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シニアー個人旅行のかわら版

国内・海外旅行の話題を中心に、アップデートな情報とともに、シニアーのための手作り旅行を発信する。

静かな鎌倉を訪れたかったのです

2014-05-03 14:21:02 | Weblog
午前6時半に自宅を出発、鎌倉駅に8時に着きました。
前回の旅では雑踏の中の鎌倉という印象でしたので再度の訪問となりました。
段葛を歩き、鶴岡八幡宮へ、小学生と中学生が八幡宮となりの学校に急ぎます。



境内は閑散としています。修学旅行らしい小学生のグループに出会いました。千葉県香取市から来たとのこと、東関東・館山自動車道・東京アクアラインを利用すれば2時間もかからず鎌倉です。頼朝が石橋山の戦いに敗れ、房総に渡ったことを思い出しました。

純白の小袖と赤い袴の巫女さんが新緑の境内を社務所に向かいます。緋袴でなく紫色の袴の女性も目にしました。神職の方でしょうか。



鎌倉駅に戻り、江ノ電で稲村が崎駅へ・・・天気がよかったこともあり鎌倉側から江ノ島を撮りたかったのです。波はおだやか、サーファーがのんびりと泳ぎ、もう夏の気配です。



稲村が崎駅から極楽寺駅へ戻り、極楽寺、切通し、御霊神社、長谷寺、高徳院(鎌倉大仏)、光則寺を経て、長谷駅から帰宅しました。平日の午前中であったのにもかかわらず、人気の長谷寺と鎌倉大仏は観光客で混雑、大仏様のお顔を仰ぐだけで、次の機会を待つことにしました。



光則寺は静かなたたずまいを見せていました。長谷寺と高徳院の間にあり、観光ルートから隠れるようにあるからでしょう。この寺は日蓮の弟子日朗が閉じ込められていた土牢があり、草木・花木が覆う庭は一見の価値があります。



植木の手入れをなさっていたお寺の方からお話を伺いました。ここは北条時頼の近臣宿谷光則の屋敷跡で、佐渡に流罪となった日蓮と土牢の日朗との深い師弟愛に心を打たれ、光則は後に日蓮に帰依、屋敷を日蓮宗の寺としました。




四季の光則寺 山野草と茶花 マップ」をいただきました。草木と花が多すぎて、寺の方も覚えきれないそうです。しだれ桜は、身延山久遠寺のしだれ桜の種からの「実生の桜」・・・山アジサイは種類が多く、5月中旬から6月中旬が見頃・・・庭全体が東からの海風を受けるため、背の高い花木の維持管理に苦労するようです。

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古道「つくば道」を歩き、蚕影神社と筑波山神社を訪れる

2014-04-12 17:49:44 | Weblog

 寛永3年(1626)徳川家光が江戸城の鬼門を守る筑波山の中禅寺(筑波神社)を改築するため、資材を運ぶ直道を北条から筑波山まで開きます。この道は、その後、筑波山神社への参道「つくば道」として使われるようになり、北条は門前町・宿場町として栄えます。

 明治、大正から昭和の初めにかけて養蚕が国策として推進されるようになると、養蚕発祥の地として金色姫伝説が伝わる蚕影山神社に参詣する人々が「つくば道」を通るようになります。

 大正7年(1918)に筑波鉄道が開通、列車・バスを乗り継いで筑波神社へ参詣できるようになり、また、養蚕が廃れるにつれて蚕影山神社への参詣者も途絶え、「つくば道」はその歴史的な役割を終えます。

江戸と北条を結んでいたメインストリートです

     

 平成24年(2014)の竜巻で電柱が倒され、多くの家が屋根を飛ばされるなどの被害を受けた商店街ですが、新たな装いを見せています。商店街の中心にあった大正時代に建てられた呉服店は北条ふれあい館となり、軒下の「古い信用と新しい柄行」という看板に当時の賑わいが伝わってきます。

「つくば道」はここから始まり、北条・神郡(かんごおり)・臼井・筑波に至ります

         

 筑波の峰を目指すほぼ一本道です。野を行く道を想像していましたが、点々と民家・農家が連なり、古くから人々が生活した道であったことが分かります。神郡には鎌倉時代からの由緒ある普門寺があり、陣屋が置かれていた江戸時代の町並みの雰囲気が色濃く残っています。

     

蚕影神社へは、奈良時代から続く水田越しに筑波山を望みながら、向かいます

     

 神郡の道標から東に一キロです。昭和の初めまで旅館・休憩所だった春喜屋から200段の石段を登ると本殿(江戸初期)と拝殿(大正)を持つ蚕影神社に至ります。金色姫の遺言で柩を開ける権太夫夫婦の絵馬が奉納されています。
 神郡へ同じ道を戻ります

               

一の鳥居から筑波神社の神域・・・本格的な登り坂となります



 北条、神郷は比較的平坦な道が続き、臼井からが筑波山山麓です。やがて大きな石の鳥居が見えてきます。
 昭和40年代までここからは石段の道が続いていました。三叉路から本通り(右手の道)を進むと石段が残っています。昔の旅籠があり、振り返ると今までの道筋が見えてきます。
 ここは筑波、坂下に臼井、左手奥に見えるのが神郡、小山の向う側が北条です。

               

昭和14年(1939)に建てられた旧筑波山郵便局です



最後の階段を登るとつくばスカイライン、歩道橋を渡れば筑波神社の境内です。




アクセス:TXつくば駅・つくばセンターバス乗り場3番・筑波山口行(30分おき)
     筑波交流センター下車、筑波高校前を北へ、北条商店街へ。

帰路は:①筑波神社前バス停からつくばセンターへ
    ②「つくば道」に戻り、途中の案内板にしたがって西へ、筑波山口バス停(旧筑波鉄道筑波駅)からつくばセンターへ

観光協力の家:「つくば道」にはコンビニ・食堂はない。つくば市観光協力の家でトイレを借りることができる。普門寺(神郡)・川邸(臼井)

資料:神郡マップ・筑波山麗マップ(つくば市・アースデイつくば実行委員会TEL/FAX029-857-1555)
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路線バスを乗り継ぎ、早春の南伊豆を歩く

2014-03-10 13:51:50 | Weblog


伊豆急下田駅は意外にも閑散としています。
桜まつりで賑わう河津駅でほとんどの観光客が降りてしまったからでしょう。
冒頭の写真は夕方、伊浜から波勝崎を取りました。

今回の旅は下賀茂温泉の「みなみの桜と菜の花まつり」でウオーキングを楽しみ、伊豆の秘境といわれた波勝崎・伊浜集落に向かいます。
駅の観光案内所でパンフレット「桜と菜の花ウオークラリー」と東海バス・南伊豆観光時刻表をもらい、バス・ターミナルに向かいました。

みなみの桜と菜の花まつりへ

 ウオークラリー出発地点・日野(ひんの)へ3番乗り場のバスで向かいます。
13時発のバスに乗りました。座席は埋まっていましたが、それほどの混雑ではありません。20分で日野バス停です。菜の花が満開です。ウオークラリーはここから青野川の河津桜が咲く堤を上流に向かって前原橋までの60分のウオーキングです。




