4月6日 海外ネットワーク
かつてメキシコからは多くの人が移民として大国アメリカに渡って行った。
しかし今その構図が変わってきている。
メキシコの人たちがアメリカから戻り始めているのである。
製造業の拠点としての存在感が高まり経済成長が続いているメキシコ。
メキシカンドリームが人々をひきつけている。
町中にあふれる活気。
高級ブランド品を手に歩く女性。
高層ビルの建設もあちこちで進んでいる。
メキシコでは年3%~5%の経済成長がここ数年続いている。
その背景にあるのが相次ぐ外国企業の進出である。
去年1年間の海外からの投資額は350億ドル(3兆6,000億円余)にのぼり過去最高を記録した。
世界の首脳や経済界のリーダーが集まる今年のダボス会議でもメキシコは存在感を示した。
(米 大手IT企業)
「メキシコに10億ドルの闘志を決めた。」
アメリカのIT企業やスイスの食品メーカーなど世界的な企業が次々に投資計画を発表し
その額は合わせて70億ドルに達した。
(メキシコ ペニャニエト大統領)
「メキシコは世界で重要な役割を担う主人公を目指します。」
アメリカとメキシコの町 ティファナ。
かつて多くのメキシコ人がアメリカンドリームを夢見て国境を超えた。
しかしここ数年 そうした人たちがメキシコに戻り始めている。
アメリカの研究機関の推計によると
1995年~2000年はアメリカに渡るメキシコ人の数はメキシコに戻る人の数を大幅に上回っていた。
しかしその10年後には人の流れが逆転し戻る人が上回った。
そのきっかけのひとつが2008年のリーマンショックだった。
景気が大きく落ち込んだアメリカ。
その一方でメキシコはいち早く景気の回復を果たした。
EUやブラジルなどと自由貿易協定を活用した輸出が経済をけん引したのである。
リーマンショックの翌年にマイナス5%まで落ち込んだ成長率は
わずか2年でプラス5%にまで回復。
それに合わせて多くの移民がメキシコに戻り始めたのである。
メキシコに戻った移民が通る入国手続きの事務所。
ここにはいま就職をあっせんするコーナーが設けられている。
戻った人たちをさらなる経済成長の原動力にしたいメキシコ政府。
NGOと協力し手続きを終えた人たちをその場で労働力として取り込む戦略である。
(米から戻ったメキシコ人)
「メキシコには仕事がたくさんあると実感。
経験をいかして働きたい。」
(メキシコ移民局 副局長)
「学問・知識なく渡米した人が高度な教育を受けて戻ってくる。
戻ってくる移民は国の発展の即戦力でるす。」
メキシコに戻った人の中にはアメリカでの経験を生かし成功した人たちも多くいる。
2年前に戻ったミゲル・マンサナーレスさん(48)。
自動車部品メーカーの工場長である。
14歳で渡米し30年近く自動車部品メーカーで働いてきた。
(ミゲル・マンサナーレスさん)
「私たちメキシコ人はのんびりしていると思われていた。
アメリカでは休まず働くことを叩きこまれた。」
アメリカの市民権を持つマンサナーレスさんに大きな転機が訪れた。
自動車部品のスペシャリストとしての豊富な知識と経験がかわれ
アメリカにあるメーカーのメキシコ進出にあたって現地工場の運営を任されることになったのである。
自分の力を母国のために発揮できるまたとないチャンスだと考え戻ってきた。
英語を話しアメリカのビジネススタイルにも精通したマンサナーレスさんは本社とのやり取りもスムーズにこなす。
アメリカで働いていた時より収入も増え仕事の裁量も大幅に広がった今
再びアメリカに渡るつもりはないと言う。
(ミゲル・マンサナーレスさん)
「メキシコは大きく変わった。
一生懸命働けば手に入らないものは無くなった。
私のゴールはメキシコとともに成長すること。」
かつてメキシコからは多くの人が移民として大国アメリカに渡って行った。
しかし今その構図が変わってきている。
メキシコの人たちがアメリカから戻り始めているのである。
製造業の拠点としての存在感が高まり経済成長が続いているメキシコ。
メキシカンドリームが人々をひきつけている。
町中にあふれる活気。
高級ブランド品を手に歩く女性。
高層ビルの建設もあちこちで進んでいる。
メキシコでは年3%~5%の経済成長がここ数年続いている。
その背景にあるのが相次ぐ外国企業の進出である。
去年1年間の海外からの投資額は350億ドル(3兆6,000億円余)にのぼり過去最高を記録した。
世界の首脳や経済界のリーダーが集まる今年のダボス会議でもメキシコは存在感を示した。
(米 大手IT企業)
「メキシコに10億ドルの闘志を決めた。」
アメリカのIT企業やスイスの食品メーカーなど世界的な企業が次々に投資計画を発表し
その額は合わせて70億ドルに達した。
(メキシコ ペニャニエト大統領)
「メキシコは世界で重要な役割を担う主人公を目指します。」
アメリカとメキシコの町 ティファナ。
かつて多くのメキシコ人がアメリカンドリームを夢見て国境を超えた。
しかしここ数年 そうした人たちがメキシコに戻り始めている。
アメリカの研究機関の推計によると
1995年~2000年はアメリカに渡るメキシコ人の数はメキシコに戻る人の数を大幅に上回っていた。
しかしその10年後には人の流れが逆転し戻る人が上回った。
そのきっかけのひとつが2008年のリーマンショックだった。
景気が大きく落ち込んだアメリカ。
その一方でメキシコはいち早く景気の回復を果たした。
EUやブラジルなどと自由貿易協定を活用した輸出が経済をけん引したのである。
リーマンショックの翌年にマイナス5%まで落ち込んだ成長率は
わずか2年でプラス5%にまで回復。
それに合わせて多くの移民がメキシコに戻り始めたのである。
メキシコに戻った移民が通る入国手続きの事務所。
ここにはいま就職をあっせんするコーナーが設けられている。
戻った人たちをさらなる経済成長の原動力にしたいメキシコ政府。
NGOと協力し手続きを終えた人たちをその場で労働力として取り込む戦略である。
(米から戻ったメキシコ人)
「メキシコには仕事がたくさんあると実感。
経験をいかして働きたい。」
(メキシコ移民局 副局長)
「学問・知識なく渡米した人が高度な教育を受けて戻ってくる。
戻ってくる移民は国の発展の即戦力でるす。」
メキシコに戻った人の中にはアメリカでの経験を生かし成功した人たちも多くいる。
2年前に戻ったミゲル・マンサナーレスさん(48)。
自動車部品メーカーの工場長である。
14歳で渡米し30年近く自動車部品メーカーで働いてきた。
(ミゲル・マンサナーレスさん)
「私たちメキシコ人はのんびりしていると思われていた。
アメリカでは休まず働くことを叩きこまれた。」
アメリカの市民権を持つマンサナーレスさんに大きな転機が訪れた。
自動車部品のスペシャリストとしての豊富な知識と経験がかわれ
アメリカにあるメーカーのメキシコ進出にあたって現地工場の運営を任されることになったのである。
自分の力を母国のために発揮できるまたとないチャンスだと考え戻ってきた。
英語を話しアメリカのビジネススタイルにも精通したマンサナーレスさんは本社とのやり取りもスムーズにこなす。
アメリカで働いていた時より収入も増え仕事の裁量も大幅に広がった今
再びアメリカに渡るつもりはないと言う。
(ミゲル・マンサナーレスさん)
「メキシコは大きく変わった。
一生懸命働けば手に入らないものは無くなった。
私のゴールはメキシコとともに成長すること。」