10月5日 NHK海外ネットワーク
香港で現在行われている抗議活動のきっかけとなったのは香港政府のトップを選ぶ行政長官選挙の改革だった。
市民による直接選挙とは名ばかりで
中国の体制に批判的な人物は事実上立候補できない仕組みだったため市民の間から不満が噴出した。
こうした抗議活動の中心となってきたのは1997年の中国返還後の香港で育った高校生を含めた若い世代である。
抗議活動の中心となっている学生団体のメンバー 劉家棟さん 18歳。
日本でいえば高校3年生。
毎晩のように学生らが占拠する区域に足を運び高校生たちを励ます。
(劉家棟さん)
「このままでは香港の民主主義は後退してしまう。
真の意味での直接選挙を求める。」
中国本土広東省生まれの劉さんは小学3年生の時に家族で香港に移住。
そこで“1国2制度”のもとでの自由な空気にふれる。
政治に興味を持つようになったのは中学生の時
中国本土では教えられることのなかった1989年の天安門事件に関する式典に参加したのかきっかけだった。
(劉家棟さん)
「もし中国本土に残っていたら天安門事件の真実に触れる機会はなく
政治に関心を持つことはなかったと思う。」
一昨年 劉さんが政治への関心をさらに強めるきっかけとなった出来事があった。
小学校から高校まで中国共産党をたたえるいわゆる“愛国教育”の義務化が打ち出されたのである。
劉さんをはじめ高校生らは政府が学生を扇動しようとしていると反発し大規模な抗議活動を行った。
最終的に香港政府に愛国教育の義務化を撤回させたのである。
(劉家棟さん)
「“愛国教育”は学生の自主性を奪う。
次の世代の権利を守らないといけないと考えた。」
今回 選挙制度の変更によって1国2制度は再び危機に直面していると考える劉さん。
しかし先頭に立って抗議する劉さんのことを両親は心配している。
父親からは頻繁にメールが届く。
(劉家棟さん)
「あまり遅くならないように言われました。
現場のことを全部は話せない。
親に心配をかけたくない。」
劉さんは香港のラジオ局の討論番組に呼ばれ他の高校生らと抗議活動を巡って意見を交わした。
抗議活動に反対する動きも拡大し衝突も起きているなか参加者の意見は分かれた。
「中央政府は決定を撤回しないと表明した。
我々の目標を見直すべきではないか。
時機を見て撤退すべきだと思う。」
「大きな目標どころかまだ小さな目標すら達成できていない。
中央政府は痛くもかゆくもないはずだ。」
劉さんはいずれ自らが生まれた中国本土に香港ならではの自由な価値観をもたらしたいとまで考えている。
(劉家棟さん)
「民主主義は次の世代まで続いていかないといけない。
私の夢は香港の民主主義の良いところを生かし中国本土に影響を与えることだ。」
9月14日 NHK海外ネットワーク
10日 日本政府がスイスのジュネーブで開いた北朝鮮の人権問題に関するシンポジウム。
拉致被害者の家族らが肉親の早期帰国に向けた国際世論の後押しを求めた。
参加した被害者家族の中には日本以外の人もいた。
ルーマニア人のガブリエル・ブンベアさん(47)。
姉のドイナさんが北朝鮮に拉致されたとみられている。
日本人以外の北朝鮮による拉致の被害の実態については
今年2月に発表された国連の特別委員会の報告書でも指摘されている。
それによると北朝鮮から遠く離れたフランス、イタリア、オランダ、レバノンなど合わせて14人の被害者が出ている。
ガブリエル・ブンベアさんの姉のドイナさんは1978年に画家として活動の拠点を置いていたイタリアで行方不明になった。
母親に電話で「画廊と契約するために日本に向かう」と伝えたきり消息は途絶えた。
ドイナさんの行方が分からなくなった1970年代~80年代にかけて多くの日本人が北朝鮮に拉致されたとみられている。
ロンドン留学中に拉致された有本恵子さんのように拉致は北朝鮮から遠く離れたヨーロッパでも起きていたのである。
ドイナさんに関する手がかりがないまま30年近く
拉致被害者 曽我ひとみさんの夫のジェンキンスさんが思いもよらぬ証言をした。
(ジェンキンスさん)
「友人の妻はイタリアにいたルーマニア人だった。」
ジェンキンスさんは著書の中でこう記している。
チャールズ・R・ジェンキンス著「告白」より
ドナという名のルーマニア人
筆を執れば見事な絵を描いたものだ
ドナという名前
そして絵を描いていた。
ガブリエルさんは姉のドイナさんだと確信した。
ルーマニアのメディアもドイナさんが北朝鮮に拉致されていた疑いを大きく伝えた。
2007年 ガブリエルさんは日本を訪れ曽我さん夫妻と面会。
しかし聞かされたのはドイナさんが1997年に亡くなっということ。
ところがドイナさんには2人の息子がいたという。
(ガブリエル・ブンベアさん)
「眉 目 鼻のあたりは姉とそっくりだ。
衝撃で全身が震え涙が出ました。
今の私の望みは甥に会うことです。」
ガブリエルさんはルーマニア政府に真相を調べてほしいと訴えた。
しかし外務省から1通の書面が送られてきただけである。
“調査は我々の権限を越えている”
そしてドイナさんやその子どもたちに会いたいと願い続けた母親が8月に亡くなった。
(ガブリエル・ブンベアさん)
「寂しさと怒りが混ざっている。
母は最後まで2人の孫に会うことを望んでいた。
しかし母はもういない。
私の戦う気力も限界だ。」
ガブリエルさんを奮い立たせたのが北朝鮮が再び日本人などの拉致被害者の調査に応じたことである。
ジュネーブでのシンポジウムであらためて国際社会に訴えた。
(ガブリエル・ブンベアさん)
「なぜ牢獄のような国で行われている苦難をやめさせる行動をとらないのか。
北朝鮮の拉致問題を直ちに解決するために断固とした強力な手段を講じることを求める。」
ガブリエルさんは日本の拉致問題が進展すれば
ドイナさんに関する真相究明を始め
他の国での拉致問題も動くんではないかと一縷の望みをつないでいる。
9月7日 NHK海外ネットワーク
アメリカ西部のオレゴン州ニューポート。
港のそばにあるモニュメントは震災の津波で青森県からこの町に流れ着いた桟橋の一部である。
住民たちが去年設置した。
日本の苦難を忘れず防災の意識を高めていこうというのである。
(地元の住民)
「日本とオレゴンにはよく似た地震の断層がある。
東日本大震災のような津波がいつ起きてもおかしくない。」
そのオレゴン州の海岸に去年あるものが流れ着いた。
神社の鳥居の一部「笠木」と呼ばれる部分だった。
見つけた男性はかつて日本で暮していた時に鳥居を目にしていた。
(見つけた人)
「すぐにそれが何かわかった。