 日野橋から下流はソメイヨシノの古くからの名所です。
河津桜ばかりが話題になっているが、3月下旬から見頃を迎える青野川下流のソメイヨシノもまた見事だ」と、地元の方から聞かされました。
ソメイヨシノ近くに河津桜を植えたため、葉桜となった河津桜がソメイヨシノの美しさを邪魔している」とも言っていました。



 青野川はゆったりと流れ山里の雰囲気ですが、ここは河口の弓ケ浜(相模湾)から2キロ足らずです。下賀茂を歩くと海抜表示版を目にします。内陸なのに・・・と思われますが、弓ケ浜は12,3メートルの津波が予想され、青野川を遡る危険性があるからです。



 河津桜は8分咲き・・・静かなウオーキングを楽しめました。
平日ということもあり、観光客より地元の方のほうが多いという印象です。しかし、136号沿いの駐車場は満車でした。「河津町に続けと、河津桜を植え始めたのが30年前、ようやく美しい桜並みになった」とのことです。



マーガレット生産日本一の伊浜へ

 ウオークラリーの終点・前原橋バス停で伊浜行を待ちます。
バス停には小学生がバスを待っていました。東海バスは地域運行スクールバスも兼ねており、伊浜・中木・天神原方面のバスが停まります。14時32分の伊浜行のバスの一般乗客は二人だけした。



 江戸時代に江戸と上方を結ぶ千石船の風待ち港として栄えた子浦です。
子浦から136号はループを描きながら山側を上ります。かつてマーガレットラインと呼ばれた有料道路でした。断崖沿いの歩道か海上を行くしかなかった陸の孤島・伊浜はこの道路により子浦は結ばれました。



 ガソリンスタンドのある一丁田バス停で136号と分かれ、伊浜まで九十九折の3キロの町道を一気に下ります。絶景ポイントの連続で、一丁田で降りて伊浜まで歩けばよかったと後悔しきりです。15時14分に伊浜に到着しました。



 伊浜のマーガレット栽培は、昭和7年、房総・富浦から伝わりました。
 真冬でも氷点下に下がることのない温暖な伊浜は露地栽培が可能で、段々畑はマーガレットで彩られました。現在ではビニールハウスでの無加温栽培で11月から4月にかけて全国に出荷されています。



 宇留井島近くで伊勢えび漁の網入れをする伊浜の漁船です。



伊勢えびは夜行性で夕方から餌を求めて岩陰から出てきます。伊浜では夕方前に網入れして、夜の9時から網を揚げ、番屋に運び、伊勢えびを外します。作業が終了するのは午前2時頃といいます。翌日は破れた網の補修作業をして、夕方の漁に備えます。

 十五軒あった民宿は五軒に減ってしまいました。
舞鯛の煮付けとフライ、メジナの刺身と味噌汁、サザエの酢の物、そして朝食には伊勢えびの味噌汁と岩のり、地物の野菜・・・伊浜の海でとれた新鮮な材料が並ぶ食卓は最高のおもてなしですが、経営者の高齢化と観光客の減少が悩みです。南海トラフ地震の津波対策は万全です。漁港から標高表示板30メートル地点まで歩いてみましたが、5分とかかりませんでした。
かつての賑わいが伊浜に戻ることを祈るばかりです。



 早朝6時24分のバスは中学生、6時55分は小学生、8時は通院用です。
それ以降のバスは夕方までありません(休祭日は13時20分のバスが運行)。前日の最終バス2台が停留場に置かれ、運転手は車で通います。8時のメデイカルセンターに立ち寄るバスを利用しましたが、下賀茂まで乗降客はだれもいませんでいた。



 伊浜と松崎方面を結ぶバスはなく、歩くしかほかはありません。
雨天でなけれは伊浜→波勝崎→富士見農園→石部棚田重文・岩科学校と歩き、路線バスで松崎町経由で下田に戻る計画でした。
田植えが終わった石部棚田と山ツツジが美しい5月に再度、挑戦しようと思います。

松崎町周辺バス路線

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2014これでスペイン・パラドールのすべてが分かります

2014-02-22 10:35:57 | Weblog
パラドールのサイトは年々改良され、より予約しやすく、パラドールの情報を簡潔にまとめて提供しています。
写真はパラドール・デ・ マラガ・ヒブラルファロからマラガ港を望んだものです。



さっそく、ホームページ(英語版)にアクセスしましょう。パラドールの美しい写真に予約欄Book your Paradorが埋め込まれています。宿泊先のパラドールが決まっている場合にはこの欄から予約しますが、まず、パラドールの分布図をみます。スペインを象った小さなロゴをクリックすると、パラドールの分布を示すスペイン地図が表示、全国90を越えるパラドールの位置が分かります。ズームインするとスペインの北部、マドリッドの周辺、南部のアンダルシアにパラドールが多いことが見て取れます。


次に欄下部のAdvanced searchをクリック、アルファベット順にすべてのパラドールの写真と格付け、一室宿泊最低料金が表示されます。(*全パラドールを表示するのにわずかなタイムラグがある)

宿泊料金を較べると、パラドールの人気度が分かります。
第一位 230€  Granada グラナダ 
第二位 160€  Alarcon アラルコン
第三位 140€  Santiago de Compostela  サンチャゴ・デ・コンポステーラ
第四位 135€  Alcala de Henares アルカラ・デ・エナレス
第五位 130€  Hondarribia ホンダリビア
第六位 125€  El Saler エル・サレール
第七位 120€  Caceres カセレス Carmona カルモナ Ronda ロンダ Malaga Gibralfaro マラガ・ヒブラルファロ Toledo トレド 


(Ubeda・ウベダにあるパラドール)



パラドールは古城や城砦、貴族の宮殿や邸宅、修道院、景勝地を望むホテルなどがあります。ちなみに、人気上位七位までのパラドールは次のようになります。

Granada(世界遺産アルハンブラ宮殿内の修道院)、 Alarcon (十三世紀の古城と村)、Santiago de Compostela (世界遺産、巡礼の道・聖堂に隣接する貴族宮殿)、Alcala de Henares (世界遺産・中世の大学都市にあるホテル)、Hondarribia (バスク地方、港を守る中世城砦)、El Saler(地中海に面するゴルフ場を持つホテル)、Caceres(世界遺産・旧市街のルネッサンス様式の宮殿)、 Carmona(アンダルシア平原を望むアラブ城砦)、 Ronda (渓谷の絶壁断崖に立つ旧市役所)、Malaga Gibralfaro (マラガ港と街を眼下に一望するホテル),Toledo(世界遺産トレドの街を見渡す地方色豊かなホテル

 各パラドールの情報キーMore Infoをクリックすると、そのパラドールの専用ページに移ります。パラドールの内部の紹介ビデオ、周辺の写真、パラドールの特徴・歴史、料金カレンダー、アクセスマップなどが載せてあります

 Pardor Granadaで見てみましょう。More infoをクリック、専用ページに替わります。

 料金カレンダーを見ます。グラナダの最低料金は230ユーロですが、日にち・月により変動します。予約可能な部屋が広い部屋だったり、ハイシーズや行事がある場合は高くなります。逆に最低料金を下回る料金設定の場合もあります。
 
