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好況に沸くメキシコ “夢”抱き戻る移民

2014-04-14 08:30:00 | 海外ネットワーク
4月6日 海外ネットワーク


かつてメキシコからは多くの人が移民として大国アメリカに渡って行った。
しかし今その構図が変わってきている。
メキシコの人たちがアメリカから戻り始めているのである。
製造業の拠点としての存在感が高まり経済成長が続いているメキシコ。
メキシカンドリームが人々をひきつけている。
町中にあふれる活気。
高級ブランド品を手に歩く女性。
高層ビルの建設もあちこちで進んでいる。
メキシコでは年3%~5%の経済成長がここ数年続いている。
その背景にあるのが相次ぐ外国企業の進出である。
去年1年間の海外からの投資額は350億ドル(3兆6,000億円余)にのぼり過去最高を記録した。
世界の首脳や経済界のリーダーが集まる今年のダボス会議でもメキシコは存在感を示した。
(米 大手IT企業)
「メキシコに10億ドルの闘志を決めた。」
アメリカのIT企業やスイスの食品メーカーなど世界的な企業が次々に投資計画を発表し
その額は合わせて70億ドルに達した。
(メキシコ ペニャニエト大統領)
「メキシコは世界で重要な役割を担う主人公を目指します。」

アメリカとメキシコの町 ティファナ。
かつて多くのメキシコ人がアメリカンドリームを夢見て国境を超えた。
しかしここ数年 そうした人たちがメキシコに戻り始めている。
アメリカの研究機関の推計によると
1995年~2000年はアメリカに渡るメキシコ人の数はメキシコに戻る人の数を大幅に上回っていた。
しかしその10年後には人の流れが逆転し戻る人が上回った。
そのきっかけのひとつが2008年のリーマンショックだった。
景気が大きく落ち込んだアメリカ。
その一方でメキシコはいち早く景気の回復を果たした。
EUやブラジルなどと自由貿易協定を活用した輸出が経済をけん引したのである。
リーマンショックの翌年にマイナス5%まで落ち込んだ成長率は
わずか2年でプラス5%にまで回復。
それに合わせて多くの移民がメキシコに戻り始めたのである。
メキシコに戻った移民が通る入国手続きの事務所。
ここにはいま就職をあっせんするコーナーが設けられている。
戻った人たちをさらなる経済成長の原動力にしたいメキシコ政府。
NGOと協力し手続きを終えた人たちをその場で労働力として取り込む戦略である。
(米から戻ったメキシコ人)
「メキシコには仕事がたくさんあると実感。
 経験をいかして働きたい。」
(メキシコ移民局 副局長)
「学問・知識なく渡米した人が高度な教育を受けて戻ってくる。
 戻ってくる移民は国の発展の即戦力でるす。」
メキシコに戻った人の中にはアメリカでの経験を生かし成功した人たちも多くいる。
2年前に戻ったミゲル・マンサナーレスさん(48)。
自動車部品メーカーの工場長である。
14歳で渡米し30年近く自動車部品メーカーで働いてきた。
(ミゲル・マンサナーレスさん)
「私たちメキシコ人はのんびりしていると思われていた。
 アメリカでは休まず働くことを叩きこまれた。」
アメリカの市民権を持つマンサナーレスさんに大きな転機が訪れた。
自動車部品のスペシャリストとしての豊富な知識と経験がかわれ
アメリカにあるメーカーのメキシコ進出にあたって現地工場の運営を任されることになったのである。
自分の力を母国のために発揮できるまたとないチャンスだと考え戻ってきた。
英語を話しアメリカのビジネススタイルにも精通したマンサナーレスさんは本社とのやり取りもスムーズにこなす。
アメリカで働いていた時より収入も増え仕事の裁量も大幅に広がった今
再びアメリカに渡るつもりはないと言う。
(ミゲル・マンサナーレスさん)
「メキシコは大きく変わった。
 一生懸命働けば手に入らないものは無くなった。
 私のゴールはメキシコとともに成長すること。」




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香港のタクシー 新たな戦略

2014-04-08 08:00:00 | 海外ネットワーク
3月30日 NHK海外ネットワーク

東京都の半分ほどの面積に720万人が暮らす香港。
人口密度は世界でも有数の高さである。
道路は慢性的に渋滞。
市民の足はもっぱら路面電車のトラムや地下鉄。
香港のタクシーに対する旅行者の評価は年々厳しくなってきている。
「タクシーの評価」調査では香港は2011年は3位だったが
2012年は8位
そして2013年は15位と順位を下げてきている。
こうした状況を打開しようと運転手が独自のサービスを行って客のニーズにこたえようという動きが広がっている。

タクシードライバー歴12年の周展図さんはある方法で5年前より収入を1割以上増やした。
8台の携帯電話をフルに活用。
客からの依頼の電話を自分で受け
自らが配車係になって仲間の運転手を紹介することで収入アップにつなげている。
マイカーの台数がこの10年で35%増えた香港。
渋滞は悪化の一途をたどっている。
タクシーを頼んでも長時間待たされたりひどいときには車が来なかったりもする。
(地元の人)
「30分待っても来ないこともある。」
「地下鉄を使うことが多い。」
周さんは個人でタクシーを運転している。
しかし客から直接配車の依頼を受ける方法で約4000人の顧客を抱えるまでになった。
周さんが客から依頼を受ける携帯電話は5台。
客に優先順位をつけるなどして使い分けている。
自分が客を迎えに行けない場合にはスマートフォンの専用アプリを使って数百人の運転手仲間に一斉連絡。
(周展図さん)
「操作は簡単で迎えに行く場所と目的地が表示される。」
周さんも仲間から客を紹介してもらうこともある。
このようにネットワークの中で客を融通し合うことで客待ちの時間を減らし売り上げを伸ばしていったのである。
なじみの客の羅志輝さんは出張で頻繁に郊外の空港を利用するがタクシー会社に依頼時は長い時間待たされることがよくあった。
しかし周さんのタクシーを利用するようになってからは早朝でも深夜でもすぐに駆けつけてくれるため便利になったと言う。
(羅志輝さん)
「空港に行く朝は早起きの必要があるけど家につく15分前に電話してくれます。
 サービスにはとても満足しています。」
周さんのような運転手が評判になっているもう一つの理由が溶菌が安くなることである。
タクシー会社所属の運転手の場合は会社が禁止している料金の割引に周さんたちは応じている。
「15パーセント割り引いて115香港ドルです。」
固定客の獲得につながったり新しい客を紹介してもらったりするので
割引しても売り上げは増加している。
こうした周さんのような運転手は“割引党”と呼ばれている。
今や香港のタクシー運転手約3万人中1万人近くを占めるまでになっている。
(周展図さん)
「古いやり方にこだわっていたら時代に置いていかれる。
 そのへんのタクシーなんて相手にならないよ。」
割引党のあまりの人気に他のタクシー運転手からは“客を奪われた”と不満の声が上がっている。
(一般のタクシー運転手)
「割引党が出てきてから2割ぐらい売り上げが減った。」
さらに香港の議会にあたる立法会でも
“運転しながらスマートフォンを操作するのは危険”
と規制を求める意見も出た。
(議員)
「犠牲者や大事故が無ければ政府は行動をとらないのか。」
しかし香港政府は
“スマートフォンを車内に固定した状態で操作することまでは規制できず”
としている。
また料金の割引の容認している。
周さんは割引党のシステムは客と運転手双方にメリットがあるとして今後も続けていくつもりである。
(周展図さん)
「割引党になってから仲間とチームを組んでサービスできるようになり
 お客さんに喜ばれている。
 利益が出ているので自分も気持ちよく働ける。
 これからも割引党でやっていく。」
昔ながらの運転手のネットワークと最新の通信技術をフルに生かしたタクシーのサービス。
香港でますます広がっていきそうである。

