MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

2月の記事の一覧

2013-02-28 00:00:00 | インポート

02/28



       今月の記事の一覧です。




02/02   頭の体操 (128) 漢字クイズ 問題/解答




     私の室内楽仲間たち

02/05   渋滞で深呼吸

02/07   そっぽを向く Brahms

02/08   自己表現に徹した Brahms




02/10   頭の体操 (129) 漢字クイズ 問題/解答




     生活・法律

02/22   ヴァレンタインの贈り物

02/23   半世紀後の実体験

02/24   半世紀後の時限爆弾

02/26   本当に退院?




02/28   今月の記事 ~ 一覧





本当に退院?

2013-02-26 00:00:00 | 生活・法律

02/26          本当に退院?




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                  甘えるのは下手
                   甘かった私




 入院後、回復は順調に進みました。



 出血が止まったのが確認でき、栄養点滴は終りました。
翌三日目から、“食事解禁” です。

 最初は重湯など、ほとんど水分だけでしたが、三分粥、
五分粥と、徐々に固形物が多くなりました。 おすましの
具、野菜の煮物に、魚のすり身…。




 そして輸血は三日間で終了し、止血剤の点滴も
飲み薬に変わりました。



 と言っても、完全に “気分爽快” というわけではありません。
直後の二日間は、軽い頭痛と微熱に悩まされました。

 看護師さんによると、原因は「急に血が増え、体内を循環し
始めたので、全身がビックリしているんですよ。」

 なるほど。




 まだ歩行禁止なので、大半は “寝て過ごす” 状態
です。 そんな生活に、家族が持ってきてくれたラジオ
が潤いを与えてくれました。

 音楽や語学講座。 しばらくご無沙汰していた放送
番組を、ゆっくり聴くことが出来たのです。 もちろん
イヤフォンで。



 分厚い、重いスコアも、家族に運んでもらいました。
こういう機会でないと、なかなか集中できない作業
なので、無理を承知で頼んだのです。




 六日目の朝、歩行が解禁になりました。 家族には、
さっそく喜びの報告メールを送ります。

 しかし朝食前には、嫌な採血が! それも二本分です。

 (痛いなー。 まあいいか…。 これで、トイレまで行ける
んだし。)



 そして洗髪コーナーがあったので、すっきり!
一週間以上、気になっていましたから。



 (でも、あと何日続くんだろう? この入院生活…。)

 私は髪を洗いながら考えました。

 長引くなら、先の予定を早めにキャンセルし、周囲にかける
迷惑を、最小限に抑えなければなりません。



 それにもう一つ、気がかりな事があるのです。




 病室に戻ると、すぐ、主治医の Y先生が来られました。

 「よろしければ、明日、退院されてもいいんですが。」



 (何だって!? 歩行解禁になったばかりなのに?)

 「その代わり、通院していただくことになりますが。」



 私は、喜んでそれに従うことを約束し、身辺の事情
などを話し、退院をお願いしました。

 「解りました。 では明日退院です。」




 私は、またも家族へ報告メールを送りました。 きっと、事態
の急展開に面食らうことでしょう。

 (先ほどの採血の結果が、おそらく良かったからだろうな。)




 さっそく夕食時に登場したのが、新顔の薬です。 ピロリ菌
退治の錠剤で、帰宅後も、これを服用し続けることになります。



 しかし注意する点が一つ。 朝夕の食後、忘れずに服むこと
です。 一週間続けて。 3種類5錠を、取り違えずに。

 そうしないと退治できないばかりか、耐性菌を作ってしまい、
また別の薬を試さなければならないのです。



 退院から一週間経った現在、これは間違い無く
実行することが出来ました。




 さて、明日は退院。 慌ててもしょうがないので、昼食
を摂ってから帰宅することにしました。

 しかし事態は、あまりに嬉しい急展開! 家族の都合
がつかず、一人で帰らねばならないのです。

 心配なのは、荷物が多いこと。 ラジオ、重いスコアも
あります。 短期間とはいえ、家族に運ばせた品物は、
かなりの量になっていました。



 (まあいいや、タクシーで帰れば。)



 しかし幸いなことに、弟に報告すると、「車で送ってあげるよ」
…と言うのです。 平日なのに、仕事を休み、おまけに、朝から
遠くまで運転して来て。

 彼は二度も見舞いに来てくれていました。 綺麗なお花まで
持参し、飾ってくれて。



  SN3R0395



 そのお花、一週間以上経っても健在です。 まるで
私の退院を、一緒に喜んでいるようです。




 七日目、退院の日の朝になりました。

 朝食を摂り終わると、「はい、点滴の続きです。」



 (何だって! これから退院するんだよ? ボク。)



