07/23 私の音楽仲間 (291) ~ 私の室内楽仲間たち (265)
昇華する♭
これまでの 『私の室内楽仲間たち』
ブルックナー の 弦楽五重奏曲 ヘ長調
オーストリアに生まれ、また没したブルックナーは、後半生
を交響曲の作曲に捧げました。
未完に終わった第9番を含む9曲のほかに、自身が "0番"
と名付けた、"交響曲ニ短調" があります。 また "00番" と
呼ばれることもある、"ヘ短調" まで!
なんだか野球選手の背番号みたいですね。
この2曲は 1863~64年頃の作品と考えられるので、本人
にとっては習作だったのでしょう。 なお "ニ短調" の方は、
1869年になって大幅に改定されています。
これらが完成する前の 1862年に、弦楽四重奏曲が1つ
作られています。 作曲家は1824年生まれですから、38歳
の年に当たります。 (ただし、このハ短調の四重奏曲が発見された
のは、死後の 1906年になってからのことです。)
以後、1876年までに第5交響曲までが生まれます。 この
間にオルガン奏者としての名声は高まっていきましたが、
交響曲作家として広く認められるには至りませんでした。
これらの後に完成されたのが "弦楽五重奏曲 ヘ長調"
で、本格的な室内楽作品としては "唯一の物" でしょう。
手がけ始めたのは 1878年のことで、すでに彼は54歳を
迎えていました。 完成した 1879年には、第6交響曲の
作曲が開始されています。
その後も、「彼の交響曲が生前、広く人気を勝ち得た」とは
言えません。 唯一の成功を収めたのは、1884年に初演され
た "交響曲第7番 ホ長調" だけです。
第8番は、初演を依頼していた指揮者ヘルマン・レーヴィ
から、"演奏不能" として拒否されてしまいます。 この事件
は、彼の "改定癖" をまたもや刺激し、その影響は他の作品
にまで及びました。
1891年に着手された第9番は、結局完成されることなく、
ブルックナーは1896年に、72年の生涯を閉じました。
さて、この弦楽五重奏曲。 その存在は私も知っていました
が、それだけ。
譜面を用意したのは、またしても K.君。 でも音を出すのは
彼も初めてで、全員初見です。
今回演奏するのは "Adagio" だけ。 後からスコアを見て
みると、他の楽章は、とても初見では無理です。
最大の難敵は、その臨時記号の多さです。 ヴァーグナ風
の転調の行方は、パート譜を追うだけでは、まったく見当が
付きません。
この "Adagio"、当初は第Ⅱ楽章として計画されましたが、
今日では第Ⅲ楽章として演奏されるのが一般的です。
「臨時記号が多いから、注意してね?」
なるほど、調号からして、♭が6つ。 変ト長調です。
「"B" から、Viola の独り舞台のソロがありますよ。」
えっ、本当? 見ると、それらしい動きが! でも、
細かく下調べをしている余裕はありません。
そして、K.君の忠告は現実のものとなりました。 このソロ
の部分で、私は大事な♭を一つ落としてしまったのです。
それも、"イの一番" に♭が付くはずの Si♭音を、Si?にして
しまった…。 これ、言い逃れが利きません。 いくら初見と
言えども。
でも、バックで最初に鳴っているのが変ロ長調のハーモニー。
それが、すぐ変ロ短調に変わり、属和音のヘ長調の響きへ。
3小節目の動きは、昇って行く音階。 しかしそれも "ヘ長調
の音階" なのかどうか、初見では推測できません。
私が音を外したのは、その3小節目です。 音符が7つあり、
そのうちの6個に?が付いている。 パッと見ると "全部?" の
ようですが、実はただ一つだけ?の無いのが、"Si♭" だった
…というわけです。
譜面はよく見なければ…。 録音をお聴きになると、私が慌て
ふためいている様子が、よくお解りでしょう。
ところが、この部分をよく聴いてみると、「機器の不良で、音程
がズレて記録されてしまった」…ようにも聞こえます。
私だけでなく、全体の音が一瞬ぶれているのでは? 録音時
に、ひょっとして電圧でも低下したのかしら? そう言えば、この
ときは ICレコーダーが充電不足気味でした。
…と、自己弁護に懸命な私…。 どちらなのかは解りません。
何度も聴き直してみたのですが、テンポまで落として…。
「何の音を演奏したのか、覚えてないのか…?」なんて、追求
しないでくださいね。 弾いた音符は、すぐ忘れることにしている
ものですから…。
しかし、それ以上に驚いたのは、「?が♯に化けてしまった」
ことです。
この後、すぐ…。
(続く)
[音源ページ]
[Adagio の 第二主題部分 (Viola で開始) の演奏例]
(談笑の声が入っています)
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