携帯カメラで撮影し地元新聞社に送った。」
鳥居漂着の知らせは海岸を管理するオレゴン州公園局に伝わった。
オレゴン州では漂着物の清掃や処分を行っているが場合によっては補完することもある。
(オレゴン州公園局 クリス・ハベルさん)
「ただのがれきではない特別なものだと思いすぐに保管することに決めた。」
この鳥居はどこから来たのか。
相談を受けたオレゴン州の日本庭園で働く内山貞文さんは鳥居の写真を見てあることに気が付いた。
鳥居には昭和63年に奉納されていたことが記されていて
こうした情報を頼りにどこの神社のものか探すことにした。
今年5月には被災地の宮城県南三陸町と気仙沼市を訪問。
情報の提供を呼びかけた。
そして帰国後
鳥居にあった名前は青森県八戸市の高橋さんではないか
という情報が被災地の人から寄せられた。
(内山貞文さん)
「信じられない。
いまだに。
名前も間違いないと高橋さん本人が確認。
これは大変なことだと。」
鳥居に名前が記されていた青森県八戸市に住む高橋利己さん。
漁業で暮らす高橋さんは26年前地元の漁港にある小さな神社に漁の安全を祈願し鳥居を奉納した。
しかし津波が神社の様子をすっかり変えてしまった。
赤い柱がわずかに残っただけだった。
(高橋利己さん)
「全部流れてしまってから鳥居がないことに気づいた。
あっという間であきらめるほかない。
津波だから。」
神社には震災後 新しい鳥居が祭られた。
流された鳥居が見つかるとは夢にも思っていなかったと言う。
(高橋利己さん)
「写真を見たら間違いない。
名前もあった。
自分のものだとわかった。
びっくりしてよくアメリカまで行くものだと驚きの一声。
本当に感謝している。」
先月 内山さんは報告のため州の公園局を訪れた。
(内山貞文さん)
「ここに相手ある高橋さんという方は現在85歳でお元気だそうで。」
(オレゴン州公園局 クリス・ハベルさん)
「鳥居がどこから流れてきたかわかり
今まで保管してきたかいがあった。」
(内山貞文さん)
「見知らぬところから流れてきた見知らぬものを大事に保安してくれた。
人と人とのつながりはありがたい。
大事にしていきたい。」
アメリカで大切に保管されていた鳥居。
太平洋を挟んで向かい合う日米の人たちの心を結びつけた。
8月31日 NHK海外ネットワーク
北朝鮮は日本との関係改善に前向きな姿勢を強調しているが
一方で日本海に向けて弾道ミサイルなどの発射を繰り返している。
相矛盾するような行動の背景には日本以外との関係国との外交が行き詰っている現状がある。
(朝鮮中央テレビ)
アメリカ侵略者をこの地から追い出す怒らしく頼もしい朝鮮人民軍のロケット
こうした報道がいま北朝鮮の国営メディアで増えている。
北朝鮮は“日本海へのミサイルなどの発射は日本ではなくアメリカへの対抗措置”だと説明している。
アメリカと韓国が合同軍事演習を繰り返すことが緊張を高めているというのである。
(朝鮮中央テレビ)
アメリカと南当局(韓国)が敵対行為を続ければ我々の報復に直面することになるだろう
合同軍事演習の中止を訴えようと国連の安全保障理事会に緊急会合の開催を求めたが認められなかった。
(北朝鮮 リ・ドンイル国連次席大使)
「国連の安全保障理事官が黙認しているからアメリカは挑発的な軍事演習を続けるのだ。」
北朝鮮の強硬姿勢は後ろ盾となってきた中国との関係をも冷え込ませている。
中朝関係はかつては“血の同盟”とまで呼ばれそれぞれの最高指導者が相手の国を訪問した。
(北朝鮮 キム・ジョンイル総書記)
「中国ですべてのことがうまくいき中国の人民に繁栄があることを願う。」
しかし中国の意向に反して核実験を続けてきた結果
中国から金融制裁を受ける事態にまでなった。
北朝鮮と距離を置きつつある中国はそのぶん韓国に接近している。
習近平国家主席は7月 中国の最高指導者として初めて就任後に北朝鮮より先に韓国を訪問。
中国と韓国の蜜月は中朝関係の冷え込みを際立たせている。
北朝鮮が急速に日本への接近を図っているのはこうした厳しい外交情勢を打開する意図もあるとみられる。
解決済みとしてきた拉致問題でも改めて調査を行うことを受け入れた。
(朝鮮中央テレビ)
特別調査委員会ですべての日本人に関する包括的な調査を始める
日本との合意内容を国営テレビで詳しく伝えるという過去にはなかった対応も見せた。
日本との関係改善にかじを切ったことを国民に理解させるためとみられる。
(北朝鮮 ソン・イルホ日朝国交正常化担当大使)
「私たちが前例のない強力なチームで委員会を設置したのは
すべての日本人問題を最終的に調査して明白にしようという目的があるからだ。」
日本との国交を正常化し
過去の清算として本格的な経済協力を引き出すことは北朝鮮にとってかねてからの重要な対日政策である。
このため現在進めている拉致被害者らの調査についても
以前の調査のように日本側の失望や反発を招く内容では経済協力が遠のくどころか
経済制裁が再び強化されることにもなりかねないと認識しているとみられる。
北朝鮮にとって日本との関係改善は単なる友好ではなく
経済的な利益や外交面の打開策にも結び付け
最終的には体制の維持につなげること
それが北朝鮮指導部の狙いだという印象が強い。
関係国との関係が重要というのは日本側も同じである。
アメリカ、韓国は日本が制裁を解除していくことで “核・ミサイル開発に対する日・米・韓の連携が乱れる”という根強い懸念がある。
8月9日に行われた日米解消会談でケリー国務長官は
安倍首相の北朝鮮訪問の可能性に懸念を示したということも明らかになっている。
米・韓の懸念がある中でなぜ政府は北朝鮮との交渉を進めているのか。
安倍首相は北朝鮮に対して一貫して強い姿勢で臨んできた政治家である。
安倍首相が今回北朝鮮と対話で向き合うことにしたのは
国際的に孤立している北朝鮮の置かれた状況をうまく利用できると判断したことがひとつである。
そして何よりも拉致被害者の家族の方々の高齢化が背景にある。
政府が認定している拉致被害者で安否がわかっていない12人のうち現在も両親がともに健在なのは2家族のみで
拉致問題の解決は時間との戦いという側面がある。
安倍首相としては交渉の扉を開いて制裁を一部解除することと引き換えに
早期解決向けて北朝鮮側から具体的な行動を引き出す必要があると判断した。
今回どのような情報を出してくるかで再調査に対する北朝鮮 キム・ジョンウン第一書記の本気度、誠意を図るかまえである。
8月31日 NHK海外ネットワーク
北朝鮮のキム・ジョンウン第一書記の体制は3年目に入る。
