先日ヤフオクで入手したゴルフクラブ ウエッジ3本の話をこのブログで書きました。思いのほか使いやすくミスが少ないので大変気に入ったのですが、先日はさっぱりでありました。最近ドライバーが好調でほとんどOBを打つことも無いのですが、その分アイアンショットが調子狂っていてうまくいきません。特に短い距離のアプローチがピンに寄らないのでスコアが伸びないのです。
そのクラブはボールに当たるフェイス面に防錆塗装が無いので、届いたときにはうっすらと赤さびが浮いておりました。そうしたことに頓着しないワタシはそのままゴルフ場に持って行ったのですが、同伴の仲間Kさんに咎められました。錆びたクラブが見過ごせなかったようです。
それで生まれて初めてゴルフクラブを磨きました。さび落としのブラシを買って錆止めを塗って奇麗になりました。早速先日これを持っていきましたところ、件のKさん、即座に「クラブの錆は心の錆」とのたまいました。さすがT大法学部卒業の俊英だけあっていうことが違います。
道具を大事にしない、錆びていてもへっちゃら、というのは褒められたものではありません。イチローはあれだけの高年俸ながら、グローブやバットを大事に扱っていたそうです。心得としても自分が使うものに愛着を持ち丁寧に手入れをするのは様々なことに共通するのでしょう。同時にお金持ちほど物を粗末にしないということなのかもしれません。そういえばKさんのお宅は、かなりの資産家で、ご自身も高級車をキャッシュで買い、ふるさと納税や株式投資も余念がないようです。
そんなことには無縁で興味が無く、スコップや鍬などの園芸道具も滅多に洗わないようなずぼらなワタシに、ちっともお金がたまらないのはそういうわけなんでしょうね。鎌・剪定ばさみに錆が浮いても気にしないワタシでも、書道具と篆刻の道具はそれなりに大事にしています。
書や篆刻で言えば侘び寂びが思い浮かびます。書道は幽玄で自然そのまま、質素にして装飾の無い美しさをいい、日本の伝統文化に欠かせない要素であろうと思います。篆刻なら、印の端や角を態と落とし、線を途切れさせるなどをして「古い印」の風情を出します。鮮やかな朱色ながら印自体は古色蒼然として「寂れた」雰囲気を出すのが重要な技巧法になります。
残念ながらワタシの書道や篆刻では「侘び寂び」の境地ははるか先で、とうてい近づきえないものの様であります。寂れた町のわび住まいくらいが関の山かもしれません。
しかし、日本料理では「山葵(わさび)」は強力な香辛料、蕎麦でも寿司でも欠かせません。山葵が効かない日本料理はおいしくありませんね。これが転じてサビの効いた言葉、とか男サビなどといい意味で使いますね。
歌で言えば「サビ」は聞かせどころ、カラオケの上手な人は例外なくこのサビで盛り上げ聞かせるのであります。ワタシも一時健康法として一人カラオケをいたしておりましたが、忙しさにかまけてすっかり遠ざかってしまいました。だいぶ前に久しぶりにやろうと思ったら、どこかが故障か劣化したか起動いたしません。マイクには少し錆が出ておりました。シャレになりませんね。
こういう普段の手入れを怠っているとか悪行の覆い人間が相応の報いを受けるのを「身から出た錆」と呼びます。自業自得、自分で蒔いた種ともいいます。
あの失言大魔王麻生副総理が、過労で入院した小池都知事に「自分で蒔いた種でしょうが」と言ったそうであります。これは小池さん烈火のごとく怒っているでしょうね。さらに森友問題の赤木ファイルをして、重複してる部分がいっぱいあるので「省きました」とつい、ぽろっと口走ってしましました。何の修正も無いというのが財務省の公式声明なので、すぐさま大慌てで麻生さんの発言を削除したそうであります。間違えた、消しましたで済むと思ってるんですね。
財務省はじめ多くの公文書が公然と書き換えられ、改ざんされ破棄されるという歴史的な暴挙が相次ぐ自民党政権下の官僚組織なんです、毒食わば皿まで、赤木さんの遺したファイルも原形をとどめていないと考えていいのです。
かの大臣は錆どころか頭の中はスカスカか、さもなくば半ぐされに見えます。いくら巨万の財産があっても、心の貧しい人にはなりたくないものでありますな。
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