“エー、「この劇のヒロインは女学生時代に読んだ『星の王子さま』の感動が忘れられず、ウメボシ婆さんになった現在も、モノホシ台に坐って、ニボシをかじりながらホシばかりを見つめている孤独な女性である。そのテーマからして、まぎれもなく社会主義リアリズムの演劇であるが、しかし、イレバに金色を用いたのは感心できない。星はどちらかというと銀色であるから、義歯も銀にすべきであったと想われる。もともとこうしたテーマは宝塚でとりあげるべきものであるが、それを思い切ってとりあげた民芸の意欲を買いたい。しかし、惜しまれることはラストシーンの笑い方である。本来、あそこでは声を殺し、目を釣りあげて笑うのが六台目の芸の見せどころであったが、それをあえてしゃがれ声をきかせてしまったところに、演出の甘さを感じるのである。ほかでは一度も姿を見せなかった、婆さんの一人息子役の新人の演技が光っていた」と、まあ、こんな調子です。エー、実は私は、芝居の本番を見ないで、この劇評を書いてしまいました。しかし、はじめに筋を紹介し、演出を一寸くさして脇役をほめる。脇役がだめなら、装置をほめる、という現在の劇評程度のものなら、私にでも書ける。大体、こんな劇は、上演されなかった。実在しなかった劇です。実在しない劇でも劇評が書けるんだから、当然、上演されなかった劇の観客にもなれる訳ですな。”
寺山修司が問いかけた観客論としての「観客席」、それは昨日も書いたように現代においてどこまで有効なのかわかりませんが、寺山が問うたこの台詞は、たとえば一頃前にまことしやかに囁かれたアポロの月面着陸が実際は月など行っていないという噂話や、湾岸戦争の頃テレビのモニターに映し出されこれはバーチャルな戦争と論じられたことなどを予見しているかのような趣を持っているように感じます。インターネットが発達し隠蔽された情報はすぐにさらけ出されてしまうのと同時に、ネットワークで結ばれたゲームに過熱しバーチャル空間における実体のない出来事や事件。「観客席」で寺山が試みたことは、現実の観客席に語りかけても最早予定調和に終わってしまっているが、寺山の思考は別の意味で鋭さを放ち痛烈な現代社会論になっているような気がします。
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※「観客席」所収
寺山修司が問いかけた観客論としての「観客席」、それは昨日も書いたように現代においてどこまで有効なのかわかりませんが、寺山が問うたこの台詞は、たとえば一頃前にまことしやかに囁かれたアポロの月面着陸が実際は月など行っていないという噂話や、湾岸戦争の頃テレビのモニターに映し出されこれはバーチャルな戦争と論じられたことなどを予見しているかのような趣を持っているように感じます。インターネットが発達し隠蔽された情報はすぐにさらけ出されてしまうのと同時に、ネットワークで結ばれたゲームに過熱しバーチャル空間における実体のない出来事や事件。「観客席」で寺山が試みたことは、現実の観客席に語りかけても最早予定調和に終わってしまっているが、寺山の思考は別の意味で鋭さを放ち痛烈な現代社会論になっているような気がします。
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