北朝鮮は弾道ミサイルの発射など挑発的な行動を続ける一方で
日本に対しては拉致問題など全面的な調査を約束している。
そうした日朝の関係改善に向けた動きの中で北朝鮮が共同での開催を受け入れたのが8月30日から始まったプロレス大会である。
国際プロレス大会が開かれたピョンヤン市内の体育館。
2万人が収容できるこの体育館には満員の観客が詰めかけた。
大会を呼びかけたのは長年北朝鮮とのスポーツ交流に取り組んできたアントニオ猪木参院議員。
(アントニオ猪木参院議員)
「日朝両国が“近くて遠い国”ではなく“近くて近い国”になるよう期待している。」
日本やアメリカ、フランスなどから約20人の選手が参加。
ピョンヤンの市民たちはめったに見られない大がかりなイベントに盛んな拍手と歓声を送っていた。
ピョンヤンを訪れた各国の選手たちは地元の子どもたちとも交流し打ち解けた雰囲気を作り出した。
核やミサイルの開発に対する国際的な非難が続くなか
融和的な姿勢を印象付けようとする北朝鮮の狙いがうかがえた。
大会に先立って北朝鮮側は外交に深くかかわってきた北朝鮮労働党のカン・ソクジュ書記と猪木氏との懇談を設定した。
カン書記は北朝鮮が拉致を認めた12年前の日朝首脳会談にも同席した幹部で
猪木氏とも拉致被害者の調査などについて意見を交わした。
キム・ジョンウン第一書記のもと北朝鮮の社会は今どうなっているのか。
最高指導者への忠誠心をはぐくむ思想教育は変わらない。
キム・ジョンウン第一書記の祖父キム・イルソン主席が生まれた家には
子どもたちが地方から訪れてキム第一書記につながる歴史を学ぶ。
「敬愛するキム・イルソン元師様の生い立ちがわかりました。」
思想教育に変化はない一方 キム・ジョンウン体制になってからの新しい動きは新しい娯楽施設の建設である。
去年の10月にオープンした大型のプールは連日大勢の市民でにぎわっている。
娯楽施設に資金を投入するのは
キム第一書記は親しみやすい指導者だというイメージを定着させ体制の求心力を高めたい思惑があるとみられる。
「毎日のように娯楽施設が増えているのでとてもうれしい。」
市内のあちこちで高層アパートの建設が進められている。
キム第一書記が自ら指示しているとされ目に見える形での経済再建を意識しているように見える。
ただ急速な開発はひずみももたらしている。
今年5月 北朝鮮は“住宅建設現場で手抜き工事で重大な事故が発生した”と発表。
死傷者が出て担当の幹部らが住民たちに異例の謝罪を行ったことを明らかにした。
建設現場は多くの作業が人の手で行われインフラの整備も遅れているようである。
北朝鮮が日本との関係改善に動き出したのは
巨額の費用が必要な開発を進めるうえで日本からの経済協力が欠かせないためとみられる。
北朝鮮が日本に関心を寄せているのは開発の分野だけではない。
“キム・ジョンウン第一書記が指導した店”と書かれた看板の店には日本の食料品が置かれている。
制裁によって日本からの輸入が出来ないためこれらの品物は第三国経由で国内に入っているとみられる。
質の高い日本製の商品は市民に人気があるということで執行部は日本との貿易再開に期待を示している。
ピョンヤンの人たちは日本との関係改善に向けた動きをどう受け止めているのか。
「日朝関係改善の努力が行われていることは新聞でみてよく知っている。」
「国民は日本にあまりいい感情を持っていない。
新しい時代に見合うように関係を改善してほしい。」
閉ざされた体質は変わっていないが
日本の一定の取材を認めたうえで日朝関係の親展の機運をたかめるねらいがあった。
日本との関係強化のねらいを読み解くキーワードがある。
挑戦速度という言葉である。
経済開発の加速化を呼びかける際に使われるスローガンである。
この挑戦速度について北朝鮮国営メディアはキム第一書記の指導のもと
火薬に火がついたように爆風のように電撃的に事業を進めること
と表現している。
そこまで経済開発を急ごうとしている背景には
今のキム・ジョンウン体制の求心力を盤石なものにするためには疲弊している経済の立て直しが欠かせないという事情もあるとみられる。
そして日朝関係の改善を通じて日本からの経済協力に道を開くことが大きなてこになりうると考えているようである。
8月24日 NHK海外ネットワーク
スコットランド イングランド ウェールズ 北アイルランド
イギリスは4つの地域で構成されている。
そのひとつ スコットランドで9月18日 独立への賛否を問う住民投票が行われる。
独自の文化を持つスコットランドの人たちの間には歴史的にイングランドに対する根強い対抗心がある。
そしてイギリス政府の政策はイングランド寄りで
スコットランドはこれまで雇用など経済の面で不利な立場に置かれてきたというのが独立に賛成する人たちの主張である。
エディンバラ城を拠点にした王国がイングランドに併合されてから約300年。
今スコットランドで独立の機運が高まっている。
住民投票を前に独立賛成派の人たちは草の根の運動を展開している。
1件1件住宅を訪ね独立支持を呼びかける。
独立賛成派のひとり ポール・リンスターさん。
いまはパートタイムの仕事を続けている。
友人の多くは地元では職がないとロンドンなどへ出て行った。
独立で地元の雇用を重視する政策が行われれば仕事のチャンスが増えるのでは
と期待している。
(独立に賛成 ポール・リンスターさん)
「イギリス政府はロンドンやイングランド南西部の利益優先で政策を決めている。
スコットランドが独立してできる政府はスコットランドの人に選ばれ
自分たちの富を分配するから信頼できるはずだ。」
独立を目指す運動の転機は
1998年 地方分権を求める声を受けて議会が復活したことだった。
3年前には議会でスコットランド民族党が初めて過半数を獲得。
党首のサモンド氏は独立の賛否を問う住民投票を実施する方針を打ち出した。
独立賛成派がよりどころとしているのが北海油田の存在である。
スコットランド沖に9割が集中。
その税収を自前の財源にすることでスコットランドの経済的自立につなげようというのである。
独立派の主張を受けイギリスのキャメロン首相は地元の民意に従うとして住民投票の実施に合意。
当時は独立への支持は広がらないとの判断があったとみられるが独立派は勢いを増していった。
(スコットランド民族党 サモンド党首)
「私たちが支持ずる政策を実行するために
私たちの国 私たちのスコットランド 私たちのための独立を。」
住民投票で賛成が多数となればスコットランドはイギリス政府との協議を経て1年半後に独立する方針である。