料金を割り引くのはリピーターであることが事実上前提なので
利用者の大半は地元の人である。
一度きりの旅行で利用するのは難しそうだが
最近は中国本土から頻繁に訪れる観光客がこのサービスに気づき始めて利用がさらに広がっている。




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“ホロコースト”後世にどう伝える

2014-03-30 08:00:00 | 海外ネットワーク
3月16日 NHK海外ネットワーク

東京都内の公立図書館や書店で「アンネの日記」の本などが多数破られる被害が相次ぎ
日本でもホロコーストがあらためて関心を集めた。
ユダヤ人の絶滅を掲げたナチスドイツは
ユダヤ人だというだけで子どもや年寄りまで容赦なく捕えヨーロッパの各地から強制収容所に送り込んだ。
そしてガス室に閉じ込めるなどの残虐な手口で次々とその命を奪っていった。

ユダヤ人が建国した国イスラエルではホロコーストの悲劇を後世にどう伝えていくのか。
イスラエルの北部の町ネタニヤで展示されている古い貨物列車。
約70年前にユダヤ人を強制収容所に運ぶために使われた車両である。
当時ヨーロッパの20か所以上に強制収容所が作られていた。
ナチスドイツは占領した地域の鉄道網も活用してユダヤ人を次々に収容所などに送りこみ虐殺していったのである。
車両を展示しようと思いついたロ二・ドタンさん(68)。
9年前に父親の遺品整理をきっかけに祖母の姉妹がホロコーストで亡くなっていたことを初めて知った。
ベルリンで暮らしていた祖母の姉妹は現在のラトビアの首都リガまで列車で移送された後殺害された。
(ロ二・ドタンさん)
「1942年10月26日に強制収容所に送られたユダヤ人の名簿です。
 この中の1人が祖母の妹だった。」
ドタンさんはホロコーストに利用された列車を保存することで後世に悲劇を伝えていかなければと考えたのである。
そして去年 ベルギーでユダヤ人の移送に使われた車両のひとつを見つけ出すことができた。
列車を買い取りイスラエルに運び込んだ。
ドタンさんが進めている車両の展示をホロコーストから生き残った人たちも支援している。
フリードマンさん夫妻は約70年前ふたりは家族とともにそれぞれハンガリーとオランダで暮らしていたが
他のユダヤ人とともに強制連行される。
馬などの家畜を運ぶための狭い車両に無理やりおしこめられ
逃げられないように外から鍵をかけられた。
(ナオミ・フリードマンさん)
「トイレはあそこにバケツがあった。
 昼も夜もなく2日間も水も食事もなかった。」
(ヨセフ・フリードマンさん)
「彼らは列車から仲間を1人ずつ連れ出して射殺した。
 私たちに恐怖感を植え付けるためだけに。」
強制収容所で夫のヨセフさんはガス室まで連れて行かれた。
しかし殺害される直前に他のお収容所に移され一命を取り留めたのである。
(ヨセフ・フリードマンさん)
「ユダヤ人の中にさえこれ以上聞きたくないという声がありますが
 この車両を見て当時の状況を知ってほしい。」
ドタンさんは4月からこの車両を一般公開する。
訪れた人が実際に車両の中に入り触れることで被害者たちの悲劇の記憶を感じてほしいと考えている。
(ロ二・ドタンさん)
「私の世代ではなくこれからの世代にとってこの車両は重要です。
 みんなに特に子どもたちに来てもらいホロコーストの悲劇を知ってほしい。」

ホロコーストの歴史をどう伝えていくのか。
ドイツも同じ課題に直面している。
ナチスドイツやヒトラーを賛美する行為は国民の間でタブーとなり
法律の上でも刑罰を設けるなど厳しい規制が課されてきた。
ヒトラーの著作として知られる「わが闘争」も
ホロコーストにつながる根本となる思想がかかれているため出版が禁止されてきた。
しかし今過去の歴史をより深く理解し今後の教訓とするため
この本をあえてあらためて出版しようという動きも出てきている。
ナチスドイツの総統だったヒトラーの著書「わが闘争」はドイツ民族が優秀な民族だと主張する内容となっていて
ナチスが人々を扇動し独裁政治を広げていくために使われた。
ユダヤ人は寄生虫だ
アーリア民族の対極がユダヤ人

などと極端な反ユダヤ主義を主張。
ホロコーストの思想的根拠となった。
ドイツでは戦時中の反省に立って
ナチスの行為を礼賛することにつながる一切の行為を禁止。
カギ十字の表示やナチス式の敬礼などを公の場で行えば民衆扇動罪が適用される。
「わが闘争」の著作権を持つドイツ南部のバイエルン州政府も
ナチスの危険な思想が再び広がるきっかけとならないよう戦後一貫して出版を禁じてきた。
ところが州政府の持つ著作権が期限切れとなるヒトラーの死後70年の節目が来年末に迫っている。
これ以降は法的には第三者による出版が可能になる。
これを受けて「わが闘争」の出版の準備を始めた研究機関がある。
ミュンヘンにある公立の現代詩研究所である。
研究所では当時の詳しい社会的背景を説明した解説と合わせて出版することで
読者は歴史的な教訓を学ぶことができるとしている。
(現代史研究所 ブレヒトケン副所長)
「ナチズムを分析し国民に説明する。
 それによってナチズムのような思想が広がるのを防ぐのが我々の狙いです。」
しかしこうした出版の動きについてはネオナチなどの極右勢力の台頭につながるのではないかと懸念する声も少なくない。
「今まで関心が無かった若者が本を読み
 ナチスの思想を悪いと思わなくなるのが怖い。」
また本の著作権を持っているバイエルン州政府も出版によって混乱が起きるのではと懸念している。
ただ法的には出版を差し止めるわけにはいかないとしている。
(バイエルン州政府文化省 ギーセン広報官)
「最も重要なのは被害者の感情に配慮することだが
 歴史批判的な観点に基づいた版の公表では学問の自由があるので認めざるを得ない。」
これについてドイツのユダヤ人団体は激しく反発している。
ミュンヘンにあるユダヤ人団体クノーブロッホ代表は自らも強制収容所に送られそうになった経験がある。
ヒトラーの危険な思想が書かれた本を二度と人々の目にさらすべきではないと考えている。
(ミュンヘンのユダヤ人団体 クノーブロッホ代表)
「こんなものは深い深い海の底に沈めて
 国民の目に永遠に永遠に届かないようにするべきです。」

