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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

気ままに新書NO.28・・「官能教育」植島啓司(幻冬舎新書)を読む

2014-04-09 | 新書(読書)

「官能教育」なんて生々しいタイトルの新書であります。執筆者は宗教学者の植島啓司氏、私としては彼の本は何冊か読んだことがある比較的馴染みのある方です(大昔、大学の授業を潜りで1回だけ聞いたことがある)。宗教というものを見ていくと、トランス状態というのか、脱自というのか、私という感覚が消えていき大いなるものと遭遇、一体化を体験するという聖なる体験というものに突き当たることがあります。この聖なる体験は恍惚状態の体験でもあり、エクスタシー状態であるということで、ジョルジュ・バタイユを見るまでもなくエロティシズムと結びつきやすい。故に宗教学者の植島氏が「官能教育」というタイトルで本を書くことは別に変でもない、むしろそうなんだと納得がいくのです。

 

エロティシズム、官能、という言葉が並ぶとどうもエッチな感じがするのですが、この本はそうしたことをメインに書いているのではなく、恋愛や愛という感覚が最近変化してきている様子をみることができる。こでまでの在り方にとらわれるでなく、もっと人生を楽しむことができるのではないか?といったようなことを数々の文学作品や書籍を紹介しながら提示しているというものです。現代の結婚制度である一夫一婦制は最近できた制度であり、その制度に縛られている男女の関係は本当にうまくいっているのだろうか?と疑問を投げかけます。むしろ様々な選択肢を持ち複数の愛を確認しあうほうがうまくいくのではないのか?その方が本来的な在り方なのではないのか?男女の関係における喜びの感覚とはセックスに伴うファンタジーにこそあるのものの、セックス自体は移ろいやすく目的を達成すると姿を消しやすい。だから、その象徴的な行為としてのキスこそが人生を豊かにするのではないのか?と問うのです。キスはセックスに比べて精神性が高く、年齢も関係ない。さらには相手を思いやるという感情もあるからということだ。

 

われわれが求めているのは全人間的なふれあいである。恋愛は誰かを所有するということであり、他の誰かを排除することではない。もし結婚という制度がそういった排除につながるのならそれを見直すのも一考なのではないかと。このように語りかける植島氏なのですが、そこには子供の問題がひそんでいるということを考えないと、やっぱりうまくいかないだろうと私は思いました。親のエゴによって子供が犠牲になるのは、どうなんだろう?結婚制度が揺らぎ離婚率が上昇している。最近は離婚といっても珍しくはない。むしろ身近に3回結婚している女性もいるくらいだ。しかし、根本的に子供にとってはいい迷惑だろう。そこをうまく解決していかないと、官能教育により、楽しい人生は送りたいものの、別の問題を孕んでいると思うのでした。植島氏はそこの点を指摘していない点で充分とは言えないのではないのでしょうか?

 

官能教育 私たちは愛とセックスをいかに教えられてきたか (幻冬舎新書)
植島 啓司
幻冬舎

 

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