しかし独立を巡ってイギリス政府はいくつもの大きな課題があると指摘している。
その一つが防衛問題。
独立派は核ミサイルを搭載する原子力潜水艦のスコットランドへの配備に反対しているが
イギリス政府は軍事力の低下につながるとけん制を強めている。
また通貨については独立派がポンドを継続して使用する方針を示しているのに対し
それは認めないとしている。
(イギリス オズボーン財務相)
「独立後のスコットランドと通貨を共有する法的理由はない。」
イギリスのメディアは著名人の意見を次々に掲載。
映画俳優のショーン・コネリーさんは賛成。
将来に明るい展望が開けると主張している。
小説“ハリー・ポッター”の作者J・K・ローリングさんは反対。
グローバル化の中イギリスにとどまる方が良いとの主張である。
まさに国民を二分した議論になっている。
独立反対派も最後の追い込みで住民への説得に力を入れている。
(独立に反対)
「イギリスにとどまったほうが資源国として国際的影響力も強い。」
「イギリスの国力と安全保障の後ろ盾があるから独立に反対の人が多い。」
独立反対の意見が目立つのがビジネス界である。
コンタクトレンズの製造・販売会社を経営するロン・ハミルトンさん。
売り上げは年間20億円近く。
その大半はスコットランド以外の市場向けである。
独立した場合に安定した通貨であるポンドが使えなくなれば経済的リスクが高まると心配している。
ハミルトンさんは万が一独立することになった場合にそなえ会社の口座をポンドを確実に使い続けられるロンドンの銀行に移した。
(独立に反対 ロン・ハミルトンさん)
「通貨や税制の行方が不確かだ。
独立したら非常に不安定な中でビジネスを行わなくてはならない。
イギリスにとどまるのが最善の選択だと思う。」
8月 独立運動を主導してきたサモンド党首と独立反対派の代表との間で初めてのテレビ討論が行われた。
(独立反対派)
「スコットランドの通貨はどうなるのか。
子どもでもわかるように説明してください。」
(独立賛成派 スコットランド民族党 サモンド党首)
「もちろんポンドだ。
ポンドはイングランドとスコットランド共通のものだ。」
(独立反対派)
「あなたは独立しても通貨は同じにしたいと言うが
離婚後も同じ銀行口座を使い続けるようなものだ。」
一連の討論を聞いたハミルトンさんは独立にメリットはないと自信を深めた。
(独立に反対 ロン・ハミルトンさん)
「前にも聞いた話ばかりで新しいものは何もなかった。
独立しなければならない理由は何もない。
独立はリスクが大きすぎる。」
8月10日 NHK海外ネットワーク
今年5月 軍がクーデターを宣言したタイ。
アメリカなど欧米諸国はタイの軍部を厳しく非難した。
これに対し中国はクーデター後ほどなく軍事政権の支持を表明。
欧米とは全く反対の姿勢を打ち出した。
7月にはタイの外相代行を招き
外相を務めたことがある国務委員が対応するなど手厚く迎えた。
さらに8月9日 中国はタイとの二国間会談に応じ経済支援を約束するなど接近を図っている。
(中国社会科学院 副研究員)
「中国は自分たちの事情に合わせてタイとの関係をどうするか考える。
タイの政権や指導者がこれまでと代わったからといって
政治や経済の関係を断ち切ることはしないだろう。」
こうした中国の姿勢は各国による外交交渉の場にも影響を及ぼし始めている。
NHKが入手したASEAN共同声明の作成段階の内部文書。
フィリピンが中国を念頭にその行動を制限しようという新たな提案を行ったのに対し
タイがかねてから中国寄りだったラオスとカンボジアなどととともに
中国を批判する文言を削除するよう求めたことがはっきりと記されている。
(タイ シハサック外務次官)
「フィリピンの提案は共同声明ではなく今ある枠組みの中で協議すればよい。
ほかに適切な枠組みがすでにある。」
タイは中国との間に領土問題がない。
南シナ海の問題では争っている当事国同士1対1で解決したいという中国の考えに
もともと理解を示してきた国である。
軍事政権になって欧米や日本から冷たくされている間にいっそう関係を強化すれば
中国包囲網意に深くくさびを打ち込めるという計算がありそうである。
王毅外相は南シナ海の問題は複線構想で処理するのがよいと述べた。
複線というのは2本のレールのことで
1本目は争いはあくまで当事国同士で解決するというもの。
中国は領有権問題がある国の中でも相手によって対応を使い分けている。
王毅外相はベトナムの外相と会談して関係改善を呼びかけたが
一方 フィリピンのことは記者団の前で強く非難した。
1国1国対応を変えて個別に撃破していこうという戦略である。
2本目のレールは南シナ海の平和と安定は中国とASEANで守るというもの。
中国は来年 初めて行われる中国ASEAN国防相会議を開こうとしている。
南シナ海の沿岸国でないという理屈でアメリカや日本を外して中国に有利な情勢に持ち込もうという動きを今後加速するとみられる。
8月10日 NHK海外ネットワーク
ベトナムの国旗をかたどった揃いのTシャツを着た人たち。
首都ハノイの民間企業の社員たちである。
毎週 集会を開いて中国の行動を批判している。
「ベトナムの領土を守るぞ。」
「断固守るぞ。」
ベトナム国内での中国への反発は収まる気配がない。
(民間企業 副社長 タイ・ゴーラックさん)
「ベトナムの国民として一致団結して中国の違法行為に対抗したい。」
根強い反中国の感情。
ベトナムには1000年以上にわたって中国に支配を受けた歴史がある。
1979年には中国が国境を越えて侵攻し中越戦争が起きている。
中国への反発は教育の場へも影響を与えている。
ハノイにある公立の高校。
この高校では歴史の授業は選択制だが緊張の高まりを受けて受講したいという生徒が増えた。
35人の定員に対し今年の希望者は約5倍の164人にのぼった。
(高校の教師)
「“愛国心”とは闘争によって敵の侵略や武力に対抗すること。
我々は団結して自らの城壁を守る。」
(生徒)
「歴史の授業を受けたことで国家の防衛についてより深く理解できた。」
さらに7月 全国一斉に行われた大学の入学試験。
中国に対する反発を反映したかのような問題が出題された。
パラセル諸島(西沙諸島)などでベトナムの漁師が漁業を行うのは国防上どんな意義があるのかを論ぜよ
地理の試験でベトナムの領有権を意識させるような問題が初めて出題された。
(受験生)
「このような問題は現在の情勢にあっていると思う。
学生の意識を知る上でもふさわしい問題ではないか。」
