まつお文庫からのご案内

仙台市若林区中倉3-16-8にある家庭文庫です。水・土の3時~6時(第2土は休み)どなたでも利用できます(無料)。

新しく買った本 その2 8月

2016-09-01 14:43:03 | 文庫のページ
⑤『岬のマヨイガ』 柏葉幸子/さいとうゆきこ 講談社2015
 岩手県の遠野に近い狐崎で、東日本大震災の起きた日、偶然にも出会った3人の再生の物語です。
 両親を亡くし、おじさんを訪ねて狐崎にやってきた小学5年生の萌花。夫の暴力に耐えられず東京の家を出て、萌花と同じ列車に乗り合わせ、同じ狐崎で降りたゆりかさん。避難所に向かったゆりかと萌花を「家の嫁と孫です」という、遠野から来た87歳のおばあちゃん、キワさん。縁もゆかりもない3人ですが、震災で多くのものを失った町で一緒に暮らしながら心を通わせていく物語です。
 伝説「アガメと海ヘビ」の海ヘビが震災でよみがえり、人間に悪さをしようとしていることに気づいた3人は、町の人々を守るため、海ヘビと闘います。河童や座敷童子、山姥や狛犬など不思議な者たちの力を借りて、壮大な闘いが始まります。
 作者の柏葉さんは岩手にお住まいです。第1作目の『霧の向こうのふしぎな町』が出版されてちょうど40年を記念して昨年出版になった作品です。

⑥『大久野島からのバトン』 今関信子 新日本出版社2016
 大久野島がどこにあるか、知っていますか。広島県の竹原市の漁港から連絡船で15分の瀬戸内海に浮かぶ小さな島です。休暇村として、今は観光客がたくさん訪れる島ですが、戦争中、この島で何があったか、今関さんは古田足日さんにすすめられて調べていき、時間をかけてこの作品を書き上げました。日本児童文学者協会創立70周年記念出版「文学のピースウォーク」全6巻の1冊です。
 滋賀県のミッションスクールに通う中学2年の香織たちは、YWCAのワークキャンプに参加するため、顧問の先生と一緒に広島にやってきます。その帰り、この大久野島で一泊するのですが、香織たちは「大久野島毒ガス資料館」の元館長だった柳沢さんと出会い、戦争中14歳だった館長さんがこの島で毒ガスの製造に関わったことを知ります。そしてその毒ガスが中国で使われ、中国人の命を奪ったということも知ります。
 館長さんの体験したことを真剣に受け止め、同じ14歳の今をどう生きるか考える中学生の姿が心に残ります。中学生に手渡したい作品です。もちろん大人の方にも読んでいただきたい作品です。

⑦『絵本に魅せられて』 佐藤英和 こぐま社2016
 佐藤英和さんはこぐま社の社長さんです。佐藤さんが戦後、どんな思いで子どもの本を作ってきたか、子どもの本への熱い思いを知ることができます。こぐま社は、わかやまけんさんの「こぐまちゃんえほん」シリーズ、馬場のぼるさんの『11ぴきのねこ』シリーズ、西巻茅子さんの『わたしのワンピース』など、今なお子どもに人気の絵本をたくさん出版しています。それぞれの絵本誕生のエピソードも興味深く、特に『わたしのワンピース』がリトグラフであること、ジンク版に一色ごとに分けて描いた絵を重ね刷りしたものであることなど、初めて知ることも多いです。
 また佐藤さんは、東京銀座の教文館の中の「ナルニア国」(子どもの本の店)の誕生にもかかわっていますし、イギリスの絵本作家アーディゾーニの絵本の収集家としても知られています。大人の方にお薦めです。
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新しく買った本 その1 8月

