国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

今回はパス

2015-12-21 | 結婚@Bolivia〜来日





2000年3月にパラグアイへ出張した時の写真です。(日付を見て思いましたが、我ながらすごい時に渡航していますね。)この時には1989年9月から92年1月まで住んだ同国西部(チャコ地方)の先住民定住部落を再訪することができました。一番下の写真手前は、かつて私が住んでいた家です。(たぶんこれですね。)その後学校の近くに移され、物置として使われていました。(むしろ本来の用途で使われるようになったというべきか。)

上から2番目は村に入って2軒目の家で撮影しました(ちなみに一番上は1軒目で3枚目は元お隣さん)。その向かって左端にいるおばちゃんは村でリーダー格だった人ですが、容貌がほとんど変わっていなかったためすぐわかりました。彼女も私を見るなり "Reju jevyma"(グアラニ語で「戻って来たんだね」ぐらいの意味)と言いました。8年ぶりの再会にもかかわらずサラッとした口調で。それがいかにも彼女らしくて却って嬉しかったのを憶えています。ちなみに私が滞在していた頃、彼女は十人以上の子持ちでしたが、一番上の娘さんには既に男の子供がおり、40代半ばにして「おばあちゃん」でした。そして、そのお孫さんは彼女自身の下の方の子供たちよりも先に生まれていました。つまり叔父/叔母さんよりも甥っ子の方が年長という驚くべき(サザエさん一家を凌ぐ)逆転現象まで発生していたのです。(今年10月に書かれた記事にも登場していました。健在のようです。当然曾孫もいるでしょうね。)それはさておき、彼女の息子さんに村を案内してもらうことになったのですが、一回りして家に戻り、さよならを言う段になって彼女はこう訊きました。

 Araka'epa reju jevyta?(今度はいつ来るの?)

それに対してとっさにこう答えた私。

 Amenda ramo, aju jevyta.(結婚したらまた来るよ。)

その時にはもちろん何か目算があった訳ではなく、むしろ「たぶんもう来ないだろうなあ」と考えていたのですが・・・・・・このたび久々に南米大陸を踏む機会が訪れ(それも条件をクリアしてのことなので)「ついにあの約束を果たす時が訪れたのか」と思ったのでした。

件の村はパラグアイ西部にあり、直線距離で約500kmの首都アスンシオンよりもボリビアとの国境の方が近いくらいです。今回ボリビアへは東部のサンタクルスから入国するので、寄り道も決して不可能ではなさそう。しかーし・・・・・・

こことかこことかここを見ると、Googleマップの11時間7分は絶対ウソだと言いたくなります。運が良くて20時間、雨に降られたりバスが故障したりしたら30時間、あるいはそれ以上かかるかもしれません。そもそも両国のイミグレーション(入国管理局)が数百キロ(バスで6時間)も離れてるなんてありえないし。

ということで今回は時間不足のため残念ながら見送ります。次回まで待って下さい。

追記
 25年前にはアスンシオンからブエノスアイレスまで、およびチリ国内で長距離バスによる移動を経験しましたが、リンク先に書かれているような壮絶な話は一切なく、快適そのものといえる旅でした。
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