6月29日 NHK海外ネットワーク
ボスニアはイスラム系、セルビア系、そしてクロアチア系と3つの民俗が暮らし
かつて民族浄化というおぞましい言葉で知られる三つ巴の内戦の舞台ともなった。
100年前のサラエボ事件めぐっても
オーストリアの皇太子を殺害したセルビア系の男の犯行が暗殺だったのか
それとも英雄的な行動だったのか
いまも民族によって歴史認識が大きく異なっている。
サラエボ事件から100年。
セルビア系の住民が多く暮らす東サラエボでは事件を起こした男の銅像の除幕式が開かれ大勢の住民たちが詰めかけた。
男を英雄視するセルビア系住民が事件を記念して建てたのである。
セルビア系の学校で行われたサラエボ事件の裁判をえがいた劇を演じるのは子どもたち。
(実行犯を演じる少年)
「私たちの理想のために事件を起こした。
みんなのためを思ってのことだ。」
裁判で男は民族の誇りを守るために犯行に及んだと主張した。
セルビア系の学校では男は英雄だと教えられている。
(セルビア系の学校教師)
「青年の行為を風化させてはいけない。
歴史の真実を劇で伝えたいと思った。」
これに対しイスラム系の学校ではサラエボ事件について真逆の評価を下している。
「プリンツィップは皇太子夫妻を暗殺した。
皇太子妃は身ごもっていたというのに。」
事件について授業で発表する生徒たち。
残虐な行為だったと強調している。
ボスニアでは各民族の学校ごとに異なる歴史教科書が採用されている。
イスラム系の教科書では男を暗殺者だったと記述している。
(イスラム系の学校の生徒)
「大戦のきっかけを作ったわけだから男がやったことは実にばかげている。」
ボスニアでの民族対立は90年代に再燃。
大勢の犠牲者が出る内戦にまで発展した。
内戦を経験したひとり イスラム系学校の歴史教師をしているセナダ・ユーシッチさん(32)。
内戦で父親は前線に駆り出され家には母と子どもだけが残された。
砲弾が飛び交う中を逃げ惑う毎日だった。
(セナダ・ユーシッチさん)
「幼くて内戦の理由はわからなかったが争いをやめてほしいと強く願っていた。」
異なる民族が共存するために自分にできることは何なのか。
ユーシッチさんはセルビア系など多民族の教育関係者と一緒に歴史の教材作りに参加することにした。
教材は開戦の100年の節目となる今年
各国の子どもたちを招いて行う歴史プロジェクトで使うものである。
(セルビア系の元教師)
「政権が変わるたびに歴史解釈も変わってきた。
しかし教科書の記述だけが歴史ではない。」
教材の中で事件をどう記述するか。
議論の末民族ごとに真っ向から食い違う見解を無理にひとつにまとめるわけにはいかないということになった。
完成した教材ではサラエボ事件を報じる当時の新聞記事をできるだけ多く紹介した。
(セルビアの新聞)
“事件はあくまで1個人が起こしたもので民族全体の責任にすべきでない”
(オーストリアの新聞)
“暗殺は虐殺にも等しい行為”
同じ事件でも民族によって異なる見方があることを教材を通じて子供たちに伝えたいと考えた。
(セナダ・ユーシッチさん)
「この100年の節目は歴史を見直す機会にしてほしい。
私たちの取り組みが意見の違いを克服する一歩になってほしい。」
6月29日 NHK海外ネットワーク
4年間にわたる戦いで約1000万人が亡くなったとされる第一次世界大戦。
その引き金となったサラエボ事件の発生から6月28日で100年を迎えた。
これにあわせてヨーロッパの各国で悲惨な戦争を二度と繰り返さない決意を込めた式典などが行われ
激戦地だったベルギーのインテルではEU各国の首脳らが平和への誓いを新たにした。
100年前 世界を戦争の時代へ突入させることになったサラエボはバルカン半島の国 ボスニア・ヘルツェゴビナの首都。
現場には事件の当事者の顔写真が掲げられている。
サラエボを訪れていて暗殺されたオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子と犯人のセルビア系の男。
この事件が開戦の勃発につながっていった背景には
当時のヨーロッパ諸国におけるナショナリズムの高まりと領土をめぐる勢力争いがあった。
サラエボ市内で行われたサッカーワールドカップのパブリックビュー。
悲願の初勝利を果たしたボスニアの代表チームに人々が熱い声援を送った。
「私たちにとっても代表チームにとっても大きな一歩。」
今でこそ人々が穏やかに暮らすサラエボ。
しかしかつてこの町だ放たれた銃弾がその後の世界を大きく変えることになった。
100年前 オーストリアの皇太子夫妻を乗せた車がパレードのため進んできた。
そして角を曲がったところで悲劇は起きた。
群衆に身をひそめていた男が皇太子夫妻に向け次々に発砲。
二人は帰らぬ人となった。
犯人はセルビア系のガブリロ・プリンツィップ。
オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合したことに強い反感を抱いていた。
博物館となった現場の一角には当時の写真が貼られ事件の様子を今に伝えている。
皇太子夫妻が乗っていた車も特別に公開された。
車体には今も銃弾の跡がはっきり残っている。
暗殺事件をきっかけにオーストリアはセルビアに宣戦布告。
新興国として軍備増強を続けていたドイツも同じ民族のオーストリア側にたって参戦する。
一方ロシアは民族が同じセルビア側に参戦。
ドイツと対立していたイギリスやフランスもこの陣営に加わる。
当初 局地戦にとどまるとみられていた戦争はまたたくまにヨーロッパ全土に拡大。
さらに日本やアメリカも巻き込み多くの国の予想に反して4年にものぼる長期戦となった。
平和への願いを込めたコンサートで演奏会を行ったのはオーストリアの名門ウィーン・フィル。
広く市民が楽しめるよう会場前の大型スクリーンにも映像が流され
大戦にゆかりの国々の名曲を奏でることで犠牲者を悼んだ。
かつての激戦地には多くの兵士がいまも眠っている。
大戦の激戦地のひとつ フランス北東部のベルダンに作られている犠牲者の墓地。
ドイツとの戦いで命を落とした兵士の墓がみわたす限り広がっている。
ベルダンの戦いは両軍がおびただしい数の銃弾を打ち合ったことで知られ
現地では今でも毎週のように不発弾が見つかる。
(ヴォー村 アルマン・ファルク村長)
「このあたりの畑や森ではよく見つかる。
不発弾を見つけたら村長や憲兵に連絡することになっている。」
ベルダン郊外の森林。
不発弾による環境汚染の危険性を警告しているNGOによると
森の一角は植物がほとんど育たず地元では“ガスの空き地”と呼ばれている。
第一次大戦で初めて化学兵器として使われた毒ガスの影響によるものとみられる。
発がん性があると指摘され住民の立ち入りは一切禁止されている。
「動物が地面を掘り返した時などに汚染された瓶が出てくる。
この瓶には化学兵器に使われたヒ素が入っていた。
戦争から100年もたつのに驚くべきこと。
第一次大戦はまだ終わっていない。」
こう着状態に陥り長期化していった大戦。
