英語・ダイエット・その他徒然なるままに

趣味の英語学習(TOEIC 970点)やダイエットの成功談など、色々書いていきます。

教科書に日本語訳を

2016年06月08日 23時15分54秒 | 英語
先に参照した「超上級リーディング7つのコアスキル」という本を終え、さらに、今週から

「TOEICテスト究極のゼミPART5語彙・語法【超上級編】」(ヒロ前田/ロス・タロック、アルク)

をやり始め、これも7割方終えてしまいました。解説がとても丁寧でやりがいがあります。主に通勤電車の中で勉強していて、NHK World TVを聞きながら問題を解くという、トリッキーな事にも挑戦しています。特に意味はないですが、日本語ならテレビの音を聞きながら本を読むこともできるはずなので、英語でもできなきゃいかんだろうと。

で、問題ばかり解いててもいけないので、帰宅してから少しの時間だけ

「通訳ガイドがナビする東京歩き」(松岡明子、ジョン・タラント、BILINGUAL EDITION)

という対訳本を読んだりしていますが、やっぱりちゃんとした日本語訳を読みながら対応する英語を頭に叩き込んでいく作業は物凄く勉強になります。「心臓がドキドキしてきます(make my heart skip a beat)」とかね。こんなの、一回”へぇ~”と思ったら、もう二度と忘れることはないじゃないですか。

で、こういう事をやりながらふと思ったのですが、最近話題にした学校の教科書、どうして日本語訳を付けてくれないのでしょうか?今の時代の教科書に付いてます?ないでしょ、そんなの。

付けた方がいいと思うんですけどね。確かに日本語に一切頼れない厳しい状況で英語に取り組ませる、そういうやり方のメリットもあるでしょう。しかし、力の無い高校生くらいだと、日本語訳を付けてあげた方が勉強の負担が軽くなる、そういうメリットの方が大きい、と私は思います。

負担が軽くなると言いましたが、それだけじゃなくて、日本語の意味のイメージ(日本語の文章そのものではない)をトリガーにしながら対応する英語を記憶していくという方法だと物凄く英語が記憶に残り易いですし、使える知識にもなります。”こういう事が言いたい”というイメージと記憶した英語が直結しているわけですから。

英語だけのテキストを読み進めていく方法だとどうしても、わからない単語や表現などを辞書で調べてその部分だけの日本語訳を記憶する作業になりがちです。これだと、それぞれの個別部分について、日本語訳の大きな意味の流れの中における位置づけが感じ取れないんですね。うーん、言いたいことがなかなか上手く書けないのですが、それぞれの単語や表現の”出番”がどういう時に訪れるのか、それが感覚として掴めないのです。だから、自分で英語を話そうとした時に、過去に出会っているはずの英語が出てこない、となるわけです。

要するに、それぞれの個別表現にふさわしい”登場シーン”のイメージをしっかり掴みながら英語を覚えていけるわけなんです。だから、自分で英語をアウトプットする時も、”はい、あなたの出番”となって、記憶した英語が出てきやすくなるわけです。

もちろん、日本語を介することのデメリットもあるでしょう。でも、私はメリットの方が大きいと思いますね。”英語に圧倒されるだけで結局何も身に付かない”というより全然マシだと思うのです。

あ、日本語訳を付けちゃうと先生が授業中に威張れなくなるというのもあるのかな?”意味を取る”という作業が授業で必要なくなってしまうと、英語に関するより本質的な内容をレクチャーしないといけなくなりますからね。そりゃ辛いですわな。ま、今どきの授業形態を知らないので何とも言えませんが。