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「戦後詩 ユリシーズの不在」(ちくま文庫)
今回読んだテーマは、詩です。・・・詩。
正直言いって、ここ何十年こんなにまとめて詩を読むことなんてなかったと思う。それがまあ寺山修司の本を通じていく篇かの詩を無理やり?読むこととなったわけなんだけども・・・。しかしそれが忘れていた詩的な情感というものを心のどこかでふるい起こされていく気がしました。
ところで寺山修司の現代詩の評を読んでいると、“書を捨てよ”とばかり、寺山は劇団「天井桟敷」を率いて前衛的な実験劇を上演しつづけたように、その肉体的で行動的な感性というのか、ものの見方のようなものを感じることができるような気がした。それは、たとえば「おやすみ」ではなく「おはよう」の思想を説くところに顕著に見てとれる。実際、演劇の公演を打つとなると個性豊かな複数の役者やスタッフがかかわり、公演のための稽古を繰り返すという舞台の完成へ向けての作業がある(=肉体的)。それ以外にも、観客席を埋めるためのチケットの販売や興業収支はどうなっているのかという現実的なお金の問題が、避けることなく待っているのであるから、何よりもまず、動かないわけにはいかないのだ(=行動的)。
そうした意味では寺山修司は真の行動しながら、考える人であったのだろうが、すごいなと思えるところは、前衛的な精神を忘れずにいたという点であったというところ。現実的な難問が我が身に降ってくるとき、人は保守的な方向に向かいがちだが、寺山はそれを革新性でもって対抗していった。できそうでできないことと思う。だからではないが、寺山の現代詩に対する批評は別の観点からも説得力をもっているといえそうなのだ
◇寺山語録~「戦後詩 ユリシーズの不在」より~◇
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“「直接の伝達」というのは、もはや社会悪なのだ。何かをいうためには、私たちは代理人を立てなければいけない。”
“カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」と問いかけているが、その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。”
“個人の主体だけが重要なので、劃一的な思考は排すべきだという考えは変わらない 。それはいわば事実ではないが真実の世界であって、虚構ではないが幻影の体験なのである。”
“われわれの日常を規制しているのは事実ばかりではない。むしろ事実を生み出している権力家の<あるいは自分自身の>迷妄なのである。”
“私はこの時代が変わって決して避けられない必然の下に暗い様相を帯びているとは思えなかった。悲劇的ではあったが、悲劇そのものではなかった。だから「ニーチェの時代には悲劇的なものを求めることが英雄的であったのに対し、すでに悲劇的なものが予め与えられている現代では、幸福を求める行為以外にニーチェの説いた感情の高密度を保証するものはない」とさえ思ったのである。”
“「運のわるさ」というのは、時代との折り合いがうまくつかないということよりも、自分自身との折り合いがうまくつかないということ”
“昨日の自分は、いわば影だ。昨日の自分は痛くもなければ快感も感じない。それは決して今日の自分とは比較できないものなのではないだろうか?……人は誰でも、現在的な存在である。……「わたしが一番きれい」だと感じるのは、いつだって現在なのだ。”
“「行く」という行為は在りうるが「帰る」という行為はありえないのだ。回帰するやつは、みんなくたばれ。”
“おやすみは、コミュニケーションの終わりの挨拶である。ここからは何もはじまらない。……だから、私は「おやすみ」ではなくて「おはよう」ということを考える。くたびれて「幻滅の風景を愛撫し」つづけてきた長い灰色の夜を終わらせるのは、この「おはよう」の思想化ということである。「おはよう」は主体的だと「おはよう」はこっちから話しかけるための出だしのファンファーレである。それは話しかけられるのではなくて話しかけるためにある。”
“詩人に「公生活」があるのかどうかが問題である。彼等の大部分は詩を実業としてはいず、他に職業を持っているからである。「詩」は虚業だる。……私は、ふと「詩人」というのは形容詞なのではないだろうか、と考えることもある。岡田茉莉子は「美人」である。というような意味で、かれは「詩人」である―というわけだ。”