その象徴といえる塹壕(ざんごう)を扱った博物館が激戦地 フランスのソンムにある。
第一次大戦当時の塹壕の様子が再現されている。
兵士たちは深く掘った溝の中で敵の銃撃から身を守りながら攻撃の機会をうかがっていた。
劣悪な衛生状態の中での終わりが見えない塹壕生活。
過酷な消耗戦は兵士の精神をも病んでいったという。
この日 授業で第1次大戦について学んでいる近くの小学生たちが訪れていた。
「これは冬の様子です。
小さなストーブで暖をとるしかありませんでした。
夜になるとネズミがかじりに来て兵士たちはゆっくり休めませんでした。」
(生徒)
「ざんごうの中がここまでひどいとは知らなかった。」
「はじめて見た。
こんな生活とても私には無理。」
(ティエリ・グールラン館長)
「塹壕戦となって戦いは長期化していった。
100年前に何があったのか若い世代に伝えたい。」
6月22日 NHK海外ネットワーク
6月12日に開幕したW杯。
国のプライドをかけた熱い戦いが続いている。
64年ぶりの開催となった地元ブラジルも大いに盛り上がっている。
「優勝を信じている。
絶対にあきらめない。」
「みんなワールドカップを楽しんでいるよ。」
ただ階差地ならではの現象みみられる。
ナタルのスタジアム近くの店では普段は日本円で75円のコカコーラがW杯の期間中とあって250円になっている。
日本から訪れたサポーターも驚いている。
「レストランの値段の表示がかえられていた。
ワールドカップ用の値段になっている。」
「ホテルも高い。
日本円で3万円。」
リオデジャネイロのホテルでは宿泊料が跳ね上がったため泊まるのをあきらめた人たちがビーチで野宿。
さらにはバスターミナルに泊まり込む人たちも。
ブラジルではW杯開催をきっかけにあらゆる物の値段が上がっている。
サンパウロのW杯スタジアム近くにある土地には1か月ほど前から約1万5,000人がテント暮らしを続けている。
地価高騰で値上がりした家賃が払えなくなり家を失った人たちが不法に移り住むようになったのである。
景気低迷を理由に旋盤工の仕事を解雇されたサンドロ・デジェススさん(28)。
妻と4才の娘、それに親類の合わせて6人で暮らしている。
電気もガスも水道もないテント暮らし。
毎日の食事はボランティアの炊き出しに頼っている。
幼いころはサッカー選手になることを夢見ていたというデジェススさんは今回の地元でのW杯を待ち焦がれていた。
楽しみにしていたはずのブラジル戦も
「ブラジルの試合は見ない。
ワールドカップが開かれても何もいいことはない。
試合を楽しもうという気にはなれない。」
W杯開催の効果でブラジルの福祉・教育は充実する
という政府の説明を信じていたデジェススさんだが期待は裏切られた。
(サンドロ・デジェススさん)
「ブラジルには明るい未来があると思っていた。
でも私たちの生活はちっともよくなっていない。」
デジェススさんのようにテント暮らしを続けている人たちは
自分たちが移り住めるような安い住宅を一刻も早く提供するよう
地元のサンパウロ市当局に訴えている。
いまどれほど厳しい生活環境に置かれているかをアピールしようと
当局に提出するための住民リスト作りにも取り掛かった。
子どもやお年寄りを抱える家庭はどれくらいあるか。
仕事を失った人は何人いるのか。
切迫した状況を具体的に示すことで当局に早急な対応を迫ろうというのである。
さらにW杯開催中の今もサンパウロ市内をデモ行進し住宅の提供を繰り返し求めている。
こうした要望はサンパウロ市議会にも伝えられた。
市側はテント暮らしの今後について検討したいとしているが具体的な対策は示していない。
またブラジル政府も以前から貧困者向けの住宅を安く提供する政策を打ち出しているものの
W杯開催に伴う地価の高騰もあって大都市では住宅の需要に供給が追い付いていない。
W杯で国中が沸いているからといって政府には国民の生活や福祉をないがしろにしてほしくはないと
デジェススさんたちは願っている。
(サンドロ・デジェススさん)
「私たちには住まいも医療も教育も何もない。
政府はアパートを建てるなどやるべきことをちゃんとやってほしい。」
W杯開会後は各国の試合が行われている都市で重点的にデモが行われている。
参加者は数百人と比較的小規模にとどまっているということで
当局も暴力的なものにならない限りは静観しているというのが現状である。
訴えが政府を動かすことになるのか試合の行方も含めて気になるところである。
日本の消費税は世界的には一般的に付加価値税とよばれ140以上の国で導入されている。
品物やサービスの取引に広く課税をすることで財源を確保する付加価値税。
急成長が続くアフリカでも多くの国が採用している。
ただアフリカでは制度はあっても税金の徴収が上手くいっていない国が多いというのが現状である。
そのような国のひとつ ブルキナファソにビジネスチャンスを見出そうとする日本企業がある。
アフリカ西部 サハラ砂漠の南に位置するブルキナファソ。
国民1人当たりの年間所得は約6万円と最貧国のひとつだがいま大きな変化が起きつつある。
中国など新興国向けの農産物の輸出が好調で海外からの投資も増加。
ここ数年は10%近い経済成長が続き
人口1700万の国民の半数が携帯電話を手にするようになった。
経済が上向きになるなか税収を増やす手段として政府がいま目を向けているのが20年前に導入した付加価値税である。
税率は18%。
しかしこれまで期待通りに税収はあがっていない。
多くの店が売り上げをごまかして申告し脱税してきたからである。
この状況にビジネスチャンスを見出した日本の企業がある。
レジメーカー社長 山田哲夫さん(65)。
山田さんはブルキナファソ国税庁のトップと直接交渉した。
売り込んでいるのはレジに接続する黒い端末。
店のレジにつなぐだけで国税庁は店の売り上げを直接把握できるようになる。
(山田哲夫さん)
「すべての情報を入手できる。
国税査察官がチェックするのと同じだ。」
店が売り上げをごまかし脱税するのを防げるとあってブルキナファソ政府は山田さんにまず500台を注文した。
山田さんは2か月に1回のペースでブルキナファソに出張している。
1か月の滞在を終え帰国した。
(山田哲夫さん)
「現場を見ないことには解決策は出ない。
今後の戦略も練れない。」
山田さんの会社の従業員は12人。
大阪を拠点に30年近くレジを販売してきた。
脱税を防止するためのシステム開発にも力を入れ
これまでヨーロッパや中南米など23か国に40万台余を納入。
この分野では日本有数のメーカーになっている。
山田さんの会社が開発した端末の仕組みは
レジに接続された黒い端末に店の売り上げがすべて記録される。
端末は国税庁に設置されたサーバーに売り上げを毎日送信する。
また不正を防止するため端末がレジから取り外されるとレジを使えなくする機能ももりこまれている。
国税庁は設置された店の売り上げを確実に把握できるので不正を防げるという仕組みである。
山田さんはこうした端末とサーバーをセットで売り込んでいる。
