
寛永3年(1626)徳川家光が江戸城の鬼門を守る筑波山の中禅寺(筑波神社)を改築するため、資材を運ぶ直道を北条から筑波山まで開きます。この道は、その後、筑波山神社への参道「つくば道」として使われるようになり、北条は門前町・宿場町として栄えます。

明治、大正から昭和の初めにかけて養蚕が国策として推進されるようになると、養蚕発祥の地として金色姫伝説が伝わる蚕影山神社に参詣する人々が「つくば道」を通るようになります。

大正7年(1918)に筑波鉄道が開通、列車・バスを乗り継いで筑波神社へ参詣できるようになり、また、養蚕が廃れるにつれて蚕影山神社への参詣者も途絶え、「つくば道」はその歴史的な役割を終えます。




平成24年(2014)の竜巻で電柱が倒され、多くの家が屋根を飛ばされるなどの被害を受けた商店街ですが、新たな装いを見せています。商店街の中心にあった大正時代に建てられた呉服店は北条ふれあい館となり、軒下の「古い信用と新しい柄行」という看板に当時の賑わいが伝わってきます。



筑波の峰を目指すほぼ一本道です。野を行く道を想像していましたが、点々と民家・農家が連なり、古くから人々が生活した道であったことが分かります。神郡には鎌倉時代からの由緒ある普門寺があり、陣屋が置かれていた江戸時代の町並みの雰囲気が色濃く残っています。





神郡の道標から東に一キロです。昭和の初めまで旅館・休憩所だった春喜屋から200段の石段を登ると本殿(江戸初期)と拝殿(大正)を持つ蚕影神社に至ります。金色姫の遺言で柩を開ける権太夫夫婦の絵馬が奉納されています。
神郡へ同じ道を戻ります





北条、神郷は比較的平坦な道が続き、臼井からが筑波山山麓です。やがて大きな石の鳥居が見えてきます。
昭和40年代までここからは石段の道が続いていました。三叉路から本通り(右手の道)を進むと石段が残っています。昔の旅籠があり、振り返ると今までの道筋が見えてきます。
ここは筑波、坂下に臼井、左手奥に見えるのが神郡、小山の向う側が北条です。





最後の階段を登るとつくばスカイライン、歩道橋を渡れば筑波神社の境内です。

アクセス:TXつくば駅・つくばセンターバス乗り場3番・筑波山口行(30分おき)
筑波交流センター下車、筑波高校前を北へ、北条商店街へ。
帰路は:①筑波神社前バス停からつくばセンターへ
②「つくば道」に戻り、途中の案内板にしたがって西へ、筑波山口バス停(旧筑波鉄道筑波駅)からつくばセンターへ
観光協力の家:「つくば道」にはコンビニ・食堂はない。つくば市観光協力の家でトイレを借りることができる。普門寺(神郡)・川邸(臼井)
資料:神郡マップ・筑波山麗マップ(つくば市・アースデイつくば実行委員会TEL/FAX029-857-1555)