MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

"6" の魔力

2010-07-23 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

07/23 私の音楽仲間 (189) ~ 私の室内楽仲間たち (169)




            (ャ)ィコーフスキィ

      弦楽六重奏曲 "Souvenir de Florence"




   この集いは、すでに何度かお読みいただいているグループです。

         これまでの 『私の室内楽仲間たち』




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               ① 見えない六重奏
               ② 交響的な六重奏曲
               ③ ダイヤの女王も黒?
               ④ "6" の魔力
               ⑤ 血を吐く苦しみ
               ⑥ 作曲者にも慰めを…
               ⑦ 劇場と激情の間
               ⑧ 信頼の結実
               ⑨ 理性と魂
               ⑩ フィレンツェの密会?
               ⑪ ウクライナの邂逅
               ⑫ 鋭敏な魂
               ⑬ 躍動と沈潜
               ⑭ 大船に乗った気分で




 1+4+1、1+5、3+3、(2+2)+2、(1+1)+1+3、4+2、2×3、3×2…。



 あらら。 今回は算数から始まってしまいました。 何だか
ゴチャゴチャしてますね。

 でもよく見ると、みんな答は6になるようですよ。



 実は、この六重奏曲のスコアをパラパラとめくってみると、
上のような結果になるんです。

 それでは、また…。




 …これじゃぁ不親切、説明不足ですよね。 まことに申しわけ
ありません。




 この曲は Violin、Viola、チェロ、それぞれ2本で演奏されます
が、各楽器の用い方、また、組み合わせは様々です。

 ここでは、そのうち① "1+4+1"、② "1+5"、③ "3+3" に限って
見てみます。



  全曲の冒頭は Vn.Ⅰが一人でテーマを奏します。 チェロ
は、ほぼ反行する低音進行。 あとの人は、リズムの動きを
伴った和声付けです。

  やがてその比率は "1:5" になり、Vn.Ⅰが孤軍奮闘します。


  次は全体が、人ずつのグループに大きく分かれます。
VnⅠ、Vn.Ⅱ、Va.Ⅰの3人は上行し、Va.Ⅱ、チェロⅠ、チェロⅡ
の第2グループは下降して行きます。 



 以下、音楽の性格が移り変わるに連れ、"" の内部の組み
合わせは、刻々と変化していきます。 "四重奏の" と比べる
と、組み合わせの可能性は飛躍的に増加しています。




 これは、「四つの楽器を対等、平等に扱いつつ、モティーフ
を利用し尽した」中期の Beethoven とは、方針がまったく
異なります。 "明快な構築性" よりは、"素材・音響の密度"
を重視したのでしょう。



 のような場合、Beethoven なら一つの楽器で済ませる動き
に、このロシア人作曲家は3つの楽器を用いています。

 それには理由があります。 誰かが必ず、"三和音" のうちの
一つを割り当てられながら、同じ方向に動いているのです。



 「ははぁ、ドミソの音符がいつも、どこかで鳴ってるんだな?」
そのとおりです。 3人組の響きは豊かになります。

 第2グループもこれに対抗し、絡み合いは複雑になります。
よく言えば "豊満"、悪く言えば "ドロドロした響き" です。




 このような組み合わせ方を、楽想に従って数小節ごとに
変化させれば、表現の幅は当然増えていきます。



 この点は、何も今回の六重奏曲に限りません。 どんな
作曲家でも細心の配慮を払っています。

 しかし、この "6の多様な組み合わせ" が、とりわけ彼の
大きな関心事であるのは明らかなようです。



 それにしても、"" から "" へ行くのかと思ったら、いきなり
"" になってしまうのは、一体なぜなのでしょうか?




  [譜例





 これは全曲の一番最後の部分です。 細かい音符は見にくいと
思いますが、「同じ同じ音程で動いている」とお考えください。

 楽器の組み合わせが、刻々と変化している様子が、何となく
お解りいただけるでしょうか。

 中には、パート間で音の受け渡しをしないと "音が埋まらない"
場合もあります。



 ちなみにこの部分では、最大限の音量が要求されています。
"1人" で同時にたくさんの音符を鳴らさねばならない箇所さえ、
幾つもあります。 はっきり言って、重量感が出るように綺麗な
音で弾くのは、とても難しいのですが…。



 ところでもし皆さんが、彼のオーケストラ作品のスコアを
見慣れておられるようでしたら、こう思われるのではない
でしょうか? 「まるで交響曲じゃないか!」と。

 でもこれは弦楽六重奏曲で、ペチェルブルク室内楽協会
に献呈された曲なのです。




 前回は、「彼がなぜ最終的に六重奏を選んだのか?」…と
書きながら終わってしまいました。



 その原因を推測しながら、

「6は便利な数」であり、また

「四重奏よりは音の数が多い」

という二点を挙げてみましたが、貴方はどうお考えでしょうか?



 この時期の彼にとっては、"1+3=4"、"2×2=4" という限定された
世界よりも、"2×3=6"、ないし "3×2=6" の可能性の方が、より
魅力的だったのではないでしょうか。




 ところで、上の譜例でも見られるように、音符の数が多ければ、
当然「音量も大きくなる」ことが珍しくありません。

 言わば "物量作戦" ですね。 何しろ、"ffff" と、フォルテが4つ
もありますから! 管楽器奏者ならずとも、正直に吹いたら「もう
死んじゃう…。」 同じ記号は、のちの交響曲第6番でも1箇所で
見られます。

 しかし同時に同じ交響曲では、"ppppp" (!) という有名な箇所
もあります。 私たちはこれを "音量計測メーター" で計るのでは
なく、前後関係に注意し、作曲者の心情を共に味わおうとすれば
いいのです。

 もちろん私も音作りの現場にある者の一人として、「f と p を
弾き分けたい」と思っていますが。




 ところで、の、「音の数が多い」という点ですが、このよう
な箇所では、常に "大音量" が目的なのでしょうか?

 実は、そうとは限らない例をすでにお聴きいただいている
のです。




  (続く)




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        (ャ)ィコーフスキィ と 『カマーリンスカヤ』
       (1) 地下の白樺 ~ 第4交響曲
       (2) ピョートル君の青りんご ~ 弦楽セレナーデ
       (3) 青りんごのタネ ~ 交響曲第1番、第2番





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