今回の売り込みを突破口にしてアフリカ各国への売り込みに弾みをつけようという狙いである。
(山田哲夫さん)
「我々のシステムはインフラに手を加えず
設置すればあすから情報が集まってくる。
ぜひ今チャンスのあるアフリカに攻め込みたい。」
しかし実際に導入されるまで安心できない。
ほかのアフリカの国では契約が突然白紙に戻った経験があったからである。
「契約というのは紙切れなのでいつ止まるかわからない。
アフリカでは明日何があるかわからない。
きょう何があってもわからないという感覚で物事をとらえていかないと。」
端末が将来国内のあらゆる店舗に設置されるようになるには法律に基づいて義務付けることが欠かせない。
山田さんはブルキナファソ政府にその方針を速やかに国民に明らかにするよう働きかけてきた。
そして5月 国税庁はスーパーや飲食店など初めの500台を設置する小売店関係者を集め説明会を開催。
端末設置の方針を初めて発表した。
しかし発表があまりにも突然だったため会場からはシステム導入への不安の声が上がった。
「設置費用はいくらぐらいかかるのか?」
「今までのやり方を変えないといけないのか?」
(国税庁長官)
「機器や装置を変える必要はない。
安心してください。」
国税庁は端末を当面無料で配ることを約束。
適正な納税への理解を求めた。
山田さんもシステムの導入が国の将来のために必要だと訴えた。
(山田哲夫さん)
「このシステムはブルキナファソの近代化
政府 子どもたちの役に立つ。」
(説明会の参加者)
「ブルキナファソの発展につながると思う。
そのためには国民へ周知しないと。」
説明会の翌日 山田さんは参加した飲食店を訪ねた。
システムが簡単に使えることを繰り返し説明し不安を解消するためである。
(飲食店経営者)
「店の信用にかかわるので私は置いていいと思う。」
ブルキナファソにシステムを根付かせアフリカ市場の扉を開くことができるのか。
山田さんの挑戦は続く。
(レジメーカー社長 山田哲夫さん)
「システムをその国に導入することで
教育・医療・国のインフラが大きく変わる。
ブルキナファソを最初のプラットホームにし1か国1か国攻めていきたい。」
絹で織られた伝統的なペルシャ絨毯。
約300万円。
同じペルシャ絨毯でもモダンなデザインが特徴の絨毯ギャッベ。
羊毛で織られていて約30万円。
手ごろ感があって日本国内でも取り扱う店が増えてきている。
「手作りというのは感覚として伝わる。
一つだけというところが貴重な感じ。」
「絵柄とか色合いがすごく好き。」
“ギャッベ”はペルシャ語で“分厚くあらっぽい”という意味。
価格の手ごろ感に加えて厚みのある手触りも人気である。
(IDC大塚家具 日色敬行さん)
「30代前後から年配の方まで幅広く好評です。
肌触りがすごく気持ちよくて売り場で寝転んで試す人も多い。」
ギャッベはイランの遊牧民が始めて代々受け継がれてきたものである。
イランと首都テヘランから南へ約1000キロ。
標高2000mを超える山々が連なる。
ザグロス山脈でギャッベは作られている。
山岳地帯に暮らす少数民族のカシュガイの人たち。
18世紀にトルコとの国境付近から移り住んできたとされている。
今も昔ながらの遊牧生活を続けている。
カシュガイの人たちは自分たちで育てた羊の毛でギャッベを手で1枚1枚織り上げる。
座布団ほどの大きさのギャッベを1枚織るのに約2週間かかる。
その技術は母から子へそして孫へと数百年にわたって受け継がれてきた。
丈夫で持ち運びしやすく寒さをしのぐこともできるギャッベ。
厳しい遊牧生活を送るカシュガイの人たちにとって欠かせないものである。
「子どものころからずっと織っている。」
絨毯商人のハミッド・ゾランバリーさん(43)。
ハミッドっさんの父親はギャッペ市場拡大に力を尽くし“ギャッベの父”と呼ばれている。
一家は60年にわたってギャッペを専門にあつかってきた。
ハミッドさんはより多くの人にギャッベを使ってもらおうと様々な取り組みを進めてきた。
もともとは限られた色の毛糸しか使われていなかったギャッベ。
カシュガイの人たちを訪ね消費者の好む色やデザインを取り入れるよう依頼した。
今では色とりどりのギャッベが作られるようになった。
(ギャッベ織りの責任者)
「私たちはもともと自分の生活のためだけにギャッベを織ってきた。
しかし注文を受けて新しい色を取り入れるようになった。」
素材にもこだわった。
ハミッドさんはカシュガイの人たちがつむいだ毛糸をザクロなどの天然素材で染めて織ってもらっている。
ギャッベの素朴なぬくもりを引立てるための工夫である。
さらに出来上がったギャッペは念入りにチェックし無駄な糸などを取り除いている。
こうしてカシュガイの人たちと二人三脚でギャッベの品質と価値を高め各国に売り込んできた。
今年3月には北欧にも販路を広げようとドイツ ハンブルグの店を大幅に拡張した。
海外での売り上げは30年余りで10倍近くに伸びたがさらに増やしたいと考えている。
春の大移動を終えたカシュガイの人たち。
今年もギャッペを織る季節がやってきた。
「今年の羊毛はとてもいい。」
「みんな昔からギャッペを編み私も受け継いだ。
編むことに誇りを持っている。」
ハミッドさんもギャッペの出来上がりを楽しみに待っている。
(ハミッドさん)
「カシュガイの人たちは長い歴史と伝統を持っている。
彼らの文化を大切にしながら新しいデザインや色を取り入れたい。」
ギャッベは最近はイラン国内でも新婚家庭を中心に人気が高い。
イランの遊牧民に受け継がれてきた絨毯作りの技はユネスコの世界無形文化遺産に登録されている。
手織りの技術や使う道具などが時代が変わってもそのまま受け継がれたことが評価されたということである。
日本と中国の関係は冷え込んだ状態が続いているが
中国ではこれまでにない形で日中友好を模索しようという動きが始まっている。
名門大学に作られた学生寮がいま日本と中国の若者を強く結び付けようとしている。
北京大学の学生寮でサッカーを観戦するルームメイトのふたり。
中国人の学生と日本人の留学生である。
(中国人学生)
「日本人は友好的で付き合いやすい。
中国と日本の文化の違いはそんなに大きくない。」
(日本人留学生)
「中国人と暮らすのはどうかなと躊躇しているところがあったけど
彼がすごく優しい。」
学生寮の中日交流センター。
日中の若者60人が一緒に暮らしている。
中国では中国人学生と外国人留学生が別々の寮に住むことが一般的。
この寮は極めて珍しい形式である。
おそろいのTシャツを着た日本と中国の学生たち。
寮は2年前に日中の友好の場として誕生した。
設立に深くかかわったのは日本で学んだことのある男性。
上海出身の香港の企業家 曹其さん(75)は寮の設立のために3億円余りを寄付した。
曹さんは1958年から4年間東京大学で学び都内の学生寮で日本人と暮らした。
(曹其さん)
「私が作った学生寮は日本のアジア文化会館を参考にした。」
曹さんが暮らしたアジア文化会館は今も残っている。