ドイツに大きな負の歴史を残したヒトラーの「わが闘争」。
現代の国民がこの本にどう向き合うべきか。
ドイツでは戦争の終結から70年が経とうとするいま議論となっている。


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民族対立 クリミアのいま

2014-03-29 10:20:00 | 海外ネットワーク
3月16日 NHK海外ネットワーク

ウクライナの民族対立を象徴する地域がクリミア自治共和国である。
18世紀にロシア帝国に併合されたクリミアではロシア系の住民が全体の61%を占めている。
住民たちはロシアの影響力を排除しようとする暫定政府の政策に強い不満を抱いてきた。
一方 14%と少数派なのがイスラム教徒のクリミア・タタール系の住民である。
旧ソビエト時代に中央アジアに強制移住させられた苦難の歴史がある。

住民投票前に行われたロシア系住民の大規模集会で約3千人がウクライナからの分離独立やロシア編入を訴えた。
「ロシアに編入して欲しい。
 クリミアはロシアの土地だ。」
ロシア系住民がロシアとの一体化を求める背景には帝政ロシア時代から続く複雑な歴史がある。
分離独立を目指す地元の政党の支部長キリル・ベロフさん(30)。
祖父の代からここで暮らしてきたが8才のときにソビエト連邦崩壊し国籍が突然ウクライナに変わった。
それでも常にロシア系としての歴史を意識してきたと言う。
(キリル・ベロフさん)
「この肖像画はニコライ2世。
 ロシア帝国の最後の皇帝です。」
ウクライナでは公的な機関やテレビなどでロシア語の使用が原則認められず
ロシアとできるだけ距離を置く政策がとられてきた。
(キリル・ベロフさん)
「パスポートもウクライナ語で書かれています。
 本来ロシア語の私の名前は発音も表記も変わってしまっているんです。」
さらに2月に発足したウクライナの暫定政権はロシア語を公用語から除外。
ロシア系住民の反発は一気に強まった。
(キリル・ベロフさん)
「我々は母国語で映画を観ることすらできません。
 私は自分の祖国がどこかを知っています。
 ロシアにひかれるんです。」
ベロフさんはウクライナ中部の基地に向かった。
そこではロシア系の若者たちで作る自警団やロシア寄りの地元政府が独自に作った軍の部隊が基地を取り囲んでいた。
ウクライナの国旗の横に新たに掲げられたロシアの国旗。
ウクライナ兵の多くは基地を去った。
そしてウクライナの紋章も。
「過去の遺物になればいいんだ。
 必要ならウクライナ政府に送ってやる。」
ロシア系住民の声に呼応するかのように町には住民投票でロシア編入に賛成するよう呼び掛ける看板が次々に出現。
テレビでも
ロシアとともに
ロシアでは公務員の給料が2~3倍
年金もウクライナの2倍
クリミアの春
ロシア!

「給料も年金ももちろん上がるしいい生活ができるようになる。」
「クリミアはロシアなんだ。
 ウクライナとは何の関係もない。」

こうした動きに少数派のクリミア・タタール系の住民は危機感を強めている。
「クリミアはウクライナだ。」
「クリミアから手を引け!」
クリミア・タタールの人たちはイスラム教スンニー派で
18世紀にロシア帝国に併合される前からクリミアで暮らしてきた。
クリミアの人口の14%を占め多数派のロシア系住民とも共存してきたが
いまロシアの脅威を強く感じている。
旧ソビエトの独裁者スターリン。
クリミア・タタールの人たちは第二次世界大戦中ナチスドイツへの協力を疑われ
スターリンによって中央アジアに強制的に追放された。
そこで多くの人が命を落とす。
今回の動きが新たな迫害を引き起こすとタタールの人たちの間で不安が高まっている。
「ここに私たちがいることをどうか認めて。
 私たちはこれまで虐げられてきた。」
タタール系住民の集落で商店を営むセラン・ムジュダバエフさん(45)は
強制移住先のウズベキスタンで生まれ
9才のとき家族とともにクリミアに戻った。
(セラン・ムジュダバエフさん)
「当時は村ごと強制移住させられたと聞かされた。
 私はもうどこにもいかない。」
ムジュダバエフさんはいま家族と離れて暮らしている。
ロシア系住民の襲撃を恐れ3月に妻と子ども3人をウクライナ西部の町に避難させた。
ひとり残って故郷を守ろうと覚悟を決めている。
(セラン・ムジュダバエフさん)
「住民投票には反対です。
 私はクリミア・タタール人です。
 ここ以外に祖国はありません。」
タタール系の住民たちは自警団を作り3人1組で町の警戒にあたっている。
「昨夜は大丈夫でしたか。」
「静かでした。
 パトロールをしてくれて感謝しています。」
「我々は自分の家を守る。
 子どもや妻や親を守る。
 今まで平和に暮らしてきたのにどうしてロシアが必要なんだ。
 どうして。」
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日中の絆 小説に込めた思い

2014-03-18 11:50:26 | 海外ネットワーク
3月9日 NHK海外ネットワーク


宮城県女川町の水産加工会社で技能実習を受けていた中国人20人が実習中に震災に遭った。
当時 この会社の専務の男性は命がけで彼女たちを津波から守り帰らぬ人となった。
この出来事は当時の温家宝首相が感謝 中国でも広く共感を呼んだ。
中国ではこの出来事をもとに書かれた小説が出版された。
日本語にも翻訳されている。

震災をテーマに描かれた小説「津波、命がけの絆」。
宮城県の縫製工場で働く中国人の実習生が会社の社長で津波から逃れる
しかし会社の社長は津波で命を落とすというあらすじである。
日本人と中国人の間に生まれた絆が随所に書かれている。
大災害には情けもないが人間には情がある。
大災害にあたっては、助け合いに国境は関係ない。

上海在住の中国人作家 于強さん(69)。
小説の作者である。
地方公務員として日中間の交流事業に携わって に注友好をテーマに執筆活動を続け
東日本大震災が起きた時 于さんは日本にいた。
息子とその家族が住む千葉県をたまたま訪れていたのである。
孫を連れて近くの小学校に避難した。
(于強さん)
「体育館のガラスは余震で大きく揺れとても恐ろしかった。
 怖がる孫2人を連れて帰りニュースを見るとすさまじい映像が流れていた。」
そんななか目にしたのが宮城県女川町での出来事だった。
水産加工会社 佐藤水産の専務の男性が会社の中国人実習生20人を無事に避難させた後
自らは津波に巻き込まれなくなったというのである。
専務は日本語が離せない実習生たちを 高台に避難させた。
そしてほかに残された人がいないかを確認しにひとりで会社の方に戻ったという。
実習生の1人がその時撮影した映像にはみるみるうちに水が流れ込んでくる様子が映っている。
専務が命がけで守った実習生たちは被災から1週間後に全員帰国の途に就いた。
(于強さん) 
「魂が揺さぶれるような人間愛は本当に感動的で感激した。
 この出来事を題材に東日本大震災についての小説を書きたいと思った。」
于さんは女川町のこのエピソードをはじめ震災に関する膨大な資料を集めた。 
そしてその情報をもとに構想を練り小説を書きあげたのである。
(于強さん)
「自己犠牲をいとわない専務の姿勢に感銘を受けながら小説を書き続けた。
 途中で筆を止めることができなかった。」
息を切らし、全員一気に山を駆け上がった。
「皆 気をつけて。
 私は行かなければ!」
中国人従業員たちの安全確保を優先してから家族を助けに向かったのだ。
他人を優先した自己犠牲の精神は崇高と言うほかない。