 How to arrive(アクセス)ですが、世界遺産の中にあるため、車両の乗り入れ禁止ですがパラドールの宿泊者は特別です。予約書類を守衛に提示するとゲートをあげてくれます。その注意書きの下に地図があります。クリックしてGranadaの町を確認、パラドールの周辺道路が表示されるまでズームインします。
 鉄道やバスでのアクセスは載っていません。 

 予約が複数のページからもできるようになり便利になりました。料金カレンダーからの予約で説明します。
 7月5日にグラナダに宿泊するという設定で、料金カレンダーを7月まで移動します。現時点では7月5日は300ユーロ、数字をクリック、続いてBook nowをクリック、予約ページに移ります。

 一部屋人数は1人から3人の中から選びます。割引料金の適用がある30歳以下または55歳以上のチェックを入れますが、グラナダのような人気パラドールでは期待薄です。Amigo de Paradores(パラドール友の会)に入っている方はYes欄にチェックを入れます。
 
  Nextをクリック、予約内容の確認ページです。料金はRoom onlyで表示されていますので、朝食も予約するならBed and breakfastを、朝食・夕食予約ならHalf boardをクリック、料金が替わります。

 Confirm your reservationをクリック、個人情報記入欄に移ります。Name欄に名を、Surname欄に苗字、電話は自宅か携帯を記入します。

 ページ下の□欄ですが、reservation conditions(予約条件)をクリックするとスペイン語で書かれた長文の条件が出てきますが、主要な内容は次の通りです。

@ 予約の変更・取り消しは48時間前までに行う。それ以降の場合は当該パラドール初日
の1泊分の料金がカードに課金される
@ 個人情報、カード情報等は安全に管理されている
@ 予約確認・変更・キャンセルの場合はパラドールから申込者に送られる予約番号(localizador)が必要

個人情報ページに戻ると自動的に□欄にチェックが入ります。パラドールからの連絡受け取り希望欄にもチェックを入れます。

最後にReserve予約)をクリックすれば予約完了です。パラドール本部からメールアドレスに予約成立の書類が送られてきます。プリントアウトした書類と契約時に使用したクレジットカードを旅行時に持参します。
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極寒の一月、日高本線・静内から苫小牧へ

2014-02-02 17:10:33 | Weblog


静内で法事がありました。
往きは新千歳空港から迎えの車で行きましたが、帰りは日高本線の旅です。
学生時代に様似から苫小牧へ日高本線に乗って以来の半世紀ぶりです。
冒頭の写真は日高山脈です

早朝の静内は穏やかな冬日でしたが・・・



日高本線は、太平洋の海辺に沿って走り、時には昆布干し場近くを、また多くの牧場が目を楽しませてくれる日高地方の観光列車の趣があります。
しかし、冬場は様相が一転します。太平洋の荒波の飛沫が線路をぬらし、昆布干し場は雪で覆われ、馬の姿のほとんどない雪の牧場はわびしく、かつてアイヌの人々の生活と深い関係があった沙流川は凍結・・・日高の厳しさを実感する鉄道の旅となりました。

 静内駅始発13時45分の苫小牧行です。一日7便しかない日高本線の一本です。
 暖房のよく効いている物産店併設の快適な待合室で発車のアナウンスを待ちました。静内・苫小牧間は15駅ありますが、静内駅と苫小牧駅を除いては全て無人駅です。



 新冠駅を過ぎると判官岬が海に落ち込む断崖脇を海すれすれに通ります。





 大狩部駅は駅舎はもちろん屋根も無いホームだけ、国道から山道がホームに下っています。列車は止まりましたが、降りる人も乗る人もありません。海岸の波浪から線路を守るため木の杭が打ち込まれています。



海はますます荒れてきます。ノロノロ運転です。突然、「塩害のためゆっくり走っています」と運転手からのアナウンス・・・飛沫が車窓にもかかり、多くの乗客が海を覗こうと移動、車両が傾くのでは不安になります。運転手が危険を感じて徐行したのではなく、海水をかぶったレールでは車輪が滑り、スピードが出ないということを知りました。

                  

 厚賀駅を過ぎると、海ぎわから少し離れます。浜辺には昆布干し場が連なり、昆布が整然と並ぶ景色を想像するしかありません。あの荒々しい海の底は収穫を待つ昆布の宝庫なのだと実感しました。



 高齢の女性が隣に座りました。「ナイチから来たのか」と話しかけられビックリ、‘内地’という言葉が生きているのには驚きました。門別の病院に行くとのこと。風雪がひどいので列車にしたが、普段は車を運転して行くとのことでした。

 日高門別駅から牧場が左右に広がります。一瞬、牧場内を列車が走ってるのではないかとと錯覚します。広大な牧場には馬の姿がありません。ようやく小さな牧場に肩を寄せ合う数頭の馬が見られただけでした。



凍結した沙流川を渡ります。沙流川流域はアイヌの人々の故郷と言える地域で、上流にアイヌの聖地とされる二風谷があります。



 鵡川駅で苫小牧からの15分遅れの電車を待ちました。「鵡川と言えばししゃも!」「ししゃもと言えば鵡川!」といわれるだけに駅舎は、無人駅ですが、さすがに立派です。



 やがて勇払原野に・・・巨大な苫小牧発電所の煙突が海岸方面に見えてくると苫小牧駅はすぐです。15分遅れの15時37分に到着、除雪されたばかりのホームに降り立ちました。

 静内駅から苫小牧駅まで乗客は20名たらず、途中駅の乗降客は数名、静内始発の日高本線が一両編成のワンマンカーであったことも納得です。



 苫小牧駅から千歳線で南千歳駅へ、この頃が降雪のピーク、新千歳空港駅への列車も遅れ、新千歳空港からの出発便も軒並み1時間以上の遅れでした。




 総務省が発表した人口移動報告で昨年の北海道は転出者人数8,154名で全国一だったという記事が載っていました。冬の北海道は初めてでしたが、その厳しさを体験した日高本線の旅でした。



日高本線は廃線となりました。苫小牧ー鵡川間だけが辛うじて鉄道が残り、バス路線に転換です。

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福澤諭吉生家を訪れ、慶応大学で三田祭を楽しむ

2013-11-28 10:15:37 | Weblog
四月に大分県中津にある福澤諭吉の生家を訪れました。
21歳まで暮らした生家は当時のままに復元されています。
身分制度のしがらみに悩みながら、ここから諭吉は長崎に遊学していきます。



十一月、三田祭で賑わう三田キャンパスを訪れました。
1912年に竣工した、赤レンガのゴシック建築の旧図書館は慶応大学のシンボルです。
福澤諭吉が故郷中津を離れた当時と同じ年代の若者が、学生時代を謳歌しています。



中庭にはオープンステージが設置され、軽音楽・太鼓・ダンスが上演されていました。
200名の学生が出演するダンス・ショーケースでは、ステージ前を観客が埋め尽くし、地面に座っての観賞となりました。



四百年の歴史に佇む中津の町並みと二十万人で賑わう三田祭・・・時の流れを感じました。

 

                            

大分県中津への旅
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新宿から身延山へ・・・高速バス・日帰りの旅です