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正直言いって、ここ何十年こんなにまとめて詩を読むことなんてなかったと思う。それがまあ寺山修司の本を通じていく篇かの詩を無理やり?読むこととなったわけなんだけども・・・。しかしそれが忘れていた詩的な情感というものを心のどこかでふるい起こされていく気がしました。
ところで寺山修司の現代詩の評を読んでいると、“書を捨てよ”とばかり、寺山は劇団「天井桟敷」を率いて前衛的な実験劇を上演しつづけたように、その肉体的で行動的な感性というのか、ものの見方のようなものを感じることができるような気がした。それは、たとえば「おやすみ」ではなく「おはよう」の思想を説くところに顕著に見てとれる。実際、演劇の公演を打つとなると個性豊かな複数の役者やスタッフがかかわり、公演のための稽古を繰り返すという舞台の完成へ向けての作業がある(=肉体的)。それ以外にも、観客席を埋めるためのチケットの販売や興業収支はどうなっているのかという現実的なお金の問題が、避けることなく待っているのであるから、何よりもまず、動かないわけにはいかないのだ(=行動的)。
そうした意味では寺山修司は真の行動しながら、考える人であったのだろうが、すごいなと思えるところは、前衛的な精神を忘れずにいたという点であったというところ。現実的な難問が我が身に降ってくるとき、人は保守的な方向に向かいがちだが、寺山はそれを革新性でもって対抗していった。できそうでできないことと思う。だからではないが、寺山の現代詩に対する批評は別の観点からも説得力をもっているといえそうなのだ
◇寺山語録~「戦後詩 ユリシーズの不在」より~◇
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“カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」と問いかけているが、その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。”
“個人の主体だけが重要なので、劃一的な思考は排すべきだという考えは変わらない 。それはいわば事実ではないが真実の世界であって、虚構ではないが幻影の体験なのである。”
“われわれの日常を規制しているのは事実ばかりではない。むしろ事実を生み出している権力家の<あるいは自分自身の>迷妄なのである。”
“私はこの時代が変わって決して避けられない必然の下に暗い様相を帯びているとは思えなかった。悲劇的ではあったが、悲劇そのものではなかった。だから「ニーチェの時代には悲劇的なものを求めることが英雄的であったのに対し、すでに悲劇的なものが予め与えられている現代では、幸福を求める行為以外にニーチェの説いた感情の高密度を保証するものはない」とさえ思ったのである。”
“「運のわるさ」というのは、時代との折り合いがうまくつかないということよりも、自分自身との折り合いがうまくつかないということ”
“昨日の自分は、いわば影だ。昨日の自分は痛くもなければ快感も感じない。それは決して今日の自分とは比較できないものなのではないだろうか?……人は誰でも、現在的な存在である。……「わたしが一番きれい」だと感じるのは、いつだって現在なのだ。”
“「行く」という行為は在りうるが「帰る」という行為はありえないのだ。回帰するやつは、みんなくたばれ。”
“おやすみは、コミュニケーションの終わりの挨拶である。ここからは何もはじまらない。……だから、私は「おやすみ」ではなくて「おはよう」ということを考える。くたびれて「幻滅の風景を愛撫し」つづけてきた長い灰色の夜を終わらせるのは、この「おはよう」の思想化ということである。「おはよう」は主体的だと「おはよう」はこっちから話しかけるための出だしのファンファーレである。それは話しかけられるのではなくて話しかけるためにある。”
“詩人に「公生活」があるのかどうかが問題である。彼等の大部分は詩を実業としてはいず、他に職業を持っているからである。「詩」は虚業だる。……私は、ふと「詩人」というのは形容詞なのではないだろうか、と考えることもある。岡田茉莉子は「美人」である。というような意味で、かれは「詩人」である―というわけだ。”
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