映画監督ヴェルナー・ヘルツォークに関する書物を書店で探しても見つかりません。ネットで調べるとこの本がありました。で、早速購入。後書きを読むと世界的に見てもヘルツォークに関する本は見当たらないようです(本が出版された2000年の時点で)。ですからこの本は貴重な本といえましょう。本日はその本に寄稿されていた二人の方の文章を引用させていただきました。(以下、パンドラ発行:「解凍!ヘルツォーク」からの引用)
『<辺境の幻視者>はいつまでも若い』 瀬川祐司
・ヘルツォークの作品群は、回顧上映会で順番を並び変えて上映されようとも、観客になんの違和感ももたらさないにちがいない。
・ヘルツォーク映画は、時代の刻印を超越しているがゆえに、古びることを免れえている。
・彼の作品は、いずれも超時代的である。時代設定がなされている場合も、表現された空間があまりにも抽象的であるため、いつどこに起きた話であってもおかしくないように感じられる。
・ほとんどの写真(=撮影中のスナップ)のバックに捌く、密林、高山等が見える。それらの背景は、必ずしもストーリー設定に忠実な場所ではない。……ヘルツォークにとっては自らのイメージする<風景>がまず存在するのであって、それがどこで得られるかは問題ではない。じっさい、彼の映画に出てくる<風景>には、国籍不明のものが多い。
・極言すれば、ヘルツォーク的<風景>とは、彼の映画のなかにしか存在しない、リアリティーを欠いた集合体である。
・ヘルツォークが「誰も見たことのないような光景」に深く魅せられた映像作家であり、人間が踏み入れたことんあい無垢な自然等<神話的な風景>映像を追求し、そうしたものをどの劇映画にも使用してきたことはよく知られている。
なぜ、ヘルツォークはこれほどまでに「変わらない」のか。奇形の形象の活躍。サーカスをはじめとする見世物小屋的なもの、あやしげな芸人の登場。無限の回転運動を続けるモティーフ。蜃気楼のような風景。何かに取り憑かれ、極限状態にあるー主人公。目的や目標の定かでない孤独な闘争と挫折。周囲の環境への徹底的な違和感。彼の作品群は、こういった「ヘルツォーク的世界」を適当な時代・地域に当てはめてつくったヴァリエーションにすぎないように感じられてならない。
・ひとつ予言をしておこう。ヴェルナー・ヘルツォーク。は、100年後に「世界映画史」といった書籍が書かれるとすれなヴィム・ヴェンダースよりもはるかに大きなスペースをさいて紹介されるにちあいない。
『ヘルツォークの夢見るところ』 川本三郎
・私には、氷の河につかり、野を歩き、火山をきわめようとするヘルツォークはむしろ近代の理性から自ら脱落し、中世の深い森のなかに入りこもうとしている中世人のように見える。……ヘルツォークはそうした中世、あるいは擬似中世を舞台にするだけでなく、現代を舞台にする場合も、理性よりは無意識、言葉よりは五感、秩序よりもゆらぎを重視する“中世的感覚”を濃厚に強調する。
・深い森の裂け目、山頂と空が溶け合う虚空の一点、”創造の神もまだ手をつけていない“未踏のジャングルーそうした始源的イメージと映画という科学を連動させようとするヘルツォークは、映画監督というよりも錬金術師か催眠術師と呼んだほうがふさわしい。
・小人、吸血鬼、超常能力者、偽王、迷子、そうした現代の価値基準からいえば異常になってしまったが、おそらく中世ならば日常の生活のなかに溶け込んでいたに違いない“異常な正常”あるいは“正常な異常”に憑かれたようにこだわっていくヘルツォークは、究極的には人間を近代の言葉や肉体とは違った要素でとらえかえし、“神の手の触れていない”始源の森の住人にしようとする。
・あるインタビューで「映画監督に必要なことは?」と聞かれ、ヘルツォークは即座に「音楽を聴くこと、詩を書くこと、そして自分の足で歩く事だpと語っている。音楽、詩、そして歩行の3つを並べるとヘルツォークは、中世の吟遊詩人だともいいたくなる。