曹さんと同じ頃この寮で暮らしていた小木曽友さんは現在は寮の理事長を務めている。
今でも曹さんが来日するたびに会って交流を続けている。
この寮では今も留学生100人余りが生活している。
寮には曹さんたちが行った北海道旅行の記録が残されていた。
これからも皆とより良い友達
ここでの暮らしが曹さんの日中友好への思いの原点になっている。
(小木曽友さん)
「政治でも経済でも基礎には信頼関係がある。
信頼関係を作った日本人をずっと彼は信じている。」
(曹其さん)
「中国と日本は隣人でよき友。
でも今の中日関係は異常。
若い人たちがお互いを理解し合うことは将来に良い影響を与える。」
曹さんの寄付で北京大学だけでなく中国国内のほかの4つの大学でも同様の寮の建設が進んでいる。
曹さんは若者たちによる日中友好を中国から広げていこうとしている。
寮で共に暮らしている宛如さん(23)と日本からの留学生の岩田恵実さん(20)。
ふたりが共同生活を始めて1年。
日中関係が冷え込むなかでもともに友情を深めお互いの思いを語り合ってきた。
(岩田恵実さん)
「政治上の問題は絶えないけどお互いの意見を言い合って初めて
“中国の人はこう理解するんだ”と違いを理解し合える。」
(宛如さん)
「日本に対する印象はだいぶ変わった。
恵実と話したことをよくクラスメイトに話す。
日本人の反中感情がそれほど激しくなく悪いイメージばかりでないとクラスメイトに知ってほしい。」
曹さんが寮に託した日中友好の願いは若者たちに確かに引き継がれている。
(曹其さん)
「寮の若者たちは中日友好に積極的な役割を果たしてくれる。
希望のあるところに種をまいている。
やるべきことを自分ができることに幸せを感じている。」
国連安全保障理事会で各国の言語が飛び交う議場の上にある通訳専用ブース。
瞬時に正確に訳すことが求められる通訳官の仕事場である。
その数は総勢110人。
(国連の通訳官)
「大変だからこそ面白い。」
「ミスが許されないのがエキサイティングだ。」
(国連 通訳部部長)
「彼らは世界最高の通訳たちだ。」
国連の公用語は英語、フランス語、アラビア語、ロシア語、スペイン語、中国語など6つである。
議場が見渡す場所に専用のブースが設けられそれぞれの言語の担当が同時通訳を行っていく。
第二次世界大戦後 ナチスドイツの罪を裁いた国際軍事法廷 ニュルンベルグ裁判。
今の国連での同時通訳は約70年前のこの裁判での通訳の進め方が原型となっている。
それまでの国際会議では出席者の発言がひと区切りついたところで訳すというのが一般的だった。
しかしこれではいくつもの言語が飛び交う裁判の進行に時間がかかりすぎるため
同時通訳の手法が取り入れられるようになったとされている。
同時通訳の中でも国連の通訳官は国と国との利害がぶつかる議論を扱うだけに
最高レベルの技術と経験がないと務まらないと言われている。
採用試験に応募してくるのは大学院などで高い学識を身につけた人たちばかりだが
合格率はわずか5%。
アラビア語の通訳官でエジプト出身のナビル・アブデルアルさん(57)。
1991年の湾岸戦争や2003年のイラク戦勝を目前にした安全保障理事会など
歴史的な場面で通訳を任されてきた達人である。
アメリカの国連大使の発言をほぼ時間差なくアラビア語に訳す。
(同時通訳)
(アメリカの国連大使)
「関係者が交渉を中断したら私たちは和平に必要な決断を下すことができない。」
速さと正確さだけでなく話し手の表情も観察しながらその思いまで伝えるよう努めている。
(ナビルさん)
「発音、文法、専門用語なども考慮に入れ忠実に真摯に正確に伝えるのが通訳。」
エジプトの大学院で英文学を専攻していたナビルさん。
自分の力を試そうと32年前国連本部の通訳官に応募し合格。
アメリカに移住した。
英文学で博士号を持ち世界の文学や言語学などにも知識を広げてきた。
この博識ぶりから「ドクター」と呼ばれ同僚たちから頼りにされている。
(同僚の通訳官)
「とても勉強熱心で一緒に仕事がしやすい人だ。」
しかしそんなナビルさんも通訳を始めたばかりのころはついて行けずマイクの前で言葉に詰まることもあったと言う。
どんな場面でも的確な通訳ができるよう人一倍努力を重ねてきたナビルさん。
今も勉強を絶やすことはない。
ナビルさんがこれまで培ってきた知識と経験がいかんなく発揮されたときがあった。
シリアの内戦をめぐってシリアの国連大使と反政府勢力を支持するサウジアラビアの国連大使がアラビア語で突然非難の応酬を始めたのである。
筋書きのない二人のやり取り。
ナビルさんはあわてることなく正確に通訳した。
(同時通訳)
(サウジアラビアの国連大使)
「シリア政府は自国民に対して戦争を起こした。」
(シリアの国連大使)
「サウジアラビアこそ暴力やテロを助長しシリア国民の流血を生き起こそうとしている。」
さらにアラブの詩を引用した発言まで飛び出しナビルさんの教養が試される事態に。
(同時通訳)
(サウジアラビアの国連大使)
「アラブの有名な詩人であるアハマド・シャウキの詩で締めさせてもらう。」
サウジアラビアの大使が引用したのはアラブ世界で最も有名な詩人アハマド・シャウキ(1868~1932)の詩の一説。
20世紀初頭の戦乱で今のシリアの首都ダマスカスの荒廃を憂う詩を今の内戦の惨状に重ね合せたのである。
「『おお ダマスカスよ
私の涙は止まらない
悲しみよ・・・』」
シリアの大使も母国の詩で対抗した。
(同時通訳)
(シリアの国連大使)
「私のシリアの偉大な詩人ニザール・カバニの詩で終えたい。
『アラブの民であることは
何と苦しく厳しい仕打ちなのか』」
戦乱が絶えないアラブの宿命を嘆いた詩。
文学にも通じたナビルさんにこそできた通訳だった。
(ナビルさん)
「詩を訳すのは時間がかかる。
簡単には訳せない。
難しくて気分が高ぶった。」
ナビルさんに心が休まる暇はない。
この日の担当はパレスチナ情勢をめぐる安保理での公開討論。
アメリカが仲介するイスラエルとパレスチナの和平交渉は4月に再び暗礁に乗り上げた。
新たな衝突が起きることが懸念されているが打開に向けた糸口は見つかっていない。
(ナビルさん)
「中東には様々な問題がある。
発言をいかに正確に伝えるかが非常に大切。」
故郷中東の現状に心を痛めるナビルさん。
プロフェッショナルに徹することで祖国エジプトや中東の平和や安定につなげたいと願っている。
豊富な鉱物資源をてこに経済成長を続けてきた南アフリカ。
しかし去年 アメリカが金融緩和策を修正したことの影響を受け成長にブレーキがかかった。
「仕事がない。」
「この国は行き詰っている。」
圧倒的な支持を集めてきた与党への不満が高まるなか南アフリカでは総選挙が行われる。
アパルトヘイトの撤廃運動を指導し黒人抑圧の時代に終止符を打ったのが
マンデラ元大統領とその政党ANC(アフリカ民族会議)である。
ANCは20年前の選挙で圧勝し黒人初のマンデラ大統領を誕生させて以来一貫して政権を担ってきた。
しかしかつては盤石だった体制に今ほころびが見え始めている。