一方で中国への反発は人々の生活にも表れ始めている。
看板には
中国製品は売っていません
と書かれている店。
店に並んでいるのは日本の菓子や韓国の商品。
これまで扱っていた中国製品を一掃した。
(客)
「私はこの店の方針を支持する。
ベトナムの国民の1人として中国製品を売らない精神を尊重する。」
(店の担当者)
「当初は客の中に驚く人もいたが理由を知ると熱心に支持してくれた。」
しかしベトナムにとって最大の貿易相手国の中国と完全に関係を断ち切るのは難しいのが現実である。
ベトナムの主力産業のひとつ縫製業。
縫製メーカー 副社長 タン・ドゥック・ヴィエットさん。
工場で扱う商品の中には原材料の40%を中国からの仕入れに頼っているものもある。
業界団体の呼び掛けもあり
できれば仕入れ先をほかの国に変えたいと考えているタンさん。
しかしベトナムのメーカーの多くは近隣諸国との価格競争にさらされるなか
中国に代わる仕入れ先がないのが現状である。
(縫製メーカー タン副社長)
「仕入れ先の変更は1日や2日ではできない。
原材料が滞ると1万人もの従業員が仕事にあぶれてしまう。」
隣り合う大国 中国とどう付き合っていくのか。
専門家はベトナム政府は難しい対応を迫られていると指摘する。
(ベトナム 元外交官 グエン・チュン氏)
「ベトナムを中国は経済的結びつきが深く
しかも中国は巨大市場を持っている。
大国で影響力も大きいためどんな国も中国を拒否できない。」
8月3日 NHK海外ネットワーク
カリフォルニア州では飲酒運転が二度とできないようある装置の取り付けが行われている。
呼気に含まれるアルコールを検出するとエンジンがかからなくなる仕組みである。
この装置はカリフォルニア州など4つの群では検挙者全員が取り付けを義務付けられている。
その費用はすべて自己負担。
毎月75ドル程度。
約8千円のリース料まで払わなくてはならない。
(一般のドライバー)
「予防のためにはいいのでは。
子どもの命を救えるかも。」
「1度飲酒運転で有罪になった人に安全運転をさせるには良い方法だ。」
飲酒運転の再発防止のためカリフォルニア州ではドライバーに対する教育にも力を入れている。
陸運局が飲酒運転をした人たちに参加を義務付けている講習。
この講習を受けないと免許証は再発行されない。
講習の期間は違反の程度によってまちまちだが参加の費用は自己負担である。
それぞれの体験や思いを共有することで
飲酒運転がなぜいけないのか
参加者自身に考えさせ再発防止につなげるのがねらいである。
(参加者)
「飲んでいるから運転してはいけないとか飲んでいないから大丈夫だとか
自分には関係ない話だと思っていた。」
(講師)
「飲酒運転の犠牲者は多くの場合子どもたち。
実際 6~16歳くらいの子供の死亡原因の上位が交通事故だ。」
(参加者)
「もう絶対に飲まないと決めた。
仕事や家族など犠牲になるものがあまりに大きすぎる。
17歳の娘を持つ親なので。」
飲酒運転の再発防止に向けたカリフォルニア州などの取り組みが今後広がりを見せるのか注目される。
8月3日 NHK海外ネットワーク
南アフリカ第2の都市ケープタウンで飲酒運転を取り締まる捜査官たち。
覆面パトカーで出動する特別捜査班が全国に先駆けてもうけられた。
夜の高速道路で不審な動きをする車を見つけ猛スピードで追いかける。
車を止めさせアルコール検知器で検査する。
ドライバーからはアルコールが検出された。
経済成長とともに自動車の利用も増えている南アフリカ。
人口10万人あたりによる交通事故の死者数は世界で6番目に多くなっている。
年間約1万8,000人が死亡。
その半数以上は飲酒が絡んだ事故によるものとみられている。
ケープタウンの高速道路で起きた交通事故のケースは
酒に酔ったドライバーが猛スピードで車を走らせ追突されて車に乗っていた人が亡くなった。
南アフリカは“飲酒に寛容”な社会と言われてきた。
公共交通機関が少ないため人々の移動はもっぱら車だが
これまで飲酒運転は厳しい取り締まりの対象にはならなかったという。
最近でこそ飲酒運転には厳しい目が注がれるようになったが
依然 取締りは不十分だと専門家は指摘する。
(飲酒運転問題に詳しい専門家 元警察官)
「南アフリカの警察官のほとんどが暴行、殺人など多発する重大犯罪の捜査に追われ飲酒運転の摘発に集中できない状況だ。
それに実際には法律で決められているよりもはるかに軽い刑が言い渡されている。」
飲酒運転を社会からなくしたいと立ち上がった人がいる。
キャロ・スミットさん(62)は9年前 当時23歳だった長男チャスさんを亡くした。
ロックバンドのギタリストとして活躍していたチャスさん。
コンサートの演奏を終えたあと道路を渡ろうとしたところを赤信号を無視して走ってきた飲酒運転の車に引かれた。
運転していた女はパーティーから帰る途中で体内にはウィスキー12杯分のアルコールが残っていたという。
(キャロ・スミットさん)
「南アフリカで飲酒運転は犯罪だと思われていない。
多くの人がお酒を飲んで運転してもたいしたことではないと思っている。」
息子のために何ができるか。
スミットさんはチャスさんを亡くした直後からNGOを立ち上げ
若者たちに飲酒運転がいかに危険化を呼びかける活動を行っている。
この日訪れたのはかつてチャスさんが通っていた高校。
(キャロ・スミットさん)
「子どもを失うことは本当に悲惨。
息子には素晴らしい将来があったのに・・・。」
酒によって運転することの怖さを体験してほしいと生徒たちには視野がぼやける特殊なゴーグルをつけてもらった。
スミットさんのNGOの支援によってこの8年間で3,000校以上で特別授業が行われた。
若い世代こそ飲酒運転への社会の意識を変えてくれるのではとスミットさんは期待している。
(キャロ・スミットさん)
「事故のことを話すと記憶がよみがえるからとてもつらいが
これからも南アフリカの人たちの命を助けていきたい。」
8月3日 NHK海外ネットワーク
今年5月 新たな外交方針に関する演説を行ったオバマ大統領。
(アメリカ オバマ大統領)
「アメリカのリーダーシップはいつも軍事行動だけで発揮されるわけではない。」
単独での軍事行動は避け
同盟国と連携して外交的に問題を解決する戦争をしないアメリカを戦略として打ち出した。
10年前 イラクやアフガニスタンで相次いで大規模な軍事行動の踏み切った頃のアメリカとは大きな差である。
こうした政権の方針を支えているのがアメリカ軍制服組のトップを務めるデンプシー統合参謀本部議長。