2013-11-14 10:09:34 | Weblog
写真は身延山報恩閣近くからの富士山です。
 身延山は全国の日蓮宗系1900万の門徒が崇める総本山です。総門から1キロ続く門前町、700年の歴史を誇る諸堂と杉の木立、278段の石段、本堂と山頂の奥の院を結ぶロープウエイ、東に富士山と富士川の流れ、西に南アルプスと早川郷の村落を望むという恵まれたシチュエーション・・・荘厳な雰囲気で包んでくれるパワースポットです。

中央線甲府駅、又は東海道線富士駅乗り換えで身延駅へ、さらに身延駅から路線バスで身延山へ・・・というのが従来の行程でしたが、新宿と身延山を直接結ぶ高速バスが運行され、身近な参詣ができるようになりました。新宿高速バスターミナル発7時40分の始発バス利用なら、身延山門前町の中心部にあるバス停に11時に到着、帰路は最終バス17時10分で新宿着20時30分・・・6時間を身延山で過ごす日帰り旅が可能です。

 三門・・・明治40年再建。日本三大三門にも挙げられる壮大な門。古来、寺院の門構えは正門と両脇に脇門があり三門と称されていたが、大門だけの建築様式に変わり、三門の呼び方だけが残る。
 三門をくぐった右側に、日蓮宗の敬虔な信者であった宮沢賢治の碑がある。




 石段(菩提悌)・・・1632年に完成。「南無妙法蓮華経」になぞらえ、7区画に分けられた287段の石段で、高さ104メートルを一気に登る。一段が30センチあり、子どもや高齢者のための男坂・女坂(迂回路)がある。

    


 身延山久遠寺・・・明治8年の大火でほとんどの建造物が焼失したが、その後123年かけて再建が進み、現在では「墨龍」の天井画を持つ本堂(昭和60年)から祖師堂(明治14年)、報恩閣(平成14年)、御真骨堂(明治14年)、仏殿・客殿・寮・身延山大学・高校が東西に一列に回廊で結ばれた壮大なスケールとなっている。五重塔は平成20年に創建当時の姿で復元された。


                              


 ロープウエイ・・・海抜1153m身延山山頂にある奥の院思親閣まで、三門から50丁(5.5キロ)、徒歩3時間の道のりも、本堂近くからのロープウエイが7分で結ぶ。20分ごとに発着。富士山、富士川、門前町の眺めが素晴らしい。




 .奥の院思親閣・・・日蓮聖人が登山し、故郷の千葉県小湊の両親を偲んで追慕した地に建てられた。樹齢700年の四本の大杉が歴史を伝える。



 身延山頂上・・・思親閣から杉林の中を西に10分歩く。南アルプスが一望できる。明治から昭和の初めにかけて法華経信徒参詣で賑った七面山(1982m)がまじかにそびえる。


                             


この旅程でのハイキングには注意が必要です 




 身延山には東コースと西コースの二つの魅力的なハイキングコースがあります。しかし、東京からの日帰りハイキングは身延山到着が11時であること、頂上発ロープウエイ最終時間16時40分(3/16~11/15)・16時20分(11/16~3/15)という制約があります。
 特に、秋のハイキングでは、身延山の東斜面を下ることと杉林が多いことから、日差しが届かず、午後4時頃には暗くなります。ハイキングマップには所要時間が示されていますが、途中でルートを外れたり、怪我をしたりして、思わぬ時間がかかることも考慮します。

   






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富士五湖の秘境、本栖湖には感動しました

2013-08-04 14:02:08 | Weblog
初めて本栖湖を訪れました。
混雑する河口湖付近を抜け、レストランや果物を売る土産店が連なる街道を西に・・・青木ケ原樹海に沿って走ると、西湖、精進湖、そして本栖湖入り口に到着です。

湖畔に出て、驚きました。自然豊かな静かな湖なのです。半世紀前、学生時代、友人と西湖でキャンプをしてたことがありますが、当時とまったく変わらない同じような手付かずの自然が目の前に広がっていました。

本州では第一の透明度を誇る湖水です。



ボート乗り場で働いていた地元の方と話しました。本栖湖は伊豆箱根国立公園内にあるため、観光開発は厳しく規制されていること、本栖湖観光協会が経営するキャンプ場のほかは湖畔にはなにもないとのこと、「付近に飲み屋がなく、家で飲むしかないので安上がりだ」と笑っておられました。



海抜900メートルで当日の気温は東京より5度も低い25度でした。精進湖、西湖も同じ900メートル・・・大昔は一つの湖だったあかしです。本栖湖は湖底から水が湧き出るため、真冬でも凍ることはないそうです。

南に聳えているはずの富士山は雲に覆われてまったく見えません。ボート乗り場の方に勧められて、湖の北西にある富士山ヴューポイントに行って、ようやく頂だけですが見ることができました。



ここからの景色が千円札の裏面にデザインされていることを知りました。

富士五湖比べ:
 透明度・・・ 本栖湖12.7m
 西湖6.9m 河口湖4.2m 山中湖3.7m 精進湖2.8m
 深度・・・・・ 本栖湖121m
 西湖71m 精進湖15m 河口湖14m 山中湖13m
 容量(立方㌔÷1000)・・・本栖湖328
 西湖83 山中湖64 河口湖55 精進湖3
 面積(平方㌔)・・・・・・・・・山中湖6.78 河口湖5.70 本栖湖4.70
 西湖2.12 精進湖0.50


アクセス情報:
確実に富士山を眺められるよう、天気を見ての日帰り旅行を勧めます。
(*今回、下部温泉に2泊して、身延山からの富士山眺望も楽しもうとしましたが、富士山を眺められたのは上の写真を撮影した本栖湖での一瞬だけでした)
 (往路)
 新宿駅前(バス乗り場)7:40→河口湖駅9:25
 河口湖駅 9:58→本栖湖10:43
(復路)
 本栖湖 15:46→河口湖駅16:32
 河口湖駅前16:40→新宿駅前18:25

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鎌倉時代と室町時代へタイムスリップ・・・北鎌倉散策

2013-07-24 07:43:08 | Weblog


 いざ鎌倉へ・・・と思い立って地図を眺めてもなかなか目的地が絞り込めません。鎌倉には魅力的な場所が多すぎるのです。そこで今回は横須賀線北鎌倉駅周辺の諸寺をゆっくりと散策することにしました。

 北鎌倉駅の地名は山ノ内です。源頼朝(1147~1199)が鎌倉幕府を開いた当時、山内庄と呼ばれ、巨福呂坂(こぶくろざか)の向こう側にあるため、鎌倉の外と考えられていました。
 源氏が三代でとだえ、執権北条氏が鎌倉幕府の首班となり、3代執権北条泰時(1183~1242)が巨福呂坂を越える街道を整備し、鎌倉と山内庄がつながります。

 泰時の孫・時頼は1253年(建長5年)刑場であった山内の地に、宋から来日した禅僧・蘭渓道隆を招いて、建長寺を創建します。年号を寺名とする天皇の勅願寺という寺格が与えられ鎌倉五山制度の筆頭の第一位に位置づけらます。その建長寺ですが、度重なる大火によって中世以来の建物は残っておらず、一番古い方丈でも江戸時代のものです。
 ところで「ケンチン汁」の由来は「建長汁」がなまったものだという説があります。中国由来の豆腐を使うこと、肉を使わず野菜だけ、修行僧が食していた精進料理ということで説得力があります。



