常にささやかないろどりを添えてくれる。
2021年1月25日 NHK「おはよう日本」
新しいアイデアを吹き込んだトースターなどをヒットさせている振興の生活家電メーカーがある。
2020年12月に株式を上場した。
コロナ禍の上々ということで注目を集めた。
12月にマザーズで上場したバルミューダ。
社員110人ながら年間100億円以上を売り上げている。
最近のヒット商品は2万円を超えるトースター。
少量の水を入れ水蒸気を発生させることで
パン屋さんの窯から出したばかりの風味を体験できるという。
(バルミューダ 寺尾社長)
「道具そのものが欲しいという欲求がほとんどない時代。
そのなかで何をみんなが選ぶかというと
美しさや気持ちよさやおいしさ。」
この会社は“成熟市場”の生活家電に新たな機能やデザインを加えることで
高価格にもかかわらず売り上げを伸ばしてきた。
さらに会社を成長させるため社長の寺尾さんが選んだのがマザーズ上場だったという。
(バルミューダ 寺尾社長)
「会社を1人で操業し
勘と気合とラッキーで途中まで上がれたが
この先は無理。
上場しようという旗印のもと一気に会社を動かすのが効率的。」
これまで寺尾さんが全ての商品のコンセプトを考え社員に伝えて開発。
新商品を年に2~3個出すのが精いっぱいだったという。
そこで
社員がコンセプトを考え提案してもらう開発プロセスを試すことにした。
市場で調達した資金でこうした人材を新たに採用。
商品数を増やし売り上げを拡大する狙いである。
このプロセスで社員が提案したのが掃除機。
海外メーカーも多く参入する“激戦市場“である。
差別化を図るため新たなクリーナーヘッドを開発。
360度回転し
横やななめに動かしてもごみを吸い込めるため
掃除の時間を短縮できるという。
社長のアイデアを上回る社員の提案によって
これまでの家電の枠を超えた商品を生み出していきたいという。
(バルミューダ 寺尾社長)
「すばらしい商品があって
すばらしい組織があったら
すばらしい成果が出るだろうというのが私の考え方。
人から見たら突拍子もないとか
大丈夫なんですかというアイデアを提案し続けたい。」
2021年1月25日 NHK「おはよう日本」
新型コロナウィルスの感染拡大で中小企業は売り上げの減少に悩んでいる。
そうしたなか愛知県の経営相談所が企業に斬新なアイデアを提案し
新しい商品やサービスを生み出している。
マスクに印刷されているのは名刺。
印刷会社が開発し
名前や社名に加え趣味なども描かれている。
マスクで表情が分からなくても“印象に残る“と話題に。
発売後
会社のホームページへのアクセス数は600倍に伸び
注文が殺到している。
(長屋印刷 中川社長)
「社員総出で電話をとったり
本当にお祭り騒ぎで。
こういう形に実を結んだというのは会社として非常に自信になった。」
岡崎市の創業98年の和菓子屋も新商品を発売。
どら焼きの手作りセットである。
巣ごもり需要が増えたことに目をつけた。
フルーツなど好きな食材を挟んでアレンジすることもできる。
作る工程は通常のどら焼き作りと同じで
追加の費用や負担はない。
(小野玉川堂 小野4代目 )
「客数だったら1,5倍とか
手土産に使いたいという話も買ったりしたので。
おかげさまでこれは好評をいただいている。」
これらを提案したのは岡崎市の経営相談所。
コロナ禍に苦しむ中小企業の売り上げ回復や販路拡大などの相談に応じている。
センター長の秋元さん。
需要の変化に対応し
いかにお金をかけずに売り上げアップを実現するかを信条にしている。
(岡崎ビジネスサポートセンター 秋元センター長)
「ずばり
その会社のいいところ探しをして
いいところを生かした売り上げアップを一緒にサポートして
お金をかけなくても
新たな使い道を提案したり
知恵を一緒に出していく。」
スーパー銭湯からも相談があった。
広々とした露天風呂が自慢だが
売り上げはコロナの影響で多い時で3割以上減少していた。
