MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

「…前座に過ぎない」

2009-08-17 00:14:53 | 私の室内楽仲間たち

08/17 私の音楽仲間 (91)  ~  「…前座に過ぎない」

       メンデルスゾーンの四重奏曲 ⑥




          私の室内楽仲間たち (71)



         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




                 関連記事

            ピアノ六重奏曲 ニ長調     Op.110
               若々しいメニュー

            弦楽八重奏曲 変ホ長調    Op.20
               自己吟味の大家
               八人で育む夢
               魑魅魍魎
               16歳の構成力
               ヒマなアンサンブル

            弦楽五重奏曲 第1番 イ長調  Op.18
               瑞々し。 目まぐるし。

            弦楽四重奏曲 第2番 イ短調  Op.13
               いろはのイ
               イ短調のパッション
               偉大なる先輩
               偉大なる理解者
               「人生は死への…」
               「…前座に過ぎない」
               循環って、元に戻るの?
               音色の妙味
               解放と解答

            弦楽四重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.12
               快速、快足、怪足

            弦楽五重奏曲 第2番 変ロ長調 Op.87 
               スコットランドの夕映え
               春になれば

            弦楽四重奏のための4つの小品 Op.81
               姉が手ほどき? 手招き?

            弦楽四重奏曲 第6番 ヘ短調  Op.80
               叫ぶ動機
               呻きから慰めへ





 私は今、ネット検索の真っ最中です。 あちこち
クリックしているのですが、なかなか目指すサイト
には行き当たりません。

 もしかしたら、私が思い描くようなページは無い
のかもしれません。




 まずは、こんなのがありました。

  [イギリスの代表的なファミリーゲームです




 なんだか、昔やった双六みたいですね。

 簡単な解説です。

  [遊び方




 「イギリスの植民地獲得という歴史に端を発した」とある
とおり、このゲームが伝播したのは、まず植民地化された
国々でした。

  [インドでは




 ウィキペディアにもちゃんと載っています。

  [Ludo (board game)




 最近はヴァリエーションにも色々あるようです。

  [LUDOゲーム

  [マグネットゲーム ルード・へびとはしご

  [木製ボードゲーム【LUDO/ルード】




 ご興味があれば、ダウンロード版も…。

  [OnlineGame : Puzzle & Logic

  [Hope you enjoy it!




 「せっかく読んでやってるのに、一体、何を書いてるんだ!
この忙しいのにゲームなんて。」



 あ、どうもすみません…。



 「メンデルスゾーンかと思ったら Beethoven に跳んじゃうし!
前回はリストだったのに、なぜ今回は双六なんだ!?」



 あの、ですから、リスト・アップの最中なんです…。 ほら、
サイコロを振って、進んだり戻ったり、一回休みだったり
するでしょ…?



 「このロクでなしの宿六め…。」



 ちょっと前奏が長過ぎたようですね…。




 私が検索した語は「ルード」。 ラテン語で、私にとっては
チンプンカンプンです。

 チンプンカンプンは、英語では"Greek to me" と言うらしい
んですが…。



 また脱線してしまいました。 ここらで襟を正して…。




 リシュトの "Les Préludes" は通常『前奏曲』と訳されています。
もちろん、他に適当な語を見つけるのは無理なようですが。

 ラマルティーヌの用いた、"プレリュード"。 このフランス語の
元になるのは、ラテン語の "prae" + "ludo" なのだそうです。



 前半の "prae" はいいとして、後半の「ルード」はどういう
意味なのか? それが今回の検索騒動になったわけです。
しかし一体なぜ、ゲームばかり出てきたのでしょうか。




 「犬も歩けば棒に当る。」 実はほかにも色々ありました。
主なものは、店の名、ネット・ショップ、大学のサークル名、
個人のブログなどで、どちらかと言えば、"楽しい遊び気分"
のものが多いようです。

 真剣なものもあるにはありましたが…。 でもやはり
楽しそうです。 ラテン語に近いおフランス語関係の
サイトでもありますし。

  [南仏でフランス語を学ぼう




 面白かったのはロック・バンドです。

  [Ludo (band)



 読んでみると、由来は何と! ⇒ [毛むくじゃら


 これは確か、映画に出てくるキャラクターです。 20年以上
前の作品ですが。

  [ラビリンス




 私が襟を正してもこんなザマで、まことに申しわけありません。

 それもそのはず。 この "ludo" は、英語の "play" に当るの
だそうです。 (play + ludo じゃないですね…。)