 時頼の子・時宗は1282年(弘安5年)帰依していた禅宗を広めたいという願いと、蒙古来襲による死者を敵味方区別なく弔うため、南宋から無学祖元を招請、山内に円覚寺を創建、鎌倉五山第二位に列せられます。門前に民家も建ち、建長寺の門前町と併せて、山内は鎌倉の一部と見なされるようになります。
 かつての境内を横須賀線が横切っていますが、創建時の姿を最もよく残しているのが円覚寺です。舎利殿と梵鐘が国宝に指定されています。








 時宗の子・貞時は父の死の翌年、1285年(弘安8年)円覚寺境内前に尼寺・松ヶ岡東慶寺を開基、江戸川柳に「松ヶ岡女一人の行くところ」と読まれた女性の駆け込み寺として知られていました。髪を切り、経を読み、和裁などして2年間の修行生活を送ると離婚が成立しました。女たちが思いを訴えた水月観音は鎌倉一の美仏といわれています。(東慶寺は明治の初めに僧寺となります。)

 1333年鎌倉幕府が滅亡、足利尊氏が平安京の室町に幕府を開きます。鎌倉には関東十カ国を統括する鎌倉府がおかれ、1349年尊氏の子・基氏(1340~1367)が下向してきます。以後その子孫が鎌倉公方として、また公方を補佐する関東管領として上杉氏が力をふるいます。
 山内に屋敷があり、長く関東管領の要職あった上杉憲方(1335~1394)が明月院に葬られ、明月院は山内上杉氏の菩提寺として繁栄します。最後に山内上杉家の家督と関東管領職を受け継いだのが上杉謙信です。
なお、近年まで「管領屋敷」という地名が山ノ下には残っていました。





山ノ内にある円覚寺、東慶寺、明月院、建長寺を訪れ、いにしえに思いをはせ、巨福呂坂の吹き抜けトンネルを抜けて鶴岡八幡宮を参詣、若宮大路から鎌倉駅に向かう半日ルートはいかがでしょうか。






 

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初夏の北海道へ・・・LCC+JR旭山動物園きっぷ1泊2日の旅

2013-06-14 08:51:42 | Weblog


関東地方は入梅でしたが、北海道は梅雨知らず、天気に恵まれ、美しい自然を満喫しました。

写真は、旭川へ向かう特急から撮った滝川付近です。「雪割りばな」と滝川で呼ばれる菜の花、田植え直後の水田、そして雪を抱くのは暑寒別岳を主峰とする増毛(ましけ)山地、その背後は日本海・・・ニシン漁で賑わった雄冬(おふゆ)、増毛、留萌が・・・北海道は夏が始まったばかりです。

6月4日 成田空港7:108:55新千歳空港(ジェットスター)
     *新千歳空港JRみどりの窓口で旭山動物園きっぷ購入
     *札幌駅下車。荷物をホテルに預け市内見学。
     *札幌泊

6月5日 札幌駅9:00→10:20旭川駅
     旭川駅バス停5番10:40→11:15旭山動物園
     旭山動物園15:00→15:35旭川駅
     旭川駅16:00→18:01新千歳空港
     新千歳空港19:3521:15成田空港(ジェットスター)


ライラックの花とYOSAKOIソーラン祭りで札幌の夏は始まります

      

札幌の町には紫色のライラックの花が満開でした。空港から札幌に向かう車窓からも、町の家々の庭先でも目にしました。
豊平川にも行ってみました。川原ではYOSAKOI祭りに向けて練習しているチームがありました。

 豊平川を見て驚きました。激流なのです。サケの溯上のニュース映像を見たことがありますが、大都会の中を細々と流れる川を想像していました。豊平川はかつて日本海から登ってくるサケの漁場であったそうですが、昭和28年を最後にサケの溯上は見られなくなりました。

 昭和53年に「さっぽろサケの会」が発足します。河川敷の清掃や密漁対策など積極的に活動し、昭和54年に10万尾の稚魚を放流、翌々年の56年、223匹の鮭が姿を現しました。
「カムバックサーモン運動」はその後も続き、2000匹前後のサケが毎年遡上しています。

ジンギスカン料理の発祥の地は滝川と月寒です



 北海道の夏といえばビールとジンギスカンの組み合わせは欠かせません。サッポロビールの跡地に残る明治45年に建てられたレンガ造りのビール貯蔵庫を再利用したビアホール「札幌開拓使」でジンギスカンを味わいました。創業時の社名・開拓使麦酒醸造所に由来したビアホールです。

 大正中期、政府は滝川・月寒に種羊場を開き、羊の飼育を奨励しました。軍服の素材として毛織物が大量に必要になったからです。太平洋戦争が終わり、また戦後安価な化繊が出回るようになると羊毛は採算が取れなくなり、羊を食用へと転換しました。羊肉は特有な臭みがありますが、調理法を工夫してジンギスカン料理は北海道を代表するメニューとなりました。

旭山動物園は国際色豊かな動物園になっています


              

 旭山動物園ブームが起き、一時300万を越えたら入園者も昨年は160万となり落ち着いた雰囲気でした。日本人入園者が減少していますが、東南アジアからの観光客が増えているとのことです。当日、園内では台湾語が飛び交っていました。
 平日でしたが、旭川駅・動物園間の路線バスは超満員で片道35分間を立ちっぱなし・・・まだまだ人気が持続しています。

 旭川市の東にある旭山(300m)の裾野に作られた動物園は、高台にあり、旭川の町並みや遠く増毛山地の山々を望む風光明媚な動物園です。無料電気自動車が坂の多い園内を巡回していました。

 飼育員がエサを与えながら行動や習性を説明していたオランウータン館は人だかりでした。この「もぐもぐタイム」はホッキョクグマ、ワオキツネザル、アザラシなどでも時間を変えて行われていました。

旭川の稲作は明治時代に屯田兵が始めました

      
(明治28年に建てられた屯田兵屋・・・札幌・北海道開拓の村に移築保存)

 数日前の旭川の最高気温は32度・・・旭川が北海道一の米どころであることが納得できました。地図を開いていて、動物園の隣にある東旭川町上兵村・下兵村という地名に気づきました。北方警備と北海道開墾のため、明治25年に屯田兵が入植した地で、ここで屯田兵が稲作に取り組んだのです。

 旭川は盆地です。冬は氷点下30度を下回るたいへん厳しい気候ですが、夏には30度を越え、大雪山からは石狩川に注ぐ水量豊かな川もあり、泥炭地の土壌の改良にも成功し、稲作を広げていきます。

 米は保存でき換金性もある作物です、雄冬・増毛・留萌のニシン漁のためにやってくる出稼ぎ人(やん衆)確保には白米が欠かせず、網元たちはこぞって高値で旭川の米を買い求めました。



(雄冬の港・・・2007年7月に撮影)
 
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バラと蕎麦の深大寺散策

2013-05-18 06:01:37 | Weblog
友人に誘われ、深大寺と隣接する神代植物公園に行ってきました。
実に50年ぶりです。当時はバスの便などなく、三鷹駅から歩きました。
植物園の造成が始まったばかりでした。