秋元さんが目をつけたのは
広い休憩スペースなどの設備が揃っていることだった。
風呂上がりに漫画などを読むなどの机やいすを
そのまま仕事場としてつかえるようにした。
疲れをいやすリクライニングチェアもあり
リモートワークで訪れるサラリーマンが大幅に増えた。
(おかざき楽の湯 平山店長)
「ノートパソコン持ってきていただいてやっている方もいた。」
さらに空いているロッカーの活用も。
ランニング需要を取り込もうと
荷物の保管と入浴をセットにしたプランを用意し
土日を中心に人気だという。
設備投資は一切行わず
かかった費用はゼロ。
それでも新たな客層の取り込みに成功し利用客の回復につながっている。
秋元さんは
コロナ禍の今だからこそ
中小企業にとってビジネスチャンスがあると考えている。
(岡崎ビジネスサポートセンター 秋元センター長)
「コロナで需要がなくなったわけではない。
需要が変わったんだと
もちろん厳しい状況に変わりないが
ピンチもチャンスとしてとらえるような可能性は広がってくるんじゃないか。
スピードが問われる今だからこそ
中小企業の皆様方の新たなチャレンジを
新たな1年を一緒になってサポートしていきたい。」
2021年1月24日 NHK「おはよう日本」
いま世界を席巻するK-POP。
韓国から送り出されたアーテイストたちが
人気の理由はハイレベルな歌唱力とダンスパフォーマンス。
「ダンスがどの曲もかっこいい。」
「韓国好きだから派手髪に。」
そのK-POPにいま新たな潮流が。
2020年12月にデビューしたNijiUはメンバー全員が日本人。
現地の国で原石を見つけデビューさせる
K-POPの次なる戦略「地域拠点化」の先駆けとなっている。
(ビッグヒット・エンターテインメント グローバルCEO ユン・ソクジュンさん)
「まず最優先に考えているのは日本市場へのアプローチです。」
世界的に活躍している男性アイドルグループ BTS。
2020年夏に発表した曲「Dynamite」がアメリカの音楽チャートで1位を獲得した。
韓国政府はその経済波及効果が1,500億円余にのぼると分析している。
曲の売り上げに加えて
関連する化粧品・食料品・衣類などの輸出が増加して
約8,000人の雇用を生み出す効果があるという。
韓国ソウルの中心部。
多くの芸能事務所が集まるカンナム(江南)地区。
“K-POPの発信地”と言われている。
BTSを世界に送り出した事務所 ビッグヒット・エンターテインメントもこの街にある。
男性7人組のBTSは2013年にデビュー。
翌年には日本
さらに次の都市にはアメリカを含むワールドツアーを開始。
世界各国のチャートで次々とトップを獲得している。
世界的グループとなった彼らを支える所属事務所のユン・ソクジュン グローバルCEO。
日本のメディアの取材に初めて応じ
今後の世界戦略について語った。
(ビッグヒット・エンターテインメント ユン・ソクジュン グローバルCEO)
「私たちはグローバル市場で成功する方程式を作り上げてきたと考えています。
世界各地に進出しても
私たちが得てきたさまざまなデータと経験とノウハウを十分に生かせると判断し
これからは地域に拠点を置くプロデュースに挑戦していきたいと考えています。」
世界各地に拠点を置きその国の若者をデビューさせるという新たな戦略
「地域拠点化」。
2021年1月
ビッグヒットはその先がけとして日本でグローバルデビュープロジェクトを開始した。
年内にデビューし日本を拠点に活動するグループのメンバーを発掘。
(ビッグヒット・エンターテインメント ユン・ソクジュン グローバルCEO)
「日本は以前からアイドルアーティストが多く活動してきて
ファンの方々がアイドル文化を楽しむいろいろな方法が昔からありました。
ビッグヒットだけが培ってきた成功の方程式と融合させることができると判断したのです。」
この世界の各地に拠点を置くという新たな動き。
専門家は
