MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

信頼の結実

2010-07-29 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

07/29 私の音楽仲間 (193) ~ 私の室内楽仲間たち (173)




            (ャ)ィコーフスキィ

      弦楽六重奏曲 "Souvenir de Florence"




   この集いは、すでに何度かお読みいただいているグループです。

         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




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               ① 見えない六重奏
               ② 交響的な六重奏曲
               ③ ダイヤの女王も黒?
               ④ "6" の魔力
               ⑤ 血を吐く苦しみ
               ⑥ 作曲者にも慰めを…
               ⑦ 劇場と激情の間
               ⑧ 信頼の結実
               ⑨ 理性と魂
               ⑩ フィレンツェの密会?
               ⑪ ウクライナの邂逅
               ⑫ 鋭敏な魂
               ⑬ 躍動と沈潜
               ⑭ 大船に乗った気分で




 このたびは六重奏曲から出発したのに、相変わらず、私
お得意の放浪癖が災いしてしまいました。

 「同じ作曲家の手になる曲だけならまだしも、ヨーハン・
シュトラウスや、ビゼー、ヴァーグナの名まで出るとは!」
そうお叱りをいただいて当然です。




 [譜例 ]はこれまでにもご覧いただいたもので、彼の
弦楽セレナーデ、その第楽章の冒頭部分でした。



 この序奏部は "pp" で始まり、ほぼ20小節かけて "ff" に
達します。

 ViolinⅠからコントラバスまで、各パートのそれぞれが
鳴らしている音の数は1つだけ。 全体の音の数は、
終始 でした。

 楽章全体には "ff" が4回現われ、最後は澄んだ響きで、
"p"、"pp"、"ppp"、"pppp" と、消え入るように終わります。




  [譜例






  [弦楽セレナーデの音源ページ




 一方[譜例 ]は、六重奏曲の第楽章。 やはり歌の
楽章で、同じ冒頭部分です。



  [譜例





  1段目の10小節間が序奏部ですが、「音を同時に2つ
鳴らしているパートがところどころにあるので、響きは厚く、
特に Viola やチェロの音域で音が密集していました。



 ①、②ともニ長調で書かれており、一番最初のハーモニー
まで、まったく同じです。 しかしこちらは、音が厚い上に、
冒頭の音量は "ff" なので、聴く者が受ける印象はまったく
異なります。

 楽章全体には "fff" が回現われますが、最後はやはり
"pppp" で終わります。




 それをスコアで見たのが[譜例 ]でした。



 赤い部分の和声の配置は低音密集型なので、響きは
不透明です。 卑近な表現をすれば、「胸のわだかまりが
解消しないような苦しみ」を、聴く者に感じさせます。

 最後の小節の音の配置は、下から "Mi、Sol、Do♯、Mi
La" という、極めて例外的なものです。 "ハーモニー"
どころか、まるで「不調和を地で行って」います。



 音量は弱くなっていきながらも、最後は "p" 1つまで。

 「不調和な有様を充分に聴いてくれ!」 作曲家が
そう叫んでいるかのようです。



  [譜例






  [音源ページ




 [譜例 ]は初めてご覧いただくもので、彼の交響曲第6番
のスコアの、最終ページです。



 Violin の嘆きの歌が消えると、2部に分かれたチェロが慟哭を
引き継ぎます。 この前後では、先ほど見たような低音密集型の
和声配置が、すでに聞かれます。 メロディーもハーモニーも、
すべてが低音域で、のた打ち回ります。



  [譜例





 大変見にくくて申しわけないのですが、右下には赤い部分
2ヵ所あり、低音密集の苦しげな響きに、最後の止(とど) めを
刺しています。

 それぞれ、下から "Si-Re-Fa♯"、"Si-Do♯-Mi-Sol-Si" と
いうものです。 ここでは不調和を通り越し、濁った響きで、
聴く者の胸を締め付けます。