小説の題材になった実習生たちはいまどうしているのか。
2人に中国で話を聞くと
震災からしばらくは非難する時に受けたショックから引きこもりがちになっていたと言う。
しかし時がたつにつれ専務がいなければ今の自分 
被災地のために何かできないかと考えるようになった。
(元実習生)
「震災を通して人間どうしの本当の感情
 国境を超えた愛を感じました。
 私は絶対再び日本に行くと決意しました。
 家族は心配し反対しましたが時間をかけて説得しました。」
ふたりは他の仲間とともに震災から約11か月後に麻ぽ長和町を訪れ同じ会社での実習に参加した。
震災から3年がたった今も自分たちを救ってくれた専務への思いは忘れてはいない。
(元実習生)
「専務はなくなってなんかいない。
 私たちの心に生き続けている。
 彼のおかげで私たちも生き続けているのです。」
「小説を通して専務がしたことを奥の中国人に知ってもらいたいし
 “私たちは決して忘れない”ということを日本人にもわかってもらいたい。」

被災地で生まれた日本と中国の間のきずな。
于さんは日中関係が冷え込む今だからこそ をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っている。
(于強さん)
「震災の中でる両国民の間にこんなにも感動的な人間愛が生まれたということを
 心にとめて交流を深めてもらいたい。
 小説が今後の両国の関係改善の中にとっていい方向に働くよう願っている。」
 
この于強さんの小説は中國では5000冊
さらにインターネット
于強さんはこの作品だけでなく女川町の人たちとの直接の交流を通して
国境を越えて助け合うことの大切さを訴えていきたいと

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ホロコーストを生き延びた女性ニアニスト死去

2014-03-15 12:30:00 | 海外ネットワーク
3月2日 NHK海外ネットワーク


ホロコーストの悲劇を生き延びた最高齢の人物として知られる女性ピアニストが2月末に死去した。
おりしも本人の生涯を描いた映画がアカデミー賞にノミネートされていたさなかのことだった。
アリス・ヘルツゾマーさんは1903年 現在のチェコ生まれで享年110歳。
ヘルツゾマーさんは第二次世界大戦さなかの1943年ナチスドイツによって幼い息子と主に強制収容所に送られた。
強制収容所から約9万人のユダヤ人がアウシュビッツなどに送られ多くが殺害されたが
ヘルツゾマーさんは2年後に収容所が解放されたことで生還を果たすことができた。
幼いころからプロの道を目指すよう勧められていたほどのピアノの腕前で
収容所でも仲間とともに100回を超える演奏会を開いた。
赤十字の視察に合わせて演奏をさせられていたという側面も確かにあったようだが
ヘルツゾマーさん本人は音楽があったことで自分は生き延びられたと語っている。
こうした生涯が映画製作者の目に留まって
ヘルツゾマーさんを取り上げた作品がアカデミー賞の短編ドキュメンタリー賞の候補になったが
授賞式直前に亡くなった。

“The Lady in Number6”From NIck Reed Entertainment(
(話 アリス・ヘルツゾマーさん)
演奏が許されたのです
音楽さえあれば何とかなると思っていました
どんな悲惨な状況でも時に美しい瞬間が訪れます
悪いことばかりということはあり得ないのです
とにかく人間が好きなんです

ヘルツゾマーさんは収容所でもいつも笑ってすごしていたと話している。
音楽を奏でることで自分が救われたし他の人たちを励ますこともできた。
ヘルツゾマーさんは今もナチスを声高に批判するのではなく
人間には善と悪の両面がある
自分は良い面だけを見ようとしている
人を憎んでもそれは新たな憎しみを生むだけだ
と話している。
こうした姿勢がかえって人類にとって悲劇を繰り返してはならないと訴える力になっている。

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“チャンスはアジアに”日本人農家の挑戦

2014-03-07 09:00:00 | 海外ネットワーク
3月2日 NHK海外ネットワーク


食に関する市場の規模は中国、インド、アセアン諸国を合わせると2020年には今の3倍になるとも言われている。
長野県で農業を営む篠原和仁さん(34)と花岡貴也さん(35)は長野から約4000キロ離れたベトナムにいる。
(花岡貴也さん)
「長野県と似ているというのが率直な印象。
 気候・標高・景色
 いいところだなと。」
ベトナム南部標高約1500mの高原にあるダラットはフランスの植民地時代に開拓された避暑地。
標高が高く1年中涼しい気候を利用して野菜の栽培が盛んである。
ふたりが本来レタス栽培の拠点としているのは日本有数の産地として知られる長野県川上村。
しかし人口が減少している日本では野菜の消費量も減りつつあり
この先日本だけで農業を続けていては事業拡大は難しいと考えていた。
そこで目を向けたのがアジア。
中でも人口規模が比較的大きく経済成長が続くベトナムである。
多くの料理を生野菜と一緒に食べるベトナムの人たち。
「ベトナム料理のほとんどは野菜と食べるんだよ。
 生野菜は身近なものさ。」
さらに二人が注目したのは経済成長に伴って高まりつつある食の安全・安心への関心である。
ベトナムでは手間を省くために大量の農薬を使う生産者も多く基準を上回る残留農薬や禁止農薬がしばしば検出される。
これまで野菜は屋外の市場で買い求めるのが一般的だったが
経済的に豊かな人たちの間では衛生的なスーパーを利用することも増えてきた。
(買い物客)
「どこで生産されたかがわかるので野菜はスーパーで買う。
 安全のため。」
「生で食べる野菜は全部スーパーで買う。
 少なくともスーパー側はチェックしているから。」
野菜専用の洗剤も人気がある。
直接口にするものだけに洗剤で洗ってからという人もいるのである。
「生で食べるのだからきちんと洗わないといけない。
 家族の健康が心配だから。」
ベトナムには日本式の安全・安心のノウハウを生かせるビジネスチャンスがあると考えた篠原さんと花岡さんは
ベトナムで会社を設立することを決意。
早速移住した花岡さんが中心になって今年1月からレタスの試験栽培を始めた。
関心が高い農薬については日本の基準の半分以下に抑えてきたこれまでのやり方をそのまま取り入れた。
それを一緒に働くベトナム人スタッフに一つ一つ指導していく。
現在栽培中のレタスは14種類。
どの品種がベトナムに適しているのか手探りなだけにデータの蓄積も欠かせない。
(篠原和仁さん)
「取り組むべきはいい野菜をつくるためのデータ作り。
 ダメなところはダメでシビアに管理していかなければ。」
その細かさに当初現地のスタッフには戸惑いもあった。
しかししだいにその大切さを理解するようになったという。
「肥料や水をどれぐらい与えるか
 ベトナムではあまり計算しない。」
 彼らのやり方は順序だっていて科学的です。」
ふたりは鮮度にもこだわっている。
ベトナムでは野菜は常温のまま運ばれるのが一般的。
しかしそれでは店頭に並ぶ頃には鮮度が落ちてしまう。
そこで篠原さんたちはある会社を訪れた。
お目当てはダラットではこの会社にしかないという最新の設備である。
これを使うとレタスを急速に冷やすことができ長時間レタスを新鮮な状態で運ぶことができる。
この会社と契約を結び設備を利用できることになった。
ふたりには地元の自治体も日本の農業の手法を吸収できる絶好の機会だと期待を寄せている。
(ラムドン省 投資計画局副局長)
「ダラットの人にとってチャンスだと思う。
 栽培方法を学んで実践することができると思う。」
(花岡貴也さん)
「見た目・間紙・味も
 もちろん一番大事な安心・安全にこだわって
 食べた人がこのレタスは世界一と思ってくれるものになったらいい。」
「私たちが作ったレタスならスーパーに並んでいるのをそのまま食べられる。
 そういうのが常識になっていくようなことができるとわれわれの存在意義がある。
 日本人の手で作られたベトナムの野菜
 十分にありだと思いますよ。」
ふたりが試験栽培しているレタスは来月4旬には収穫できる見通しである。
ふたりは自分たちが育てた安全・按針な野菜をベトナムはもちろんアセアン諸国にも届けたいと話している。


