フランスの田舎町などを訪ねると、アクセスを考えたら不便な山間に、まるで隠れ家のように佇む小さな美術館があったりします。
美術史的に大作ではなくても、その周囲の環境や建物の雰囲気と相俟って、作品にもつい運命的な出会いを感じるようなことさえあります。
仰々しく大きな美術館に収まるのではなく、こうして色んな要素がミックスして伝わってくるものも間違いなく“文化”のひとつの形でしょう。
木津川、宇治川、桂川が淀川に合流する場所という恵まれた立地の大山崎山荘は、その意味で環境は申し分なく、チューダー様式を参考にしたという三階建ての建築物は、当時の“モダン”な面影を今も残し、風流なことこの上ありません。
自ら建物を設計した加賀正太郎なる人物、ヨーロッパ留学後、証券会社を立ち上げたりニッカウヰスキーの創立に関わったりといった一方で、アルプスに登頂したり洋蘭の品種改良を進めたり、と異彩な文化人だったようで、彼のこだわりが建物の細部に見られます。
そんな立派なお屋敷も年々老朽化が進み、一時は会員制レストランになるなどしたこともありましたが、建設業者に買い取られた際には周囲を含めて更地化してマンションを建設するという話が持ち上がりました。
しかし、地元の人の保存運動が身を結び、美術館として再出発することになったのです。
その際、安藤忠雄の設計による新館も加えられ、美術館としての体裁が整いました。こちらは旧館の美観を損なうことなく地下を中心に作られ、“地中の宝石箱”と呼ばれています。
そこに展示されるモネの“睡蓮”を意識してか、庭園の池には睡蓮が浮かび花も咲いていました。
作品の中核は、アサヒビールの創業者である山本為三郎のコレクションで、バーナード・リーチや河井寛次郎などの作品が並べられます。しかし絵画の方も先ほど書いたモネの睡蓮が何作品かある他、僕の好きなルドンもありましたが、なんと言ってもここのアイドル(?)的な存在はモディリアーニの“少女”のようで、作品紹介の際にもトップで扱われていました。
他にも印象的だったのは旧式のディスク・オルゴール。19世紀に作られたというドイツ製の本格的なもので、そこから発せられる豊かな倍音は、これぞアコースティックというえもいわれぬ華やかさがありました。
庭園にはたくさんの紅葉が植えられていて、まるで再訪を促しているようでしたが、年内はちょっと難しいかな。
美術史的に大作ではなくても、その周囲の環境や建物の雰囲気と相俟って、作品にもつい運命的な出会いを感じるようなことさえあります。
仰々しく大きな美術館に収まるのではなく、こうして色んな要素がミックスして伝わってくるものも間違いなく“文化”のひとつの形でしょう。
木津川、宇治川、桂川が淀川に合流する場所という恵まれた立地の大山崎山荘は、その意味で環境は申し分なく、チューダー様式を参考にしたという三階建ての建築物は、当時の“モダン”な面影を今も残し、風流なことこの上ありません。
自ら建物を設計した加賀正太郎なる人物、ヨーロッパ留学後、証券会社を立ち上げたりニッカウヰスキーの創立に関わったりといった一方で、アルプスに登頂したり洋蘭の品種改良を進めたり、と異彩な文化人だったようで、彼のこだわりが建物の細部に見られます。
そんな立派なお屋敷も年々老朽化が進み、一時は会員制レストランになるなどしたこともありましたが、建設業者に買い取られた際には周囲を含めて更地化してマンションを建設するという話が持ち上がりました。
しかし、地元の人の保存運動が身を結び、美術館として再出発することになったのです。
その際、安藤忠雄の設計による新館も加えられ、美術館としての体裁が整いました。こちらは旧館の美観を損なうことなく地下を中心に作られ、“地中の宝石箱”と呼ばれています。
そこに展示されるモネの“睡蓮”を意識してか、庭園の池には睡蓮が浮かび花も咲いていました。
作品の中核は、アサヒビールの創業者である山本為三郎のコレクションで、バーナード・リーチや河井寛次郎などの作品が並べられます。しかし絵画の方も先ほど書いたモネの睡蓮が何作品かある他、僕の好きなルドンもありましたが、なんと言ってもここのアイドル(?)的な存在はモディリアーニの“少女”のようで、作品紹介の際にもトップで扱われていました。
他にも印象的だったのは旧式のディスク・オルゴール。19世紀に作られたというドイツ製の本格的なもので、そこから発せられる豊かな倍音は、これぞアコースティックというえもいわれぬ華やかさがありました。
庭園にはたくさんの紅葉が植えられていて、まるで再訪を促しているようでしたが、年内はちょっと難しいかな。