
千葉県東葛地区にある知り合いの工務店では、毎年、お盆と正月に関係者一同がバスを仕立てての大山参りに出かけます。大山講の伝統が関東周辺の地でも、江戸時代から綿々と続いているのです。
今まで大山詣でとは無縁でしたが、厚木在住の友人に案内されて出かけました。
小田急小田原線伊勢原駅からバスに乗りましたが、晴天ということでウオーキング姿の方が目立ちます。市内を抜けると車のすれ違いがやっとという細い一本道となり、谷間を流れる鈴川沿いを走る頃からは、かつての宿坊であった旅館が見えるようになります。30分ほどで終点大山ケーブルバス停に到着です。

バス停から大山ケーブル駅までの宿坊街は、階段状のしんどい登り坂ですが、石の玉垣の宿坊が連なり、宿坊に残る講中の名前から古の大山講の姿を想像したり、みやげ物店や茶店を覗きながらの30分ほどの楽しい散策です。関東各地からの大山道はすべてここに通じていたという雰囲気のある歴史の道です。
「先導師○○」という屋号がついて宿坊が見られます。先導師とは江戸時代には御師(おし/おんし)と呼ばれた神職で、年に数回、お札や土産を持って各地の檀家を回り歩きました。また、大山参りの講中を組織し、参詣の際には自分の坊に宿泊させ、参拝に付き添いました。最盛期の寛永の頃には166の宿坊があり、現在でも41の宿坊(旅館)があります。
なお、御師へのお礼に大豆が多かったことから豆腐料理が名物となりました。




大山ケーブルカーの歴史は古く、昭和6年に営業を始めました。平成20年に駅名変更され始発駅は大山ケーブル駅となりましたが、女坂と男坂の分岐点を示す旧名の追分駅のほうが歴史を感じます。
登るにつれて、谷間にそって発展した宿坊を中心とした町並みが鳥瞰でき、相模湾に突き出た江ノ島・・・遠くに霞む大島・・・変化に富んだ眺望で、首都圏にあるケーブルカーの中では抜群の景色が楽しめます
6分で海抜678メートルのケーブル終点阿夫利神社駅に到着です。



名前の由来ですが、大山は周辺の農民からは雨乞いの神として崇められ、「雨降(あふ)り山」と呼ばれていました。頂上に阿夫利神社本社、中腹に阿夫利神社下社、さらに女坂に大山寺があります。下社から頂上の本社まで、徒歩1時間30分の登りです。
阿夫利神社駅からの見晴らしは圧巻です。平塚、茅ヶ崎、藤沢の市街地、その背後に広がる相模湾・・・江戸時代、相模湾を航行する船乗りには大山は目印となり、魚場を探す漁民にとってはなくてはならない山アテだったでしょう。
また、はるかに望む江ノ島や三浦半島は、大山詣を終え江戸に戻る人々の旅心を、江ノ島、鎌倉、金沢八景へと向かわせたことでしょう。


往復1時間のウオーキングでした。歩き始めて10分ほどで、行者や参詣者が禊をしたという二重の滝があります。大山の中腹を巻くように原生林の中を進む山道は平坦ですが、南側は谷となり、「死亡事故注意」の標識に慎重に足を進めました。
見晴台は大山頂上直下という位置にあり、東京方面を見通せる広場です。ベンチとテーブルがあり、ハイカーが昼食ととりながら眺望を楽しんでいました。




ところで、江戸から大山は見えたのでしょうか。江戸の町屋は平屋か二階建て・・・関東周辺の山々は現在よりずっとよく見えたに違いありません。「西の富士、東の筑波」という言葉がありますが、独立峰でない大山は富士山の前山として他の山々と重なり、特定しにくかったと思われます。
