英語・ダイエット・その他徒然なるままに

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英会話力の訓練は机上の勉強より苦しいはずだが

2016年06月11日 21時56分32秒 | 英語
どうしても違和感がぬぐえないんですよねー。

英会話がある程度うまくなった人が、「私は勉強によって英語が上手くなったわけじゃない。私だって勉強は大嫌いだったし、学校の成績も悪かった。でも、英会話ができるようになりました。そのコツは、、、」みたいな言い方をされているのを見ると、申し訳ないですが、そう思ってしまうんです。

そういう”いわゆる実践的な”英語の身につけ方をした人の話を最後までよくよく聞いてみると、

結局、英語圏に長期滞在してる

ってオチが、非常に多いじゃないですか。

もちろん、私とて馬鹿じゃありませんから、単に英語圏に長期滞在しただけで英語が上手くなるなんてことはない、ってことは重々承知しています。上手になった人は、そういう環境をしっかり利用しつつ、ご自身も相当の努力をされているのです。

なので、別に自慢するのは全然構わないし(十分自慢に値する)、ご自身の努力の過程を色々話して下さるのも全然構わない。仰っている事の多くも突き詰めていけば真実でしょう。でも、駄目な人達を必要以上に慰める変な美辞麗句はいらないと思うんです。

多くの方が、日本の学生さん達がやらされている、いわゆる”机上のコツコツ型”勉強を批判されます。机上のお勉強では英語脳はできないとか、英語の勉強は本来もっと楽しいもののはずだ、とか。で、私は当たって砕けろの実践型に切り替えたら上手くなったとか、好きなドラマを見たら上手くなったとか、こんな便利なアプリがあるとか、、。まあそれ自体は個人的な感想に過ぎないので別にいいんですけど、私が危惧するのは、学校の勉強を悪者にするあまり、”学校の勉強すら怠けている”人達をつけ上がらせるような事になってないか?ってことです。さらに、日本国内に居る人は基本的に学校の勉強を足がかりにするしかないんですから、怠けてる奴はともかく、学校の勉強を一生懸命やっている子が混乱しなければいいけどな、とも思うんです。

自分自身が日頃意識してやっている練習メニューがどういうものであれ、海外に出た方というのは結局、「自分が意識した・しないに関わらず、英語圏に身を置くことによって脳が1日中超緊張状態の中で臨戦態勢におかれていた」からこそ上手くなったのではないでしょうか。確かに、そういう緊張状態は、机の上で眠気と戦いながら勉強させられる苦痛とはまた違った種類の修行です。でも、”物凄く厳しい鍛錬”であることに間違いはないはずで、決して、”明るく楽しく”だけで英語が上手くなったわけではないと思うんです。国内型の人達に誤解を与えないためにも、そこの部分をもっとフォーカスすべきではないかと思うのです。”楽しくやったから”できるようになったわけじゃない。”むしろ学校の勉強なんか生易しいと思えるほど厳しい状態に身をおいたから”できるようになったのだ、そういう言い方をしてほしい。

私も1週間程度のスパンで海外に行くことはたまにありますが、こんなにも英語好きの、多少なりとも自信のある人間でも、行っている間は本当に辛いですよ。何せ聞き取れませんから。勉強嫌いな人が嫌々勉強させられる時の辛さとはまた種類が違う辛さですが、物凄い緊張状態を強いられ、クタクタに疲れます。間違っても、机に向かわなくていいからラクとか楽しいなんて状況じゃないです。

”実戦的な訓練”とはそういうものです。確かに、机の上で分かったような分からんような、理屈中心・(難解な文章の)読解中心の勉強を続けるより遥かに効果は高いでしょう。ひょっとしたら、人によっては向き不向きが両者で大きく違って、方向性を変えれば事態が一気に好転するなんてこともあるかもしれません。でも、実戦訓練は机の上の勉強より楽しいとか、眠くならないからいいとか、本質はそこじゃないはずです。実戦の場で能力を磨くことは机の上の勉強なんかより遥かに厳しく、緊張を強いられ、脳に負担がかかる、だからこそ上手くなる、それが本質じゃないでしょうか。

英語の勉強を楽しくやって、それで本当に上手くなれるのなら、それに越したことはありません。”苦しみそのもの”が成果を生むわけでもないです。でも、何事も猛烈な量の練習をこなさないと上手くはならないというのが真実で、だから、対偶を取ると、上手くなった人はどこかで猛烈な練習をしているはず、となるのです。

なので、別の言い方をすれば、たかが学校の勉強ごときで根を上げている人が、実戦モドキの勉強に切り替えてみたり海外に出てみたりした所で、何ができるわけでもないと思います。海外に長期滞在しても、実戦型の勉強に切り替えても、英語が全然できるようにならない人は沢山います。

国内に留まっている側の人間は変な妄想を抱くべきではないですし、海外に出て上手くなれた人は、たとえ学生時代は成績優秀ではなかったにせよ、結局人間としてはそれだけの能力・根性・あるいはモチベーションが備わっていたという事なのです。やっぱり、強い人だからできるようになれたんです。だから、”学校の勉強をやめて楽しくやればできるようになる””誰でもできるようになる”なんて美辞麗句は、いらない。