K-POPが世界に浸透してきた上の次なるステージだと分析している。
今につながるK-POPが韓国国内で生まれたのは1990年代(第1世代)。
2000年代にはBoAや東方神起などといった第2世代が日本や中国で大きな人気に。
その後はBTSやBLACKPINKなどが大ヒット。
“K-POP”は世界の共通語となった。
そしていま世界各地を拠点に活動を始めた第4世代。
中国に拠点を置くK-POPグループもデビューしている。
(韓国のエンタメ業界に詳しい 韓国 ジョージメイソン大学 イ・ギュタク教授)
「地域拠点化で生まれたグループはその国で自由に活動できる。
K-POPのスタイルが浸透した中では
より早く簡単に現地の国のファンにアプローチすることができると思う。」
こうした流れに韓国政府もいま国を挙げて後押しする姿勢を示している。
今年の年頭のあいさつではムン・ジェイン大統領も
(2021年1月11日 韓国 ムン・ジェイン大統領)
「Kコンテンツが世界を魅了し幸せを与えている。
韓流コンテンツのデジタル化を促進し
文化大国の地位をさらに確かなものにする。」
さらに韓国エンタメ界が動画サイトやSNSなどの理由を積極的に進め
世界への浸透を大きく後押しした。
(韓国 ジョージメイソン大学 イ・ギュタク教授)
「ユーチューブにさまざまなK-POPの映像が存在するようになり
世界中の人たちが映像を見て共有してお互いに共感した。
映像使用について
そうした寛容な態度が一番重要だった。」
地域拠点化の動きは日本の若者たちにも影響を与えている。
日本各地からK-POPスターを夢見る若者たちが急増しているのである。
静岡のダンススクールに通うHさん(16)。
ビッグヒットが日本で新たに始めたオーディション受けている。
中学3年のとき友だちに誘われ文化祭でK-POPを踊ったHさん。
かっこよさに心を奪われ
スクールに通いレッスンにうち込んできた。
(Hさん)
「みんながほぼ一緒の動きで個性とかもあって
自分のダンスの個性が全体のダンスを崩していない。
自分の中では“こんなダンスあるんだ”
すごいかっこいい
あんなダンスを見せつけられたら
みんな憧れちゃう。」
そしてHさんはオンラインで行われたオーディションの2次審査に挑んだ。
(Hさん)
「自分としては日本で活動して
日本で売れてから世界へ行きたい。
みんな世界中が僕に憧れてくれるように
それぐらいかっこいいアイドルになりたい。」
(ビッグヒット・エンターテインメント ユン・ソクジュン グローバルCEO)
「日本には本当に良い力量を備えている方々がたくさんいると思います。
その方々の夢と私たちのトレーニングのノウハウが結びつけば
すごく良い結果になると期待しています。
2021年1月22日 NHKBS1「国際報道2021」
中国内陸部にある貴州省。
沿岸部と比べて開発が遅れていて中国で最も貧しい地域の1つとされてきたが
6年前 省都の貴陽市にアジア最大級の巨大団地が誕生して
一躍注目の的となっている。
この貴州省の団地には
安い物価や整ったインフラを目当てに中国各地から若者たちが集まって
新たなビジネスを起こす“企業の聖地”と呼ばれるまでになっている。
紀州省の開発業者が1兆5,000億円をかけて建設した巨大団地“花果園”。
200棟以上の高層マンションやオフィスビルが立ち並び
50万人が暮らしている。
5Gなどの通信インフラが整い
税制面でも優遇措置があることから
企業のために移住してくる若者が後を絶たない。
6年前に団地が完成して以来
新たに2万の会社が誕生し
花果園は若者たちの間で“企業の聖地”と呼ばれている。
コロナ危機のなか堅調に業績を伸ばしてきたベンチャー企業。
タレントを育成しネットでライブ配信するビジネスで
毎月7億円の売り上げを上げている。
社長の胡さん(32)。
800キロ以上離れた江西省で銀行員をしていたが
花果園がオープンして間もなく移住して企業。
莫大な利益を手にした。