  [音源ページ Ⅰ

  [音源ページ Ⅱ




 以上は、異なる3曲の譜例でした。 それぞれが最終的に
完成したと考えられるのは、以下の時期です。

   弦楽セレナード (譜例①)  1880年10月

   六重奏曲  (譜例②、④)  1892年1月

   交響曲第6番  (譜例⑤)  1893年8月



 彼は1893年10月に交響曲第6番の初演・指揮に携わり、
10日もしないうちに亡くなっています。 その突然の死を
巡って、様々な憶測が生まれることになったのは、きっと
ご存知のことでしょう。




 彼の死因について立ち入ることはしません。 内外の
優れた学者たちが研究を続けていてさえ、いまだ "断定"
されてはいませんから。 (最新の研究を聞きかじった上で憶測
すれば、私にはやはり "病死" と思われますが。
)



 でも私には、それ以上に知りたいことがあります。 それ
は、作曲家の晩年の深い嘆き、悲しみの原因です。



 最晩年の彼は、そもそもどんな精神状態だったのでしょうか。
それは、手元の資料を元に推測、憶測するしかありません。

 しかし彼が残した音楽を見比べる限りでは、逆に、「彼が
内面的にも順風満帆だった」とは想定できないのです。




 私が今回挙げた譜例は、たった3曲です。 それも作曲
時期が異なる曲の、ごく一部分に過ぎません。

 でもそれらがすべて "緩徐楽章" であるのには、理由が
あります。




 作曲家にとって、自分の私的な感情を吐露できるページは、
そう多くありません。 でももしあるとすれば、それは普通は
テンポがゆっくりな部分でしょう。

 テンポと音楽の色合い、応用に適した作曲技術の間には、
もちろん密接な関連があります。 しかしここでは、「テンポと
コミュニケーション」の問題に注目したいと思います。



   (1) 人間が音楽を聴き、
   (2) 心の中にリアクションが生じ、
   (3) 新しい音の刺激に反応する

…という一連のサイクルには、ある程度の時間がかかります。
人間には時間差が必要で、機械とは大きく異なる点です。

 特に、聴く者にじっくり語りかける場合には、どうしてもテンポ
はゆっくりになります。

 理論やスピード感に訴えるのなら別ですが。



 ちなみに優れた作曲家は、この点をちゃんと計算に入れている
ようですね。 かのヴァーグナなどは、絶妙な音楽心理学者だった
のではないでしょうか?




 緩徐楽章とは言え、ロシアの大作曲家がいつでも露骨に、胸の
内を曝け出しているわけではありません。 テーマや動機の扱い
には、これらの場面でも細心の注意が払われています。

 しかし六重奏曲の、たった10小節しか無い序奏部からは、
異様な思い入れが感じられます (譜例)。



 交響曲では、この傾向はさらに強まり、序奏部どころか、最終
ページに現われています。 しかも、表現はこれまでに無いほど
強烈で、誰もが死を連想してしまうほどです (譜例)。 だから
こそ、作曲家自身の死との間に憶測が生まれたのでしょう。