 "Play" と言えば、その意味は多岐に亘り、「音楽を演奏する」
は、その中の、ごく一部に過ぎません。

 「人生は死への前奏である。」 そのような深刻な訳も、
もちろん可能なのですが。 でも何だか、肩すかしを食って
しまうような思いですね。




 ようやく辿り着いた、お目当てのウェブサイト、そこには
以下のように書かれていました。

  [ラテン語のページ] から [LUDO,LUDERE (3)



 以下は、リンク切れに備え、抜粋させていただきました。

   lu_do_      [対/奪]遊ぶ、踊る,演ずる
   ablu_do_    遠ざかる、一致しない
   adlu_do_/al-  馴れ馴れしく近づく、[与]に戯れる
   collu_do_    一緒に遊ぶ、共謀する
   de_lu_do_   [対]を騙す、欺く
   e_lu_do_    遊戯に勝つ、賭けをする,からかう
   illu_do_     [与]を弄ぶ、笑い者にする
   oblu_do_    冗談を言う
   praelu_do_   前奏する、予行する
   pro_lu_do_   練習する、準備する




 "ludo" : 遊ぶ、踊る、演ずる



 "praeludo" には、「前奏する」、「予行する」と記されています。

 しかしこれを、「先だって踊る」、「先だって演ずる」、
「先だって遊ぶ」、「先だって競技する」と訳すことも、
もちろん可能です。




 英語でも "play a joke" のように、「冗談を言う」、「ふざける」、
「駄洒落を言う」になることさえあります。

 "You play the violin; I don't. But I can play a record player"
と昔アメリカ人に言われ、一緒に笑ったのを思い出しました。





 ところで問題は、「プレリュード」=「前奏曲」であるという、
音楽上の事例がほとんどであるという現実です。

 その場合、「人生は前奏である」ということになり、
音楽以外の世界は、すべて排除されてしまいます。



 悠久の死に対して、私たちの人生は束の間のものだ。

 そう考えれば、「人生なるものは、死を前にすると、前座
としての一連の出し物に過ぎない」と言うことすら、可能な
ように思われます。




 もちろんそんなことを力説すれば、次のような結果に
なってしまいます。

 リシュト作曲 交響詩 『前座』 (!)



 「何を言うか、私は真打ち! お前の人生こそ前座に
しか値しない。 引っ込め。 地獄へでも行きなさい。」

 そうリシュトに言われるに決まっています。



 詳細は、優れたサイト、[「プレリュード」は「前奏曲」か
に譲ることにして、それでは私はこの辺で…。

   このページの ↓ の下をクリックしてください。




 なおリシュトは、Beethoven、Schubert、Mendelssohn を含む
多くの作曲家の作品を、ピアノ用に編曲しており、その総数は
数百曲に及びます。 自作だけを見ても、原曲は管弦楽曲、
合唱曲が多く、この『前奏曲』も例外ではありません。

 ただしそれは連弾、および2台のピアノのためのもので、
独奏用の編曲を残したという記録はこの曲にはありません。




 Mendelssohn、Beethoven、さらに Liszt へとお付き合い
いただいた、今回の脱線旅行。

 実は、この "三つの音" を語るに欠かせない大作曲家が、
まだいるのです。




  (続く)




 以下の音源は前回と同じものです。



 リスト:交響詩『プレリュード』 音源



 [エーリッヒ・クライバー指揮 チェコ・フィル 1936年録音

 [音源ページ




 [「プレリュード」は「前奏曲」か

    ↓





bcc: 097
「プレリュード」は「前奏曲」か ---リスト:交響詩《前奏曲》


   より、内容をそのまま転載、ご紹介させていただきました。




 新聞記事によると、厚生省の文書から、わかりにくいカタカナ言葉を追放しよう、という動きがでてきたそうだ。確かに、昨今の日本、カタカナ言葉が氾濫している。しかし、だからといって何でも無理やり日本語に訳せばよい、というものでもない。

 特に文化的・歴史的背景を持つ言葉の場合はむづかしい。クラシック音楽でも、当然のことながら、明治以来、多くの訳語が用いられてきた。

 たとえば「前奏曲」という訳語がある。バロック時代には、トッカータ、プレリュード、ファンタジアといった名称が、自由で即興的な性格の器楽全般に、しばしば、区別なく用いられていた(ただし、ファンタジアは、対位法的な曲の表題として用いられることもあった)。