・五感のすべてを創造行為と見るヘルツォークほど、音楽に凝る監督もいない。……あるインタビューのなかでヘルツォークは「私は音楽が大好きで、撮影が終わったあと編集よりもむしろ音楽のほうに時間をかける」といっているほどだ。
・ヘルツォークにとって音楽は、……あくまでも自分を異界に連れ去ろうとする人さらい的魅力を持った“魔笛”なのだ。……ヘルツォークは音楽という魔術的媒介を使うことによって自分をより森へ、森へと追い込み、異界化していく。
・共同体の暗黙のルールの外側へと逸脱してしまった人々を取りあげるのは、彼らのように現代社会のなかでは「異常」「アウトサイダー」とされている人間のほうがよりよく見えない世界を見ることができると確信しているからだろう。
・ヘルツォークの映画に出てくる主人公はほとんどすべてといっていいくらいにアウトサイダーであり、周縁の人間であり、それゆえ迷子性を強く刻印されている人々である。
・ヘルツォークというと傲慢な巨人主義の体現者と思われがちだが、目を……転じると、ヘルツォークは、子供とか迷子とか老人とか、制度の外にはじきとばされてしまった異界性の強い存在を通じて近代の理性の目からは見えにくくなってしまった「天来の全き秩序と調和」を求めようとしている中世人の一人というイメージが浮かびあがる。
・中世の時間と場所を夢見る迷子たちには現代の地球はあまりに狭すぎる。もしこの地上に自分たちお場所を確保しようとするのなら、『フィツカラルド』のようにアマゾンの奥地にまで行ってジャングルのなかにオペラの殿堂を建設するという壮大な夢を見なければならない。
・迷子たいの敗北をヘルツォークはペシミスティックに悲劇的に描こうとしているわけでは決してない。……むしろ迷子たちが、社会のなかで演じる思いもよらない遊戯性、喜劇性に“生の証明”を見ようとする。
・ヘルツォークの映画にはほとんど恋愛が描かれず、性の匂いを感じさせない特質があるが、それはこの遊戯的感覚ゆえと思われている。
・ヘルツォークががこだわるのはそうした文明以前か、あるいは一気に文明以後の死の風景だ。彼は、近代社会のつつましい風景にはほとんど興味をしめさない。
・ヘルツォークは、地球の端の孤絶した風景を夢見る。噴煙をあげる火山、断崖を落ちていく滝、切り立った山頂をかすめていく雲。そうしたノーマンズランドの風景は、始原的風景であると同時に、“地球が滅亡したあとにやってきた宇宙人が見た地球の廃墟の姿”と見ることもできる。
解凍!ヘルツォーク | |
パンドラ | |
パンドラ |
アギーレ・神の怒り [DVD] | |
ヴェルナー・ヘルツォーク | |
東北新社 |
フィツカラルド [DVD] | |
ヴェルナー・ヘルツォーク | |
東北新社 |
ノスフェラトゥ [DVD] | |
ヴェルナー・ヘルツォーク | |
東北新社 |
小人の饗宴 [DVD] | |
ヘルムート・デーリング,パウル・グラウアー,ギーゼラ・ヘルトヴィヒ,ヘルテル・ミンクナー,ゲルトラウト・ピッチーニ | |
東北新社 |
カスパー・ハウザーの謎 [DVD] | |
ヴェルナー・ヘルツォーク | |
東北新社 |
神に選ばれし無敵の男 [DVD] | |
ヴェルナー・ヘルツォーク | |
東北新社 |
戦場からの脱出 [DVD] | |
クリスチャン・ベイル,スティーブ・ザーン,ジェレミー・デイヴィス | |
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント |
コブラ・ヴェルデ [DVD] | |
ヴェルナー・ヘルツォーク | |
東北新社 |
バッド・ルーテナント [DVD] | |
ニコラス・ケイジ,エヴァ・メンデス,ヴァル・キルマー,アルヴィン・“イグジビット”・ジョイナー | |
ワーナー・ホーム・ビデオ |
キンスキー、我が最愛の敵 [DVD] | |
ヴェルナー・ヘルツォーク,クラウス・キンスキー,クラウディア・カルディナーレ,フォン・デア・レッケ夫妻,クララ・リート | |
東北新社 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます