まつお文庫からのご案内

仙台市若林区中倉3-16-8にある家庭文庫です。水・土の3時~6時(第2土は休み)どなたでも利用できます(無料)。

新しく買った本 その1 8月

2016-09-01 13:52:08 | 文庫のページ
①『ちいさなメリーゴーランド』 マーシャ・ブラウン こみやゆう訳 瑞雲社2015
 マーシャ・ブラウンの処女作。1946年、マーシャが28歳の時の絵本です。日本では1994年、土橋悦子訳でブック・グローブ社から出版になりましたが、昨年、こみやゆう訳で瑞雲社から新しく出ました。ニューヨークのサリバン・ストリートにやってきた移動式のメリーゴーランドを囲む子どもたちの喜びを描いた絵本です。
 お金を持って集まってくる子どもたちはメリーゴーランドに乗って楽しそうです。でもアンソニーはお金を持っていません。そんなアンソニーにメリーゴーランドのおじさんは粋な計らいをしてくれます。
 動きのある絵からは子どもたちの楽しい声が聞こえてきます。赤で描かれたメリーゴーランドは華やかで美しく印象的です。絵全体から軽快で楽しい雰囲気が伝わってくるすてきな絵本です。絵本の最後に、マーシャの書いた文章が載っています。日付は2015年1月3日。それから3ヶ月後の4月28日、マーシャは96歳で亡くなります。

『森へ』 星野道夫 文・写真 たくさんのふしぎ傑作集 福音館書店1996
 カヤックで島々を回り、いつの間にか深い入江の奥まで入り込んだ著者は、南アラスカからカナダにかけて広がる原生林の森に足を踏み入れます。これは、そこに広がるとてつもなく長い悠久の時間の作り出した神秘的な森の写真集です。私たちが知らないだけで、その森は確かに存在し、生き続けている。驚きと感動に満ちた写真集です。世界は広く大きく、深いです。星野さんは私たちの知らないなんと多くの世界を見てきた方なのだろうと、改めて思います。
 これは1993年12月号の「たくさんのふしぎ」のハード版です。43歳で星野さんが亡くなって、この夏で20年になります。

③『星野道夫 アラスカのいのちを撮りつづけて」 国松俊英 PHP研究所2016
 アラスカの自然と、そこに住む人々と生きものに心惹かれ、アラスカの写真を撮り続けた星野道夫さんの伝記です。星野さんがどんな子ども時代を送ったか、高校、大学時代の星野さんはどうだったのか、興味深いエピソードがたくさん紹介されています。
 未知の世界への大きな冒険心とあふれるほどの行動力は高校時代からすでに始まっていました。そして20歳の時に初めてアラスカに行き、アラスカの自然とそこに生きる人々に魅了された星野さんは生涯、カメラマンとしてアラスカを撮り続けます。
 星野さんの写真が人々の心を強く惹きつける、その魅力の源について、著者の国松さんは、「それは道夫が待つ人だったからではないか」と言っています。厳しい自然と孤独と闘いながら、待って待って、気の遠くなるほどの時間をかけて写真を撮る。星野さんのカメラマンとしての厳しい姿勢を見事にとらえた言葉です。
 本の初めに16ページにわたって紹介されるアラスカの写真は、どれも星野さんの生きた証と言えます。

④『禎子の千羽鶴』 佐々木雅弘 学研2013
 1945年8月6日、広島で、2歳だった禎子(さだこ)さんは被爆します。この本は禎子さんの兄、雅弘さんが原爆症で亡くなった妹について書いた本です。12年という短い生涯でしたが、禎子さんが原爆症とどうたたかって生きたか、家族とのかかわりを通して深く知ることができます。
 禎子さんは運動神経も抜群で、小学校6年生の秋まではとても元気に過ごしていました。6年生の1月、体調を崩し入院を余儀なくされますが、鶴を千羽折ると願いが叶うということを知ってからは亡くなるまで鶴を折り続けます。
 広島市の平和記念公園には「原爆の子の像」があります。空に向けて両手を広げ、大きな折り鶴を支えて立つ少女の像です。このモデルになったのが禎子さんです。「原爆の子の像」ができるまでのいきさつは、那須正幹さんの『折り鶴の子どもたち 原爆症とたたかった佐々木貞子と級友たち』(PHP 1984)に詳しく出ています。また禎子さんが折り続けた鶴は平和の使者として、雅弘さんの手でニューヨークのトリビュート・センターやオーストリアのヨーロッパ平和博物館、ハワイの真珠湾にある記念館にも届けられています。詳しくは『奇跡はつばさに乗って』(源和子 講談社)を読んでみてください。
 
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