 「退院の日に点滴するかたは、珍しいんですけどね。」

 看護師さんはニコニコしながら、まだ腕に刺さっていた
針にチューブを繋ぎ、点滴を始めました。



      SN3R0387



 見ると、“ブドウ糖…” と書いてあります。 私は素人なので
解りませんが、色からして、おそらく造血剤でしょう。

 (そうか、採血の結果が良好とはいえ、貧血を最後まで心配
してくれてるんだな。)



 事実、日を追うごとに、私の “立ちくらみ症状” は改善して
いました。 以前なら、起き上がったり、首を上へ向けるだけ
でクラクラしたものです。

 しかし今は、恐る恐る上を向いても大丈夫です。

 (だから、歩行許可が出たんだな。)




 さて、昼食が最後の食事になりました。 ご覧のとおり、
三日目の “解禁食” に比べたら雲泥の差です。 何しろ
重湯など、水分だけでしたから。

 日頃、「食べるのが楽しみだ」…とは決していえない私。
でも、このときばかりは嬉しかった。



  SN3R0379




 思えば、入院二日目は、ヴァレンタイン デ―。 “両腕に
点滴” の一日でした。

 でもそのお蔭で、奇跡的に一命を取りとめ、回復できた。
“1~2週間” という当初の見込みどおり、7日間という入院
期間で済んだのです。



 退院から一週間後の今、体調は良好です。 以前よりも
いいぐらいです。 これが、自分に与えられた “プレゼント”
なのでしょうか。

 救命士、救急隊員、医師、看護師の皆さんからの。

 そして、家族や弟たちからの。



 (それにしても、こんなに体調がいいのは、なぜだろう?)

 単に、貧血が改善されただけではないような気がするのです。



 (ひょっとすると出血は、だいぶ前から続いていたのではない
だろうか?)

 少なくとも、この二、三ヶ月間。 あるいは、前回の定期検査
以後、半年間以上も。

 いや、それと気付かないほど、微量の出血が、もっと前から。




 私は、ここ数年の体調の変化を思い起こしてみました。

 四、五年前から高血圧になった。 それまでは低血圧
だったのに。 素人としては、まことに不思議なのです。



 疑われる原因は貧血ですが、さらに、その根本原因は?

 もしかすると、私の胃に長年住み着いた、ピロリ菌のせい?




 憶測の域を出ない、私の素人考え…。 何はともあれ、
健康に気を付けねば。



 5年以上に亘って、毎朝毎晩測ってきた血圧。 高ければ
がっかり。 数値が下がればワクワク。

 しかし、入院当日の朝には[87/52]と、異常な下がり方を
していた。 貧血症状も、急激にひどくなっていました。



 今思えば、これは危険信号だったのに。 少しずつ
出血を重ね、やがて吐血に至ったのです。




 あれだけ几帳面に血圧を測り続けたのに、
今回の深刻な事態を迎えてしまった私…。



 「木を見て森を見ず。」

 (自分の健康状態は、多面的な材料から
判断しなけりゃ駄目だ。)



 救急搬送、胃カメラ、入院、点滴、輸血。

 それまでしたことのない経験を、一瞬に
して味わった私の、愚かな体験談でした。



半世紀後の時限爆弾

2013-02-24 00:00:00 | 生活・法律

02/24       半世紀後の時限爆弾




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                  甘えるのは下手
                   甘かった私




 (しかし、出血の原因は何だろう?)

 私はベッドの上で天井を見つめながら、考えました。



 救急車で運ばれ、緊急処置。 そして、そのまま
入院。 両腕は点滴中です。

 吐血…ということは、胃、もしくは十二指腸の潰瘍
でしょう。 病名は、まだ聞かされてないけど。



 潰瘍と言えば、かつて胃を検診した際、こんなふう
に言われたことがあります。

 「胃潰瘍の痕跡がありますが、もう治癒しています。
心配ありません。」



 このときはバリウム検査で、自覚症状は皆無でした。
そんなこともあったな…。 30年近く昔のことですが。

 以後、胃の検査などは定期的に受診していますが、
後にも先にも “異常” は、この一回だけです。



 (刺激物を、特に好んで食べるわけでもないしな…。
「お酒のせいですよ。 今後は駄目です!」 …なんて
言われるのかな?)

