嵐山光三郎さんのコラムを読みました。
彼は浜松生まれで、今年68歳になるようです。
「下り坂人生を楽しもう」との題名でした。
これは、松尾芭蕉の奥の細道を、自転車で走破した時に体感したそうです。
上ったり下ったりが人生で、上り坂に息切れして、下り坂になると気持ちがいいので、下り坂にこそ楽しみがあると思えたらしいです。
これまで無意識に上り坂を目指していて、「上を見ろ、今の自分に満足するな。お金を儲けろ。上昇志向で行け。」と尻を叩かれていたそうです。
そして、下り坂には細心の注意と精神力、技術力が求められるが、今までの人生経験を生かすことが求められるそうです。
彼が作った句「双六や、一度休みの、茶屋におり」が好きだそうで、峠の茶屋で茶を飲んで休憩する余裕が、楽しみは下り坂にある、ということです。
団塊世代の小生も同感しました。
それは、学生時代は、1クラス50名の競争時代でした。そして、会社時代も右肩上がりの競争時代だったので、何事にも一生懸命の毎日でした。
このコラムを読んで、若者たちも今を一生懸命に生き、このように思える日々を送ってほしいと願います。
おまけをひとつ。
万葉集に余明軍(よのみょうみん)が詠んだこんな歌がありました。
「かくのみに ありけるものを 萩の花 咲きてありやと 問いし君はも」
大伴旅人(おおとものたびと)が、ハギの花は咲いているか?と尋ねてからなくなるのをみての歌だそうです。
この訳は、このようにはかない命だったのに、ハギは咲いているかいと聞いてからなくなった、きみはもういない、と解説されていました。
この詩人は、好きな花が咲いているのだろうか?と思いながら死ねる余裕ある最後で、思い残すことがないような人生を送ったのだろうなぁ、と小生は思いました。
も一つおまけに高齢者向け現代川柳を。
お若いと 言われて若くないと知る
年金で 百まで生きて困らしたろ
昼食は 妻がセレブで俺セルフ
じいちゃんを拝んで 婆ちゃんまた旅行
次の世も 貴方の傍に指定席
彼は浜松生まれで、今年68歳になるようです。
「下り坂人生を楽しもう」との題名でした。
これは、松尾芭蕉の奥の細道を、自転車で走破した時に体感したそうです。
上ったり下ったりが人生で、上り坂に息切れして、下り坂になると気持ちがいいので、下り坂にこそ楽しみがあると思えたらしいです。
これまで無意識に上り坂を目指していて、「上を見ろ、今の自分に満足するな。お金を儲けろ。上昇志向で行け。」と尻を叩かれていたそうです。
そして、下り坂には細心の注意と精神力、技術力が求められるが、今までの人生経験を生かすことが求められるそうです。
彼が作った句「双六や、一度休みの、茶屋におり」が好きだそうで、峠の茶屋で茶を飲んで休憩する余裕が、楽しみは下り坂にある、ということです。
団塊世代の小生も同感しました。
それは、学生時代は、1クラス50名の競争時代でした。そして、会社時代も右肩上がりの競争時代だったので、何事にも一生懸命の毎日でした。
このコラムを読んで、若者たちも今を一生懸命に生き、このように思える日々を送ってほしいと願います。
おまけをひとつ。
万葉集に余明軍(よのみょうみん)が詠んだこんな歌がありました。
「かくのみに ありけるものを 萩の花 咲きてありやと 問いし君はも」
大伴旅人(おおとものたびと)が、ハギの花は咲いているか?と尋ねてからなくなるのをみての歌だそうです。
この訳は、このようにはかない命だったのに、ハギは咲いているかいと聞いてからなくなった、きみはもういない、と解説されていました。
この詩人は、好きな花が咲いているのだろうか?と思いながら死ねる余裕ある最後で、思い残すことがないような人生を送ったのだろうなぁ、と小生は思いました。
も一つおまけに高齢者向け現代川柳を。
お若いと 言われて若くないと知る
年金で 百まで生きて困らしたろ
昼食は 妻がセレブで俺セルフ
じいちゃんを拝んで 婆ちゃんまた旅行
次の世も 貴方の傍に指定席