国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

没必至

2017-09-22 | 番外

職場自室のドアに貼っているパラグアイの地図です。2年半ほど暮らしていた先住民の村の位置に蛍光緑色のピンを刺しています。

私が住んでいた家のあった場所はここですが、Googleマップ上にマチャレティ(Macharety)という村の名前はなし。上の紙の地図にも載っていません。50世帯程度の小さな集落ですから無理もありません。(ところで本ブログでは地図上の位置を示す際のリンクとして短縮URLを使っていますが、大丈夫なのでしょうか? 先日ニュースで知った短縮URLサービスの終了によるリンク切れはGoogleマップとは別件のようですが。)

実は海外に住む日本人を訪ねる例のテレビ番組を観ていた時、「もし当時この番組があったとして(あるいは今私があそこに住んでいるとして)日本から来たタレントは自分の家までちゃんと辿り着けるだろうか?」と想像してちょっと笑ってしまったのでした。

首都アスンシオンと村の位置関係を改めて示すとこんな感じ(北東に約500km)です。成田空港から2〜3箇所を乗り継ぎながら40時間前後かけてアスンシオンに降り立ったタレントさんは、まず人通りの多い場所(市場や中心街)で「マチャレティってどこにありますか?」と訪ねることになるでしょう。が、おそらくは誰も彼も「知らないね」で先に進めないはずです。

なぜなら面積的に60%を占めるパラグアイ西部(チャコ地方)は人口比率では2%にも満たない超過疎地域。その事情に詳しい(地図に載ってない村の存在まで知っている)人間に首都で出会える確率は極めて低いからです。(あっさり判ってしまうようなら躊躇なく「ヤラセ」と認定させてもらいます。)

もし「マチャレティなら知ってるよ」という人が現れても要注意。ボリビア東部にある同名の(ただし綴りは少し異なる)村を教えられる可能性が高いです。そちらの方がずっと大きな村で紙の地図の端っこにも載っています(下画像)。位置関係はこうですが、パラグアイの方と同じく首都から北西方向にあるのが厄介。間違ってそっちへ行ってしまったらえらいことです。ちなみに今はボリビアまで抜けられる長距離バスも走っているようなので(ガチンコ番組なら)絶対にそうならないとは断言できません。(なおパラグアイのマチャレティに住んでいた人もルーツはボリビアにあると聞きました。彼らがラグナ・ネグラ (黒い沼) という名前の土地に移り住んだ際、先祖代々の村名をそのままサブタイトルに採用したとのことですが、どういう訳か語尾が“i”から“y”に変わってしまったようです。)

ここでスタッフが助け船を出して近くのフィラデルフィア(ドイツ系居住地)までは来られたとしましょう。(首都のバスターミナルから夜行バスで6時間です。)が、そこから村まで(片道約50km)の足がありません。徒歩だと10時間ほどかかるため論外。

村とフィラデルフィアの間には週に一往復(金曜夜村を出て月曜朝にフィラデルフィアを出発)のトラクター便があり、私も買い出しのためそれを利用していました。が、運良く日が合ったとしても大きな荷台に山ほど積まれた日用品や村人達とともに埃まみれになりながら片道3時間強の旅を耐えられるようなタレントがいるとは思われません。(万一いたら頭を垂れて最敬礼します。)

ならば再び夜行バスに乗って次の大きな町(軍の基地の所在地)に向かう国道(Ruta Transchaco)の途中で降ろしてもらい、そこから約7kmを歩くというのはどうか?(Googleマップのデータには家の前の道は登録されていないらしく、途中までしか経路が表示できませんね。)ですが、毒蛇やジャガーと遭遇する恐れもある夜道を歩くのは到底お勧めできません。(満月の夜ならアリかも。私が一度だけ歩いた日がそうでしたが、その月の明るかったこと!)今は昼もバスが走っているかもしれませんが、乾期には軽く40℃を超える炎天下の徒歩も危険。