軍の最高司令官でもある大統領の軍事アドバイザーである。
去年9月 アメリカ国防総省での同時多発テロ事件の追悼式典でオバマ大統領のそばに立つデンプシー議長。
大統領に直接軍事作戦を助言できる唯一の高官である。
去年オバマ政権がシリアへの軍事介入を検討した際
出口戦略のないまま軍事硬度に踏み切ることを厳しく戒めた。
(去年6月 米 統合参謀本部 デンプシー議長)
「飛行禁止区域の設定は戦争を意味する。
戦争を始めるなら終結させる計画も必要だ。」
デンプシー議長の意向を受けオバマ大統領はシリアで大規模空爆を行うという選択肢を排除したと言われている。
軍事行動に慎重な立場のデンプシー議長。
背景には司令官を務めてきた戦場での苦い記憶がある。
大義なき戦争と言われたイラク戦争。
デンプシー議長は自らの命令のもと多くの部下が亡くなるのを目の当たりにしてきた。
アメリカ国防総省内部にあるデンプシー議長の執務室。
机の上に小さな木箱が置かれている。
中にはイラク戦争で命を落とした122人の兵士の写真が入っている。
議長は今年 大学の卒業式での講演で
どんな思いで兵士の写真を持ち歩いているのか学生たちに語りかけた。
(6月 ノースカロライナ州デューク大学 米 統合参謀本部 デンプシー議長)
「イラクでの私の指揮下にいたときに命を落として兵士たちの写真だ。
“彼らの犠牲を無駄にしない”と箱に刻んで忘れないようにしている。」
イラクとアフガニスタンでの戦争で死亡したアメリカ兵は6,500人以上。
デンプシー議長は軍事行動が必要なときには全力で戦うと強調する。
一方で意味のない戦争を避けるため自らが前面に立つ外交活動を強化しようとしている。
他国の軍人や政治家と直接交流するいわゆる軍事外港である。
イランの核開発問題やシリア内戦など不安定な情勢が続く中東地域を訪問。
また朝鮮半島情勢が緊迫した際は韓国を訪れ軍のトップと会談した。
就任以来30か国以上を訪問。
軍人同士でなければ得られない軍事情報も収集している。
そしていま最も力を入れているのが急速な海洋進出を進める中国への対応である。
(米 統合参謀本部 デンプシー議長)
「地域がより不安定になっていると認めざるを得ない。
その主な原因は一部の国の領土をめぐる挑発的な行動だ。」
同盟国の力を最大限に使って中国に対抗する。
デンプシー議長は5月 シンガポールで開かれた国際会議に参加。
アジア最大の同盟国と位置付ける日本の自衛隊トップと会談し対応を協議した。
そして日・米・韓3か国の制服組トップ同士の会談を始めて実現させた。
日本と韓国に関係改善を促し中国に対抗しようと戦略である。
同盟国と関係を強化する一方でデンプシー議長は対立する中国とも積極的に交流している。
7月にハワイ沖で行われた多国間の軍事演習にデンプシー議長は今年初めて中国を招待した。
現場レベルでの交流を通して双方の理解を進めることで誤解に基づく不測の事態を避ける狙いである。
戦争を未然に防ごうというこうした軍事外交。
デンプシー議長は高官だけでなく中堅幹部との交流も重要だと考えている。
ワシントンの国防大学で開かれた研修にインドやエジプトなど各国の軍の代表が招待された。
専門家を講師に軍事作戦や軍の役割などについて3週間から1年ほどの期間学ぶ。
(カザフスタンからの参加者)
「アジアやアメリカの仲間と意見を交換できるとても良い機会。」
研修の参加者の中にはそれぞれの国で軍のトップになった人も少なくない。
将来を見据えアメリカの理解者を世界中に増やす長期的な戦略である。
(米 統合参謀本部 デンプシー議長)
「米軍の強さというのは自らの軍事力だけではない。
多くの国の力を結集させることでさらに強力になっているのだ。」
7月27日 NHK海外ネットワーク
日本は世界のウナギの7割を胃袋におさめると言われる消費大国で
去年も世界の13の国と地域からウナギを輸入した。
こうしたなか野生生物の専門家などで作っているILCL国際自然保護連合がウナギを絶滅危惧種に指定した。
今後 野生動植物国際取引を規制するワシントン条約の対象となれば日本ウナギの輸出入が出来なくなる可能性が出てきた。
特にウナギの9割を日本に輸出している台湾にとっては深刻な問題である。
台湾西部にある養殖用のイケス。
広々とした池で育てるのが台湾の特徴である。
普段はイケスの底に潜んでいるウナギに余計なストレスを与えないようにするねらいがある。
台湾での養殖の方法は50年ほど前に日本の業者が伝えた技術が基本となっている。
ウナギの稚魚を1年以上かけて育て上げる。
イケスにはきれいな地下水を利用。
サンマやイワシなどを粉にして練りこんだ栄養価の高い餌を与える。
台北市内のウナギ輸出会社社長 郭さんは2008年には台湾産ウナギのブランド化をめざし東京で自ら記者発表を行ったこともある。
台湾産のウナギの質の高さは日本の輸入業者も以前から高く評価してきた。
(日本鰻輸入組合理事長 森山喬司さん)
「台湾のウナギが席巻していた。
肉厚で脂ものっている。
ゾクゾクするほどおいしい。」
しかし4年ほど前からウナギの稚魚は世界的に不漁となった。
台湾から日本へのウナギの出荷量も10分の1に落ち込んだ。
郭さんの会社も日本への輸出額が大幅に減った。
そこへ追い打ちをかけたのが6月に決まった日本ウナギの絶滅危惧種への指定。
郭さんはウナギの輸出をを規制する動きが強まるのではないかと懸念している。
(ウナギ輸出会社社長 郭さん)
「絶滅危惧種に指定されたと聞いて本当にショックだった。
このままだと台湾の養殖業は終わってしまう。」
日本ウナギが輸出禁止の対象になるのを避けるためにも
資源の保護に向けた対策を台湾としても進めていきたい
台湾西部にある水産指定所でウナギの生育に適した場所を特定することで保護につなげようという取り組みが進められている。
ひとつひとつに識別番号が記録されたチップを注射器でウナギの体に埋め込み放流する。
チップを埋めたウナギが再び捕獲されたら識別番号を確認。
移動距離や時間の経過からウナギの生育に適した場所はどこかを突き止める。
これまで蓄積してきたデータによってどの川がウナギの生育に適しているかがわかってきた。
こうした情報をもとに去年
台湾の自治体が初めてウナギの禁漁区を設定するようになった。
川沿いにもうけられた看板にはウナギが多く生息している“河口から10キロの区間を禁漁にする”と書かれている。
水産試験所の調査結果などを受けてこの川では8センチ以上に育ったウナギをとることを禁止した。