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“腐敗撲滅”習政権の取り組みは

2014-03-06 09:00:00 | 海外ネットワーク
3月2日 NHK海外ネットワーク


中国で連日報道される役人の汚職や税金の無駄遣い。
南京市のある築の幹部が6年間で260元(約4㎡000万円)を着服した
あきれたことに着服した金のほとんどをゲームに使った

別の日にも
役人が毎週末 公用車でゴルフ場に出入りしていたことが明らかになった
公用車の不正使用が発覚したこの役人は追及に対し
友だちとゴルフをするのに俺はわざわざ車を買わなきゃいけないのか
民衆の不満を募らせ政府の権威を失墜させかねないこの腐敗。
習近平政権はその撲滅を大きな課題に掲げてきた。
(中国 習近平国家主席)
「贅沢三昧の気風に断固反対しあらゆる腐敗と戦っていく。」
去年11月には役人の贅沢を戒め無駄使いを禁止する65条の通知を出した。
会議や研修の名目の費用を飲み食いに使うこと
公務での出張と偽っての観光旅行
人事異動に合わせて幹部の公用車を買い替えること
役人としてしてはならない基本的なことをひとつひとつ具体例をあげて示した。
取り締まりや処分も相次いでいる。
人気を集めている改革派の雑誌が掲載した記事では
地方政府や幹部の腐敗が相次いで発覚し捜査が行われていると伝えている。
去年1年間で中国全土で明らかになった公金の無駄遣いなどは約2万5,000件。
7,600人以上が処分を受けた。
東部浙江省では過去30年間に2100億人民元(3兆5,000億円)以上の公金が不適切に使用されていたことが明らかになった。
強まる綱紀粛正の動きは意外なところにも影響が及んでいる。
世界遺産に登録されている西湖の畔にあるリゾート地。
多くの政府高官が訪れていたとされる高級クラブは今は営業停止。
広大な庭園や高価な調度品の数々。
このリゾート地ではこうした高級クラブやレストランのほとんどが店をたたんだ。
(地元の人)
「店の酒は1万元(約15万円)以上の高級品ばかりだった。
 以前は役人が公費で払ってくれていたが今はだめ。」
商売を変えるところも出てきた。
天津市にあるホテルはかつて多くの役人たちが宿泊し頻繁に宴会が催されていたという。
休業に追い込まれ今後は老人ホームに生まれ変わる予定である。
営業を続ける店も路線変更を余儀なくされている。
かつて高級官僚らが集った飲食店は
以前なら1人あたり1万円はかかったが1000円程度で食事を楽しめる。
もはや高級レストランの雰囲気はない。
「前は高級すぎて気軽に入れなかった。」
「まるで貴族が集まる店だった。」
役人自らの反省を促すキャンペーンも行われている。
繰り返し開かれているのが自己批判会。
公金の無駄遣いはないか
風紀に乱れはないか
幹部たちは自ら反省することを促される。
この日は習主席の出席し政府主導で腐敗撲滅に取り組む姿勢をアピールした。
河北省の幹部たちは自分たちが官僚主義的で浪費癖があると気づいた
自分を偉いと決めつけ自己中心的で大衆の目線に立っていないと反省した

(地方政府の幹部)
「私たちは反省することで進歩できると信じている。」
しかしいまだに役人による不正な蓄財は絶えずこれを批判する集会が各地で開かれている。
「汚職にまみれた役人を根絶しないと大変なことになる。」
国民からは次々に怒りの声が。
「汚職に手を染める人間が多すぎる。」
「腐敗を根絶しなければ国に未来はない。」
税金の使い道について監視活動を続けている雷さんは政府の取り組みはまだ不十分だと考えている。
「これは役人の給料について情報公開請求をしたときの資料。」
これまで中央政府の職員の給料について情報を公開するよう求めてきたが
50を超える情報公開の申請はすべて却下された。
(税金の使い道を監視 雷さん)
「情報公開されなければ役人がお金を懐に入れている可能性だってある。」
雷さんは役人の贅沢を戒める習政権の動きも政治的なパフォーマンスで終わるのではないかと懸念している。
国民が公金の仕組みをチェックすることすらできない社会の現状を変えることが腐敗の撲滅には欠かせないと指摘する。
(雷さん)
「情報を公開しないと市民は何が正しいかの判断さえできない。
 情報の公開が第一歩。
 時代に合わせようとしない政府はすたれてしまうことだろう。」
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注目集めるカザフスタン 大胆な動き

2014-03-03 08:00:00 | 海外ネットワーク
2がう23日 NHK海外ネットワーク

閉幕したソチオリンピック。
フィギュアスケート男子シングルでは羽生結弦選手がカナダのパトリック・チャン選手を抑えて金メダルに輝いた。
この種目で銅メダルを獲得したのがカザフタンのデニス・テン選手。
国としてフィギュア初のメダルとなった。
このカザフスタンをめぐる大胆な動きがいま注目を集めている。
カザフスタンは旧ソビエトの国としてロシアとも良好な関係を維持してきた。
オリンピック開会式にもナザルバエフ大統領自ら出席。
そして何といってもこのオリンピックにかける意気込みが現われていたのがメダリストに与えられる報奨金。
国際スポーツ記者協会が調べによると各国の中でトップだったのがカザフスタン。
金メダルで約2,500万円
銀メダルで約1,400万円
銅メダルで約750万円。