ということで車をチャーターして来る他ないでしょう(注)。1時間あれば余裕です。そして村に入ったら私を知らない人間はいないので1分足らずで家の前まで送り届けてもらって終わり。(敷地内まで車は入れます。)これでは映像になりませんね。ということで、せっかく撮影をしてもお蔵入りは必至。いや、それ以前にオファーすら来ることはないというのが今回の結論でした。(注:ここで思い出しましたが、フィラデルフィアでは1台もタクシーは走っていませんでしたし、レンタカー会社も見ませんでした。観光地ではありませんからね。となるとヒッチハイクで国道との分岐点まで連れて来てもらい、あとは先述のバスと同じく歩きというのがまだしも現実的ではないかという気がしてきました。ただし、あの町のドイツ系住民は宗教上の理由で迫害されて南米の僻地に流れ着いた連中ゆえ性格は超閉鎖的。頼んでも同乗させてくれる可能性は低かったはずです。そして先住民はバイク所有がやっとで車はほとんど誰も持っていませんでした。それから上の画像はJICA専門家御一行が物見遊山で来た時のものですが、彼らはアスンシオンで車を手配していました。バックパッカーでない限りは当然そうしますわな。ますますダメだこりゃ。)

もしLindaと私が海外のどこかに居を構えたとしたら番組として十分成立するであろうことは請け負いますが・・・・その日まであの番組はきっと持たないでしょうね。ネタが尽きるか、それともヤラセがバレて突如打ち切りになるかして(おいおい)。

おまけ
 私と同じく元JICAボランティアで現在ボリビア在住の方が先日ご自身のフェイスブックに「『こんな所に』は協力隊は外したほうがいいね。ただの2年の短期駐在だし…。」と書かれていたので、「まさに我が意を得たり」と思った私はコメントを書き込みました。(今回も使い回しさせてもらいますが、ボリビアでその方と面会した時の日記でも件の番組にイチャモンを付けていました。ついこの前もそうでしたが、空路で楽に行ける場所なのにわざわざ陸路を使わせる(注)という「水増し商法」など過剰演出の数々には感心できませんねぇ。(注:自腹で旅しているのでなければ真っ先に空路移動を考えます。私に限らずそれが分別のある人間のすることでしょう。)「タレントの珍道中を見て笑うための番組なんだから」と言われてしまえばそれまでですけど。)今週放送分でも現役隊員さん(ソロモン諸島派遣の女性)が紹介されていましたが、タレントが出会ったばかりの若者(私はだいたい途中で協力隊員と判ってしまいます)に「どうしてこんな所に来たの?」と訊いているのを見たら興醒めせずにはいられません。彼/彼女らは決して自分達が望んだからではなく「あなたはここへ行きなさい」と命令されて来たに過ぎないのですから。青年海外協力隊を志望する者は基本的に(ごく少数の例外を除いて)任地はおろか派遣国も選べません。願書に希望だけは書けますけど。ちなみに私は同じ職種(食用作物)の中で最も興味があったネパールを記入しましたが、見事無視されました。そして南米希望者がネパールへ行くことになったと後で知りました。何ともイケズな真似を!(真偽不明ですが、希望国をわざと外すことで候補者の「本気度」を見ようとしている、という話を聞いたことがあります。)まあ、そのお陰で今こうしてLindaと暮らすことになっている訳ですが。

おまけ2(しつこい)
 アスンシオンからサンタクルスまで直通バスが走っていますから、途中下車してボリビアの元祖マチャレティを訪れることは可能でしょう。ただしGoogleマップの推定所要時間18 時間 34 分(マチャレティまでなら12 時間 49分)は絶対に信じてはなりません。この逆ルートについて過去の日記に書いたことがありますが、大遅延の憂き目にあった旅行者が複数いるようですから。また昨年乗車された方のブログには「南米一の悪路」とまで書かれていました。(ついでながら「南米一(世界一?)危険な道」についてはこちらで触れています。アフリカでは文句ばっかり垂れているあの男も以前そこを通るバスに乗ったと先日知り、少し見直しました。さすがにこの前のボリビア編に登場した女優さんは回避して空路移動でしたが賢明です。)もっともテレビ的にはその方が盛り上がるんでしょうけどね。行き先間違えるは酷い目に遭うはとなったら。
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