 私の “お酒” なんて、可愛いもんですけど。



 そんな呑気なことを考えながら、一日目の眠りに就きました。




 「もう一度、胃カメラがあります。」

 二日目の朝、看護師さんに言われました。

 (あれー。 またか…。)



 これは、血が完全に止まっているかどうか、他に異常な
部分が無いかどうか、それらを診るためでした。

 昨夕は、胃にまだ血が残っていたので、全体を完全に
は確認できなかったそうです。 午後に食べた “焼そば”
も、かなり邪魔だったとか。




 また、昨日の胃カメラは、「単なる検査のためでは
なかった」ことも解りました。

 それはそうですね。 あれだけの出血が、自然に
止まるわけはありませんから。



 後で目にした入院治療計画書には、“緊急 内視鏡的
止血術” とあります。

 また、“内視鏡的 焼灼止血” ともあります。 おそらく
電気ゴテで患部を焼き、出血部を塞いだのでしょう。



 そう言えば、同時に輸血をしながらでした。

 緊急輸血…?

 外で待っていた家族は、「集中治療室へ移される
可能性もある」…と予め聞かされ、涙ぐんでしまった
そうです。



 麻酔のお蔭で、何も感じなかった私。 それを、単なる
“検査” のための胃カメラだ…と思っていた、愚かな私。

 これは手術にも相当する作業ですね。 でも専門的に
は、“処置” の部類に入るのだそうです。




 主治医の Y先生は、写真をたくさん見せてくれました。
今日の検査の後の写真。 昨日の処置の際の写真。

 見比べると、今日の写真はどれも “綺麗”。 昨日のは、
胃の下部がよく見えません。 出血の直後なので、当然
でしょう。

 (…ということは、胃潰瘍だな。 十二指腸じゃなくて。)



 私の目を捉えたのは、そのうちの一枚。

 昨日の写真で、血が噴出している様子が鮮明に写って
いるのです。 左下から右上へ向かって。 まるで、太陽
表面のプロミネンスのように!

 (これじゃ、ひとたまりも無いな…。)



  

       wikipedia、プロミネンス より




 先生は私に尋ねました。

 「ストレスは多い生活ですか?」

 胃潰瘍の原因として、よく話題になる
のが、精神面からの影響ですね。



 いいえ、特に多いとは思えません。

 (楽器は楽しく弾いているし、性格的にも、胃をチクチク
虐めるような習慣はない。 色々問題を抱えていることは
事実ですが。)



 「だとすると、考えられるのはピロリ菌です。」

 (これは聞いたことがある。 むしろ、胃がんの原因として
だけど、ボクの場合は潰瘍を引き起こしたのかな…?)




 私は車椅子に乗せられたまま、命を救ってくれたことに感謝し、
Y先生や周囲の医師たちに礼を言いました。

 照れる若い先生たち。 わざと無表情を装うかのような Y先生。




 昼過ぎに、家族が面会に来ました。 仕事を早退して。
勤務先の上司が、心配してくれての取り計らいです。



 そこで初めて聞かされたのが、“出血性胃潰瘍” という
病名です。

 私は、「医者なら病名を直接告げるのが普通だろう」…と、
それまでは考えていました。 でも Y先生は違う。 ただ
昨日の処置について語り、状況を私に説明するだけです。



 確かに患者としては、硬い専門語で病名を聞かされても、
ちっとも嬉しくない。 そこに思い遣りを感じ、また、この先生
の指示どおりに従えば間違いないな…と確信しました。




 ピロリ菌。 検査の結果、やはり私の胃にも住み着いているのが
判りました。

 後から検索してみると、「50歳以上の約80%が保菌している」…
などと書かれています。

 また私が生まれたのは、戦後の混乱期です。 衛生思想は未熟、
法的規制も不足しており、何が口から入っていたか、解りません。



 でも、この二日目は、まだベッドの上。 ピロリ菌の知識も無く、
ただ一生懸命に考えるだけです。

 (そんなもの、いつ、口に入ったんだろう? 半年前かな?)



 (…ということは、今回の潰瘍が治っても、また出血を起こす
かもしれないな。 …どうやって根治するんだろう? ピロリ菌
が居なくなるまで、退院できないのかな…?)