禁漁区が新たに設定Iされた河川は台湾の15の自治体にまで広がっている。
(新竹県の漁業担当者)
「資源を守らせるようにしないと台湾漁業の将来はない。」
(ウナギ輸出会社社長 郭さん)
「資源はみんなで守っていかねばならない。
消費者や輸出業者 養殖業者の協力が必要だ。」
7月13日 NHK海外ネットワーク
熟練のバリスタがいれる香り豊かなコーヒー。
味わっているのはコーヒー店を巡るツアーの参加者でコーヒーの品質や味にこだわりがある幅広い年代の人たちが集まった。
アメリカ西部オレゴン州のポートランド。
大規模なコーヒーチェーン店が主流のアメリカだが
ポートランドでは1杯ずつ手で淹れることを売りにした小規模なコーヒー店が数多くある。
地元のコーヒー店をめぐりその店自慢の1杯を楽しむというこのツアーは
スタートしてから1年
人気は上々で今では週5日開催している。
(ツアーの参加者)
「初めて知ることばかりでためになった。」
大量生産のコーヒーが多く出回るなか1杯ずつ丁寧に淹れたコーヒーの人気が高まっている。
アメリカでコーヒーが本格的に普及したのは第二次世界大戦後 1960年代にかけてである。
浅く焙煎した豆で淹れた軽めの味わいのいわゆるアメリカンコーヒーが主流だった。
家庭や職場でポットに作っておき
いつでも飲める手軽さが好まれた。
その後1990年代にかけて大規模チェーン店が次々に登場。
深入りの豆で淹れた濃厚な風味のコーヒーが大ヒットした。
ふたつきの容器を手にコーヒーを楽しむ人の姿が街のいたる所で見られるようになった。
そして今 自分の好みにぴったり合ったコーヒーを追い求めたいという人たちが足を運んでいるのが
バリスタが1杯ずつ手作業でコーヒーを淹れてくれる店である。
ドリップコーヒーの値段は1杯 2ドル75セント。
一般的なチェーン店に比べると5割ほど高いものの人気を集めている。
丁寧に淹れる質の高いコーヒーを打ち出した人はサードウェーブ(第3の波)と呼ばれ
今アメリカの都市部を中心に増えている。
「ここのコーヒーは少し甘くて丘とは違う。」
「豆のひき方から出し方まですべてに気を配っている。
時間とお金をかけて来る価値はある。」
サードウェーブのコーヒー店を経営するジェームス・フリーマンさんは趣味が高じて12年前に店を開いた。
開店にあたっては日本の喫茶店から大きな影響を受けたと言う。
(コーヒー店経営 ジェームス・フリーマンさん)
「1948年創業の東京の喫茶店では豆を少しずつ焙煎して1度に1杯だけコーヒーを入れている。
とても手間がかかるやり方だ。」
フリーマンさんが来日するたびに通っているという都内の喫茶店。
コーヒーだけでなく客が楽しむ様子や店のスタッフの働きぶりを含めて
“喫茶店が大好きなんだ”という印象を受けたと言う。
(喫茶店の店員 寺嶋和弥さん)
「フリーマンさんは1滴1滴染み出てくるコーヒーをじっくり観察する。
1滴1滴に注目するというのはコーヒーに対する愛情が感じられた。
こういう場所に集まる客 働くスタッフ
それをフリーマンさんは求めていると思う。」
品質と味にとことんこだわったコーヒーをアメリカでも広げたいと言うフリーマンさん。
客においしいコーヒーを出すため最も力を入れているのは人材の育成だと言う。
新人は店頭に立つ前にベテランのバリスタからマンツーマンで研修を受ける。
豆のひき方や水の量 お湯の注ぎ方など細かく指導される。
多くのチェーン店は全自動のコーヒーメーカーでつくられるエスプレッソ。
しかしこの店ではバリスタが抽出の時間など微妙に調整する。
コーヒー豆も厳選している。
産地だけでなく農家や畑も指定して豆を仕入れる。
風味が落ちないよう焙煎から48時間以内のものしか使わない。
大規模チェーン店に比べると注文してから時間がかかるうえ値段も割高だがそれでも多くの人たちが訪れている。
フリーマンさんは今ではニューヨークなど13か所で店を展開するようになった。
(コーヒー店経営 ジェームス・フリーマンさん)
「我々の所に来るお客さんは小規模で手間ひまをかける店を求めている。
1杯ずつ丁寧に淹れるのは大変だけどこれがおいしいコーヒーを作る方法だと信じている。」
サードウェーブのコーヒーが広がるアメリカ。
店のスタイルだけでなくコーヒーを淹れる道具も日本製が注目されている。
4月に開かれたコーヒーの見本市には全米の業者が参加した。
話題を集めていたのが日本メーカーのドリッパー。
コーヒーのうまみをしっかり抽出できるとバリスタの間で評判だった。
口コミで人気が広がりここ数年売り上げが伸びているという。
(コーヒー店経営者)
「もっとおいしいコーヒーの入れ方がないか
いつも探し求めている。
それでここに来た。
お客さんには最高のコーヒーを届けたいからね。」
自分の好みに合わせて1杯ずつ丁寧に淹れられたコーヒー。
味わいをじっくり楽しもうという動きがアメリカで広がっている。
7月6日 NHK海外ネットワーク
災害で被害を受けた人たちを支援するため現地で公文書の修復に取り組んでいる日本人の専門家がいる。
修復しようとしている公文書は
たとえば土地の所有権に関する書類や年金の記録など
被災者の生活を支えていくうえでかかせないものばかりである。
東日本大震災で津波の被害を受けた書類の束。
泥がこびりつき読めなくなっている。
しかし修復を続けると文字が読めるようになり記録がよみがえる。
手がけたのは坂本勇さん(66)。
災害で被害を受けた文書の修復を行う世界でも数少ない専門家である。
2004年のインド洋大津波では7000点の公文書を修復。
東日本大震災でも4000点の登記簿をよみがえらせた。
その坂本さんはいま台風で大きな被害を受けたフィリピンで活動している。
台風が直撃したフィリピンのレイテ島。
多くの建物が高潮の被害を受けた。
被災から間もなく8か月になるが復興は道半ばである。
復興を妨げる新たな問題として浮上したのが行政機関の公文書の被害。
公文書が水没したことで家を建て直せずにいる被災者が大勢いる。
リシェール・バチャオさん(24)は自宅を流され家族とともにテント生活を余儀なくされている。
日中は気温が35度を超えるレイテ島。
父親が体調を崩しテント暮らしはこれ以上続けられないと感じている。
自宅を建て直したいと考えたバチャオさんは地元の役所に相談の訪れた。
(土地登記担当の職員)
「事務所にあった登記簿も水につかり残念ですがお力になれません。」
土地の権利を証明する登記簿が水没して記録を確認できないため
家を建て直すことは認められないと言うのである。
(バチャオさん)