(胡さん)
「ここは家賃が安く
企業コストが低い。
若者が多くて人材も募集しやすい。」
団地の広場で演奏する2人組。
彼らもまた
明日の成功を夢見る企業家である。
一昨年 花果園にやって来て音楽教室を起ち上げた。
毎日 看板を立てて演奏し生徒を募集している。
「SNSしませんか。
見学も歓迎です。」
マンションの1室にある音楽教室。
李さん(28)は貴州省北部の農村の出身で
以前は大手の音楽会社に勤めていた。
共同経営者の劉さん(28)は大学卒業後 広東省のIT企業でプログラマーをしていた。
高校の同級生でともに音楽が好きだったふたりは
夢をかなえようと意気投合。
貯金をはたいて
子どもや学生向けの音楽教室を起業したのである。
「授業料は1時間2,000円です。
うちの先生は全員プロですよ。」
しかし新型コロナウィルスの影響で去年2月から5月まで休業を余儀なくされ
完全に再開できたのは9月。
賃料やスタッフの給料など月30万円近いコストがかかる。
(李さん)
「金持ちにとって起業は投資に過ぎないが
金がない僕らには苦労の連続だ。
どうせ失うものもないけどね。」
(劉さん)
「安定した仕事を捨てるなんてバカだと友人に笑われた。
でも僕は挑戦したい。
リスクがあっても好きなことをしたい。」
ビジネスの低迷から抜け出そうとふたりが始めたのがオンライン授業である。
日付が変わった午前0時過ぎ。
オンラインで最後の授業が始まった。
生徒は武漢の大学生である。
「ドから弾きましょう。」
レッスンをオンラインに切り替える教師が増えるなか
生徒を確保するのは容易ではない。
深夜でも早朝でも生徒の都合に合わせる。
経費を浮かせようとふたりは職場で寝泊まりしている。
(李さん)
「ここ数年は勉強。
赤字にならなければ満足だ。
30歳になったら大儲けできるだろう。」
(劉さん)
「目標と理想のない人はゾンビにすぎない。
自分の会社を上場させるのが目標だ。」
中国内陸部にある“企業の聖地”。
若者たちのエネルギーがさらなるビジネスチャンスを生み出している。
2021年1月22日 NHK「おはよう日本」
緊急事態宣言が出される前の1月初め
東京オリンピックのメインスタジアムとなる国立競技場で
大勢の観客がいるなかで初の大規模な調査が行われた。
調査の舞台となったのはJリーグカップの決勝。
感染拡大後 国立競技場で最多となる2万4,000人余が訪れた。
人が密集しそうな場所に設置されたのは
(産業技術総合研究所 保高さん)
「これはCO2(二酸化炭素)の濃度を測定する機械です。」
人の吐く息に含まれる二酸化炭素の濃度を測ることで
その場所の密集度合いや換気の状況を把握できる。
レーザーレーダーは
観客同士の距離を計測し
1人1人の動きを追跡できる。
選手ロッカーや審判の控室も調査の対象。
Jリーグと国の研究機関が
いつ・どこで3密が起きているのか
くまなく調べた。
(環境リスク評価が専門 産総研 保高さん)
「観客 スタッフ 選手がいるところでリスクが高いところを見極めるのが重要。」
今回 密が明らかになったのが①トイレである。
ハーフタイム
席を立ちトイレに向かう人たちが・・・。
二酸化炭素の濃度は3つの時間帯で極端に上がっていた。
試合開始の30分前
ハーフタイム
そして試合終了後に利用が集中していたのである。
中でも観客席に近い1階の男子トイレ。
ハーフタイムの多い時で65人が並んでいたという。
一方
同じ時間帯に観客席から離れた地下のトイレは倍以上広いのに閑散としていた。
二酸化炭素の濃度を比べてみると2,5倍を超える開きが。
鑑定者の想定以上の結果だった。
(感染リスク強化が専門 産総研 保高さん)
「なぜか誰も並んでいないトイレに人は行かず
並んでいるトイレに行ってしまう現象がある。」
(人工知能を用いた行動分析が専門 産総研 大西さん)
「国立競技場もできたばかりで
皆ほぼ初めてというのもあって