すべての人種が参加して行われた歴史的な選挙から20年を祝う式典の会場に集まったのは約5千人。
そのほとんどがANCの支持者である。
選挙を前にさながらANCの支援集会のようになった。
しかしANCは今これまでになかった逆風にさらされている。
アパルトヘイトと戦った時代のANCを知らなかった若者たちが不満をあらわにしているのである。
不満の原因の一つが経済の低迷である。
去年アメリカが金融緩和策を修正したことで外国からの投資の多くが南アフリカから引き揚げた。
投資先となっていた多くの鉱山は閉鎖され労働者は相次いで解雇された。
(鉱山で働いていた労働者)
「わたしは鉱山で体を壊すまで働いてきたのに
会社が立ち行かなくなると真っ先にクビになった。」
アパルトヘイトの時代をほうふつさせる事態が起きたのも国民の感情を刺激した。
一昨年賃金の引き上げなどを求める鉱山労働者の組合のデモ隊に警官が発砲し34人が死亡したのである。
黒人が黒人を弾圧したとして衝撃が広がった。
さらにANCの汚職体質にも国民の批判が集まっている。
ANCの党首でもあるズマ大統領には
“自宅の改修でプールの整備などに23億円もの公費を使った”との疑惑が浮上。
地元の新聞には大統領が金まみれだと批判する風刺画も掲載された。
去年の暮マンデラ元大統領の追悼式典ではズマ大統領が壇上に立つと会場から猛烈なブーイングが浴びせられた。
高まるばかりの批判にANCは汚職の一掃に取り組むとしている。
(ANC青年同盟 報道官)
「ANCは汚職まみれではない。
汚職との戦いは優先課題である断乎とした措置を取る。」
かつて黒人を開放に導いたANCへの信頼は揺らぎ始めている。
ANCの内部から飛び出した若手らが去年設立した新しい政党が注目を集めている。
EFF(経済的開放の闘士)。
最も重視しているのは汚職の撲滅。
(EFF マレマ党首)
「汚職で有罪となったものは少なくとも禁固20年の刑にして刑務所に送る。」
サベロ・フンバさん(20)はかつてはANCを支持していたが汚職まみれで今後に期待できないといかぎり
EFFの選挙活動に参加している。
「僕たちは新しい世代。
僕たちが見たいのは過去ではなく未来。」
一方でアパルトヘイトを経験したサベロさんの母親など中高年はANCの熱心な支持者が多いという。
(サベロさんの母親)
「アパルトヘイト時代は街を歩いていると身分証明書を出すように言われた。
今は自由に町を歩くことができる。
私はANCを支持する。」
サベロさんの母親が若いころ黒人には選挙権はなく住む場所も職業も選ぶことはできなかった。
白人と黒人でトイレは分けられ海水浴場も別々だった。
白人と同じバスに乗ることもできず逆らえば暴行を受けたり逮捕されたりした。
黒人は同じ人間としての扱いを受けていなかったのである。
厳しい弾圧を受けながらも戦い続け
ついに黒人に自由をもたらしたANCは母親にとって唯一信頼できる政党なのである。
(サベロさん)
「ANCは黒人を開放したかもしれないけどみんな経済的には自由になってない。」
アパルトヘイトの記憶がない若者たちが初めてのぞむ今回の選挙は南アフリカの将来を占うものになりそうである。
メキシコ南東部のリゾート地カンクン。
年間約400万人の観光客が訪れる。
その多くは透明度が高く美しい海が目当てにやってくる。
カラフルな熱帯魚を間近で見られるダイビングは特に人気がある。
青や紫で彩られたウミウチワというサンゴも数多く群生しダイバーをひきつけている。
そのカンクンの豊かな海がいま危機に直面している。
折れてしまったウミウチワ。
繊細でもろいサンゴはダイバーの足ヒレがあたっただけで簡単に壊れてしまう。
ダンバーの増加によってサンゴが傷つき減っている。
その解決策として4年前に水深約10mのところに500体の彫刻を展示した。
「海底美術館」と呼ばれている。
サンゴが豊富な人気のダイビングスポットからは500mほど離れたところにある。
ダイバーをこちらに呼び込むことで人気スポットに人が殺到するのを避けようというねらいである。
彫刻の多くは人々の暮らしのひとコマを切り取った作品。
肩を並べて空を見上げる人たち。
椅子に腰かける幼いこども。
彫刻は魚にとって格好の隠れ家でたくさんの魚が集まるようになっている。
新たなダイビングスポットとして評判を呼び
人気スポットのサンゴ礁に集中していたダイバーの数を減らすことができた。
海底美術館の魅力を知ってもらおうと彫刻は陸上でも展示されている。
海底美術館をつくった中心メンバーのロベルト・アブラハムさん(62)。
「これはカンクンに住んでいる女の子だ。」
彫刻の多くは地元の住民がモデルになっている。
イギリスの彫刻家に依頼し2年かけて500体を作り上げた。
(ロベルト・アブラハムさん)
「サンゴの保護が一番の目的だった。
サンゴ礁を守るため住民たちにも協力してほしかった。」
中には妊婦の彫刻もある。
モデルになった女性は協力したのは4年前で妊娠8か月のときだった。
「わたしはママのおなかの中にいたの。」
「彫刻のモデルになれたことはうれしいし誇りに思っています。
多くの人たちに海底美術館を訪れてほしいです。」
海藻に覆われた妊婦像
階層が付着しやすい素材
自然と芸術の調和
「とても素晴らしかった。
魚もたくさんいて彫刻も良かったです。」
(ロベルト・アブラハムさん)
「海底美術館はサンゴ礁をダイバーから守るだけではない。
サンゴ礁を新たに生み出していると言ってもいい。
小さな生き物たちが暮らせる楽園にしていきたい。」
海の底で静かにたたずむ彫刻群。
時間とともに変化しながら豊かな海を守り続ける。
モスクから礼拝への呼びかけが流れるなかサッカーの練習を続ける女性たち。
敬虔なイスラム教徒の女性が身につけるヘジャブで頭を覆う選手もいる。
彼女たちは中東ヨルダンの女子代表チーム。
16歳から26歳までの26人の選手たちである。
このチームを率いる監督は日本人の沖山雅彦さん(46)。
大学や社会人などの女子チームの指導者として実績を積み上げてきた沖山さんの指導力にヨルダンのサッカー協会が目をつけ
一昨年4月 代表の監督として招いた。
(ヨルダン女子代表 沖山雅彦監督)
「僕はヨルダンの国の代表監督として彼女たちを勝たせる。」
国民の9割がイスラム教徒のヨルダン。
女性がサッカーなどのスポーツをすることに抵抗を感じる人も少なくない。
ヨルダンチームのメンバー 大学生のメイサムさん(19)は社会や家族からサッカーへの理解が得られず悩んでいる。
(ヨルダン女子代表選手 メイサムさん)
「父は『なぜ学校にきちんと行かずにサッカーばかりするんだ』と言うの。
タクシーに乗ったら運転手から
『親は娘がサッカーをしていることを知っているのか』と言われた。」
イスラム教徒が多い選手やスタッフに沖山さんは最大限配慮している。
1か月間日の出から日没まで飲食を絶つイスラム教の重要な行事ラマダン。
メンバーが食事をきちんととれるように練習の開始時間を4時間繰り下げて午後9時半からにした。
(ヨルダン女子代表選手 メイサムさん)
