まがりかどの先に

まがりかどの先にはきっと良いことがあると信じ、目の前の人生の小路をてくてく歩き続ける日々の雑記です。

納得までの過程

2018年03月13日 | 日記
学校法人「森友学園」への国有地売却を巡る問題で、財務省の決裁文書改ざんが大きな問題となっている。
 
この問題が取り上げられて久しいが、国会等での関係者の説明には、理解も納得できない。
 
物事が腑に落ちり、納得できるまでには、知る、理解ができる、自分なりに整理ができる、納得できる、という過程を辿る。
 
今回の文書改ざん問題についても、当該大臣は、「現場の一部担当がやったこと」というようなコメントを出しているが、既にここから理解ができない。
 
どう考えても、政治家の圧力や本庁の幹部の方針がでなければできそうにない。仮に担当が独断で改ざんしたとしても、それを国会の場に出すまでには組織の良識のブレーキがかかったはずだ。
 
言えない大きな圧力があったからこそ、実行者は真実を言えない。

ありがちな組織の隠蔽体質だけれど、子供たちに思いやり、正直に、素直に生きることの大切さを教える教育の場で起こっている、利権という大人の暗部は悲しいとしか言えない。

国を動かす役人は、国の根幹、幹部である。
いつから病んだ国の患部になってしまったのだろうか。
 
喉物過ぎれば熱さ忘れるは、日本人の御家芸ではあるけれど、大切な政策は山積している。
真実ははやく明らかにして、国会は国造りの議論をしてもらいたいな。
 
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<今日は何の日>
1994(平成6)年の今日、1934年に撮られたイギリスのネス湖の怪物ネッシーの写真が、実はオモチャの潜水艦を使った悪ふざけであったことが報道されました。
 
それ以前からネッシー捜索のテレビの特集なども時々あったので、「えっ、嘘なの」という気持ちと「やっぱりなぁ」という入り混じった気持ちでそのニュースを受け止めたように思います。
 
真相は墓まで持っていくのが、でっちあげた人の、最低限のマナーという考え方もあります。「森友学園」問題も、半世紀もたったころ、「実は・・・」ということになるんでしょうか。
 
歴史は勝者によってつくられる、泣く子と地頭には勝てぬ。それだけの価値観が支配する社会は、つまらないですね。
コメント
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