MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

作曲者にも慰めを…

2010-07-26 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

07/26 私の音楽仲間 (191) ~ 私の室内楽仲間たち (171)




            (ャ)ィコーフスキィ

      弦楽六重奏曲 "Souvenir de Florence"




   この集いは、すでに何度かお読みいただいているグループです。

         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




               関連記事

               ① 見えない六重奏
               ② 交響的な六重奏曲
               ③ ダイヤの女王も黒?
               ④ "6" の魔力
               ⑤ 血を吐く苦しみ
               ⑥ 作曲者にも慰めを…
               ⑦ 劇場と激情の間
               ⑧ 信頼の結実
               ⑨ 理性と魂
               ⑩ フィレンツェの密会?
               ⑪ ウクライナの邂逅
               ⑫ 鋭敏な魂
               ⑬ 躍動と沈潜
               ⑭ 大船に乗った気分で




  「私は、私の音楽が普及し、

     私の音楽を愛し、そこに慰めと

        心の支えを見出してくれる人が

           増えることを、心から願っている。」

                       (ャ)ィコーフスキィ




          『ロシア音楽史 Ⅰ』 より

         著者 ホプロ―ヴァ、ヴァシレ―ンコ、他
         訳者 森田 稔、梅津 紀雄
         発行 株式会社全音楽譜出版社




 今を去る大昔のお話です。

 名指揮者カルル・ベ―ムが、名門ヴィーン・フィルを率いて、
初の来日公演に訪れました。



 この "コンビ" は深い信頼関係で結ばれており、指揮者の80
歳の誕生祝いにオーケストラが贈ったプレゼントは、何と蜂蜜
だったといいます。 そう言えば、この指揮者、"くまのプー
さん
" に体型が似ていなくもありませんでした…。



 冗談はさて置き、その折の公演曲目には、以下のような
名曲が含まれていました。

 Beethoven の第7交響曲、歌劇『レオノーレ』序曲第3番、
Brahms の第1交響曲、Wagner の楽劇『マイスタージンガー』
第一幕への前奏曲。 そして、ヨーハン・シュトラウスの
『ドーナウ』、『無窮動』など、親しみ深いワルツやポルカ
などです。




 さて、初来日した指揮者に、さる放送局のアナウンサーが
さっそくインタヴューを行いました。

 「ようこそ日本へ! ところで、今回はなぜ、シュトラウスの
曲をプログラムに入れられたのですか?」



 ベ―ムさんは驚いて、一瞬沈黙した後、こう答えました。

 「シュトラウスの音楽が、そんなに悪い音楽ですか…?




 最近はヴィーンの新春コンサートのTV中継も定着したよう
ですが、40年前はこんな状態でした。 この顛末は、当時まだ
若かった私にも、色々なことを考えさせました。




 ご存知のとおり、私たちの国は明治維新以来、様々な分野
で西欧諸国をお手本にしてきました。 その中心はドイツです。
特に顕著なのは、法律、経済学、また医学を中心とする科学
の領域でした。

 またそこには、音楽も含まれていました。 特に影響が大き
かったのは "音楽教育" の世界です。 いわば "ドイツ音楽"、
特に "克己勉励タイプの音楽偏重" です。



 今はどうか知りませんが、私の小学生時代の音楽教室
には、大作曲家たちの似顔絵が貼られていました。

 そのうち何人かは "肩書き" 付きでした。 "音楽の父"、
"音楽の母"、"交響曲の父"、楽聖"、"歌曲の王"…。
ほとんどがドイツ語圏出身の人たちです。



 この "真面目音楽" 崇拝の薦めは、私の中にも影を
落としました。 少なくとも一時的には。




 話を戻しましょうね…。



 ロシアを代表するこの大作曲家は、我が国でも大変親しま
れています。 その音楽はとても解りやすく、作曲者の気分
は、聴く者にも逐一伝わってきます。



 貴方もファン? 実は私も、涙が出るほどやられています。

 喜怒哀楽を、これだけ正直に表現する音楽を聴きながら、
私たちは気恥ずかしくなるのでしょうか。 それとも、感情を
直截表現する音楽は "安っぽい" とでも感じてしまうので
しょうか。




 ところで、人間の赤裸々な性 (さが) を扱った名曲の中に、
ビゼー歌劇『カルメン』があります。

 たぶらかした、捨てた、振った、没落した、嫉妬した、殺した
…と続くのですから、考えようによっては、これほど安っぽい
題材はありません。



 しかしその表現方法は古典的で、決して矩 (のり) を越えて
はいません。 親しみやすいメロディーに心を奪われながら
私たちは、いつの間にか作品に惹き込まれてしまいます。
その "ストーリー" は、現実に私たちの周辺で起こりかねず、
卑近で理解しやすいものだからです。



 「でも私はあんなあばずれじゃないわ。」

 「俺だって、人生を棒に振るような馬鹿な真似はしないさ。」

 でも、これが「私たちと無関係な、特殊な世界だ」と断定
することは出来ないのです。 もちろん「殺人が貴方の周辺
で起こる」ことなど、あっては困りますが…。




 話は飛びますが、哲学者ニーチェは、自分でも作曲を
するほど音楽に打ち込み、あのヴァ―グナを信奉して
いました。 ところが行き違いもあったのでしょう。 訣別
を宣言したニーチェは、師の楽劇を糞みそに批判する
ようになってしまいます。

 その際、"理想的なオペラ" としてニーチェが掲げたのが、
実に『カルメン』だったのです。 彼が心底、そう信じていた
のかどうかは判りませんが。

 "真面目な" ドイツ人の間の、何とも皮肉な出来事ですね。




 チ(ャ)ィコーフスキィの願いどおり、その親しみやすい音楽は
日本でも広く普及するようになり、私たちが「慰めと心の支えを
見出す」ことが出来るまでになりました。

 しかしその音楽が解りやすい反面、彼自身には、いまだに謎
が付きまとっているのも事実です。 「その死には "禁じられた
同性愛" が関連していた」という説もありました。




 しかし私には、それ以上にどうしても解らないことがあります。
それは、作曲家の晩年の深い嘆き、悲しみの原因です。

 作曲の行き詰まり? 愛情問題? 財政的な問題? 信頼
関係を裏切られたから?



 その原因は、恐らく一つだけではないでしょう。 また今後、
誰にも永遠に解らないかもしれませんが…。




  (続く)



      関連記事 これまでの主な『音楽関係の記事』

        (ャ)ィコーフスキィ と 『カマーリンスカヤ』
       (1) 地下の白樺 ~ 第4交響曲
       (2) ピョートル君の青りんご ~ 弦楽セレナーデ
       (3) 青りんごのタネ ~ 交響曲第1番、第2番