MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

血を吐く苦しみ

2010-07-24 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

07/24 私の音楽仲間 (190) ~ 私の室内楽仲間たち (170)




            (ャ)ィコーフスキィ

      弦楽六重奏曲 "Souvenir de Florence"




   この集いは、すでに何度かお読みいただいているグループです。

         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




               関連記事

               ① 見えない六重奏
               ② 交響的な六重奏曲
               ③ ダイヤの女王も黒?
               ④ "6" の魔力
               ⑤ 血を吐く苦しみ
               ⑥ 作曲者にも慰めを…
               ⑦ 劇場と激情の間
               ⑧ 信頼の結実
               ⑨ 理性と魂
               ⑩ フィレンツェの密会?
               ⑪ ウクライナの邂逅
               ⑫ 鋭敏な魂
               ⑬ 躍動と沈潜
               ⑭ 大船に乗った気分で




 前回は、曲の最終ページに現われた "ffff" の記号に負けて
しまいました。

 「どうやって出したらいいの? 気持ちは解るけど…。」



 実はその少し前にも同じ指示があり、第Ⅳ楽章では2回
出てきます。 (そのほかの楽章ではありません。)

 また "fff" は、この楽章に6回も出てきます。 そのほかに、
"瞬間的な効果" 狙いまであります。 ”fff > ppp < fff” と
いうのが2回。 "fff" の大安売りです。




 そこで、ヒマな私は他の楽章も調べてみました。 「
のうちに、やはり大安売りの楽章はあるのかな…?」



 結果を先に申し上げると…。 ありました! "fff" が
も出てくる楽章が!

 さて、それはどの楽章でしょうか? 活動的な第Ⅰ楽章?
叙情的な第Ⅱ楽章? それとも、簡素な第Ⅲ楽章?



 これではクイズになってしまいますね。 ちなみに、他の
二つの楽章は、共に "2回" ずつです。




 ところで以前、ある譜例をご覧いただきました
(以下で再びご覧いただけます。)



 [譜例 ]は弦楽セレナーデ、その第楽章の冒頭部分です。

 始まりは "pp"。 何度か小さい山を上がり下りしながら、20小節
ほどかけて "ff" に辿り着きます。 ここまでは序奏部なのですが、
聴く者にはそれ以上の重要性を感じさせます。

 ViolinⅠからコントラバスまで、それぞれが鳴らしているのは
単音。 つまり一度に鳴っている音の数は、全体で終始 です。
(ff と書かれた最後のニ長調の和音のみ、チェロが音を二つ弾くのでです。)

 これは弦楽オーケストラのための曲なので、原則として各
パートとも人数は複数。 ですから、もし作曲者が望めば、
「同時に2つの音を出す」のはたやすいことです。 二人で
分担して、1つずつ弾く方法もあります。



 ところが今回は六重奏曲ですから、それは出来ません。
同時に音が2個書かれていたら、「一人でやるしか無い」
のです! どんなに難しくても…。




 セレナーデの第Ⅲ楽章に戻りましょう。

 "pp" に始まったこの美しい楽章には、"ff" が4回現われます。
最後は澄んだ響きで、"p"、"pp"、"ppp"、"pppp" と、消え入る
ように終わります。



  [譜例





  [弦楽セレナーデの音源ページ




 一方[譜例 ]は、この六重奏曲の第楽章。 やはり歌の
楽章で冒頭部分です。



 こちらは "室内楽" ですが、そうは言いながら、ところどころで
「音を同時に2つ」鳴らしているパートがあります。 この箇所
では音は厚く、特に Viola やチェロの音域で音が密集しており、
悪く言えば、音は濁ります。



 ちなみに①、②とも、一番最初のハーモニーはまったく同じ
ものです。 調性も含めてですが、これは偶然なのでしょうか?

 しかし、聴く者が受ける印象はまったく異なります。 音の
配置、数、音量などに、大きな差があるからです。



 冒頭の音量は "ff"。 しかし楽章全体では "fff" が
書かれており、これも最後は "pppp" で終わります。

 "fff" がたくさんあるというのは、実はこの緩徐楽章でした。
元気な第Ⅰ楽章ではなく。



  [譜例






 この二つの楽章の冒頭を聴き比べてみると、その響きの違い
が如何に大きいことでしょうか。



 と言っても、「澄んだ響きがいい」とか、「濁った響きは汚い」
と申し上げているわけではありません。 もちろんそれぞれは
作曲家の内的な求めから生まれるものであり、聴く者に自分
の胸の内と同じ思いを伝えようとしているのです。

 年代的にも、両者の間には10年の歳月が横たわっています。
その間には、作曲者が大きな打撃を受けた事件も幾つかあり
ました。




 弦楽オーケストラ曲の澄んだ響き。 しかし、この六重奏の
方が響きは厚い…。 何とも逆説的です。



 この曲が弦楽オケで演奏されることがあるようですが、それは
六重奏曲では珍しくありません。

 特にこの曲の場合は、むしろ「作曲家が喜ぶ」のではないかと
さえ、私は思います。



 それとも作曲者は、本当はこれを "弦楽セレナーデ第2番"
にしたかったのでしょうか?

 もちろんそれは無理ですよね。 室内楽協会へのお礼なん
ですから…。




 ひょっとすると彼は、それよりも大きい編成を求めていたの
かもしれません。

 交響曲? 献呈はなおさら不可能ですね…。




 ちなみに彼のある交響曲では、この第Ⅱ楽章冒頭と、部分的に
似通った表現が見られます。 やはり同じ "濁った響き" を、誰も
が感じることでしょう。

 いやそれどころか、この交響曲では、"胃の腑から血を絞り出す"
ほどの嘆き、悲しみとなっています。 聴く者にそれを伝えようと
する執念の恐ろしさは、これ以上無いほどです。



 それが何の曲か、貴方はご存知ですよね…?




      関連記事 これまでの主な『音楽関係の記事』

        (ャ)ィコーフスキィ と 『カマーリンスカヤ』
       (1) 地下の白樺 ~ 第4交響曲
       (2) ピョートル君の青りんご ~ 弦楽セレナーデ
       (3) 青りんごのタネ ~ 交響曲第1番、第2番





 [譜例 ]は新しいものですが、[譜例 ]の部分のスコアです。



 見にくくて申しわけないのですが、冒頭の "ff" 以外に、もう一つ
大きな特徴があります。 それは、赤い部分の和声の配置です。

 最初の二つはまったく同じで、下から "Do♯、Mi、Sol、La" が
鳴っています。 低い音域では、普通は「オクターヴや5度が
書かれている」ものなのですが、ここでは3度、あるいはさらに
狭い音程で、密集配置されています。

 低音域での密集は、普通は避けられます。 響きが固まって
ぶつかり合い、全体の透明度、純粋度が落ちるからです。



 この傾向は、最後にもっと強くなり、配置も例外的といえる
ほど極端です。 音程は下から "Mi、Sol、Do♯、Mi、La" です。

 序奏部はこうして、胸のわだかまりが解けないまま終わり、
主部に入っていきます。



 楽章の終わりは、やはり "pppp" で消え去りますが、6回の
"fff"
と相俟って、異様な思い入れを感じさせます。



  [譜例





  [音源ページ




  (続く)



                   ↓

 

       譜例 の演奏例で、以前のと同じものです