神代植物園のバラ園には、その美しさと多彩な種類、そして規模に圧倒されました。散策路は起伏がなく、車椅子や乳母車でも快適に移動でき、ベンチが要所に配置され、多目的トイレもあり、高齢者や若い家族連れには優しい造りとなっています。平日ということもあり、八割がた高齢者の来園でしたが、休日には家族連れで賑わうでしょう。

深大寺は50年前と変わらない雰囲気でした。樹木が一段と成長し、以前よりも緑が濃くなった印象です。深大寺そばを商う店も増え、門前町の雰囲気を盛り上げています。

新宿駅から鉄道と路線バスを乗り継いで一時間足らず、植物園はウメ・ツバキ(春)、サクラ・ツツジ・バラ(春)、ダリア・スイレン(夏)、ハギ・キク(秋)などが楽しめます。

 京王線調布駅北口からバス⑬で神代植物公園前に向かう。調布駅は新宿駅から特急で20分。



 バス停を下りると神代植物公園はすぐ・・・入園料は一般500円、65歳以上250円、小学生以下無料。



 咲き終わったボタン・シャクヤク園を通り抜けると、バラ園が広る。花期は5月中旬から7月下旬まで、秋咲きもある。

    

 武蔵野の雑木林が日差しを遮ってくれる。夏にはスイレンが美しい池も配置。

 
       

 植物園を抜けると、深大寺の境内、深大寺蕎麦の幟が目立つ。



 深大寺は武蔵野国を代表する古刹だった。

    

 昼食は深大寺そばを・・・稲作ができない周辺の農家がそば粉を寺に納めたのが始まり。



 深大寺のバス停。調布駅行は大混雑、つつじケ丘駅行を利用。

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車窓から八十年前の蒸気機関車事故を想う

2013-05-07 11:15:41 | Weblog


1930年4月6日、大分と湯平を結ぶ大湯線と呼ばれていた現在の大久本線を、蒸気機関車に引かれて走る列車がありました。ちょうど、冒頭の写真の小野屋駅付近でした。この蒸気機関車は後ろ向きで客車を引っ張っていましたが、興味を持って列車に視線を向ける人はいなかったでしょう。

当時は、終着駅に転車台がない場合が多く、帰りは後ろ向きで客車を引く後進牽引が普通だったのです。次の湯平駅の写真で説明しましょう。




機関車は到着するとホームに客車を残し前進、ポイントで後進して隣の線路をバックし、次のポイントでホーム側に前進し客車と繋ぎます。この時、蒸気機関車の向きは逆になります。蒸気機関車は前進でも後進でもスピードは変わりません。ただ、後進では炭水車を先頭にして走りますので、機関士と機関助士の視界を確保するため、炭水車を台形にするなど工夫がしてありました。

事故は小野屋駅と鬼瀬駅の間を走っているときに起きました。後進牽引中の機関車のボイラーが破裂したのです。客車側にボイラーを向けて走っていましたから、高熱の蒸気やガスは後ろに流れて客車の中に吹き込んだのです。この事故で23名の乗客が亡くなりました。機関士と機関助士は無事でしたが、事故の責任を問われました。

蒸気機関車爆発事故の写真をご覧ください。大湯線の事故もこれに近いものだったでしょう

 「アメリカでの事故映像です」をご覧ください。
 
地元では後進牽引の危険性を知り転車台の設置を強く要望、4年後に久大線全線開通とともに、豊後森駅に扇形機関庫と転車台が完成しました。
現在残る旧豊後森機関区の扇形機関庫と転車台の写真です。



蒸気機関車の運行がブームとなっていますが、機関車の方向転換はどうしているのでしょうか。JRで定期運行されている常磐西線「SLばんえつ物語号」は郡山駅の、山口線「SLやまぐち号」は津和野駅の、肥薩線「SL人吉」は人吉駅の転車台で機関車の向きを変えています。記念運行のSLは後進牽引の場合もあるでしょうが、ボイラー点検は徹底していますので安心してお乗りください。

 You Tubeには蒸気機関車の映像がいろいろと投稿されています。
 後進牽引の映像は飯田線「後進でけん引する機関車」を・・・
 
 転車台の映像は「SLやまぐち号/津和野駅転車台」を・・・
 (後進牽引に配慮されているC56の炭水車の形に注目)
 往時の豊後森駅の姿をほうふつさせる「梅小路蒸気機関車館・転車台で回転するスチーム号」を・・・
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鉄道と路線バスの旅・・・別府・中津・玖珠・由布院・湯平周遊

2013-04-29 09:04:43 | Weblog


5年前、大分空港からレンタカーで国東半島の両子寺を訪れ、宇佐神宮、玖珠を経て黒川温泉に行ったことがあります。今回の鉄道と路線バスの旅ではルートが一部重なりましたが、車窓から思う存分眺める景色はパノラマ写真のようでまったく別物・・・鉄道やバスの旅の醍醐味を再認識しました。

 乗客二人だけで申し訳ない思いで乗っていた玖珠観光バスの路線バス・・・料金箱のある先頭車両のドアへあわてて移動したワンマン運転の大久本線・・・都会の喧騒を忘れさせてくれるゆったり旅となりました。
往復ともLCCジェットスター成田・大分便を利用、成田発早朝便なら1泊2日、夕方便なら別府宿泊で2泊3日の旅となります。

別府駅から出発して、中津市、玖珠町、湯布院・大分市を経て別府駅に戻りました。
中津では黒田官兵衛ゆかりの寺町散策と福沢諭吉生家を見学・・・路線バスで青の洞門を抜け、タクシーで新緑が始まった深耶馬溪・一目八景へ・・・更に路線バスを乗り継いで、玖珠町豊後森駅に向かいました。
 大久本線の沿線に連なる美しい山々を眺めながら湯布院駅へ・・・乗り換えて湯平駅で下車、石畳のある情緒豊かな湯平温泉に宿泊・・・湯平駅から大分駅乗換で別府駅に戻りました。
 なお、現地交通費は9,940円でした。(大分空港からはバス料金往復割引2,500円、4回券利用2,000円が加算)

別府駅10:20(日豊本線/特急)→11:05中津駅 

 車窓から見る高崎山と別府湾が美しい。山岳信仰の場となったギザギザした厳しい山並みの国東半島を抜けると、風景は一転、広大な中津平野を走る。宇佐神宮と宇佐出身の大横綱双葉山が描かれた大きな看板が目に入る。

 中津駅のホームには名高い特産の鱧が描かれたベンチが珍しい。駅前の福沢諭吉の銅像に迎えられる。来年のNHK大河ドラマの主人公黒田官兵衛の幟が目立つ。観光協会推奨の寺町散策コースを歩く。黒田官兵衛に謀殺された前領主城井鎮房の家臣団が討ち死にした合元寺は400年前の姿と歴史を伝える。
 中津最大の見所は、福澤諭吉旧居・記念館。正確に復元された茅葺屋根の生家は往時の姿を伝え、記念館に福沢諭吉の足跡を伝える写真や手紙など貴重な資料が展示されている。
 昼食は有形文化財の筑紫亭で関東ではなじみのない鱧料理を食す。


                       

