MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

劇場と激情の間

2010-07-27 01:02:08 | 私の室内楽仲間たち

07/27 私の音楽仲間 (192) ~ 私の室内楽仲間たち (172)




            (ャ)ィコーフスキィ

      弦楽六重奏曲 "Souvenir de Florence"




   この集いは、すでに何度かお読みいただいているグループです。

         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




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               ① 見えない六重奏
               ② 交響的な六重奏曲
               ③ ダイヤの女王も黒?
               ④ "6" の魔力
               ⑤ 血を吐く苦しみ
               ⑥ 作曲者にも慰めを…
               ⑦ 劇場と激情の間
               ⑧ 信頼の結実
               ⑨ 理性と魂
               ⑩ フィレンツェの密会?
               ⑪ ウクライナの邂逅
               ⑫ 鋭敏な魂
               ⑬ 躍動と沈潜
               ⑭ 大船に乗った気分で




 私は今、慣れないロシア語の辞書を引いている最中です。



 ある単語を引いたら、次のような訳が載っていました。

 「悲劇の、悲劇的な、悲惨な。」




 そこでクイズです。 その単語は、以下の二つのうち、
どちらだったでしょうか?

  トラギ―チェスカヤ   パチェチーチェスカヤ

 解答は、この先に書いてあります。

 ちなみに、①は英語の "Tragic"、②はフランス語の
"Pathétique" に当るとお考えください。




 実は、私にはとても難しい問題でした。 だから辞書を
引かざるを得なかったのです。 それも、ロシア語辞書
だけではありません。

 貴方には簡単でしたか? それは本当に凄いです!




 のっけからクイズになってしまいました。 チ(ャ)ィコーフ
スキィさんも、さぞ苦笑いでしょう。

 私の方は大真面目なのですが…。




 ところで Beethoven のピアノ ソナタに、"Appassionata" の名
で親しまれている曲があります (第23番ヘ短調作品57)。

 これは普通『熱情』と訳されています。 直訳は "情熱的"、
"激情的" ですから、邦訳はぴったりです。 (作曲者がこう呼んだ
わけではないのですが。
)



 …と来れば、『悲愴』ソナタに触れないわけには行かない
でしょう。

 こちらは、ピアノ ソナタ第8番ハ短調作品13。 "Grande
Sonate pathétique" が、『大ソナタ "悲愴"』と呼ばれている
わけです。 名付けたのは作曲者自身です。




 もうお気付きですね。 ロシアの大作曲家の交響曲第6番
も、やはり『悲愴』の名で親しまれています。



 ところが、前回の冒頭でもお名前に触れた森田稔氏は、
次のように述べておられます。

  《日本語で「悲愴」と訳されているパテティーチェスカヤ
 という単語には、ロシア語の辞書を引いても「悲愴」という
 意味は出てこない。 これはロシア語では「熱情」とか、
 「強い感情」といった意味の言葉なのである (このこと
 については、…中略一柳 (ひとつやなぎ) 富美子さんも
 触れておられた)。》

     新チャイコフスキー考 ~ 没後100年によせて』
           日本放送出版協会発行




 さて、この交響曲の副題は、作曲者の弟モヂェーストが
提案したものです。

 最初は "トラギ―チェスカヤ" と口にしたのですが、兄
のピョートル・イリイ―チは納得しませんでした。 しかし、
しばらく経ってから「"パチェチーチェスカヤ" では?」と
尋ねたところ、作曲家は即座に同意し、自分で楽譜に
書きこんだのだそうです。



 これを直訳すると、以下のようになります。



 「兄さん。 『悲劇的交響曲』では?」

 「…、…。」

 「駄目か…。 じゃあ、『交響曲 "情熱" 』では?」

 「素晴らしい、ブラ―ヴォ!」




 でもこれでは、何か気恥ずかしいですね…。

 仕方無しに色々考えてみましたが、どれも月並みでうまく
行きません。

 交響曲『感動』。 感動的交響曲。 交響曲『強き思い』…。



 それに、オモい事実が! 長年親しまれた副題の変更は、
今さら不可能でしょう。



 なんだか、別の国を訪問したときみたいですし…。

 "熱烈歓迎!"




 そう言えば、『交響詩 "前座"』なんてのも、どこかに
ありました。




 誰が聴いても最後が "悲劇的" な交響曲なのに、作曲者は
そうは命名しませんでした。 一体なぜなのでしょう?



 "Pathétique" の "-path" は、"感情"、"精神" を表わして
います。

 "Telepathy" という語にも使われていますね。 これは
元々は "遠隔"+"感じる"。 他には "Sympathy" (共感)
"Empathy" (感情移入) などがあります。



 もし副題が "悲劇的" だったら、「演劇的な枠組み」を感じ
ます。 といって邦訳語が "感動" では、「演出的な企み」を
連想してしまいます。



 これらはいずれも適当ではないでしょう。 でも率直な表現
を好む、このナイ―ヴな大作曲家なら、"" の字を用いるの
を許してくれるかもしれません。

 また "悲愴" では "悲" の字がどうしても目立ち過ぎ、他の
様々な情感は、影が薄くなってしまうようです。




 では、森田氏が挙げた訳語をそのまま使ってみましょう。
『"熱情" 交響曲』! これが最高かもしれません。




 でも、そうなるとさらに大問題が…。 『ピアノ ソナタ
"熱情"』が、2曲になってしまうかも…!

 なぜなら Beethoven の使ったフランス語 "Pathétique"
には「哀れさを誘う」のほかに、やはり「感動的」の意味
もあり、どちらが適当なのか、即断は難しいからです。



 仕方ないから、"Appassionata" は "情" と改名して
もらいましょうか?



 でも同意の必要な作曲家は、さらに増えそうですね…。
とりあえずは大先輩グリーンカに、お伺いを立てなければ
なりません。

 「あなたの『"悲愴" 三重奏曲ニ短調』ですけど、
どうしましょうか…?」




  (続く)



      関連記事 これまでの主な『音楽関係の記事』

        (ャ)ィコーフスキィ と 『カマーリンスカヤ』
       (1) 地下の白樺 ~ 第4交響曲
       (2) ピョートル君の青りんご ~ 弦楽セレナーデ
       (3) 青りんごのタネ ~ 交響曲第1番、第2番





 クイズの解答   正解はです。



               


            正解の方


 


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