「沖山監督は柔軟な考え方だから宗教で差別されている感じはしない。」
(ヨルダン女子代表 沖山雅彦監督)
「家族の反対を押し切って仕事を辞めてこの1年取り組んでいる選手もいる。
選手一人一人の思いで私たちの代表は成り立っている。」
沖山さんが率いるチームはヨルダン代表といっても結成してわずか9年。
監督に就任した2年前は選手たちのプレーの自己主張が激しくチームの一体感は全くなかったと言う。
練習に遅刻する選手もいる始末で沖山さんは厳しく指導してきた。
(ヨルダン女子代表 沖山雅彦監督)
「選手も買ってばらばらで全然コミュニケーション取っていないし
練習に遅れて来るのは当たり前で無断で休むのも当たり前で
これが本当に代表チームなのかというのが率直な感想だった。」
沖山さんは日本で行っていた緻密な分析を指導に取り入れた。
毎日その日行った練習を記録。
改善すべき点をチーム全員で共有する。
またチームの一体感を高めようと練習前にミーティングを開くようにした。
強豪チームの分析をしたり選手としての心構えを教えたりする。
監督に就任して1年2か月 沖山さんの地道な指導の積み重ねが実を結んだ。
W杯最終予選への初めての進出をかけた戦いでヨルダン代表の選手たちは気負うことなく実力を発揮。
チーム全員で勝利を重ねW杯最終予選出場を決めた。
ヨルダンの女子チームは沖山さんのもとで歴史的快挙を成し遂げたのである。
国際サッカー連盟FIFAの副会長でもあるヨルダンサッカー協会会長アリ王子も沖山さんの指導力を高く評価している。
私はヨルダンの女子サッカーが日本人監督を受け入れたことを誇りに思う。
沖山氏は経験が豊富で日本で最高レベルの監督だ。
W杯への出場をかけた翌月の戦いを前に世界のトップレベルの力を知っておこうと
世界有数の強豪ドイツのバイエルンミュンヘンと親善試合を行った。
沖山さんは選手たちに練習で培ってきた実力を発揮するよう呼びかけた。
相手チームの選手たちは大きな体でプレッシャーをかけてくる。
前半の終盤にヨルダンは1点を先制されてしまう。
ハーフタイムに沖山さんは選手たちを励ます。
「動ける!
もっと動ける!
もっといっぱい動ける!
勝ちに行こう。
できる!」
そして迎えた後半 チームに一体感が出てきた。
連携して相手を囲み封じるなど守りを固める。
さらに個人の技も光る。
仲間にパスをつなげて日間にゴールを攻めた。
結果は0体1.
惜しくも敗れたがチーム全員が確かな手ごたえを感じていた。
(ヨルダン女子代表キャプテン ステファニーさん)
「相手は経験豊富で強いチームなのでこの試合で多くを学べた。
これからもっと技術を高めていきたい。」
(ヨルダン女子代表 沖山雅彦監督)
「最大の夢はワールドカップ初出場を果たすこと。
そのためには日本という強い相手に互角な戦いを挑む。
ぜひチャレンジしてヨルダン女子サッカーの夢をかなえられるように頑張っていきたい。」
日本人監督とともに努力を続けてきたヨルダンの女子サッカー代表。
いま世界に挑もうとしている。
ブラジルは経済面でも新興国として目立った成長を遂げてきたがここにきてその勢いに陰りが見え始めている。
GDPはアメリカ、中国、日本、ドイツ、フランス、イギリス、そして世界第7位にブラジル。
BRICSと言われる新興国の中でも中国に次いで規模が大きい。
ブラジルは経済面でも新興国として目立った成長を遂げてきたがここにきてその勢いに陰りが見え始めている。
GDPはアメリカ、中国、日本、ドイツ、フランス、イギリス、そして世界第7位にブラジル。
BRICSと言われる新興国の中でも中国に次いで規模が大きい。
ブラジルのGDPは2009年だけはリーマンショックの影響で落ち込んだが好調だった。
ここ2,3年は経済成長率は2%前後と伸び悩んでいる。
2007年 W杯ブラジル開催が決定。
2009年 五輪開催リオデジャネイロに決定。
2010年にはGDPが7,5%の高い伸びを記録。
経済成長が続くとみられ当時は高層ビルの建設ラッシュが相次いだ。
しかし最近は空き室が目立つ。
(ビルのオーナー)
「部屋が売れず借り手もいないとコストだけがかかってしまう。」
サンパウロのオフィスビルでは空き室の割合が増える一方で18%にのぼっている。
(経済学者 ルイス・カラド氏)
「不動産市場は以前は良かった。
しかし今は儲かっていた時とは違う。」
経済低迷の理由は天然資源や食料品などの輸出がヨーロッパの信用不安や中国の景気減速を受けて停滞したからである。
さらに国内を襲ったのがインフレの加速だった。
政府が一時推し進めた通貨レアル安政策の影響もあり物価が上昇。
ブラジル経済に大きな打撃となったのである。
レアル安の影響は国内企業を直撃した。
サンパウロ郊外の電源装置を製造する企業では
レアル安で中国などから輸入する部品の価格が上がり製造コストが大幅に増えた。
さらに足かせとなったのが政府がインフレ対策として打ち出した金利の引き上げである。
借入金の利子がふくらみ経営を圧迫していると言う。
(電源装置メーカー社長)
「低金利政策を実施してほしい。
今の金利レベルは現実的ではない。
ワールドカップだけでなく産業にも投資してほしい。」
この企業では生産ラインの一部を止め従業員200人のうち50人を解雇せざるを得なかった。
インフレによる物価の上昇で個人消費は冷え込んでいる。
自動車市場では消費者の関心が値段の高い新車から中古車へと移り中古車フェアが賑わいを見せている。
かつては右肩上がりだった新車の販売台数は10年ぶりに前年を下回った。
(中古車フェアの責任者)
「ここ3か月に訪れた人は去年と比べ30%増えた。
中古車の価格は下落していて市場はとても魅力的になっている。」
新車を売り払い中古車に乗り換える人もいる。
デザイナーのエバンドロ・サントスさんは2年前に日本円で210万円の新車を購入した。
ところが保険代などの維持費だけで年間20万円かかるため売却することにした。
中古車に買い替えれば維持費も半分にできると言う。
(エバンドロ・サントスさん)
「稼ぐお金よりも出費の方がかさむのでもっと経済的な車にしたい。」
個人の投資家を対象に頻繁に開かれている説明会では
ブラジル経済の先行きを不安定だとしてリスクの分散をうたってアメリカへの投資を呼びかけている。
景気が回復しない中でアメリカへの投資を決める人も少なくない。
(説明会に参加した一般投資家)
「ワールドカップが終わって世界が注目しなくなれば投資の暴落が起きるかもしれない。
アメリカははるかに安全なレベルにあると思う。」
スタジアム建設だけにとどまらずインフラを整えて産業にも役に立たせるはずだった。
しかし結果としてチャンスを逃してしまった。
計画を立てても複雑な手続きや縦割り行政、
そして労働組合の力が強く作業が進まない。
こうした“ブラジル自治区”と呼ばれる問題がW杯への準備を通してあらためて世界的に認識されることになった。
ブラジル経済はすでに世界有数の規模で各国に与える影響も大きくなっている。
日本にとってもその国内規模と将来性を見込んで今や約450社の日本企業が進出していると言われる。