 幸いにも、今はこうして退院しているわけです。 でも
このときは、真剣に悩みました。

 (まあ、考えすぎるとストレスが溜まるから、止めよう。)




 この日はヴァレンタイン デ―。 愛を注いでくれた
人たちに感謝しなければ。

 救命士、救急隊員、主治医を始めとする先生方、
看護師さんたち。



 そして、救急車を呼んでくれた家族。 私が倒れたのは
水曜日で、ちょうど出勤しなくていい日だったのです。

 もし私が一人だったら…。 床に寝ころんで回復を待つ
うちに、吐血を繰り返し、助からなかったかもしれません。




 それにしても、このピロリ菌。

 一体ボクの胃に、何年間 “いそうろう” していたの?



半世紀後の実体験

2013-02-23 00:00:00 | 生活・法律

02/23        半世紀後の実体験




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                    母を送る
                   第三の家庭
                   相思相愛の友
                  甘えるのは下手
                   甘かった私




    「人間の体重の 1/13 は、血液の重さです。
   また、血液の 1/3 を失うと、命が危ないと
   言われています。

     A君の体重は 39㎏ ですが、何㎏ 以上の
   血を失うと、命が危ないでしょうか?」




 これは算数の問題で、私が小学校5、6年生の頃、
実際に教科書にあったもの。 印象が深かったので、
今でもよく覚えています。

 1/13 × 1/3 = 1/39 ですから、答は簡単ですね?
ちょうど “1㎏” 以上になります。



 でもまさか、これが自分の身に起ころうとは、
想像したこともありませんでした。




 (久しぶりに作った焼ソバ。 ああ、おいしい!)



 ある日の午後。 元気に調理を済ませて、遅い昼食
を摂った後のことです。

 立ち上がろうとすると、突然、眩暈に襲われました。



 フラフラして、椅子に座っているのもしんどい状態です。
私は廊下の床にそのまま横たわり、回復を待ちました。

 ゴトン。 右肘と右膝を突いたときに、少し音を立てた
かもしれません。



 そのとき、吐き気がしました。 血が混じっています。




 しかし、そのまま姿勢を楽にしていても回復しません。
いつもの立ちくらみなら、これほど長引かないのですが。

 ゴトン。 姿勢を変えたときに、また音を立てたようです。
二度目の物音を聞き付けて、二階から家族が降りて来る。



 「お父さん、大変! 救急車呼ぶけど、いいでしょ?」

 衣服に付着した血を見て、家族は即、決断、実行。



 (本当だ。 セーターにも、ズボンにも付いてる。)

 玄関まで這って行き、横たわったまま、救急車を
待つ私。 痛くも苦しくもないので、まだ幸いです。




 5分ほどして、救命士さんのチームが来てくれました。
倒れた際の状況を尋ねられます。

 (何でもいいから、早く救急車、来てくれないかな。)



 連絡から10分後、救急車が到着。 ストレッチャーに
乗せられ、車内に運び込まれると、同じ質問をされます。

 救急車は、まだ停まったまま。

 (受け入れ先の病院が決まるまで、しょうがないか…。)



 動き出した救急車。 相変わらず、痛くも苦しくも
ないのですが、揺れたり、曲がったりするのが、頭
に響く。 これが一番辛かった。

 途中、もう一度吐き気を催したので、起き上がり、
隊員さんの差し出す袋を使います。




 病院に到着すると、すぐ処置室へ。 消化器科です。

 ストレッチャーからベッドに移されると、また同じ質問。
喋るという単純な動作でも、本当に疲れる。

 でも自分のためです。 仕方ありません。



 そして胃カメラを飲むことに。

 (ははぁ、検査か。) 初めての経験です。



 起き上がると、まず麻酔薬などを服まされる。 それから
胃カメラが入ってきます。 口の中、喉…。

 「はい、一番嫌な所は通りましたからね。 もう少しですよ。」

 先生が手慣れた様子で操作すると、カメラはどんどん奥へ。




 やがて先生は、周囲の医師たちと、画像
を見ながらやり取りを始めます。

 「これだな。 こっちのは何だろうね?」



 (…何でもいいから、早く終わらないかな。)




 “検査” が終わると、起き上がったままの私に、先生
が色々話してくれます。

 「血は止まりました。 二度の吐血で、体の血が半分
ほど無くなっているんですよ?」



 (えっ! あれは吐血だったのか、二度とも。
血が“混じっていた” のではなく!)

 救命士さん、救急隊員さんたちが、量を正確
に把握し、報告してくれていたのでしょう。



 私は驚いて、先生に尋ねます。

 1/3 失うと命が危ない…と聞きましたが、
1/2 だなんて! 本当ですか!?



