まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

絶望名言

2018年03月06日 | ラジオな日々
前夜早く寝ても、遅く寝ても、3時、4時に目覚めてしまうことが多いので、睡眠時間を確保しようと、このところ21時過ぎには布団に入ることにしている。
眠りは浅くても7時間以上眠れると、翌日の体調がとてもよいのだが、なかなかそうはいかない。
 
昨年からのラジオのマイブームの中でゲルマラジオを自作し、これが静かな朝には十分実用になっている。25時を過ぎると、大出力のCRI(北京放送)が終了するので、わがNHK R1の時間となる。
 
3時過ぎに起きてしまった朝は、セラミックイヤホンを耳に突っ込んでゲルマラジオの小さな音を聴きながら明るくなるのを待つ毎日だ。
 
2月の終わりにラジオ深夜便(2018/02/26)4時台で「向田邦子さんの絶望名言」というコーナーを聴いた。
 
気持ちを解ってくれない、思いが伝わらないと悩む人は多いけれど、実は、人は本音がだだ漏れになってしまっては大変なことになるわけで、本音を隠せる人が生きやすいんじゃないか、そんな話がイヤホンから耳へ、そして少々中心にスキができ始めた脳に沁みこんできた。
 
人間関係不得手の原因の一つとして自覚していることに、どんな時も、どんな相手でも世辞が言えない直球勝負、思ったことは空気を無視して即オンエアという点がある。
理不尽な弱いものいじめには、よせばいいのに断固噛みつくし、本音をストレートに出す。
組織人としてはおバカの典型である。
 
それでも、人というものは有難いもので、こんな私の特性をグリップしてくれ、上手く使ってくれた先輩が数人いた。
おかげて、今の暮らしがある。
 
私の気持ちは周囲の人にはとても分かりやすいし、伝わりやすいとは思うけれど、伝わったからと言って受け止めてくれるとは限らない。嫌なヤツとして敬遠する輩が多い。
そんな輩を受け入れられるほど、あたしゃ、寛容ではない(笑)。
 
空気が完全に読めなければまだいいのかもしれないが、そうでもない。
自分が直球しか投げられないのを自覚した上での確信犯である。
 
どうも、本音で生きようとすると人間関係はうまくいかないことが多いようだ。
 
それでも子供の頃からの社会性という刷り込みで本音の周りに表層を作り、これをごまかすスキルはかなり高くなってきたが、少し前までは、それがストレスになっていた部分もあるようだ。
 
関わってきた人たちを見渡すと、確かに、本音を覆い隠し変化球を投げる輩は、人望もあり人間関係円満であり、組織を牛耳る方が多い。そして、その家系は受け継がれていく。

こういう人たちは、コミュニケーションがうまいのではなく、実は、自分の本音を隠し、結果として自分の思い通りに持っていくのがうまい人「ズルい組」と考えると、「正直組」の自分の溜飲も下がる(笑)。
 
気持ちを解ってくれない、思いが伝わらないと悩む人は、きっと自分に正直な人なんだろう。
でも、生きるのは不器用組かも。
 
私の場合も伝わりすぎて「友だちいない」時間を送っている。
まぁ、これも自分らしくて悪く無い。
 
直球しか投げられなくても、世の中には、そんな直球勝負が好きな人も少なからずいる。
だから、ぜんぜん心配ない!問題ない!が今の時間である。
 
生きるということは、自分の心の持ち方、考え方によって、楽になったり、苦になったりするもののようだ。
自分らしく、楽に生きる術を見つける旅だ。
 
『読経の日々』の中で、少し仏教に関心を持ったこともあり、今はそう思う。
 
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<今日は何の日>
今日は二十四節気の啓蟄です。
暖かくなって、虫も土から出て動き出す時期とのことですが、庭先や畑で、この1、2週間スズメノカタビラ君は大活躍。雨があるごとにどんどん芽吹いて株を大きくしています。自然界のセンサーは、確実に春ですね。
コメント
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