「私はテント暮らしでもかまいませんが父にはこれ以上無理だと思う。」
レイテ島では公文書が被害を受けたことで思わぬ事態も起きている。
ごみとして捨てられているのは裁判の記録。
(裁判官)
「これは殺人事件の裁判資料。
目撃者の証言です。」
3万点以上の裁判記録が水没し裁判を中断せざるを得ないケースも出ている。
このままでは被告を釈放しなければならない恐れもある。
(裁判官)
「資料をもとに戻せなければ被告の罪は問えなくなる。」
こうした事態を解決してほしいとフィリピン政府から要請を受けた坂本さんは今年4月 ひとりレイテ島に入った。
数百万点の公文書が被害を受けたとされるなか住宅の再建に欠かせない登記簿の修復から着手した。
坂本さんは東日本大震災でも登記簿の修復にあたった。
そのときはまず氷点下40度の冷凍庫を使って濡れた登記簿を凍らせた。
続いて真空の状態に置き
凍ったまま水分を飛ばすという方法をとった。
紙の成分を傷めずに登記簿を乾燥させることが出来た。
しかし今回は十分な資金の支援がないため冷凍庫などの装置を持ち込めなかった。
濡れたままの紙を手作業で1枚1枚剥がさなければならない。
さらに半年近く放置された文書はカビなどが繁殖し痛みが激しくなっていた。
80%を超える高い湿度と坂本さんを苦しめる。
なんとかできないかと坂本さんが思いついたのが乾燥材を使う方法。
お菓子の袋などに入っている市販のものである。
「乾いた状態で保管できるよう湿度をとばすように。」
収納ケースに文書と乾燥剤を一緒に入れて様子を見ることにした。
紙の具合を確かめてみると表面が乾き始めていた。
「この方法にはひとつの可能性。
達成できる方向性にはある。」
文字が読めるまでに修復することが出来た。
(坂本勇さん)
「1枚1枚助けようとしてチャレンジして弱い人たちの権利を擁護できるなら
なんとかして応えてあげたいと思う。」
(登記簿を管理する担当者)
「感謝している。
とても見やすくなった。」
ただ2日がかりで修復できたのは数十枚だけ。
1人での作業に限界を感じていた。
そこで坂本さんは現地で修復に携わる人を育てようと指導を始めた。
集まったのは自らも被災した若者たち。
10人ほどがとりあえず1か月間修復の訓練を受けることになった。
国連が給与を支給する。
事態を重く見た国連が資金を支援してくれたのである。
坂本さんは今後1年ほどの滞在の間にできるだけ多くの人材を育て
地元の人たちだけでも公文書が修復できる道筋をつけたいと考えている。
(坂本勇さん)
「10人20人となれば何十倍のスピードで助けることが出来る。
そういう努力を積み上げていくのが私たちの仕事。」
坂本さんはあくまでボランティアをして活動をしているが
実は被災直後からフィリピン政府に公文書修復の重要性を訴えてきた。
その大切さがようやく認識されて
今では地元の警察署や大学などからも文書の修復にあたってほしいという依頼が相次いでいる。
6月29日 NHK海外ネットワーク
開戦から100年の今年 イギリスでは戦争の最前線の様子を体験できるイベントが開かれた。
兵士らが身をひそめた塹壕(ざんごう)を再現しその苛酷さを感じてもらう。
大戦を知る世代がいなくなる中この記憶をいかに語り継いでいくかが課題になっている。
「ここでの体験で前線に駆り出された若者の気持ちがどんなものかわかった。」
イギリスで大戦の悲劇を象徴するケシの花。
多くの若者が命を落としたベルギーの激戦地で咲いていたことから
毎年11月の戦没者の追悼記念日には多くの人が身に身に着ける。
4月 キャメロン首相は子どもたちと一緒に首相官邸にケシの種を植えた。
追悼の思いを抱きながら今年は全国の小学校で花を育てようと呼び掛けている。
名門オックスフォード大学からも多くの若者が戦場に赴いた。
構内の壁には亡くなった学生の名前が刻まれている。
全学生の5人に1人が帰らぬ人となった。
若者たちの未来を奪った戦争の苦い記憶である。
オックスフォード大学では第1次大戦の記憶を後世に残そうという取り組みを始めている。
管理されている10万点にものぼるデータ。
戦争を体験した人の手紙や写真などを撮影しデジタルデータとして保存する“デジタルアーカイブ事業”。
(アーカイブの責任者 スチュアート・リーさん)
「この手紙には
『妻と2人の子供よ
フランスに向かう
愛をこめて
お父さんより』
と書かれている。
彼は1週間もたたないうちに亡くなった。」
6年前に始まったアーカイブは今ではヨーロッパ12か国の図書館などが参加。
市民が図書館に持ち寄った資料を大学がまとめて保存する。
多くの人に戦争について知ってもらおうと資料はインターネット上で公開している。
(アーカイブの責任者 スチュアート・リーさん)
「日記やノート、手紙などがある。
あまりしられていない市民の目から見た戦争を知ることが出来る。
戦争がすべての人に影響を与えたことがわかる。」
資料を提供したひとり ハーベイ・ゴールドさん(85)。
出征した父親は生きて帰った後も戦場での体験を多くは語らなかった。
父の死後 遺品の中から写真など数十点が見つかった。
乗っていた戦艦が沈没し600人以上が亡くなっていたことが分かった。
自分が亡くなった後も戦争の記憶を後世に伝えたいと考えゴールドさんは父の遺品を提供した。
(ハーベイ・ゴールドさん)
「多くの命が失われたことをずっと覚えておくべきだと考えた。」
オックスフォード大学で歴史学を教えるマーガレット・マクミラン教授。
マクミランさんは第1次大戦中イギリスを率いたロイド・ジョージ首相のひ孫である。
広がる格差への不満がくすぶりナショナリズムが高まっていった開戦当時。
今の国際情勢と重なるところが多いとマクミランさんは指摘する。
(マーガレット。マクミラン教授)
「ナショナリズムのような感情は危険。
帰属意識は大切だがそれが瞬く間にほかの集団に対する憎しみに変わることがある。
現在も問題となっている貧富の差の拡大は実は大戦前にも起きていた。」
マクミランさんは6月 若者たち向けに講演を行った。
(マーガレット・マクミラン教授)
「私たちは今もなぜ大戦が起きたのか考えている。」
若い世代に悲劇を繰り返してほしくないと語りかけた。
マクミランさんは歴史の文脈から今を生き抜くための教訓を導き出していきたいと考えている。
(マーガレット・マクミランさん)
「1914年の出来事から見えてくるのは
指導者の誤った判断がヨーロッパを戦争に導いてしまったということ。
優れた指導力があれば変化する時代でも乗り切れる。
難しいことではあるが。」