 すると先生は表情を変えず、事も無げに言います。

 「ここは病院ですから (、大丈夫ですよ)。」

 (失礼しました…。)



 恐怖心を取り除くためか、あるいは自信の顕われか…。
いずれにしても先生のこの一言が、私を安心させました。




 もう夜の六時か七時頃でしょうか。 病室へ移ると、
両腕に点滴です。 リンゲル液、輸血、止血剤。

 (やれやれ、一度に初体験か…。 救急車、入院、
胃カメラ、点滴、輸血。)



 “血液の半分” だって…!

 後から診療明細書を見ると、“輸血6単位” とあります。
1単位は 140ml ですから、840ml になる。

 (そんなに輸血したのか…。)



 そして、かなりの量の造血剤。




 こうして、六泊七日の入院生活が始まりました。



ヴァレンタインの贈り物

2013-02-22 00:00:00 | 生活・法律

02/22       ヴァレンタインの贈り物




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                   甘かった私




 貴方は、入院の経験をしたことがありますか?

 女性なら出産があるので、男性よりも頻度は多いでしょう。

 また内科的な疾患に限らず、骨折など、外科的な治療
でも入院を要する場合があるわけですから、入院を生涯
経験しない人のほうが少ないのかもしれません。



 これまで私自身は、大きな病気をしたことはありません。
怪我では “右膝靭帯断裂” というのがありますが、この
時は通院で済みました。

 といっても、ギプスをはめ、松葉杖を突き、楽器を抱えて
の通勤。 まだ30代の頃でしたが、駅の階段の昇降では、
大変苦労したのを覚えています。

 何度か突き飛ばされ、転んだことも。 障碍を持つかた
の立場や心持ちが、少しは解るような気がしたものです。




 そんな私も、ついに先日、入院することになりました。

 原因など、状況は後ほど書かせていただきますが、
入院期間は六泊七日です。



 一日目は “処置”。 二日目は、終日ベッドで安静。 飲食
が出来ず、もちろん歩行も禁止です。

 この二日目は、ちょうどヴァレンタイン デー。 私の手にした
プレゼントは、“両手に花” ならぬ、“両腕に点滴” でした。




 三日目になると、やっと朝から食事解禁になりました。

 配膳直後の写真です。 ご覧のように牛乳、フルーツ
味の薄いジュース。 そして、空っぽの…。



  SN3R0379



 …ではないんです。 内容が見えないだけ。

 中央の丼の中は、重湯。 お粥の、それも上澄み液
です。 写真にしたら、何も写っていませんでした。

 右は “澄まし汁” で、味は、ほとんどありません。



 昼になると “三分粥”。 僅かながらご飯が
混ざっています。

 これと共に、“お水” も解禁。 さっそくペット
ボトルを、家族が買ってきてくれました。




 四日目には、弟が遠くまで見舞いに来てくれました。



  SN3R0380



  SN3R0383



 スイートピーでしょうか? 心の和む素敵なお花に、
真新しい花瓶を添えて…。




 さて、以下は私の日記からですが、数字はそれぞれ
“最高/最低” 血圧。 起床時と就寝時のものです。



      [入院2日前]

 133/ 84

 演奏中、何度か意識朦朧、初めての体験。 夜、食欲無し。

 106/ 61



      [入院1日前]

 93/64

 スーパーから自転車で戻ると、息荒く、冷蔵庫へ品物
やっとのことで入れて、床で寝転がり、数分休む。

 84/55





 私は高血圧なので、地元のクリニックに通院し、2年間、
薬を服(の)み続けています。

 [130/80]以下を目指しているのですが、数値が急激に
低下していますね。 私としては “喜ぶべき事態” なの
ですが、体調は、それとは反比例しています。



 また常時 “貧血” 気味なので、時折 “立ちくらみ”
を感じることがあります。 それは、昨年末から顕著
になっていました。

 加うるに、年が明け、この二月に入ってから、軽い
“痛み” を時折感じていたのです。 胃の上部に。




 そして翌日、つまり入院当日には、数値は
さらに下がりました。

 [87/52]

 これ、起床時のものです。 異常に低いですね…。




 貴方なら、これを見て、どうしますか? また、もしお医者
さんでしたら、どんな病気を疑いますか?

 私は鈍感な人間なので、「いつものクリニックへは、翌日
にお邪魔してみようかな」…などと思うだけでした。



 もっともこの日は、クリニックが休みの水曜日だった…。

 そんな事情もありましたが。