英語・ダイエット・その他徒然なるままに

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スラスラ感と教科書

2016年06月04日 14時26分18秒 | 英語
スラスラ読んだり聞いたりすることが気持ちいいのだ、と何の気なしに書いたのですが、この”スラスラ感”というのは、英語の勉強(練習)の仕方を考える上で1つの重要なキーワードになると思います。

今勉強した目の前のその英文が、スラスラーっと処理(読んだりつぶやいたり、あるいは聞いて理解したり)できればOK、できなければまだ型や語彙が体に染み付いていない、そういう判断基準で英語を消化していけばいい、一言でいえばそういうことです。

いくら偉そうに能書きを垂れたところで、これができなかったらその英文、あるいは、その構文をモノにした事にはなりません。ちょっとつぶやいてみて、まだ所どころ詰まってしまうようであれば、自分の脳がまだその型を習得しきれていない、そう考えて、スラスラと読めるようになるまで頭に叩き込む。そういう練習をやっていけばいいんです。

この時の”スラスラ度”は、ネイティブが英文を読み上げる(喋る)スピードと全く同じでなければいけません。それくらいのスピードでも難なく処理ができるようになって初めて、その構文、その語彙、が身に付いたことになるのです。もちろん、このとき頭の中で日本語を思い浮かべるのは”ご法度”です。英語の字、英語の音を受信しただけで、たとえネイティブ速度であったとしても直読直解できないといけません。というか、それを練習するのです。

”そんな事とてもじゃないができない”と仰る方は、そもそも英語の勉強に対する認識が根本から間違っています。だって、たとえ中1レベルだろうが高3レベルだろうが社会人レベルだろうが、それを目指さないと英語を勉強している事にならないじゃないですか。

だから、もしあなたが英語が苦手というのなら、それは、教科書の中1の最初のページからさかのぼって、どこかの学年、どこかのページからそれができなくなっているはずで、それがどの辺なのかを突き止めるのも1つの重要な手立てになり得ると思います。いくらなんでも、高校生が中1の一番最初のページの英語がスラスラ処理できないなんてことはないでしょう。しかし、中2か中3か高1か、どこかの学年のどこかのページから、怪しくなってきているはずです。基礎をちゃんとやり直したいのなら、それが何処なのかを突き止めて、そこからやり直すのが”王道”だと思います。だから、学生時代の教科書を持っている人(≒学生)はやり易いですね。

「教科書レベルの英文と入試レベルの英文は違うよー」。そう仰る方もいるでしょう。確かに私には子供がいない(それ以前に独身)ので、今時の中高生がどのような教科書を使ってどのような授業を受けているのかは知りません。その辺はもっとリサーチする必要があるとは思っています。しかし、例えば私が高校生だったころのリーダー(今はリーダーなんて言わないのでしょうか?)の教科書なんて英語的にも結構高度で、決して馬鹿にできたものではなかったです。基本レベルの文法書や参考書なんかよりも遥かに高度、というか、読み応えのある英文が載っていました。文法の参考書みたいな単発の文の羅列ではなくちゃんとストーリーのある読み物になっているはずですから、そんなにレベルが低いシロモノではないはずなんです。

ここ数日のブログで、私は受験英語を”つまらない”呼ばわりしています。しかし、それはもう少し厳密に言うと、”大学入試問題やそれに付随する様々な営みがつまらない”ということであって、教科書の英語は結構よくできている(少なくとも私の時代はそうだった)と思っています。あれをいい加減にしながら他の何を頑張っても、単に自分自身で勉強を二度手間、三度手間にしているだけではないかという気がします。まあ、今の時代の教科書を見てないので断言はできないんですけどね。ただ、少なくとも私の時代の教科書の出来具合を思い出してみると、あれを疎かにするのは非常にもったいないと思います(私は疎かにはしませんでした)。

受験の英文読解はどうでもいいと言いつつ、細々とでも研究しておこうと思って、昨日、東大と京大の過去25年分の英語の入試問題が載っている本を買ってみました。ざっと見た感じでは、英語そのものは全然難しくないという印象です(特に東大は英語そのものよりも、試験としての別のイヤラシサの方が重要)。この辺の分析についてはまた別途述べたいと思いますが、正直、そんなに大騒ぎするほどのモノか?という気がします。この程度の英語なら学校の教科書でもしっかりやってるんじゃないの?という気がしないでもないのです(間違ってたらゴメンネ)。確かに、上に書いたような「試験としてのイヤラシサ」への対策のために塾や通添をやる事は必要だと思います。でも、本質的にはいかに東大・京大の入試問題と言えども、学校英語からそれほど逸脱したものではないという印象を受けるのです(当たり前か)。(入試の英文読解の文章に関しては言いたいことが無いわけではないのですが、それは別途)

最後は少し脱線してしまいましたが、あなたがもし学生時代の教科書をお持ちなら、もう一度じっくり向き合ってみると結構得るものがあるはずですよ、ということです。受験参考書もいいですが、エッセンスはほどんど教科書の中にも含まれているはずです。”スラスラ感”を目安にしたとき、自分がどの辺からつまづいているのかを教えてくれるのも教科書です。