中津駅13:40(大交北部バス)→14:20柿坂

 中津と日田を結ぶ日田往還を走る大交北部バスに乗る。市街地を抜けると山間部に入り山国川に沿って走る。青の洞門で観光客が二人降りると乗客はわずか3人・・・交互通行の洞門入り口信号で停車、運転手によると2012年7月の大豪雨で青の洞門はほぼ水没、半年近く通行できなかったとのこと、大国川の両岸には洪水の痕跡がいたるところに残り、耶馬溪サイクリングロードの目玉であった旧耶馬渓鉄道鉄橋は半分流失。



柿坂14:30(耶馬溪タクシー)→14:50深耶馬溪

 柿坂で豊後森(玖珠町)行の玖珠観光バスに乗り換えだが、一日5便しかなく、タクシーで深耶馬溪まで行き、そこでバスを待つことにする。
 柿坂から県道28号を登る。ダムを過ぎ山移集落を越えると、人家はほとんど見られなくなる。景勝地・一目八景には奇岩絶壁の断崖に囲まれるように数軒の茶屋があり、茶店の主人の話では昨年の大雨では谷から溢れた水が道路の上を流れたとのこと、新緑の休祭日と紅葉の頃は大変な賑わいとなるそうだ。 
(なお、「中津市作成・耶馬溪・戦争追憶・紙芝居」には感動しました)


                    

深耶馬溪15:45(玖珠観光バス)→16:07豊後森駅

柿坂発のバスが近づいてきたが乗客はゼロ。結局、終点の豊後森駅まで乗客は二人だけ。深耶馬溪からは峠のトンネルに近づくにつれ、すれ違いがやっとという狭い道となる。斜面から木々が覆いかぶさんばかりで、秋には紅葉のトンネルを走る感じとなるだろう。
 玖珠町に近づくにつれ、民家が多くなる。海抜400メートルの盆地で一番小さな藩といわれる森藩があった城下町。豊後森駅で大久本線に乗る。


                   

豊後森駅16:19(大久本線/特急)→16:44湯布院駅16:47→16:59湯平駅

 大久本線は久留米と大分を結ぶ。湯布院方面(下り)は一日14本、内6本が特急(博多始発)。車窓から切株山を撮る。玖珠町を代表する二つの山、メサ(卓状台地)の切株山と万年山(はねやま)だが、5年前のドライブでは進行方向に見える万年山(はねやま)に気をとられ、切株山を見落としてしまった。奈良時代に書かれた豊後国風土記に記される切株山に関する伝承は玖珠町ホームページ“なぜ「くす」というの?に詳しい。

 豊後森駅からの大久本線は、山々の景観が素晴らしい。メサの山々が多くあり、湯布院駅からは活火山の由布岳が雄姿を見せてくれる。特急に乗ったため、大久本線最高地点543mの野矢駅に停車しなかったのが残念でならない。

 
               

湯平温泉宿

 今回の旅では、宿泊するなら人気の湯布院温泉だが、かつて別府温泉についで湯治客が多かったという湯平温泉に泊まる。湯平駅から旅館の車で10分、300年前に作られた石畳の坂の両側に旅館が並ぶ。湯治から単に温泉を楽しむという時代の波に押され、昭和30年代に65軒あった旅館は23軒に減る。昔ながらの湯治場の雰囲気を懐かしむ客には人気がある。湯平温泉のホームページの写真からは往時の賑わいを知ることができる。


   

湯平駅11:20(大久本線)→12:03大分駅12:16(日豊本線)→12:28別府駅

 湯平温泉を散策後、湯平駅へ送ってもらう。40分ほどの待ち時間に駅周辺を探索。無人駅となり、待合室の壁には「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎!」撮影時の写真が・・・駅舎に併設された郵便局は閉鎖され、駅前の民家にも無住が目立ち、閑散としている。結局、湯平駅で乗車したのは二人だけ。

 途中から高校生の一団が乗り込み、ほぼ満席・・・普通列車は通学・通勤に利用されていることを知る。大分駅近くになり、再び、西の方向に由布岳が望める。大分駅は十数年ぶり、新築の高架駅になり、ホームが増え、構内の様子がすっかり変わっている。
 
 12分で別府駅に戻る。駅前の油屋熊八像の由来を読む。「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」というキャッチフレーズを作り、富士山頂に飾ったり、大阪上空からビラを撒いたり、さらも別府八湯巡りのバスに初の女性バスガイドを乗せ七五調で案内させるなど卓越したアイデイアで別府発展の基礎を作った。

 別府市内を散策、竹瓦温泉の砂湯を体験しようとしたが、薬の服用の有無を聞かれ断られる。温泉前の喫茶店の主人の話では、救急車で運ばれる入浴者がときどきあるとのこと・・・別府変遷の話を聞いたり楽しいひと時を過ごす。


                    

 

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ホテルでランチ、皇居お濠端散歩、そして東京駅へ

2013-02-11 10:24:21 | Weblog
竣工当時の姿を取り戻した東京駅にかねがね出かけてみたいと思っていました。
せっかく東京駅に出かけるのです、駅舎を見るだけでは物足りない・・・レストランで食事をして、皇居のお濠端を散策しながら、東京駅に向かうことにしました。
写真はレストランから眺めた本日のルート・・・道路は内堀通り、大手濠を西に進み、和田倉噴水公園で南に折れ、東京駅に至ります。

 東京駅周辺には手ごろな料金でランチを提供するレストランが増えています。東京メトロ東西線竹橋駅に接するKKR Hotel Tokyoの12階にあるレストラン芙蓉もそんな一つです。皇居を一望するロケーション、ヴァイキング方式を取り入れたフランス料理、2時間の食事時間・・・平日限定ですがランチ1,500円からというという料金設定です。

 昼食後、いよいよ東京駅までの散策です。気象庁前信号をお濠側に渡ると和気清麻呂の像が・・・ここからスタートです。白鳥が泳ぐ大手濠に沿って散策、普段はランニングを楽しむ人で混雑しますが、午後2時ということもあり、春のような日差しの中、ゆったりとウオーキングです。

 

 やがて大手門に・・・百人番所、松の大廊下跡、天守閣跡などのある皇居東御苑への入り口です。見学には1時間は見ておきましょう。
 お濠は桔梗濠となり、交差点を和田倉噴水公園へ渡り東京駅へ進みます。ここの幅員73メートルの東京都道404号は「行幸通り」と呼ばれ、天皇が行幸するために利用します。
和田倉門信号で日比谷通りを渡り、行幸通りの中ほどから東京駅を撮ったものです。



東京駅前に建つ丸の内ビルデイング(丸ビル)の5階テラスは東京駅を見下ろす絶好のヴューポイント・・・雨天時は閉鎖されます。



東京駅と旧京城駅(旧ソウル駅)と比べてください。雰囲気がたいへん似ていますが、東京駅設計者は辰野金吾、京城駅は弟子の塚本靖です。

   

戦前は東京駅で下関駅・関釜連絡船(かんふれんらくせん)・京城駅までの通し切符が販売されていました。
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路線バスと鉄道のスペイン・バスク地方の旅

2012-12-24 19:39:34 | Weblog
 BS-TBSの「スペイン・バスク地方の旅」を見ました。「情熱の国・スペイン 世界一周魅惑の鉄道紀行 情熱の国スペインを行く」という長いタイトルでしたが、「バスクの美食・伝統・文化に乾杯」とバスク地方の魅力を十分伝えていました。