こうした中ブラジル経済の回復は日本企業も注目している。
ブラジルでは去年W杯の前哨戦となくコンフェデレーションズ杯が行われた際
大規模な抗議デモが起きて世界を驚かせた。
今の同じようなデモがしばしば起きている。
ブラジルではW杯開催に反対する人が少なくない。
地元の世論調査では
48%の人がW杯開催を支持すると答えた一方で
41%もの人が反対と答えた。
W杯開催中にデモが広がりデモ参加者が暴徒化するような事態が懸念されている。
ブラジルでは教育や医療などの公共サービスの水準が低いうえに物価高で苦しい生活お送っている人が少なくない。
このためW杯への多額の投資に不満が高まっているのである。
2月6日にリオデジャネイロで行われた反政府デモ。
地下鉄の運賃の値上げに猛烈な抗議の声をあげた。
2月22日のサンパウロのデモでは学校教育の質を向上させることなどを求めた。
「ワールドカップではなく教育に目を向けるべきだ。」
W杯開幕を目前に控えてもデモは収まる気配は見えない。
3月27日も約千人が参加し
“ワールドカップよりも公共サービスの改善を”と訴えた。
デモに参加したひとり パウロ・スピナさん(33)。
サンパウロ市内の州立病院に勤務している。
心の病を抱えた患者のリハビリにサッカーを積極的に取り入れているスピナさん。
医療現場での経験から
“国は医療サービスの改善に必要な予算をあてていない”と批判している。
(パウロ・スピナさん)
「医師もほかの人材も不足。
サービスの質も低い。
ワールドカップがあるから保険分野に投資できないというのは言い訳だ。」
去年起きた大規模な抗議デモを受けて医療関連の予算を増やすと表明したことにいったんは期待を抱いたというスピナさん。
しかしその約束が充分に守られず裏切られたと感じたため今後もデモに参加することにしている。
スピナさんは不誠実な対応を取りつづける政府のせいで
国民がワールドカップを心から楽しめなくなったと感じている。
(パウロ・スピナさん)
「サッカーは好きです。
他国開催ならテレビで気楽に応援できただろう。
でもブラジルで開催してはいけない。
その前にすべき問題が多くあるから。」
ワールドカップ ブラジル大会の開幕は6月12日。
サンパウロでの開幕戦ブラジル対クロアチア戦に始まって12都市で試合が行われる。
32の代表チームが広大なブラジルの国土を移動しながら世界の頂点を目指す戦いを繰り広げる。
日本代表の試合が行われるのはレシフェ、ナタル、そして内陸部のクイアバ。
ブラジル国内は1952年以来となる自国でのW杯開催に向けて少しずつ盛り上がりを見せ始めている。
サッカー王国のブラジルで国民を何よりも一つにするのがサッカーの存在。
64年ぶりの自国でのW杯開催が迫るなかサッカー熱は普段にも増して高まっている。
「ブラジルサッカーは世界一!」
「ワールドカップでもブラジルは大活躍さ!」
サンパウロで最も大きな商店街ではW杯開幕を前にサッカー関連の商品を扱う店が増えている。
ブラジル代表のユニフォームやTシャツはもちろん日本代表のユニフォームもある。
従来のW杯の時期と比べても売り上げは40%増を見込んでいる。
(客)
「ワールドカップを待ちきれない。
応援のために買った。」
(店主)
「売り上げはまだまだ伸びます。
日本代表のグッズも売れています。
ブラジル人は日本が好きですから。」
一見W杯とは関係なさそうな店でも
人気の土産品のサンダルはブラジル、アルゼンチンなど今回の出場国の名前が入った特別なものを売っている。
(店主)
「ワールドカップに合わせてつくられました。
スペインやポルトガルも人気ですがブラジルが一番人気。
1日に20足は売れます。」
一方で開幕に向けた課題は少なくない。
中でも懸念されているのが試合が行われるスタジアムの建設が大幅に遅れていることである。
約6万5千人を収容する開幕戦が行われるサンパオロアリーナは
去年のうちに完成する予定だったがいまだに観客席の取り付けすら終わっていない。
去年の11月 作業用のクレーンが倒れて2人が死亡したのに続いて
3月にも観客席を設置していた作業員が転落して死亡。
安全対策の確認のため工事が一時中断したこともありさらに遅れが生じ
完成は開幕の直前になるとみられている。
(スタジアム広報担当)
「確実に間に合わせます。
残念ながら不幸な事故はありましたがワールドカップまでには完成します。」
さらに観戦に訪れる人たちの宿泊先の確保も大きな問題になっている。
特に深刻なのが地方都市である。
内陸奥地の町 クイアバ。
歓迎ムードの一方で市内のホテルは部屋不足が続いている。
約170室がある四つ星のホテル。
(ホテル総支配人)
「日本の試合がある6月24日はすでに部屋がまったくありません。
その後は多少の空きがありますがこの数日で無くなってしまうでしょう。」
大会に合わせて宿泊価格を大幅に引き上げるホテルがあるにもかかわらず
どこも予約が殺到している状況だと言う。
日本からも大勢訪れる人たちをどう受け入れるか。
日系ブラジル人などで作る現地の日本人会が動き出した。
市内にある日本人会の建物を臨時の宿泊先として提供することにしている。
(クイアバ日本人会会長 伊沢裕二さん)
「フロアにマットレスを敷いて横になってもらいます。」
約30人が宿泊できるよう準備を進めている。
さらに地元の州政府では一般の家庭にも宿泊先としての協力を呼びかけている。
市民から部屋と朝食を提供してもらおうという試みである。
宿泊先として応募してきた過程が条件を満たしているかどうか担当者が点検して回った。
(州政府担当者)
「ベッドの長さをはかっていいですか?」
「このエアコンはきちんと動きますか?」
ベッドの大きさやシャワーのお湯が出るかどうかなど州が定めた条件は約20の項目にのぼる。
宿泊客が支払う値段は1泊あたり170レアル前後(約7,800円)が検討されている。
「私たちの国に来てくれる人たちを温かく迎えたい。
お金はありがたいですがそのためではありません。」
州政府ではこうした一般家庭の協力を得て約2,000人分の宿泊先を確保したいとしている。
日本に年間15万トンにのぼる牛肉を輸出しているアメリカ。
国別の輸出先で日本は第3位である。
農家や農業団体の間からは日本の市場開放を求める声が高まっている。
南部テキサス州の畜産農家 ゲリー・フリッツさんは日本などに向け年間8万頭の肉牛を出荷している。
4月 日本とオーストラリアが牛肉の関税の引き下げで大筋合意したばかりとあって
今回のTPP交渉がアメリカ産牛肉が日本市場での巻き返しにつながれば
とフリッツさんは期待している。
(畜産農家 げいー・フリッツさん)
「何とかして早く決着してほしい。
市場を開拓してどんどん売りたい。」
いまフリッツさんを悩ませているのが干ばつの影響による牧草等のエサ代の値上がりである。
生産コストが上がり収益を圧迫しているためもっと販売先を増やす必要があると感じている。