ナザルバエフ大統領が“カザフスタン”という国の名前を変えることを検討すべきと世界を驚かせた。
大統領は
カザフスタンは他の中央アジアの国と同様で名前に「スタン」がついているが
「スタン」がついていないモンゴルは人口が少なくても外国の関心を呼んでいる国だと発言した。
確かに中央アジアの国というとウズベキスタン、トルクメニスタン、タジキスタンと「スタン」がついている。
「スタン」は国を意味するペルシャ語系の言葉とされているが
大統領が新たに国の名前として提案した“カザフエリ”の「エリ」はカザフ語で国や土地の意味。
オリンピックと同様 国際社会での存在感を高めようというねらいがうかがえる。
カザフスタンは石油やウランなどの資源大国で経済規模も国土の広さも中央アジアでは最大である。
しかし中央アジアとひとくくりにされてしまうと国の存在が埋没しがちになってしまう。
存在感を増して海外からの資本や観光客を呼び込むきっかけにしたいというねらいが見えてくる。
国名が実際に代わるのかどうかは
ナザルバエフ大統領はまずは国民との協議が必要だとしているが
絶大な権力を持っている大統領が決断すれば可能性は高いと思われる。
ナザルバエフ大統領はソビエト時代から政界の実力者として知られていて
カザフスタンの独立以来20年以上大統領の座にある。
小柄ではあるが強靭な意志を感じさせる人物である。
大統領は地名の変更に関して前例があり
国の首都を南部のアルマトイから北部のアクモラに移したが名前をアスタナに変更した。
地域大国として独自色を強めているカザフスタンが
国の名前の変更という壮大な試みに踏み切るのか
しばらくは目が離せない。、
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密輸されるサイの角

2014-03-02 08:00:00 | 海外ネットワーク
2月23日 NHK海外ネットワーク


野生動物の宝庫 南アフリカ。
世界の約70%にあたる約2万頭余の野生のサイが生息している。
そのサイがいま密漁によって絶滅の危機に瀕している。
密漁で殺されたサイの数は2007年には13頭だったが
2013年には1年間で1000頭を超え過去最悪となった。
密漁の狙いはサイの角である。
中国やベトナムといった国々では角に薬としての効能があると信じられていて高値で売り買いされている。
サイの角は象牙と同じくワシントン条約で取引が禁止されているが国際的な犯罪組織の手によって闇ルートで出回っているのが実態である。
1月 バンコクの空港で大量のサイの角が押収された。
(税関の係官)
「サイの角を9本押収した。
 タイでは1キロ約3万ドルで売られている。
 最終目的地のベトナムや中国に届いていたらもっと高く取引されただろう。」
このサイの角はアフリカからタイを経由してベトナムや中国などに密猟される途中だったとみられる。
なぜ急にサイの密猟が増えたのか。
ベトナムや中国ではサイの角を煎じて飲めば癌などに効くといううわさがここ数年で一気に広がった。
このため価格が高騰し最終的には1キロ数百万円で取引されているという。
国際自然保護連合はベトナムや中国での大量消費がサイの密猟を増やしていると指摘している。
サイの角の一大消費地とされるベトナム。
首都ハノイで漢方薬の店が集まる通りの店には“角を削る皿”と書かれた商品があるが
取材に対してサイの角を売っていると答えた店はない。
ベトナムの環境保護団体はホームページでサイの角の薬としての効果を否定するPR活動を行っている。
サイの角の成分は人の爪と同じ成分で病気を治す効果がないと強調している。
密漁が相次ぐ現場でも対策の強化を図っている。
南アフリカ北部の動物保護区。
この2年間で30頭のサイが密漁の犠牲になった。
(保護区の管理責任者 デクラン・ホフメアさん)
「サイが顔を切り取られ死んでいる姿を見つけると身を切られるようなつらく悲しい気持ちになる。」
密漁の被害をくい止めたいとホフメアさんはイラクなどで活動したイギリスの特殊部隊の元隊員を講師に招いた。
保護区の監視委員たちに密猟対策を指導してもらうためである。
訓練に使ったのは射程距離500mの高性能のライフル。
密漁者に気づかれずに接近するコツも学んだ。
訓練の仕上げは密猟者を見つけたという想定で行われた。
密漁者役の2人組を獣で威嚇してとらえる。
監視員たちは密猟者を銃撃したり逮捕したりはできない。
それでも強い姿勢をとることが密漁者への対抗策になるとホフメアさんは考えている。
(動物保護区の管理責任者 デクラン・ホフメアさん)
「サイを絶滅の危機から救うためにより積極的に行動しなければならない。」
一方 一風変わった対策に乗り出したところもある。
東部のクワズル・ナタール州のある動物保護区。
2月 保護区の関係者やサイの保護活動をしているメンバーなど約30人が集まった。
まずヘリコプターで上空からサイを捜し麻酔銃を撃って眠らせる。
麻酔によって眠らされたサイに毒を注入する作業が行われる。
毒というのは寄生虫を除去する成分が含まれた薬剤でサイにとっては無害だが人間には有毒である。
サイの角を飲めなくしてしまおうという作戦である。
この日1日で3頭の角に薬剤を注入した。
サイの角に薬剤が注入されていることを知らせる看板も用意した。
(サイの保護団体のメンバー)
「私たちの活動は小さな一歩かもしれないが
 密漁者との戦いに勝てると信じている。」
監視員らが見守るなかサイは目を覚まし走り去っていった。
あの手この手で密漁に立ち向かう南アフリカ。
サイを守るための地道な戦いが続く。

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タイ政治対立 ③日本人社会にも影響

2014-02-07 08:00:00 | 海外ネットワーク
2月2日 NHK海外ネットワーク

深刻な政治対立はタイに暮らす約10万人の日本人社会にも暗い影を落としている。

日本人が多く暮らすバンコクのスクンビット地区。
終わりが見えない対立に不安が広がっている。
夫の転勤で3年前からバンコクで暮らしている市井佐智子さん。
「1週間分あれば安心と思って。
 余分に置いている。」
市井さんは状況が悪化し買い物ができなくなったり停電したりした場合に備えている。
一番気がかりなのが2人の子どもの安全。
幼稚園のバスはマンションの下まで送り迎えに来てくれる。
しかし無事に帰ってくるまでは安心はできないと言う。
(市井佐智子さん)
「爆発があったら怖いなと思って。
 1日も早く今まで通りのバンコクに戻ってほしいと思う。」

