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新恭氏の「永田町異聞」に『浜岡原発停止をめぐる櫻井よしこ氏の詭弁(http://news.livedoor.com/article/detail/5552167/)』と気になるタイトルが・・。
どうやら、12日、「産経」に掲載された櫻井女史の「管首相に申す」の記事に問題があるといいたいらしい。
でも、櫻井女史といえば、少なくとも新恭氏より論理的な方と存じている。そこで、論より証拠、彼が詭弁と称したくだりを念のため検証してみたい。
まず、新氏の文章で気づくのは冒頭から、「(櫻井氏の記事は)執筆者の櫻井よしこという人が、どういう思考方法の持ち主かを分析するのにうってつけである」と書き始めていること。
まさに、含むところがある言い回し。確かに、櫻井女史が万人の知る「小沢嫌い」で、小沢シンパの新氏には目の上のたんこぶに違いないだろうが、これでは初めから偏見で分析しますよといっているようなもの。
だからか、女史が首相のことを「市民運動家出身である菅首相の政治的パフォーマンスに過ぎない」と批判した点は、「小沢一郎氏を排除することで政権浮揚をはかろうとした浅薄さからもうかがえる」と我田引水しながら、
「しかし、浜岡原発を今ただちに停めることの意味を過小評価し、矮小化してはならない」と論点を飛躍させている。
しかも、その後に、延々と福島原発汚染の恐ろしさを並べ立て、
「前途ある子供たちや若者の生命を脅かしているかについて、櫻井氏は熟慮したことがあるのだろうか」と突然、問題を摩り替える。
いや、問題のすり替えはこれだけにとどまらず、
女史が「首相は根拠に乏しいデーターでもって浜岡だけ恣意的に止めるのはおかしい」と指摘したことまで、
新氏は、「原発全部を止めるの望ましいがそれができないのなら、歴史上何度も大地震を繰り返している場所を最重視し、首都圏至近の原発に潜在する国家的リスクをひとまず取り除くのが自然の防御反応である」とはぐらかし、
「著名ジャーナリストや知識人の詭弁ほど、国家にとって危険なものはない」と一方的に結ぶ。
まさに、どちらが詭弁なのか、マッシーパパには支離滅裂な論法としか思えないのである。
ま~、色眼鏡でものを見た典型的な失敗だろうが、念のため、「産経」原文の「櫻井よしこ 管首相に申す 浜岡停止要請の根拠(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110512/plc11051203340002-n1.htm)」を掲載しますね・・。
処で、話は変わるが、どうして、菅さんはTTPにしろ消費税にしろ、なんでも唐突に言い出すのでしょうか?
前述の櫻井氏は「それこそが管政権の手法。決定には国益を踏まえた十分な党内議論もなく、閣議決定もない。あるのは、「世論に巧みに訴えかける運動家としての面目躍如の決断だった」という。
なるほど、そう言えば、市民運動家は国家戦略など持ち合わせていないし、もとより国益よりも「私益」を優先する。
たとえて言うならば、正当な権利を持つものまで悪者にして自説のエゴを世論に煽っている捕鯨反対団体・シー・シェパードの類(?)。要するに、プロセスより強引な決断と行動?
即ち、市民運動家・菅さんにとって、どうせ、何を決めても誰かが反対するに違いない。だったら七面倒なコンセンサスを得るという手続きは省略して、直接、正義(?)をかざして世論に訴えたたほうが得とでも言いたいのだろう。
だからこそ、浜岡の停止も、「数ある原発の中からスケ-プゴートを選んだに過ぎず、誰かを悪者にして危機を煽ればいい」というセコイ手を取ったのである。
換言すれば、突然に言い出した年金・福祉の破綻を救うという消費税や国際競争に不可欠だというTPPと同列のものである。
いやはや、いくらなんでも法的根拠のないものを市民運動の手法で進めるというのは暴挙もはなはだしく、国会軽視ではないだろうか・・。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご批判ご賛同、なんでもいいですからコメントもいただければ幸いです。♪
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