これはオリンピックのときにも出てくるだろうなと。」
問題はトイレだけではない。
②試合終了後の入退場ゲートでも密が起きていた。
千駄ヶ谷駅に近いゲートで人の動きをレーザーでとらえた動画。
試合終了直後は人がまばら。
約5分で画面を埋め尽くすほどになった。
急激に人が増えて渋滞が起き
周辺の二酸化炭素の濃度はそれまでの2倍に上がっていた。
試合終了から10分間で1,600人近くが通過し
最も密になっていたことが分かった。
勝ったチームのファンはセレモニーを見ようと残る人も多い一方
負けた方はいっせいに帰るため終了直後に混雑が起きていたのである。
(人工知能を用いた行動分析が専門 産総研 大西さん)
「負けたチームの方が
負けた瞬間にもういいやと思って帰る人が増えるので
そこでCO2なんかも増える。」
Jリーグは
混雑状況を可視化して
利用者の少ないトイレに誘導する「空きトイレマップ」作りや
時間差をつけて退場してもらう方策について
今後検討することにしている。
(Jリーグ新型コロナウィルス対策室 仲村さん)
「対策を講じつつ
多くのお客様に見に来ていただける環境を整えたい。」
調査に立ち会った専門家は
(東京大学医科学研究所 井元教授)
「どこが混雑するかを“見える化”し
どうやって観客に届けるか。
係員が大声で伝えるとそれ自体がリスクになるので
スマートフォンやIoT技術を使ってやっていくのが1つの方法。
東京五輪・パラのメインスタジアムである国立競技場の感染リスク評価に
データが使えるのは非常に意義深い。」
2021年1月18日 NHK「おはよう日本」
新型コロナウィルスの感染が拡大するなか
音楽文化を育む地域のホールではさまざまな感染対策を取るなど試行錯誤が続いている。
なかでもオペラは“音楽と演劇の総合芸術”と言われ
大規模なため
対策は容易ではない。
そうしたなか大津市にあるオペラの拠点 びわ湖ホールでは
演出を工夫して公演の復活を目指している。
滋賀県大津市にあるびわ湖ホール。
20年前 劇場が少なかった滋賀県にオペラを根付かせようと開館し
いまや国内有数のオペラの拠点となった。
(山中館長)
「オペラなしでは考えられない。
うちの運営というか全てが。」
館長の山中さん(65)。
ホールは去年“特別な1年”を迎えるはずだったという。
ワーグナーの超大作オペラ。
日本で公演されることはまれだが
ホールでは活動の集大成として
4年がかりで公演を続け完結することになっていた。
しかし新型コロナウィルスが待ったをかける。
感染の拡大で3月の本番に観客を入れられなくなったのである。
超大作の完結の瞬間をどうにかして分かち合えないか。
1席6,000円以上する公演だったが
ホールは無料の動画配信に踏み切る。
さまざまな自粛が広がるなか
世界30か国で
のべ41万人が視聴した。
オペラに励まされたというメッセージも次々と寄せられた。
(山中館長)
「見終わってすがすがしい気持ちになったって
初めてオペラを見て感激したっていう若い方もたくさんいた。
コロナ禍のこういう時こそ必要であって
オペラは全然不要でもなければ不急でもない。」
しかしその後ホールは休館を迫られ
オペラの公演はできなくなった。
芸術の灯を消したくない。
ホールの挑戦が始まった。
復活第1弾のオペラは1月下旬の公演が決まった。
しかし感染防止対策は簡単ではない。
多くの人が動き回りながら歌やセリフでストーリーが進むため飛沫が飛びやすいのである。
稽古ではマスクの着用を徹底。
本番では相手に触れたり小道具を触ったりする際の感染リスクを考え手袋をはめる。
(演出家)
「もうちょっと早く移動しないと
真後ろから飛沫を浴びていることになる。」
飛沫を避けるため移動のタイミングを計算し
向き合って歌うことはやめた。
(オペラに出演する平さん)
「お互いに顔を向き合って歌えない。
演技するっていうのにすごく苦労がある。」
生のオペラが途絶えてから1年。