現在アメリカから日本に輸出される牛肉にかけられている関税は38,5%。
この関税が撤廃されれば
自分の牛1頭あたりの売り上げが日本円で1万円近く増えるとフリッツさんは期待している。
(畜産農家 ゲリー・フリッツさん)
「牛肉を生産するにはコストがかかる。
何をするにも費用が必要。
日本に販売し続けるため関税撤廃を働きかけてほしい。」
一方の日本。
去年4月 牛肉を含む農産物5項目については関税撤廃の例外とするよう
衆参両委員会が決議した。
外国からの安い農産物の輸入が増えれば日本の農業が打撃を受けると懸念している。
4月17日 畜産や酪農などが盛んな北海道からは
オバマ大統領の日本訪問を前に農業団体が農林水産省を訪れ緊急の要請書を手渡した。
(JA北海道中央海 飛田稔章会長)
「なし崩し的なことにならないように北海道 全国の農業を守ってほしい。」
地域の重要な産業を守るために農産物5項目を関税撤廃の例外とするよう強く求めた。
(高橋はるみ 北海道知事)
「守るべきものはしっかり守って
農林水産業の人たちが安心して持続的な経営を続けられるように
そういった形の交渉結果にしてほしいと言うのが強い思い。」
もともとTPPは関税撤廃を原則とする高い水準の自由化を目指す協定としてスタートした。
先に11か国が参加していたところに後から日本が参入してきた形で
アメリカがその原則を日本1国のために大きく曲げるつもりはない。
国内の事情もそれを許さない。
2国間交渉のようにお互いの要求の間を取って落としどころを探るというのではなく
どこまでTPPの原則である関税ゼロに近づけられるのか
というのがアメリカの考え方である。
もちろん日本側の事情に最低限の配慮は示すにしても
アメリカとしては安倍総理が厳しい政治決断も辞さない覚悟を決めたからこそTPPへの参加を表明したはずだとして
強い姿勢で交渉を進めている。
さらにオバマ政権にはTPPの妥結を急がなければならない事情もある。
3月 アメリカ西部オレゴン州で行われたデモ。
アメリカでは去年の秋ごろからTPPに反対する声が徐々に広がり始めた。
TPPで貿易の自由化が進めば安い外国製品の流入や企業の海外移転を招き国内の雇用が失われる
と労働組合などが訴えている。
去年11月 政権与党の民主党の下院議員が連名でオバマ大統領に送った書簡では
TPPがアメリカに深刻な打撃をもたらすとして反対の考えを伝えている。
書簡に名前を連ねたのは150人余。
民主党下院議員の4分の3にのぼる。
オバマ政権を支えるはずの与党の議員が反旗を翻した形である。
大勢の議員が反対する背景には今後のアメリカ政治を左右する議会の中間選挙を11月に控えていることがある。
民主党議員の多くは労働組合の支援を受けているため
選挙を前に貿易の自由化に反発する労働組合の声を無視できなくなっているのである。
(民主党の議員)
「皆さんには全く同感だ。
職を奪う自由貿易協定には慎重であるべきだ。」
いわば身内からもTPP反対の声にさらされているオバマ政権。
選挙が近づけば近づくほどアメリカ国内でTPPへの支持を取り付けることは難しくなるだろうと専門家は指摘する。
(米ホワイトハウス 元経済政策担当 マシュー・グッドマン氏)
「有権者は貿易自由化が弊害をもたらすのではと懸念を抱いている。
今回の日本訪問でオバマ大統領が安倍首相とTPPで合意に至らなければ
次のチャンスは中間選挙が終わるまで来ないだろう。
アメリカの議会はいかなる貿易の問題も真剣に話し合おうとしないのは明らかだ。」
オバマ政権は
TPPが単なる貿易協定ではなく外交戦略上極めて重要で失敗するわけにはいかない
という考えである。
その戦略上の意義とは
中国が存在感を増すアジア太平洋地域に日米主導で経済秩序をつくることである。
そのなかには知的財産の保護や投資のルールも含まれる。
またTPPはオバマ外交の重要課題であるアジア重視の政策に欠かせない柱でもある。
しかしこの“アジア重視の政策”には実態を伴っていないのではという疑問の声が出ている。
その実績を強調するためにもTPP交渉の妥結が不可欠となっている。
今回の交渉がまとまらなかった場合
首脳会談が明確な期限というわけではないので
そこで早期妥結に向けた両首脳の強い決意が示され
時をおかずに日米の合意が図られれば大きな影響はないとみられる。
ただ今後の交渉で双方の隔たりが縮まらず合意できない事態となれば
交渉の勢いは急速に失われ長期化が避けられない。
TPPは日米両国が安全保障にとどまらず経済や化学など幅広い分野での戦略的な同盟関係を強化するうえでも柱である。
この戦略的に重要なTPPがとん挫すればアメリカのアジア重視の制作だけでなく日米同盟にも影を落とす恐れがある。
さらに警戒する必要があるのはアメリカ国内や他のTPP参加国の間で
保護主義から抜け出せない日本のせいで交渉が失敗したと批判が高まる恐れがある。
日本にとってもアメリカにとっても交渉の失敗は避けたいシナリオである。
アメリカ国内の移民はメキシコ系が全体の3割近くを占めている。
母国に戻る人たちも出始めたとはいえ国別の移民の数では群を抜いている。
労働力の担い手としても移民の存在を無視できないアメリカ。
オバマ政権は不法に入国した移民であっても一定の条件を満たせば市民権を与えるという
制度改革の実現を目指していて
大統領は今年の一般教書演説でも移民の役割に期待を示した。
(アメリカ オバマ大統領 1月 一般教書演説)
「“夢をかなえたい”
“学びたい”
“文化に貢献したい”
そういう思いの移民がいるからアメリカは企業にとってより魅力的だ。」
こうした中 とりわけ能力の高い移民を労働力として確保しようと言う企業などの取り組みが始まっている。
南部テキサス州の大手自動車メーカーの工場。
従業員の60%はメキシコなどからの移民である。
しかし全体をまとめ上げる能力のある人材は多くはない。
このためこの工場では早い段階から移民の中で将来幹部になるような人材を育てる取り組みを始めた。
メキシコ系移民の学生が多く通う地元の大学に従業員が出向き
自動車の組み立てのシミュレーションなど実践的な講義を行っている。
このコースの学生には2年間で3万ドルの奨学金を提供し人材を確保しようとしている。
(参加した学生)
「将来この会社に貢献することが僕の夢です。」
(トヨタ 現地工場 人材マネージメント担当者)
「地元コミュニティーへの投資は長期にわたる労働力確保につながる。」
メキシコからの留学生の確保に力を入れている企業もある。
テキサス州の保険会社。
多くのメキシコ系移民の顧客に対応するためメキシコ人は会社にとって重要な戦力。
留学生をインターンとして受け入れスペイン語の資料作りなどを任せている。
将来はメキシコの2倍の初任給で採用することを約束し留学生を引き留めている。
(保険会社 副社長)
「メキシコ人顧客のニーズをきめ細かく理解できるメキシコ人社員が必要。」
アメリカの企業名中にはヒスパニック系住民が多く住む地域の子どもに奨学金を出して
将来の社員を確保しようとしているところもある。