デモの影響は日系企業にも及んでいる。
(クレジット会社現地法人 長澤博社長)
「観光客の数も減っているし厳しい状態だと思う。」
観光客が減るとカードが使えなくなり会社の売り上げは落ち込む。
カード会員用のラウンジを訪れる人も少なくなった。
デモの行方が気になる長澤さん。
デモ隊は会社の目の前の通りでも座り込みを行うようになった。
(長澤博さん)
「日本人の客が来にくい状況であることは間違いないと思うので
 売り上げを今増やすのは困難だと思っている。」

さらにタイ進出を考える企業にも影響は広がっている。
機械工具を扱う商社に勤めている杉本いづみさん。
タイに現地法人をつくるため去年11月からバンコクに来ている。
(杉本いづみさん)
「バンコクでの打ち合わせがキャンセルになったり延期になったりして
 話がなかなか前に進まない。」
去年のうちに現地法人を設立する予定だったがデモの影響でまだ見通しすら立っていない。
(杉本いづみさん)
「オフィスを借りようと思って見に行ったところでデモ隊が行進し始めて
 危険だと思ってその場を立ち去った。」
このまま法人設立の手続きを進めるべきか企業の海外進出を支援するJETROに相談した。
(杉本いづみさん)
「会社登記の準備を進めている段階だけれど
 バンコクの政情が不安定な中このまま会社登記に踏み切るべきか。」
(JETROバンコク事務所 海外投資アドバイザー)
「デモがいつ収束するか正直に言うとわからない。」
今後の展開まで予測するのは難しいと言われた。
そして本社に連絡を取った杉本さんは
いったんタイを離れ事態の推移を見守ることにした。
(杉本いづみさん)
「早くビジネスを展開したいという焦りと
 このような状況の中で進出して本当に大丈夫かという不安とでいろいろ複雑です。」


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タイ政治対立 ②いまだ衰えないタクシン人気

2014-02-06 08:00:00 | 海外ネットワーク
2月2日 NHK海外ネットワーク

「タクシン氏を愛している。
 いつ戻ってきても飛行場まで迎えに行く。」
「タクシン氏は発想力も実行力もある。
 貧しい人を救ったのは彼だけだ。」
首相在任中(2001~2006)農村の活性化や低所得者層の支援に力を入れたタクシン氏。
北部や東北部の農村地帯で絶大な人気を誇った。
(タクシン首相《当時》)
「困っている国民はたくさんいる。
 今できることからやろう。」
失脚後も根強い支持を集めている。
地域ぐるみでタクシン派を支持している村はシンボルの赤い色のTシャツから「赤シャツ村」と呼ばれている。
その数は今では2万か所以上にのぼっている。
東北部の赤シャツ村で村長を務めるサンコム・スワンヴィロードさんはタクシン派の熱心な支持者である。
(“赤シャツ村”村長 サンコムさん)
「タクシン氏のことを100%信頼している。
 彼がこの国に戻ってくるならすべてを犠牲にしてもいい。」
なぜ今も強く支持するのか。
タクシン政権が2001年から全国の村に支払った300万円の補助金のおかげでこの村も潤ったからである。
道路や水路が整備され生活は大幅に改善された。
(サンコムさん)
「タクシン政権になって家を改築できた。
 月収が20万バーツ(約60万円)になった時もあり車も買えた。」
今では村人のほとんどが車を持つまでになった。
また村の特産品タイシルクによる収入も増えた。
タクシン政権が村ごとに特産品を決めて生産を奨励し国内外で販売する「一村一品運動」を実施したからである。
それまで近くの村で物々交換されるだけだったシルクがいまでは日本や欧米にまで輸出されるようになった。
「収入が増えてうれしい。
 だから一生懸命働いている。」
タクシン氏がもたらした豊かさを守りたい。
サンコムさんはタクシン氏の妹インラック首相率いる政権の動向に注目している。
この日は村の仲間と議会選挙に向けた話し合いを行った。
「私たちの候補者は苦戦しているが“赤シャツ”は団結しなければならない。」
「大丈夫。
 この村はまとまる。」
投票を目前に控えた日 村の候補者を応援しようと集会にかけつけた。
(サンコムさん)
「ステープ元副首相の主張は実現できないことばかり。
 今の政府を守るため
 インラック首相を救うため皆で知恵を出し合っていく。」
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タイ政治対立 ①反政府の抗議行動

2014-02-05 08:00:02 | 海外ネットワーク
2月2日 NHK海外ネットワーク


タイで続く混乱は何がきっかけで始まったのか。
キーマンとなっているのは元首相のタクシン氏。
タクシン氏をめぐっては親族による不正な株の取引が明るみに出たことをきっかけに退陣を求めるデモが相次ぎ
2006年 軍のクーデターで国を追われた。
今の首相のインラック氏はタクシン氏の妹である。
タクシン派は農村部に強固な支持基盤を持っている。
タクシン氏が追放された後の選挙で勝利してきた。
これに対し都市部ではタクシン派への不満が高まりバンコクで大きな暴動に発展したこともあった。
そして去年の秋 
インラック首相が兄のタクシン氏の帰国に道を開く法案の成立を目指したことから反政府デモが拡大し今に至る事態となった。

1月28日 政府が議会選挙を予定通り行うと発表した直後に反政府デモ隊の抗議行動は一段と激しさを増した。
デモを主導してきたステープ元副首相も駆けつけ選挙の延期に応じようとしない政府の対応を厳しく非難した。
(ステープ元副首相)
「タクシンかいらいのインラック政権を倒すため抗議を加速させなければならない。」
プラモート・スワンケーウさん(36)は運輸相に勤務する官僚。
10年間 国の行政に携わってきたが
タクシン派の政権のもとで農村への露骨な利益誘導など政治の腐敗が目に余るようになったと感じ国の将来を憂えてデモに参加するようになった。
(プラモート・スワンケーウさん)
「今の政府は票を買って権力を維持してきた。
 政治を改革したうえでの選挙でなければならない。」
プラモートさんが普段働いている運輸省の建物のまわりはデモ隊のテントが設けられ人が入れないようになっている。
プラモートさんは職場から書類を持ち出しバンコクの大学の図書館などで仕事を続けている。
(プラモート・スワンケーウさん)
「腐敗の実態を知っているから公務員のかなりの部分がデモに参加している。
 国民のためになることをすることこそ公務員の仕事だ。」
インターネットのフェイスブックではデモに参加したときの様子を積極的に発信している。
デモの比には200件を超える反応があった。
プラモートさんは今のタイが抱える問題は選挙では解決できないと考えている。
(プラモート・スワンケーウさん)
「選挙を行なえるような状況ではない。
 民主的な選挙というのはすべての人々のために国を発展させるのが目的。
 今の政権に同じことを繰り返させるためではない。」