 「この交響曲には、明確な標題性がある。 しかしそれが
何であるかは、口では言いたくない。」

 彼は同僚のリームスキィ=コールサコフに、そう語って
います。 この「口で言いたくはない」というのは、書簡の
中でも頻繁に現われる表現です。




 「極めて自発的に筆が進み、高い芸術性を持つと自負して
いるこの曲が、私は死ぬほど好きです。」

 これは彼の言葉を私が勝手につなぎ合わせたものですが、
自身の弦楽セレナーデ (1880年) についての記述です。



 この曲は僅か1か月、また交響曲は半年で完成されました。




 しかし六重奏曲の方は、少なく見積もっても、作曲を決意
してから5~6年かかっています。

 その原因は、おそらく "音の数" にあると私は考えています。
「室内楽か…。 せめて編成が弦楽合奏ならな…。」 そんな
作曲者のつぶやきが聞こえてきそうです。

 こちらの方は、少なくとも当初は "筆が自発的" には進みま
せんでした。




 六重奏曲が完成目前と思われたとき、思わぬ通告があり
ました。 フォン・メック夫人からの "年金打ち切り" です。

 しかし彼がもっとも辛かったのは、「互いの信頼関係が
終わった」ことでした。 それは残された書簡や、彼の当時
の財政状況から明らかになっています。



 彼の諸作品の作曲時期、成立の事情などは、今日でも比較的
容易に解るようです。 彼が筆まめで、また受け取った書簡をよく
保存していたという事情も、大いに役立っています。

 特にフォン・メック夫人に書き送った内容は、単に年代記的な
ものに止まりません。 他人の演奏会を聴いての批評、ロシア
国内の政治状況、果ては「今年の避暑地では悲しい印象しか
残らなかった」…などと、率直に自己の心情を吐露しています。




 「生涯顔を合わせない」という "約束" があったとはいえ、夫人
は彼にとって、単なるパトロン以上の大きな存在でした。



 "絶交宣言" の理由は今日でも定かではありません。 夫人の
家庭内に何らかの異変が生じたのか? あるいは自身の心境に
重大な変化が起きたのか?

 作曲家の側に落ち度は無かったようです。 彼は関係修復の
願いを込めて手紙を書き、また、「じかに会い、話してみたい」と
さえ、弟のモヂェーストに打ち明けています。 しかし夫人から
は返事がありませんでした。



 そう言えば、「弦楽セレナーデの高い芸術性」を自負する下り
は、夫人宛ての手紙に書かれた部分でした。 夫人を敬愛し、
「自分を終生もっとも深く理解してくれる存在」だと、心の底から
信じていたのでしょう。

 彼の寄せる信頼は、結局裏切られたことになります。




 そんな「人間関係の不調和ぶり」を表わそうとしたわけでは
ないでしょうが、六重奏曲の譜例には、結果的に作曲家の
心中がよく顕われているように思われます。

 なおフォン・メック夫人は、作曲家が53歳で他界して二か月
も経たないうちに亡くなっています。 63歳目前でした。




 交響曲第6番の四つの楽章は、Ⅲ、Ⅰ、Ⅳ、Ⅱ…の順に
着手されたといいます。 エネルギッシュな、波乱万丈の
、嘆き悲しむ

 第楽章は、5拍子のワルツです。 まず歌い出すのは
チェロ。 フルート、オーボエ、クラリネットの7人が、これに
答えます。




 "Allegro con grazia" (優美なアレグロ) と書かれた、このワルツ。

 歌い出すチェロは、あなたなの?

 あなたが一緒に踊るのは、どんな方なんですか?
それは誰?



 私はフォン・メック夫人だと思っています。




 最後に、弦楽六重奏曲の副題、"Souvenir de Florence"
についてです。

 これは一般に『フィレンツェの思い出』と訳されています。



 しかし1890年のフィレンツェ滞在で、それほど大きな思い出
が残ったのでしょうか? なぜならこのときの滞在は、歌劇
『スペードの女王』の作曲に打ち込むためだったからです。

 また曲を聴いてみて、イタリア的な響きが無いわけでは
ありませんが、むしろ "ロシア的" だと感じる方々が多いの
ではないでしょうか。




 この副題からは、あまり大きな意味が私には感じられません。
『フィレンツェの手土産』程度かもしれませんね。



 でも、もし "Souvenir" が、やはり "思い出" だったら?

 この言葉には、単なる "土地への愛着" 以上の、深い意味が
込められているのかもしれません。




  (この項 終わり)



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       (1) 地下の白樺 ~ 第4交響曲
       (2) ピョートル君の青りんご ~ 弦楽セレナーデ
       (3) 青りんごのタネ ~ 交響曲第1番、第2番