goo blog サービス終了のお知らせ 

飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

澁澤龍彦、幻想の世界NO.17・・・J・K・ユイスマンス著「さかしま」澁澤龍彦訳(河出文庫)

2007-10-17 | 澁澤龍彦
J・K・ユイスマンス著「さかしま」澁澤龍彦訳(河出文庫)

今年の8月に東急文化村で開催された「ルドンの黒」展、それがきっかけで世紀末デカダンス文学の奇作として名高いユイスマンスの「さかしま」を読もうと思ったのでありました。翻訳は澁澤龍彦。らしいというか、ぴったりというか・・・。

この小説の主人公であるデ・ゼッサントは莫大な遺産が転がり込んだことをいいことに、元来の人間嫌いの性分がムクムクとこみ上げてきて、ブルジョア民主主義と科学万能主義を軽蔑するその思考性は日常生活の現実的営みを放棄し、自分の脳内理想空間を実現するべく生活環境空間をデ・ゼッサントの趣味趣向、美学に合ったものに作り変えてしまう。その中で自分の好きな芸術に浸りその世界に惑溺してゆくのである。

そこにルドンの絵もあったのである。ルドンの絵の世界を評すのみならず、この「さかしま」は様々な文学、絵画の世界を独自の視点で持って紹介していくのです。見方によってはそれしかないのでは、なんて辛辣な意見も飛びかいそうなくらい徹底ぶりなのである。

ボクは読みながら江戸川乱歩の傑作「パノラマ島奇譚」を思い出したのであります。しかし、乱歩の方がたぶんに犯罪という要素もあり、他者とのかかわりの側面、駆け引きあるのですが、「さかしま」の方は他者との関係が見る事が出来ないマスターベーション状態なのであります。どちらが異様かといえっても甲乙つけがたい世界にこの2つの小説は、入り込んでいるのですが・・・。

やがてデ・ゼッサントは一人きりの幻想の世界に浸りすぎたことにより健康を害し鬱の世界へと彷徨いこんで行きます。それは乱歩の「パノラマ島奇譚」と同じく自己破壊の道をたどらざる得ないのでしょう。しかし、「さかしま」のデ・ゼッサントは、崩壊一歩手前で「これですべては終わったのだ」と外界へと下りますが、「パノラマ島奇譚」の菰田源三郎は人間花火となってその身を破壊、無数の肉片になってしまいます。その結末に読者はどう感じるか?それは読み手の嗜好性の問題も影響してくるのでしょう。

ちなみに訳者の澁澤龍彦はあとがきで、

“神にまれ悪魔にまれ、その絶望の埒外にある何ものかによってつねに魂を奪われているという状態、言い換えれば、緩慢な不断の緊張によって次々に粘りづよく主人公の内部の現実をあばいて行く、あの無意識の力ともいうべき牽引力を読者に提示したことであったと、と思われる。・・・どこに向かって伸びて行くか作者自身にも分からぬ、発瑞も終わりもない唐草模様のような平面的な描写。まさに、ここにこそ近代の反自然主義の行き着くべき一つの極限があったとも言い得るのだ。”

とこの「さかしま」について言及している。その一言一言に澁澤の天才的感性が見て取れてあらためて自分など届かぬ向こうに輝く星を見てしまうのでありました。



68歳の店長が、楽天出店で月商1400万を達成。その秘密とは?

クリック、お願いします。 ⇒
関連書籍DVDはこちら↓↓
さかしま (河出文庫)
J.K. ユイスマンス,渋澤 龍彦
河出書房新社

このアイテムの詳細を見る
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 澁澤龍彦、幻想の世界NO.... | トップ | 僕は知らない寺山修司NO.... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

澁澤龍彦」カテゴリの最新記事