アルバムの整理が悪い(撮影データの記録も皆無…)ので、年齢と共に記憶も曖昧になってきました。
PCと同時にスキャナーも更新していたので、プリントのデータ化を試みてみました。
まず手始めに、撮影データが皆無に等しい琴電から始めてみる事にしました。
ネガや手元に残してある切符(これも未整理…汗)を照合すると、少しずつ詳細が解ってきました。
1034+1033 高松築港 昭和63年12月13日
切符コレクションを探すと、初めて訪れたのが昭和63年12月13日と判り、ネガを調べると、初めて乗った車両がこの編成だとわかりました。
870 瓦町
琴平線、志度線、長尾線が接続する瓦町駅、ここの喧騒はインパクト強かったです。構内に複数ある踏切の警報音が全て異なっていました。
琴平線の築港寄りは電子音、琴平寄りと志度線は警鐘、長尾線ホームは同じ警鐘でもテンポの速いものでした。警報の音を聞くと、どっちから列車が来るかが分かったので便利でした。
810
1063
1061+1062
1032+1031 全て仏生山
車庫と工場のある仏生山駅では、右を向いても左を向いても、全て違う電車に興奮しっぱなしでした(笑)
琴電屋島駅
22(車体更新前)
仏生山の次は琴電屋島に移動し、どうも鹿島ケーブルに乗っているようです。この時は会社の先輩もいたので、一応観光地に行ったようです(笑)
この時、屋島駅では車両留置を行っており、飾り窓跡が残る22号に興奮して、その隣の車両を撮影していない失態も…(汗)
初体験の琴電は、駆け足訪問で不満だったのか、同じネガには明らかに別の日に撮影したと思われる琴電電車が…
現在判っている古い撮影日は平成元年12月16日だし、1年もしない内に再訪問したのか?
PCと同時にスキャナーも更新していたので、プリントのデータ化を試みてみました。
まず手始めに、撮影データが皆無に等しい琴電から始めてみる事にしました。
ネガや手元に残してある切符(これも未整理…汗)を照合すると、少しずつ詳細が解ってきました。
1034+1033 高松築港 昭和63年12月13日
切符コレクションを探すと、初めて訪れたのが昭和63年12月13日と判り、ネガを調べると、初めて乗った車両がこの編成だとわかりました。
870 瓦町
琴平線、志度線、長尾線が接続する瓦町駅、ここの喧騒はインパクト強かったです。構内に複数ある踏切の警報音が全て異なっていました。
琴平線の築港寄りは電子音、琴平寄りと志度線は警鐘、長尾線ホームは同じ警鐘でもテンポの速いものでした。警報の音を聞くと、どっちから列車が来るかが分かったので便利でした。
810
1063
1061+1062
1032+1031 全て仏生山
車庫と工場のある仏生山駅では、右を向いても左を向いても、全て違う電車に興奮しっぱなしでした(笑)
琴電屋島駅
22(車体更新前)
仏生山の次は琴電屋島に移動し、どうも鹿島ケーブルに乗っているようです。この時は会社の先輩もいたので、一応観光地に行ったようです(笑)
この時、屋島駅では車両留置を行っており、飾り窓跡が残る22号に興奮して、その隣の車両を撮影していない失態も…(汗)
初体験の琴電は、駆け足訪問で不満だったのか、同じネガには明らかに別の日に撮影したと思われる琴電電車が…
現在判っている古い撮影日は平成元年12月16日だし、1年もしない内に再訪問したのか?
当然当時は意味が分からんかったですが…
非貫通のままの870や明かり窓の跡がわかる22等、よき頃の琴電の車輌ですね!
丁度私が高校時代、三原から国道フェリーを使って、伊予鉄、琴電ツアー(笑)をした時が懐かしく思います。
ついこの間の様に思いますが、大方30年近くになりますから「オッサン」になった自分を改めて感じる今日この頃です(T_T)
870の2枚窓のインパクトは強烈でした! 実際に乗る事は出来ませんでしたが、車にをじっくり観察してみたかった車両ですね…
>シンコーさま
それは1070のワイパーでしょうか? 曇り止めの熱線ガラスの代わりだと思うのですが…
晩年は根元だけ残っていたと記憶します。
琴電の型式さっぱりなんで分かりませんが、曇り止めのつもりなんでしょうが、普段は鬱陶しくてかなわないのでは?(笑)
次のネタ、ありがとうございます!
東芝製電車は71号と72号の2両です。71号は志度線分断後の長尾線予備車確保という事で不死鳥の如く(?)蘇った強運の持ち主でした。
写真がある筈ですから発掘しておきます!