思考錯誤を重ねコロナ禍で対応した新たなオペラが生まれつつある。
(山中館長)
「本当にこういう時こそ
音楽や芸術を楽しんでもらいたいと思っていて
つらい気持ちを少しでも和ませる
劇場はそんな場所じゃないかなと思う。
今年は復活
すばらしい1年にしていきたい。」
2021年1月18日 NHKBS1「キャッチ!世界のトップニュース」
中東のイランでは近年
犬を飼うことが富裕層のステータスとなっている。
10年ほど前と比べ飼育されている犬の数は5倍に急増したとも伝えられている。
ただ保守的なイスラム教徒の間では長年
“犬は不浄な生きもので接触は避けるべき存在”と受け止められている。
こうしたなか今苦境に立たされているのが犬の保護施設である。
保護活動に批判的な市民からの声だけでなく
アメリカによる経済制裁が活動をより困難にしている。
首都テヘランから車で1時間余のアルボルズ州カラジにある大規模な犬の保護施設。
イラン全土から1千頭以上の犬が集められ保護されている。
有志などの市民グループが15年ほど前に立ち上げたこちらの施設。
年々保護する犬の数が増え
今では1万平方メートルの敷地に約1,300頭ほどの犬が集まっている。
木箱の上で遊んだり
お友だちと一緒にソファーでお昼寝したり
犬たちは思い思いの時間を過ごしている。
午後3時半
食事の時間になるとエサに突進する。
しかしイランでは犬を取り巻く環境は極めて厳しいのが実情である。
施設のマネージャー アザリさん。
10年以上この施設で働いている。
「この子は前足がない。
あっちの子も足がないですね。
みんな道路での事故です。」
保護している犬はイラン全土で引き取り手がないまま道路上でけがをしていた犬などである。
野良犬のほか飼い主に捨てられた犬も多く含まれている。
イランでは保守的なイスラム教徒を中心に犬を飼うことに批判的な人が少なくない。
地域によっては
犬を車で連れ出しドライブに行ったら罰金を科されたという報道もある。
最高指導者のハメネイ師が
“番犬はいいが西洋的な飼育は避けるべきだ”と発言したと伝えられている。
(市民)
「犬を飼うことに全く賛成できないし
同じ建物にもいたくありません。
衛生的にも宗教的にも犬を飼うことは誤りです。」
アザリさんたちの保護活動にも周辺住民から批判が寄せられることもあるという。
(アザリさん)
「批判はありますが仕事を続けるしかありません。」
さらに活動を難しくしているのがアメリカによる経済制裁である。
1日に必要なエサの量は2トン。
鶏肉・人参・ほうれん草などを盛り込む。
しかし制裁による通貨の暴落であらゆるものの価格が高騰。
1年前と比べエサ代は倍以上となり
市民からの寄付で賄われる活動資金を圧迫している。
医薬品も高騰している。
この日 獣医が診察にやってきた。
診察はボランティアで無償だが
医薬品は購入しなければならない。
(獣医)
「この点滴液の価格は1年前と比べ2倍以上になっています。」
この施設では狂犬病などのワクチンの入手が困難になり
これまでしていたすべての犬への接種を断念することになった。
(獣医)
「制裁で医薬品の輸入が難しいです。
医薬品が貴重になり価格が高騰しています。」
多くの保護団体がインターネットなどで活動を広め海外からも寄付を募っているが
制裁でイランの銀行が国際的な金融ネットワークから遮断されているため
海外の支援者から寄付を受けられない団体もあるという。
この施設でも資金面での難しさから
原則 新たな犬の受け入れを1年ほど前から停止している。
(施設マネージャー アザリさん)
「食品も医薬品もスタッフの給料など
あらゆるコストが高くなっています。
これ以上の犬は受け入れられません。
不可能です。」
それでもアザリさんたちは
保護された犬たちに幸せな時間を過ごしてもらえるよう全力を尽くしたい考えである。
(施設マネージャー アザリさん)
「少なくとも
ここの犬たちが良い環境で一生を送れるようにしたいです。」