 ただし、現代の感覚で「自由」とか「即興的」というと、音楽的インスピレーションに触発されたジャズのアドリブのような演奏をついつい想像してしまうが、たとえば17世紀初頭の鍵盤用トッカータは、音階的パッセージや分散和音が連続するものや、単純な和声進行のものが多く、必ずしも名人芸的な意味での「即興演奏」ではない。

 さらに時代を遡ると、16世紀末のイントナツィオーネという曲種に行き当たる。これは教会で合唱曲や聖歌を歌う前の前奏として、それらの合唱曲の調(あるいは主音)を提示するために音階やカデンツを演奏した2~3分程度の小曲。そう、これが前奏曲やトッカータのルーツのひとつだ。

 これはいわば「音取り」という実用的な目的を持つものだから、その調での音階を上下に駆けめぐったり、カデンツを弾いてみたり、ということに意味があり、曲としての完成度は問題とならなかった。

 前奏曲のルーツには、この他にもリュートなどの調弦をするための曲や、鍵盤楽器の指ならし的な曲などもあるが、いずれも実用的な目的のものだった。

 しかしこれらは、やがて実用目的を離れて、独立した楽曲として発展していき、17世紀中頃からは音楽的にも充実し、さらにはフーガ風の部分や変奏形式を含む形へと変化してく。そして、19世紀にはショパンの「前奏曲」のように、単に自由で比較的簡潔な曲種の表題として使われるようになったのだ。

 このように、曲のタイプとしての「プレリュード」を「前奏曲」と訳すのは、まあ妥当といってよい。

 しかしリストの交響詩《前奏曲》の場合はちょっと事情が異なる。解説などでは、この曲の場合は「前奏曲」という語が上述のような曲種としてではなく、「我々の人生というのは、死によってその厳かな第1音が鳴り響く未知の歌のための、一連の前奏曲である」(ラマルティーヌ)という、象徴的な詩に基づくといわれているが、このように文学的意味合いを帯びて使われる言葉はクセモノだ。

 この曲の原題はフランス語で"Les Prèludes"。まず、これは複数形。これを「前奏曲」と訳すと、一般的な日本語の感覚では単数形に読めてしまう。かといって、「前奏曲たち」とか「前奏曲集」と訳すわけにもいかない。このあたりは翻訳の限界だ。

 もっと重大な問題もある。この語の元になったのは、ラテン語の"Praeludium"(バッハが《平均律》の前奏曲にこの表記を使っている)で、"Prae-"という接頭辞と、"lud-"という語幹にわかれる。前者は「前の」という意味だが、後者の動詞形 "ludo" は非常に幅広い意味を持つ。

 ここで中学や高校の英語の授業を思い出してほしい。「私はピアノを弾きます」は"I play the piano"、「私はテニスをします」は"I play tennis"。  そう、英語では、「遊ぶ」、「競技をする」、「芝居を演じる」、「舞う」、「楽器を奏でる」が、すべて"play"という動詞で表現されるのだが、ラテン語の"ludo"も、この"play"と同じ多様な意味で使われる。

 そして現代フランス語の"prèlude"も、依然として演劇や舞踊に関連する意味を持っているのである。

 これを日本語で「前奏曲」と訳してしまうと、音楽以外の意味は切り捨てられてしまう。しかし、このリストの曲の場合、文学的な標題として提示された"prèlude"という語は、「人生は、死の前に、音楽を演奏するようなもの」という意味の背後に、「人生は、死の前に音楽を演奏したり芝居や踊りを演じたりするようなもの」、さらには「人生とは、死(という永遠の時間)を前にして、たかだか、ひととき遊ぶことに過ぎない」といった意味の広がりを持つようになる。これを音楽上の意味に限定して訳してしまうのは、いささか不完全な訳といわざるをえない。

 こう考えてくると、このリストの曲の場合は、カナ表記で《レ・プレリュード》と表記しておいた方が、中途半端な理解を促さないだけ、まだまし、といえるかもしれないが、今度は、何のことか、皆目、見当がつかない人も出てきてしまう。いずれにせよ、翻訳には限界があることを忘れてはならないだろう。