中上健次の初期の短編の傑作として知られる小説「十九歳の地図」を読みました。私はそれこそ20代の前半にこの作品読んだことがあります。それは今から25年以上前のこと。当時は全く共感できず、自分の不満や憤りを関係ない人へ逆恨みのように一方的に電話をかけ脅す主人公に、なんて暗い野郎だ。俺はこんなことをする奴は嫌いで許せない。こんな暗い小説どこがいいんだと思ったことを覚えています。で、52歳になった今、映画「千年の愉楽」で中上健次が私のなかで浮上してきたこともあり、再びその暗い小説を読んでみようと思ったのです。印象はというと主人公に共感できず暗い印象はそのままでも、小説として中上健次の上手さを感じずにはいられませんでした。昔は単なるコンプレックスを吐き出しただけの暗い小説と思ったのが、意外にも細部に繊細な描写がきっちりと描き込まれており構成もすばらしく、中上健次は手の届かない優れた作家だったんだとあらためて思わされたのでした。
この「十九歳の地図」においてはやはり、かたぶさのマリアなる女性に主人公の新聞配達している予備校生の主人公が電話するところが一際光っているように思いました。女は最初は青年から電話口で罵声を浴びても人違いのように言っていたのが、急に豹変しか細い声で「死ねないんだよう」トーンを変えて喋りはじめるところが読んでいて鳥肌が立つような感覚にさせられるのでした。その後、電話を使って無抵抗な相手に対して一方的な暴言を吐くことにより自身の吹き溜まった鬱憤のようなものを解消させていたのが、逆にうっちゃられてしまい、青年は心の奥底から湧き出てくる涙を流すしかなかったというその描写。これはすごいなあと。闇と闇がぶつかりあいその闇は根源を同じものとするものだったのかもしれません。
ところで、この主人公の青年は十九歳という大人になる前の不安定な精神と旺盛なる性欲にその行動が大きく支配されています。それはたとえば、青年と同じような年頃に好きな女性ができたとして、本人は心から愛していると想っているものの、本人も気がつかない本能的な心の裏側はただやりたいという若い自分の真実?を思い出してみればあきらかなのでしょう。好きだ、愛しているとは言葉を変えれば、エッチしたいと同義であるということ。好きで好きでたまらないとは何回もエッチをしたくてたまらないんだという本人も意識していない言葉の言い換えであるということ(好きならエッチはしないでと女性が言って男は苦しまないでしょうか?当然平気な顔をしても悩み苦しむのは目に見えています)。若いとはそうしたものだと50歳も過ぎてそう思うわけなのですが、この小説には吹き出るような性のエネルギーに満ちているという側面がそこかしこに見えてくるのです。もしかしたら、電話による暴力も自身の育ちの内面からくるコンプレックスと性欲が入り混じっているとも考えられます。青年の妄想は過激に走り、イメージの世界の中で肉体的に弱い女性を犯すということでそのエネルギーを解消しているのです。その捻れたエネルギーはまた別の側面では、電話という一方的な装置を使って言葉の暴力を奮うという正々堂々としていない卑屈で暗い弱々しい性格を持っていると私は感じました。それは多かれ少なかれ誰でもある部分であり、小説はそれを極端にクローズアップさせ訴えかけてくるのでした。
“腹がくちくなり眼がとろんとなるほどぼくを充分に満足させるものはなにひとつない。快楽の時間だってそうだ。いつもだれかにみられ嘲笑われているように感じるし、不意に扉がひらかれて人がはいりこんできそうな感じになる。このぼくに自分だけのにおいのしみこんだ草の葉や茎や藁屑の巣のようなものはない。ない、ない、なんにもない。金もないし、立派な精神もない、あるのはたったひとつぬめぬめした精液を放出するこの性器だけだ。”
“十九歳の大人の体をもつぼくは、それを煽情的なものと思って、きまって自涜し、放出した精液で下着をべたべたにした。ぼくの快楽の時。ぼくは、電話をかけて女を脅迫し、顔にストッキングで覆面をして女を犯した。ぼくは一度引き抜き、生活につかれて黒ずみ、荒れはてた女の性器を指でひろげて一部始終くわしく点検し、また女を乱暴におかす。悲鳴をあげようと救けてくれと言おうと、情容赦などいらない。けだもの人。そうだ、ぼくは人だ、何人この手で女を犯しただろうか、なん人この手で子供の柔らかい鳩のような骨の首をしめ殺したろうか。”
※ “”部分、「十九歳の地図」中上健次(河出文庫)より引用
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