2021年1月14日 NHKBS1「国際報道2020」
ブルガリアの元新体操選手 アントアネタ・ヴィターレさん。
アントアネタさんは東京オリンピック・パラリンピックでのブルガリアのホストタウン
山形県村山市の臨時職員として働いている。
人口2万3千
山形県村山市。
ブルガリアから約30人の選手団を受け入れるホストタウンである。
村山市役所にある東京オリンピックパラリンピック交流課。
アントアネタさんはこの課の臨時職員として働いている。
アントアネタさんが村山氏に来たのは一昨年2019年の秋。
市役所の人たちとともに準備を続けてきた。
「ここが日本式の和室。」
選手団が宿泊する予定の温泉旅館。
アントアネタさんは選手団の意向を聞いて
布団の代わりにベッドを用意したり
料理のメニューをチェックしたりしている。
さらに選手がケガや病気になった時にも備えている。
「(音声)救急隊です
あなたにいくつか質問します」
「オーケー 分かった。」
タブレットを使って英語でやりとりができるようにした。
ブルガリアの新体操の選手としてヨーロッパ選手権で金メダルを獲得するなど
第一線で活躍したアントアネタさん。
新体操を通じてブルガリアと村山市をつなぐ仕事に大きなやりがいを感じていた。
東京大会の1年延期が決まった時には
村山市に残って受け入れ準備を進めたいと自ら申し出たという。
(アントアネタさん)
「オリンピックは人と人をつなげる。
平和と調和をもたらす。
私の仕事は村山市でオリンピックの準備をすること。
もし家に帰ったら途中で投げ出すことになる。」
アントアネタさんは夫や子どもたちと離れて市内のアパートで1人暮らしをしている。
「息子のクリスチャン
娘のニコル。」
「ママよ 元気?」
「元気だよ。」
「外に出る時は新型コロナに気をつけて
手洗い マスク 手の消毒をすること
分かった?」
「はいはい。」
(アントアネタさん)
「家族を恋しく思う。
子どもたちをハグしたいし守りたい。」
村山市の子どもたちに新体操を教えることもアントアネタさんの仕事である。
指導しているのは小学生を中心に約50人ん。
彼女たちの指導を中途半端で終わらせたくなかったのも
村山市に残った理由の1つである。
アントアネタさんは滞在が1年延びてできた時間で
日本語を猛勉強。
(アントアネタさん)
「日本語とても難しいです。
オフィス内での会話を聞きながら学んで
会話にも挑戦している。」
子どもたちとより深くコミュニケーションがとれるようになった。
「もっと力入れて ゆっくりダメ
肘を伸ばして。」
「お尻押して ひざとつま先を伸ばして。」
「たくさん練習してとても上手になります。
分かった?」
「はい!」
「私の日本語いいね。」
(練習生)
「先生は日本語も使えるし
動きでも表現してくれるのでとてもわかりやすい。」
「厳しいことも言われるけど
どんどんできるようになって心も強くなった。」
アントアネタさんの一番の宝物。
新体操の卒業生などから贈られた寄せ書きである。
(アントアネタさん)
「ブルガリア語で“ありがとうございます”と書いてある。
みんなとても可愛い。
素敵なプレゼント。」
「たとえ違う言語を話しても
スポーツはコミュニケーションを助ける。
オリンピックを村山市の人々と見たい。」
2021年1月13日 NHKBS1「国際報道2021」
フランスのファッションデザイナー
ピエール・カルダン氏。
2020年12月29日 98年間の生涯に幕を閉じた。
戦後間もない頃からキャリアを築いて世界的に有名になったカルダン氏だが
今あたり前だと思っていることを
当時の常識を覆して取り入れ
いわば“革命を起こした人物”でもあった。
独創的でカラフルなデザイン。
なかには近未来を意識したものまで。
さまざまなデザインを世に送り出し「モード界の革命児」とも言われたピエール・カルダン氏。
(映画「ライフ・イズ・カラフル」より)
「10代のとき学校で聞かれた。
“将来は何になりたい?”
