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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

永遠の妖女#52・・・「身代りの山羊」ルネ・ジラール(法政大学出版局)

2008-04-22 | サロメ
「身代りの山羊」ルネ・ジラール(織田年和/冨永茂樹・訳)法政大学出版局

フランス生まれの文芸学者ルネ・ジラールによるサロメについてして言及した部分を含んだ哲学書である。“身代りの山羊”という言葉から直感的にわかるように論旨ははっきりしている。訳者が後記で書いているように、それは“内部で差異が消失して聴きに陥った社会は、無実の人間を犠牲者に仕立てあげ、これを全員一致の集合暴力を加えることによって、秩序を回復する”というもので、社会秩序維持のための暴力装置の仕組みを解き明かしたのがジラールの思想なのである。そのシンプルといえばシンプルなしかし、しかしそこかしこにみられるこの暴力の模倣による転移と排除の現象。今回はその本の中でサロメに関わる部分をまとめてみました。

  ↓    ↓    ↓

サロメは聖書では名もない少女として登場する。彼女は無垢な存在としてあり欲望を持っているわけではない。しかし母親ヘロディアの欲望はサロメへと転移され模倣されいっそう狂わしいものとなってゆく。母親の欲望が娘の欲望となってしまうのである。サロメは極端から極端の軸へ、つまり無垢の状態から模倣の力によって暴力の頂点へという軸へ瞬時に移行してしまうのだ。

欲望にとってもっとも手ごわい敵は自らについての真実であり、この真実が欲望にとって障碍となりうる。障碍としての躓きの石は欲望の模倣過程の本質そのものなので、この真実を語るものとしてあるのがヨハネである。ヨハネはまずヘロディアの躓きの石となり、次にサロメのそれになり、そしてサロメは自身の踊りによって、躓きの石を宴席の観客全員に転移する。サロメはあらゆる欲望をひとつの束にまとめるのである。それはシャーマンの力によく似たものでもある。一方で宴席の観客は何か異常なものを渇望する、その異常なものとは性もしくは暴力であり、その二つの要素が揃ったが見世物である。サロメの舞踊は観客の欲望を激化させる。やがて観客は所有する余剰なものを彼女に所有されたいという欲望に捉われる。サロメはヘロデにとっての神的なものへとなってゆく。そしてそこに生まれる模倣に由来する集団的殺人への誘惑。集団の犠牲者を要求しているのは、一種の偶像でもあるサロメという名の娘、ほぼ神に等しいとなった怪物的な存在、その前には観客の消費の対象となるべき身代りの山羊、斬首されるべき犠牲者としてのヨハネが存在する。欲望の模倣が不可避的に集団の成員を結束させる。

しかしここで忘れてならないのは、サロメの欲望はヘロディアの欲望の写しであって何ら独自のものではないということ。欲望が模倣した現象なのである。サロメが発想した唯一の新しい要素はヨハネの首を盆に載せたことのみ。サロメにまつわるこのエピソードには身代りの山羊をつくり出す誘惑に直面したさいの人としてのの弱さを隙間見ることができる

ジラールはさらにヨハネとキリストの犠牲類似性との違いを明らかにしていきますが、ここではふれません。ちなみにジラールの思想はあくまで聖書をベースとしており、フローベールやワイルドのサロメは範疇外として無視しております。



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