04/28
演奏中の事故 (2) 鐘ひとつと言えど…
これまでの 『その他の音楽記事』
関連記事
船は青銅の騎士の…
鐘ひとつと言えど…
一人で繰り返し
無音の新世界
私が若かりし頃の、ある暑い夏のお話。 オーケストラの演奏
旅行中のことでした。
場所は、さる東北地方の日本海側。 移動は列車で、当時は
もちろん在来線しかありません。 本数も、ごく僅か。
"演奏旅行" と言うと聞こえはいいのですが、日程は強行軍
です。
**市民会館での演奏会が夜に終わると、あくる朝、すぐ出発。
次の市へ到着するなり、すぐ会場練習をこなし、夜はまた本番。
そんな慌ただしいスケジュールでした。
演奏曲目の中には、ラヴェルの編曲による組曲『展覧会
の絵』がありました。 原曲はムーソルクスキィのピアノ曲
ですが、オーケストラ版の方が先に有名になったのは、よく
ご存じのとおりです。
この曲、オケの編成はさほど大きくありません。 しかし
ハープや、数々の打楽器を散りばめた、大変色彩豊かな
名曲です。
さて、会場練習を控え、ステージに楽器を並べていたときの
こと。 騒ぎが持ち上がりました。
「楽器が足りない…」のです!
「どうした、どうした!」 「何が無くなったの?」
その "楽器" とは、鐘。 実際には、NHKののど自慢などでも
お馴染みの、チューブラーベルを使うのが普通です。 ただし、
この曲で用いる音程は一つだけなので、パイプが一本ぶら下が
っているだけの "楽器" です。
とは言え、これが無くては困ります。 終曲の『キエフの大門』
の、それもクライマクスを迎える直前で聞かれるのです。
原曲はピアノ曲なので、もちろん使われていません。 でも
延々と30回ほど規則的に鳴る、その "Mi♭" の音色は、鐘を
模しているとしか思えず、ラヴェル以外にも、ほとんどの編曲
者がこれを用いています。
会場練習には、まだ多少時間はあります。 しかし、この
"紛失物"、首尾よく見つかるでしょうか?
楽器の運搬と言えば、普通はトラックですね。 でも、これ、
実はアマチュアの大学オケの話だったのです。
自分たちが乗って移動するのと、同じ列車に、しこたま楽器を
積み込み、運んでいました。 どれにもみな、持込み荷物用の
大きな荷札を着けて。 ティムパニ、コントラバス、ハープ…。
他の乗客がほとんど居ないのをいいことに、乗降口のデッキを
占領していたのです。
そして、無くなったこの楽器ですが、"鐘" と言っても、一本の
金属棒なので、さほど目立ちません。 列車に積み忘れたのか、
あるいは昨晩の演奏会場の暗い片隅にでも、置き忘れたので
しょう。 今となっては一体どこにあるのか、誰にも解りません。
たとえ前夜の市民会館へ戻って探そうにも、"汽車で何時間"
の距離です。 間に合わせるのは至難の技です。
ひょっとして列車に乗ったまま? そうなればお手上げです。
今頃どこかを、一人で旅行していることでしょう。
この楽器、無いと、どうしてもまずいのでしょうか?
鐘以外に、楽譜のこの箇所で同じ音を同時に演奏しているのは
ホルン、ハープ、そしてヴィオラのピツィカートだけ。 どう考えても
補助に過ぎず、主役にはなり得ません。 必死に音量を上げても、
それではおそらく滑稽に見えるだけでしょう。
かと言って、市内の楽器屋さんを当っても、チューブラーベル
なんて珍しいものが、果たして置いてあるでしょうか? そもそも
楽器屋さん自体、あるのかどうかも判りません。
みんな、ただおろおろするだけです。
「どうしよう…。」 「誰か、いい考え、無いのかよ…?」
そこで颯爽と登場したのが、A君です!
「誰か、TAXI、呼んでくれない?」
そして自分は、館内の公衆電話コーナーへ向かいます。
どこへ電話するのでしょうか? 我々は、ただゾロゾロと
後を追います。
A君は、まず電話帳をめくり始めました。 この**市に、誰か
知人でもいるのでしょうか? それにしては、手にしていたのは
"職業別" 電話帳のようです。
最初に繫がった相手とは、すぐに話が終わりました。
誰と、何を話していたのか、私にはよく聞こえません。 さっそく
何重にも人の輪が出来たからです。 とにかくうまく行かなかった
のは確かでした。
またダイヤルを回し始めたA君。 今度は話が纏まったようです。
「うまく行きそうだよ。」
そう言うなり、待たせてあったTAXIに飛び乗り、会館を後に
しました。
「ほらほら、他の者は練習、練習…! 時間が無いぞ。」
A君がどれほどして戻って来たのか、よく覚えていません。
会場練習に間に合ったかどうかも、今となっては私の記憶が
あやふやです。
しかし演奏会の最後に置かれた、この『展覧会の絵』。 その
終曲の終わり近くの、練習番号114番で、鐘は立派に鳴り響き
ました。
まるで何事も無かったかのように。
そこで謎々です。
A君はどうやって "楽器" を調達したのでしょうか??
ズバリ、当ててください。
解答は、文末をクリックすると見られます。
ただし、場合によってはクリックしなくても目に入ってしまうことがある
ので、「どうしても自分で考えたい」方は、以下に続く部分をお読みの際、
ゆっくりスクロールしてください。 空白部分を10行ほど設けてあります。
[音源]
解答
↓
A君が電話帳で探し出し、TAXIで向かった先は、水道工事店、
もしくはガス工事店でした。
チューブラーベルと言えども、金属の管。 鉄管で間に合わせ
ればよかったわけです。
問題は、その長さ。 短いと、音は高く、長いと低くなります。
正確に計算する必要がありました。
音の高さ、つまり周波数 (f) と、波長 (λ)、音速 (v) の間には、
次の関係があります。
音の高さ (f) × 波長 (λ) = 音速 (v)
λ = v / f
音速は、気温が高いほど速くなり、気温を 25℃ とすれば、
空気中の秒速は 346.5 [m/sec] になります。
またここで振動し、鳴るのは金属管自身なので、波長その
ものが、鉄管の長さになります。
問題は音の高さ、つまり周波数ですが、鳴るべき音は、E♭。
ピアノの "中央ハ" の、すぐ上の音です。
A = 440.0 Hz とすると、このE♭は 311.1 Hz。
これらから計算すると、管の長さは
346.5 ÷ 311.1 = 1.11 [m]
(音速) (周波数)
A君が工事店で切り売りしてもらい、TAXI で持ち帰ったのは、
1メートル少々の鉄管だったのです。
このチューブラーベル。 買えば *万円はします。 それに
楽器屋さんに行っても、普段から在庫があるとは思えません。
まして、「E♭の一本だけ、切り売りしてください」…と頼んでも、
断られるのは目に見えています。
この日以来、A君の株が上がったのは、言うまでもありません。
「ちぇっ。 実際に鳴ったのは、楽器のボクなのにな…。」
まあまあ、鉄管クン…。 キミは "鐘ひとつ" に甘んじなさい。
今後は箱入り息子だ。 "銅鑼" 息子じゃないものね。 大事に
しまっておいてあげるからさ…。
そして、次回の出番までお蔵入りになり、埋もれた存在に
なってしまったそうです。
↓ ↓
[正解の方] [不正解の方]