2016-09-01 13:52:08 | 文庫のページ
①『ちいさなメリーゴーランド』 マーシャ・ブラウン こみやゆう訳 瑞雲社2015
 マーシャ・ブラウンの処女作。1946年、マーシャが28歳の時の絵本です。日本では1994年、土橋悦子訳でブック・グローブ社から出版になりましたが、昨年、こみやゆう訳で瑞雲社から新しく出ました。ニューヨークのサリバン・ストリートにやってきた移動式のメリーゴーランドを囲む子どもたちの喜びを描いた絵本です。
 お金を持って集まってくる子どもたちはメリーゴーランドに乗って楽しそうです。でもアンソニーはお金を持っていません。そんなアンソニーにメリーゴーランドのおじさんは粋な計らいをしてくれます。
 動きのある絵からは子どもたちの楽しい声が聞こえてきます。赤で描かれたメリーゴーランドは華やかで美しく印象的です。絵全体から軽快で楽しい雰囲気が伝わってくるすてきな絵本です。絵本の最後に、マーシャの書いた文章が載っています。日付は2015年1月3日。それから3ヶ月後の4月28日、マーシャは96歳で亡くなります。

『森へ』 星野道夫 文・写真 たくさんのふしぎ傑作集 福音館書店1996
 カヤックで島々を回り、いつの間にか深い入江の奥まで入り込んだ著者は、南アラスカからカナダにかけて広がる原生林の森に足を踏み入れます。これは、そこに広がるとてつもなく長い悠久の時間の作り出した神秘的な森の写真集です。私たちが知らないだけで、その森は確かに存在し、生き続けている。驚きと感動に満ちた写真集です。世界は広く大きく、深いです。星野さんは私たちの知らないなんと多くの世界を見てきた方なのだろうと、改めて思います。
 これは1993年12月号の「たくさんのふしぎ」のハード版です。43歳で星野さんが亡くなって、この夏で20年になります。

③『星野道夫 アラスカのいのちを撮りつづけて」 国松俊英 PHP研究所2016
 アラスカの自然と、そこに住む人々と生きものに心惹かれ、アラスカの写真を撮り続けた星野道夫さんの伝記です。星野さんがどんな子ども時代を送ったか、高校、大学時代の星野さんはどうだったのか、興味深いエピソードがたくさん紹介されています。
 未知の世界への大きな冒険心とあふれるほどの行動力は高校時代からすでに始まっていました。そして20歳の時に初めてアラスカに行き、アラスカの自然とそこに生きる人々に魅了された星野さんは生涯、カメラマンとしてアラスカを撮り続けます。
 星野さんの写真が人々の心を強く惹きつける、その魅力の源について、著者の国松さんは、「それは道夫が待つ人だったからではないか」と言っています。厳しい自然と孤独と闘いながら、待って待って、気の遠くなるほどの時間をかけて写真を撮る。星野さんのカメラマンとしての厳しい姿勢を見事にとらえた言葉です。
 本の初めに16ページにわたって紹介されるアラスカの写真は、どれも星野さんの生きた証と言えます。

④『禎子の千羽鶴』 佐々木雅弘 学研2013
 1945年8月6日、広島で、2歳だった禎子(さだこ)さんは被爆します。この本は禎子さんの兄、雅弘さんが原爆症で亡くなった妹について書いた本です。12年という短い生涯でしたが、禎子さんが原爆症とどうたたかって生きたか、家族とのかかわりを通して深く知ることができます。
 禎子さんは運動神経も抜群で、小学校6年生の秋まではとても元気に過ごしていました。6年生の1月、体調を崩し入院を余儀なくされますが、鶴を千羽折ると願いが叶うということを知ってからは亡くなるまで鶴を折り続けます。
 広島市の平和記念公園には「原爆の子の像」があります。空に向けて両手を広げ、大きな折り鶴を支えて立つ少女の像です。このモデルになったのが禎子さんです。「原爆の子の像」ができるまでのいきさつは、那須正幹さんの『折り鶴の子どもたち 原爆症とたたかった佐々木貞子と級友たち』(PHP 1984)に詳しく出ています。また禎子さんが折り続けた鶴は平和の使者として、雅弘さんの手でニューヨークのトリビュート・センターやオーストリアのヨーロッパ平和博物館、ハワイの真珠湾にある記念館にも届けられています。詳しくは『奇跡はつばさに乗って』(源和子 講談社)を読んでみてください。
 
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