反政府デモ隊を資金面で支えてきたのが大企業を含めたビジネス界の人たちである。
タイでも有数の不動産開発会社社長のソンクラーン・イッサラさん。
プーケットなどのリゾート地で大きなホテルなどの開発を手掛けてきた。
会社の年間の売り上げは60億円余にのぼる。
選挙よりも腐敗をなくすことが先決だという主張に賛同しデモ隊を支援してきた。
(ソンクラーン・イッサラさん)
「デモ隊は多くの資金が必要。
 さまざまな支援が何よりも重要。
 食料を届けに行ったこともある。」
ソンクラーンさんはしばしば抗議行動の現場で直接ステープ氏を激励してきた。
(ソンクラーン・イッサラさん)
「彼こそ国のことを思っている人物だ。」
1月にソンクラーンさんの会社が入っている高層ビルの窓に銃撃を受けたのではないかという跡が見つかった。
この件を報じた地元の新聞は
銃撃だとすればソンクラーンさんがデモを支持していることと関係があるのではないかと指摘している。
農村ばかりを手厚く保護するタクシン派の政権が続けば自分たちの経済的な権益が脅かされかねない。
ソンクラーンさんは懸念を募らせている。
(ソンクラーン・イッサラさん)
「タイの市民として正しい道を選びたい。
 企業と同じで信頼をなくしたら何もできない。
 堂々と行われる不正や違法行為で信頼が失われている。」



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“肥満をなくせ”変わるインド

2014-01-28 08:00:00 | 海外ネットワーク
1月19日 NHK海外ネットワーク


脂がたっぷり入ったカレーに羊や鳥の串焼き
食後には揚げたお菓子も欠かせない。
インドの人たちの好きな料理はとても濃厚でどれも油をたっぷり使っている。
インドでは伝統的に太っていることが富や豊かさの象徴と考えられてきた。
「太るのなんて怖くないわ。」
「3食の他にチャイやビスケットが欠かせないよ。」
しかし今こうした価値観に変化が訪れている。

急速な経済成長を遂げたインド。
ところが食生活も豊かになりライフスタイルも変わったことで生活習慣病のなかでも糖尿病の患者が急増した。
その数は6500万人にものぼる。
働き盛りの年代が健康を損なえば経済にも影響しかねないとインド政府も本格的な対策に着手。
30歳以上は生活習慣病の健診を受けられるようにした。
(肥満対策の専門家 プラディープ・チョーベー医師)
「インドではこれまで太った人は健康で裕福だと考えられてきた。
 しかし時代は変わった。
 体重の増加はむしろ病気の兆しと国民に知ってもらおうと努めている。」
飲料メーカーの営業部長であるジョティ・プラカシュ・サフさん(39)。
接待で外食する機会も多く体重は110キロを突破。
以前は太りすぎとは考えていなかったが
最近は社員の健康管理のため減量を求める会社も増え
取引先で肩身の狭い思いをすることも増えてきた。
(サフさん)
「ビジネスマンは外見が良い方が顧客への印象も良い。
 減量で仕事がうまくいくと期待している。」
ダイエットを決意したサフさんは最近 ダイエットクリニックへ通い始めた。
栄養士がまず指摘したのが外食の多さである。
利用者に合わせてヘルシーなメニューを提案する。
(サフさん)
「これも時代の流れです。
 15年前の自分の姿に戻れたらうれしい。」
インドの若者の間ではフィットネスも人気。
街には約20円で体重や身長、血圧、肥満度の計測器も登場。
富裕層や中間層向けのスーパーでは油や砂糖の少ない食品が売り上げを伸ばしている。
調査会社によるとインドでの健康ビジネスの市場規模は食品関連だけでも年間1兆円にもなるとみられている。
その巨大市場を日本企業も狙っている。
家庭用の血圧計が普及していないことに目をつけた会社は
自宅で血圧を測ればさまざまな生活習慣病の予防につながると街頭で無料の測定会を開いた。
「血圧が高めだとは知らなかった。
 家でも調べるようにした方がいいね。」
一方 日本の食品メーカーは12月にインドで初めて試食会を開いた。
食物繊維が多く糖尿病に効果があるとされる大麦。
試食会ではインド人もよく食べる米と混ぜて気軽に食べられるとアピールした。
「すばらしい。
 あのような味は初めて。
 おいしく食べるコツを広めれば成功すると思う。」
「インドでは糖尿病になる人が多いのでこれはいい。」
インドでは来月から発売予定だが都市部のスーパーだけでなく病院からも引き合いが来ているということである。
(食品メーカー「はくばく」長澤重俊社長)
「糖尿病にいい・食物繊維が豊富というのは非常に魅力的だと。
 粘り強くやって行けば必ず花開くのではと思う。」

豊かさを手に入れた一方で体重にも気を使わなければならなくなったインドの人たち。
ぜい肉との戦いは始まったばかりである。




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モンゴル 新たな国際戦略②

2014-01-20 08:00:00 | 海外ネットワーク
1月12日 NHK海外ネットワーク

去年9月にはモンゴルと首相と大統領が次々と日本を訪れ安倍総理大臣と会談した。
会談では資源開発に日本が協力してしていくことで合意し関係強化が進んでいる。
また経済面以外でもモンゴルが日本に期待を寄せている分野がある。

煙で真っ白にかすむウランバートルの町並み。
急激な成長の陰で大気汚染が深刻化している。
原因の一つとされているのが暖房に使われている石炭。
モンゴル経済をけん引してきた石炭が皮肉にも環境問題を引き起こしているのである。
市内の病院は呼吸器系の症状を訴える子供であふれかえっている。
「特に最近は空気が悪くて孫はいつも喉が痛いと言っている。」
「大人でも苦しいのに子どもはもっと大変。
 これはもう災害。」
大気汚染に拍車をかけているのが暖房施設の老朽化である。
ここでは石炭で沸かした温水を近くの商業施設に供給している。
しかし煙突にフィルターとつけるなどの環境対策は全くとられていない。
このためPM2,5など有害物質の濃度はモンゴルの国内基準の10倍以上にのぼっている。
こうした中12月から始まったのが日本による技術協力である。
日本の環境対策の専門家が老朽化した施設の改善計画や厳しい環境規制の導入などを支援することになっている。
モンゴル政府は公害を克服してきた日本の経験や先進的な技術に高い関心を寄せている。
(ウランバートル市 大気汚染対策の責任者)
「モンゴルにとって日本は中国 ロシアに次ぐ“第3の隣国”重要な存在と思っている。」
モンゴルに経済成長だけでなく環境問題ももたらした石炭。
日本のモンゴルに対する協力は環境汚染対策の分野にも広がりを見せている。

モンゴル政府がいま日本に強く働きかけているのがEPA経済連携協定の締結である。
モンゴルはまだどこの国ともEPAを締結していない。
そうしたなか日本に熱い視線を送る狙いはEPA締結で日本企業の投資を呼び込むことである。
日本政府もEPAの締結に前向きで両国の関係は今後発展していくものとみられる。
モンゴルは経済的なつながりが強い中国とは今後も良好な関係を維持していくつもりである。
一方で日本をはじめほかの国とも有効な関係を結ぶ全方位外交を進めていくことにしている。
モンゴルは資源大国として
また近年は大国中国をけん制するうえで安全保障上重要な位置にある国とされ
アメリカやロシアも接近を図っている。
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