“ファッションデザイナーです”
意味も知らずに。」
これはカルダン氏の半生を描いた映画である。
幼い頃イタリアからフランスに移住したカルダン氏は
戦後 ファッションデザイナーのクリスチャン・ディオール氏のもとで会働いた後 独立。
めきめきと頭角を現していく。
(映画「ライフ・イズ・カラフル」)
「パリで求められるのは創造性で
多くの女性に提供されるべきだ。
金持ちの特権階級の女性に限定してはならない。」
ピエール・カルダン氏の“革命”その① 既製服の概念を覆す
当時ファッションと言えば富裕層などの特権階級などが楽しむもの。
カルダン氏はこの常識を覆し
“侯爵夫人だけでなく家政婦向けにも服を作る“として既製服の市場に参入。
デザイン性のある大衆向けの服を比較的安い値段で提供したのである。
これが爆発的な人気を呼んだ。
「これは1966年~67年にカルダンがは票した既製服です。
価格もとても安かったんですよ。」
カルダン氏のアシスタントを務めていたルネ・タポニエさん。
14歳でカルダン氏のもとで働き始め
60年近くに渡り傍で支えた。
(ルネ・タポニエさん)
「とても裕福になってからも布切れ一枚も無駄にしないんです。
イタリアからの移民で
幼い頃貧しかったことも影響していたのかもしれません。」
ピエール・カルダン氏の“革命”その② モデルの多様化
カルダン氏はモデルの多様性という点でも革命を起こした。
モデルの中でひときわ目を引く女性は松本弘子さん(2003年死去)。
(映画「ライフ・イズ・カラフル」)
「日本人ですね?」
「ええ日本人です。」
「なぜフランスに?」
「カルダン氏のおかげです。
彼は5~6年前に来日。
日本人モデルが必要だったんです。」
カルダン氏が1950年代に来日した際
モデルとして活躍していた松本さんの美しさにほれ込み
パリで自分のブランドのモデルになってほしいと猛アタックした。
松本さんの長女 オリビア・バーガウアーさん(53)。
(バーガウアーさん)
「『弘子が着た服はみんなが欲しがる』なんて言われました。
母を通して
フランス人は日本の文化の洗練された美しさに興味を持ったんだと思います。
まだモデルと言えば白人女性ばかりの時代に
日本人を起用したヨーロッパのブランドはカルダン氏が初めてだった。
当時珍しかった男性モデルや黒人女性モデルも相次いで起用し
ファッション業界に多様性をもたらした。
さらに
当時開放政策が進められていた旧ソビエトや中国に乗り込みいち早くショーを開催。
欧米の最先端の音楽やファッションを熱望していた若者たちから絶大な支持を得た。
新進気鋭のパリのファッションデザイナー クリストフ・ギヤーメさん(42)。
「まさに60年代のファッション業界を改革した人です。」
カルダン氏と同じくギヤーメさんも自身のブランドに多様なモデルを起用している。
(ギヤーメさん)
「カルダン氏の影響は大きいです。
ファッションは民主化さsれるべきで
現実世界と離れてはいけません。」
ファッション業界に新しい風を吹き込んだカルダン氏。
フロンティアを追い求め続けた姿勢は次の世代に着実に引き継がれている。
(映画「ライフ・イズ・カラフル」)
「幸せになれる唯一の方法は働き続けることだよ。
私は決して立ち止まらない。
人生の終わりをただ待つのはごめんだね。」