 25年前、レンタカーでバスク自治州Pais Vascoを縦断したことがあります。マドリッドMadridを出発して巡礼の道にあるパラドールSto.Domingo de la Calzadaに1泊、翌日、山道越えでバスクの首都ヴィトリアGasteiz・Vitoriaへ・・・スペイン語バスク語両方表示の標識にバスク自治州に入ったことを実感、更にバスク山脈Montes Vascosを越えてフランス国境に近い海辺リゾート地サン・セバスチャンDonostia・San Sebastianへ、そこからカンタブリ海Mar Cantabrico沿いを西に走りビブラオBiblaoを経てバスク自治州を抜け、目的地アルタミラ洞窟Cueva de Altamira近くのパラドールSantilla del Marに到着・・・サン・セバスチャンで昼食休憩しただけ、バスク400キロドライブでした。

ズームインしてスペイン・バスク地方の地図を

 テレビ番組に触発されて、路線バスと鉄道のバスクへの旅を思い立ちました。
そのプランです。イギリスのサイト The Basque Country of Spainが参考になりました。

 バスクの近代的な都市Biblao 、風光明媚な漁村Lekeitio, 山と川に挟まれた街Durango 、北スペインの真珠と呼ばれる美食の街San Sebastian 、フランス国境の歴史ある港町Hondarribiaを訪れる。
ビブラオのホテルに3泊、サン・セバスチャンに2泊。ホテルに荷物を置き、バスや電車で身軽な旅に。
 エールフランス利用、パリを経由してビブラオへ

1日目: ">エールフランスでビブラオへ・・・
 羽田空港(AF283) 01:30→06:20パリ・ドゴール空港
 パリ・ドゴール空港(AF1471) 07:35→09:10ビルバオ空港
タクシーで市内ホテルへ。約25ユーロ。

ビルバオ市内観光:



世界遺産・ビスカス橋Puente de Vizcaya
 バスク自治州唯一の世界遺産。世界初の運搬橋、地元ではPuente Colgante(プエンテ コルガンテ/吊り橋)と呼んでいる。 
グッゲンハイム美術館 el museo Guggenheim
ビルバオを代表する壮大なグッゲンハイム美術館は、ビルバオの町を芸術最先端中心地へと高める。グッゲンハイム美術館の周りを散策、美術館の外観そのものを観賞。
                                  (ビルバオ泊
2日目: ">路線バスでLekeitioレケイテイオへ・・・
バスク海岸Costa Vaskaにある風光明媚な漁村。背後を山に囲まれ、小さな島を持つビーチが美しい。夏には人口が3倍に増える。ビルバオと路線バスが結ぶ。

レケイテイオ観光案内所Oficina de Turismo de Leleitio

Termibusテルミブス のサイトで時刻表を・・・
http://www.termibus.es/servicios.php?idi=es
*TermibusとはTerminal de Autobuses バス・ターミナルの略語
*ターミナルは路面電車tram・地下鉄metro「San Mamés 駅」下車
*horarios時刻表:origen出発地,destino目的地,fecha日付を選択して、検索buscarをクリック、運行日に注意「L M X J V S D F(月火水木金土日祭)」
(予定)
Bilbao 8:45 → 10:00 Lekeitio
Lekeitio 15:00 → 16:35 Bilbao
                                  (ビルバオ泊
3日目: "> バスク鉄道でDurangoドウランゴへ・・・



南北を山々が連なる谷間にある町、首都ヴィトリアとビブラオのほぼ中間にあり、バスクの主要な街のひとつ。Parque Natural Urkiolaウルキオラ自然公園がある風光明媚な街。Gernicaゲルニカが空爆される20日前にドイツ・イタリア軍の空爆を受け、無差別爆撃を受けた史上初の町として知られる。

ドウランゴ観光案内所Oficina de Turismo de Durango

バスク鉄道・euskotrenのサイトで時刻表を・・・
http://www.euskotren.es/
*バスク鉄道euskotren・・・euskoはバスク、trenは鉄道。
* ホームページを開いたら上部にある「Tren]をクリック、horarios時刻表のページが・・・手順はTermibusと同じ。
*ビルバオのアチュリAtxuri駅はバスク鉄道専用駅。アバンドavando駅、通称北駅Estación del Norteがスペイン各地を結ぶ中央駅。サン・セバスチャンのバスク鉄道専用駅はアマラAmara駅。
(予定)
 Bilbao (Atxuri駅)9:00 → 9:40 Durango駅 
 Durango駅15:42 → 16:23 Bilbao (Atxuri駅)
                                  (ビルバオ泊
4日目: ">路線バスでSan Sebastianサン・セバスチャンヘ・・・
(予定)
Bilbao 9:00 → 10:10 San Sebastian
*サン・セバスチャン行は高速バス、バスク鉄道は2時間30分かかるが、バスクの村々の風景を楽しめる。

*サン・セバスチャンの中心部の広場やホテルの住所を確認するにはMapa de DONOSTIA・Multiplano DONOSTIAはたいへん使い勝手の良いサイト。路線バスターミナルは「AUTOBUSES」と地図上に表示されている。

サン・セバスチャン市内観光:
スペイン随一と称されるPlaya de la Conchaプラジャ・デ・ラ・コンチャ(コンチャ浜辺)の散策。
岬にある山Monte Urgullモンテ・ウルグル展望台へ・・・往復1時間のウオーキング
Parte Viejaパルテ・ヴィエハ(旧市街)散策。500店舗はあるというbarバルのはしごを楽しむ。ここが発祥の地というスペイン小皿料理pintxos ピンチョス(バスクではtapasタパスとは言わない)一、二品を注文、ビールやバスク特産sidra(シドラ・りんご酒)・txakoli(チャコリ・白ワイン)などで味わう。20分ほどで次の店へ・・・夕方から夜遅くまで賑わう。
                             (サン・セバスチャン泊
5日目: "> ローカルバスでHondarribiaホンダリビアへ・・・
 サン・セバスチャンの東18キロ、フランス国境にあるかつての城砦都市。ローマ時代からの歴史のある街。岡の上に建てられた中世から続く建物群、細い石畳の路地、味わいある広場、港には色とりどりに着色された木造三階建ての漁師の家々が並ぶ・・・バスク魚料理レストランが有名。
 サン・セバスチャンの旧市街近くのPlaza Gipuzkoaヒプツコア広場から路線バス(2.35ユーロ)が一時間に一便。タクシー20ユーロ位。
バスの時刻表をホテルで確認。

イギリスのサイト Basque Country Travel、Hondarribiaが参考になる。

                             (サン・セバスチャン泊) 
6日目: ">路線バスでビブラオへ・・・
(予定)
San Sebastian 9:30 → 10:40 Biblao
Biblao 10:55→ 11:25 Aerop. Biblao (ビルバオ空港)

">空路羽田へ・・・
ビルバオ空港(AF1777) 15:30→17:10パリ・ドゴール空港
パリ・ドゴール空港(AF1471) 23:20→

7日目: 
→19:15羽田空港


最後にEuskera(バスク語)であいさつ・・・
Eskerrik asko.(エスケリカスコ。どうもありがとう。)」「Agur.(アグー。さようなら。)








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