飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

僕は知らない寺山修司NO.142⇒「へんりっく 寺山修司の弟」(監督:石川淳志)

2009-10-18 | 寺山修司
■製作年:2009年
■撮影・編集・監督:石川淳志
■出演:森崎偏陸、他

奇妙な映画を見ました。それはかつて寺山修司が率いた「天井桟敷」に在籍し、その死後は戸籍上、寺山の弟となった男、現在もデザインや助監督などマルチな領域で活躍する森崎偏陸というひとりの男の日常を追っかけたドキュメンタリー映画なのであります。

映画の冒頭は寺山修司の実験映画「ローラ」の画面へ入っていく森崎偏陸の様子が映し出されます。その映像の画面に入っていくためのスクリーン装置があって、それを自ら上映スタッフらとともに作り上げていくのです。この実験映画が製作されてから35年経っているからか、スクリーン装置を作る段取りや手つきは慣れたもんであります。映画が上映されると映像の中の女性達が観客に向かって挑発を始めます。そしてスクリーンの中に入っていく生身のリアルな男性。その彼は60歳も真近な年齢的には初老の域に達しているといってもいい森崎偏陸です。そしてスクリーンの中の映像で女に身ぐるみ剥ぎ取られ真っ裸になる男は20代の若き森崎偏陸なのであります。この微妙な時間軸のズレと映画が上映されている瞬間の時間、映画は偏陸の存在によって寺山修司が製作段階で狙っていた思惑以上なものに成長しているのかもしれません。

ちなみにボクがこの映画を見に行った日は、映画の初日で森崎偏陸その人が来ており舞台あいさつまでしたのであります。35年以上まえの森崎偏、ドキュメンタリー映画を撮られた頃の森崎偏陸、そして完成した映像を披露する上映会に顔を出した森崎偏陸…“前衛的表現”を地でいってしまうそんな印象も受けたのであります。映画はそうしたいくつもの時間軸による不思議さとは別に、日常を生きるとはどういうことなのかをあらためて考えさせてくれるものでありました。そこに一人の人間の生々しく生きていく姿が映し出されていたからです。(何か参考になるというか、ボクは一体どう生きているんだと投げかけられているような、さりげない時間の過ごし方お含めて心に響いたところが多くありました。)

そして、何よりも強く感じたのは森崎偏陸の向こう側にいる寺山修司の存在でした。なぜなら、彼が活躍しなければ間違いなくこの奇妙な個人ドキュメンタリー映画は作られなかったであろうし、実験映画「ローラ」も上映されていないだろうからです。日本のどこかで、海外のどこかで、森崎偏陸はスクリーンの中で裸にされてしまい、服を抱えながらスクリーンの中から客席へ剥き出しのお尻をみせながら戻っていく…。監督の戦略に見事にはまってしまったのかもしれません。


※映画「へんりっく 寺山修司の弟」は渋谷のイメージ・フォーラムでレイトショーにて上映中です。



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