MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

理性と魂

2010-10-15 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

10/15 私の音楽仲間 (219) ~ 私の室内楽仲間たち (193)

               理性と魂




   この集いは、すでに何度かお読みいただいているグループです。

         これまでの 『私の室内楽仲間たち』



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               ② 交響的な六重奏曲
               ③ ダイヤの女王も黒?
               ④ "6" の魔力
               ⑤ 血を吐く苦しみ
               ⑥ 作曲者にも慰めを…
               ⑦ 劇場と激情の間
               ⑧ 信頼の結実
               ⑨ 理性と魂
               ⑩ フィレンツェの密会?
               ⑪ ウクライナの邂逅
               ⑫ 鋭敏な魂
               ⑬ 躍動と沈潜
               ⑭ 大船に乗った気分で




   音楽の創作とは冷静な理性のなすこと、

       だとあなたに思いこませようとする人々を
 
          お信じになられませんように。



   われわれの心を感動させ、

       とらえることができるのは、

     突然のひらめきによって、

         芸術家の魂の深みから

             流れでた音楽のみなのです。



                  (ャ)ィコーフスキィ




 私にとっての六重奏の一日。 前半はブラームスの作品でした。
休憩後もメンバーは同じで、Violin が私、F.さん、Viola が N.さん
Sa.さん、チェロが Si.さんA.さんです。

 曲はチ(ャ)ィコーフスキィの"Souvenir de Florence"で、通常
"フィレンツェの思い出" と訳されています。




 ところで作曲家ブラームスは、チ(ャ)ィコーフスキィをまったく
評価しなかったといいます。 "あのロシア人" と呼んで…。

 これに対して "ロシア人" の方では、「尊敬の念を込めて」
"ハンブルク人" に接したと読んだことがあります。

 と言っても、それは表向きのことかもしれません。 「ドイツ人
やブラームスは、まじめな芸術を装ったひどい無気力状態に
ある」とも書き残しており、決して "音楽に賛意を表している" の
ではありません。



 これはフォン・メック夫人へ宛てた手紙から引用したものです。
(『新チャイコフスキー考』森田稔著、1993年日本放送出版協会)

 また冒頭でご覧いただいた文章も同様です。
(『音楽家の恋文』、クルト・バーレン著、池内紀訳、1996年西村書店)




 一方で私は、「…ブラームスは、溢れる思いを絶妙な音楽語法
で整え、見事なバランス感覚を発揮しつつ…書き上げ…」などと
書きました。 (『月明かりの歌声』)

 ただし彼は、実生活や手紙などでも、直截的な表現を避ける
ことで知られていた人物でもあります。



 両者の表現や創作態度は "正反対" とも言えますが、それは
あくまで相対的なもの。 理性と魂がはっきり分かれるとしても、
違いは「どちらの方向から入るか」ではないでしょうか。

 作曲という作業は、語法やバランス感覚を無視しては成り立つ
はずがなく、また人を感動させるものは心の繋がりだからです。




 ここで、六重奏曲 "フィレンツェ" の第Ⅰ楽章をご一緒に見て
みましょう。



 冒頭で、いきなり ViolinoⅠに主題が登場します。



 [譜例
    




 このきびきびとした、とてもリズミカルな第一主題に
対して、次の第二主題は、優しい歌です。

 第二主題がニ長調で歌われる (再現部) 様子が、次の
[譜例 ]です。




 この主題の (↓) 青く塗った部分を見ると、それは (↑) [譜例
]の青い部分とそっくりです。

 長い Si(?) の音が延びているので、この部分はちょうど2小節分
だけ長くなっています。



 また、"Mi Fa# Mi" と動く3つの音符(↓) も、やはり[譜例 ]の
"Do# Re Do#" (↑) と同じ、上下の動きです。



 [譜例





 それはやがて、同じ Mi の音から音階を登り、高い Re に
辿り着いてからゆっくり降りてきます



 各部分とも、[譜例 ]に比べて小節数は何倍も増えて
います。 また部分的に反復されているので、主題全体は
息がとても長く、第一主題の忙しさとは対照的です。

 結局二つの主題は、実は同じ素材から作られています。
しかし初めて聴く場合は、よほど注意していないと解らない
でしょう。



 この第二主題から成る部分がしばらく続いた後、楽章は
終わりに近づきます。




 すると ViolinoⅠと、チェロⅠが対話を始めます。

 ご覧いただく譜面は三段で書かれていますが、それぞれの楽器は1段目
2段目に当り、他のパートは省略してあります。 3段目は、ト音記号と
バス記号を使って2段目を書き直したものです。 「テナー譜表はちょっと…」
という場合の参考にしてください。




 第二主題では長さが4小節だった "青い部分" は、ここでは
小節に短縮され、Violino もこれに応えます。



 [譜例

  



 ところがに至ると、"青い部分" は突然小節になり、
では遂に第一主題として現われます。

 「二つの主題は同じものだった。」 楽章の最後に出てくる
"種明かし" です。



 グリーンカに端を発した "ロシアの交響曲" の手法は、
ここでも健在でした。



   関連記事 (ャ)ィコーフスキィ と 『カマーリンスカヤ』

     (1) 地下の白樺 ~ 第4交響曲
     (2) ピョートル君の青りんご ~ 弦楽セレナーデ
     (3) 青りんごのタネ 交響曲第1番、第2番




  (続く)




    [音源ページ




     





  






        譜例 ①~③部分の演奏例]


    上記のテーマを中心に連続編集した音源で、鑑賞には向きません